IB(国際バカロレア)取ったら駅の表示案内が読めなくなった話 | UWC ISAK 生活日記

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UWC ISAK Japanの生徒による非公式ブログです。
「一度しかない人生。自分の個性を生かして思い切り生き、自らの立つ場所から世界を変える。(UWC ISAK Japan Webより)」

こんにちは。つい昨日にIBを無事終えた高野豆腐です。weeeee。まだスペイン語と化学をとっている生徒は水曜日まで試験が残っていますが、学年の大半が試験を終え、少し緊張感が解けた様子のキャンパスからお伝えしています。きっとこの記事を読まれている方は、ISAKのブログを純粋にフォローしてくださっているか、IBというワードに引っかかったかのどっちかでしょう。ここでは、あえてIBはなんなのか?国際バカロレアって本当に受験に有利なの?何点取ったらアイビーリーグに行けますか?といった詳細は割愛し、私の二年間に基づく経験や気づきから、結局IBどうだったん!という話をしていきます。

 

タイトル通りです。IBやったら駅の表示案内が読めなくなりました。ちなみに私は元々尋常じゃないほどの方向音痴。軽井沢に移住してからは、歩くことが多くなったり同じ場所を行ったり来たりするので方向感覚が良くなった気がしますが、根はかなりの方向音痴です。Googleマップ使っても、どっちに動いてるかを探すためにうろうろしてようやく方向がわかる。駅とかでも表示案内からわかんないから、壁にある地図をじーっと眺めるんですがわからず、通行人の邪魔になりたくないという謎の意地が働いて諦める、という繰り返しをやってます。

 

というのはここまでにして。まあもちろん今回の表示案内というのは例えです。ドラマチックに例えるのが趣味なので。

 

どういうことかというと、ISAKの前、IBを勉強し始める前は、矢印が前をさしていたら前に進もうとしました。目的地が出口Aの2だったら、出口のAの2の表示を探す。目的地が先に決まってて、そこに向かうための道を探す。単純明快、そしてそれが本来の表示案内の働きでしょう。

 

今の高野豆腐が同じ状況だったら、こうなっています。

 

矢印は↑ってなってるけど、これって出口Aの2が真上にあるってこと?それとも前にあるってこと?

左に行ったら出口のAの2に楽に辿り着けるかも。でもAの1から行った方が楽っぽい。

あ英語の表示、うちの最寄りにはないのにここにはあるんだ。

もしこの表示案内がフェイクだったら?てか誰がこれが正しいと決めたのかな。

あの広告のティラミス美味しそう。

ああ歩くのってめんどくさいから次からバスで行こ。

てか私って出口のAの2に本当に向かう意味あんの?

結局表示読めないしやっぱやーめた。

 

え高野豆腐めんどくさ。てかあんだけ二年間も頑張ったのに表示読めないんかい結局。

 

設置された表示案内を読まない読めないは違う意味を成します。方向音痴じゃなければ、迷うことがなければ、道を知っていれば、そもそもに表示なんで読みません。道を知らなくて、でも表示をあえて読まなくて、それで目的を達成する人もいるかもしれませんが、それは運だったり勘だったりなので割愛。とにかく、矢印がどういう意味を成してるかなんかなんて、迷わない人には知ったこっちゃない。

 

当初IBというものは、幅広い知識を吸収して経験することで標識を読めるようになる事だと私は思っていました。明確な目的地に辿り着くための情報を集めて、そのパズルを同志と共に解いて…。違うのかな、と私は感じています。

 

表示が読めなくなるために汗水血涙流すのがIBです。(個人の解釈。ちなみに血は流れませんが、長時間ペン握り締めると内出血ができるんですね、人って。最近知った。)

 

方向がわからないから、どこに向かうべきか確かじゃないから、とりあえずIBを始める。あ、表示あるじゃん、なになにこれは何といってるんだろう。ふむふむ。読もうという努力をして、色々やる過程で、小さい文字で書かれてる英語の表示が目に付き、何の関係もない脇の広告が気になり、表示案内信じられるのかなって疑問や不信感が湧く。もちろん視野が広がるという意味ではいいことですが、多くの場合それらは目的にたどりつくためには役に立たないものばかりかもしれない。で、結局私表示ちゃんと読めないじゃん!ってなるまでがIBなのではないんでしょうか。

 

でも、表示が読めなくても、人によっては目的地にはたどり着けたのかもしれない。表示は読めなかったけど、知らなかったことを知ったのかもしれない。表示は読めなかった、その虚無感しか生まれなかったのかもしれない。でも表示が読めないから、人より劣っているとか、特別なわけじゃない。ただ目の前の表示が読めなかった、言ってしまえばそれだけのことです。

 

全員が表示を読めるようになったら、つまんないと私は思います。みんなが道に迷わなくなったらつまんない。

 

「IBって日本の教育よりも先進的で、もっと将来に意味がある。」「日本人だから数学化学物理のHLを取るべき。」「やっぱこれからの教育はディスカッションベースだよね。」「45点とって良い大学行きたい。」IBの話は昨今色々と聞きますし、これからどんどん増えていくでしょう。結局、苦労や悔しさの後でもIBをとり続けられた理由は、英語力を上げたいからでもなく、世界で活躍する人材になるためでもなく、45点を取るためでもなく、表示を読めなくなることに楽しみを見出したからです。

 

最後の最後まで抽象的で、私も正直この文が意味を成しているのかわかりません。矢印の意味がいまだに理解できない私ですから。

私はこの二年間のIBライフの終わりを迎えられたことを誇りに思いますが、後悔や失敗に溢れた道のりでした。全然思ってたのとはいろんな意味で違う。未知の世界、いつ何がどんなふうになるかは表示は教えてくれない。

読めないって楽しい。迷うって面白い。

 

ていうか結局いろんなことがどうでも良いのかも、だって出口Aの2が本当にあるのかも私は知らないんだもん。世の中にゴロゴロある表示案内の数だけ、そういう経験がIBが終わったこれからもできたらな、と切に願っています。

 

高野豆腐