今まで考える事を怠ってきた人は、いざ考えようとした時に考える事は出来ますが、その考える事に対するベースから違っているという事がよくあります。
今までしてこなかったと事をしようとすると簡単には出来ないという事です。
これだけ書いても分かり辛いと思いますので例を挙げながら説明したいと思います。
例えば相手に対して悪い事だと気付いたから今までしていた事を辞めようと考えたとします。
その考え方の方向性自体は正しいと言えるでしょう。
相手に対して悪い事をやめる、その事自体は当然と言えるでしょう。
けれどもしそのしていた事が、間違っていたけど相手の為を思って開始していたり、相手が公認の元開始していたりするのであれば、辞める理由を相手に告げて相手に話を通してからやめるべきではないでしょうか?
自分で考えてぞれが正しいから自分の基準でやめるという事は、自分一人で始めた事であれば問題は無いと思いますが、二人の間の共通認識として始めた事であればやめる時も二人の間で共通認識を持つことが必要ではないでしょうか?
それを自分が考えたから辞める、というのであれば相手の事が抜けているので考えていない、となるのです。
言ってしまえば自分では考えたと思っていて、相手の為だと思っているのに、実際は相手の事も考えていなければ自分勝手に行動したとしかならない、という事です。
お付き合いしている関係であればこれだけ二人の感覚がズレてしまうような事は避けるべきではないでしょうか?
ましてや復縁したいのであればそれこそここまで二人の感覚がズレてしまうような事は避けるべきではないでしょうか?
本来こういった事を考えて人は生きてきているので当たり前に気付く事も考える事も出来ます。
ところが今まで考える事を怠ってきた人は、当たり前に気付く事も考える事も出来ません。
ですから今まで考える事を怠ってきた人は、自分が考えているつもりになっていても絶対的に足りていないという意識を持たない限り実際に考えた事にはならない、という意識を強く持つ必要があるのです。
こちらの記事に興味のある方はこちらの記事もオススメです
見えていない自分の内面の部分から変えようとするのが自分を変えるという事
クリックにご協力いただけますと励みになります