チェアリングは動物を驚かさないようにやろう | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

ネットニュースで「チェアリングが流行ってます」みたいな記事が出てきた。チェアマン、フォーマルな会議とかの司会して多数決とる人、討論会開いて進行役するのが人気なのかね、と思った。全然違った。椅子に座る行為、チェアリングなのね。めっちゃシンプルだった。

 

アウトドアチェアを持って外のどこか、河原とか原っぱとかに座ってのんびりすることらしい。いいね、いいね。わざわざオーバーツーリズムで人がいっぱいの混んでるカフェ行かなくてもね、原っぱとかで座るのね、いいね、いいね。ホントに流行ってるのか、流行らせようとしている途中なのかわからんけど、まあやってみよう。

 

親元離れて20数年、自分のために椅子を買うのは実は初めて。初めての椅子選びだ。ワクワクした。持ち運びに一番軽いものはお風呂の椅子だろう。100均に行って、100円のお風呂の椅子に試し座ってみた。ここに長時間座るのはちょっと厳しいかな? クッションを椅子の上に置いてまた座って、1分くらい。ちょっと100均の通路が狭くて迷惑客になりそうなんで、長時間のお試しはやめといた。500円の大きなお風呂椅子は座り心地よかった。大きくてバックパックに入らない。結論、お風呂の椅子はリラックスチェアに向かない。結局、背もたれ付き小さい折り畳み椅子600gを買った。オーソドックスな椅子から始めようか。

 

お気に入りの高尾山に行って。山道から外れた小川の近くで人が来ないところ、虫避け使いながらその椅子で瞑想してたら、なんとまあ心地いい。地球は庭です、って声高らかに叫びたくなる。1時間くらい目を閉じてた。久々目を開けた瞬間、すぐそば2mのとこにタヌキがいて、目が合って向こうがビックリして逃げてった。

 

なんか悪いことしたな。臆病な動物タヌキは、人間が来ないところをウロウロしていたんだろうけど、自分も含めた人間がどんどん山の奥に侵入してタヌキの行動エリアを狭めてるかもしれない。というかタヌキでなくてクマだったら今頃は病院だろうか天国だろうか。高尾山付近でも人間の通りが少なければ熊がいる可能性が少しだけ高くなる。チェアリングするなら人間が活動域からあまり離れない方が良さそうだ。

 

手付かずの自然へ入っていくのが熟練したアウトドア、慣れてきたらどんどん奥地へ行くべし、みたいなイメージを持っていたんだけど、考えてみると人間に遭遇したくない動物たちの行動エリアに踏み込む行為なんだよね。

 

ニューヨークとかバンクーバーみたいな人種がごちゃごちゃしているマルチカルチュラルな街は多様性があって楽しい。開かれていてアジア人が滞在してもアウェイを感じない。でもイスラエルとパレスチナみたいに相容れない2つが一緒の空間にいるのは難しいこともある。必要な棲み分けをしていくのも、多様性のある空間を作るのと同じくらい重要だと感じている。人類は動物でエリアを分けた方がいいのかなって思い始めている。

 

ここまで人類が自然環境を消費する世の中だと、人間が適切に間引きをしないと自然って一気に壊れていくのかなとも思うんだけどアカデミックな知識というよりは心情的に、人間が自然のエリアに立ち入るのは少し遠慮があってもいいのかなって思っちゃったりするわけなんよ。無人島ツアーや秘境の旅を楽しむのも良いんだけど、それをしたところで、そこまで幸福度が増幅されないと思うんだよね。

 

なんか動物も、特に臆病なタヌキみたいな動物も快適に生きれる場所があればいいよねって、言いたかっただけでした。

 

 

そういえば手塚治虫の名作「ブッダ」の中で、ナラダッタっていう人間がいて。一人の人間を救うためにたくさんの動物を犠牲にしてしまった罰として、山の中で4つ足で歩き動物として生きだることになる。何年も経ってナラダッタが病気で弱っているところにブッダがやってきた。薬を渡そうとしたんだけど、薬を飲まずに命を終わらせることを選ぶ。かっくい~。ナラダッタなら人間の空間にいても、人間が入っていけない空間にいても許す!