よくお付き合いしている相手に一般的には、常識では、と言って意見を押し付ける人がいますが、その人は自分が一番一般的でもなく常識的でもない事をしている事に気付いていません。
むしろ自分の理屈がむちゃくちゃだからそれを無理に正当化する為に一般的には、常識では、と補強しようとしているに過ぎません。
自分では自分の意見を一般的、常識的、と思い込んでいるのでしょうが、自分個人の意見をさもみんなの意見と同じであると多数決のように相手を追い込んで自分の意見を押し通そうとする時点で一般的でも常識的でもないと気付かないのでしょうか?
むしろ自分の意見を押し通すために一般的や常識的等の言葉を使うこと自体が一般的でもなく常識的でもないことに気付かない事が既におかしい事なのです。
こういった事を繰り返していてお付き合いしていた相手に呆れられて別れを告げられて復縁したいと望んでいる人がいます。
自分がどれだけ一般的、常識的と声高に叫んでいてもそうじゃなかったから今復縁したいと望む状況になってしまったのです。
その事実に気付くことが出来るかどうか、気付いて反省できるかどうか、反省して改善できるかどうか、が復縁出来るかどうかを左右するのです。
しかし残念な事にその事実に気付いている人は少ないです。
その結果復縁出来ない人が多い上に状況をより悪くしてしまっている人が多いとなってしまうのです。
考えて頂きたいのですが、一般的、常識的、といっている人は自分の意見を押し通す事に必死で人の話は聞きません。
自分の意見がすべてだと思っているので人の意見を聞きません。
人の話を聞かず、人の意見を聞かない、という事は会話が成立しない人だと認識されるという事です。
会話が成立しない人とお付き合いを続けようという人がどこにいるのでしょうか?
その点を考える事が必要ではないでしょうか?
復縁したいと望む人は、一般的には、常識では、と言っている人ほど復縁出来る確率が低いという事を知らなければなりません。
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