綿棒きもちいな | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

耳があまり聞こえなくなる時期があった。

 

時に左耳だけが極端に聴こえなくなる日があった。

時に全く聞こえなくなって、しばらく経つといつの間にか回復してる。

当時ワーホリでカナダ滞在中だった。保険の医療費費負担がなかったので、病院代がとんでもなく高くなる可能性が大いにある。病院に行くのを躊躇した。そのうち治るだろう。

 

1ヶ月経っても繰り返す聴力がなくなる現象に、さすがにまずいと思って耳鼻科に行った。

耳の穴に強力な水鉄砲をかけられ、綿棒の先のコットン出てきた。左耳に大きいコットン、右耳には少し小さいコットン。

 

綿棒をするのが好きだ。どこまでも深く突きたくなってしまう。1ドル均一ショップで買った綿棒はコットンが棒の部分から外れて耳の穴の中にずっと入っていた。中に綿棒があるといつもよりもっと深いところに届いたせいか、当時は異常なまでに気持ちよく感じてやめられなかったから結果的にコットンをかなり奥まで押し込んでいた。湿気の多い日やシャワーの後は耳の中のコットンが水を吸い、耳栓の役割をして僕の聴力を奪っていた、まあよくある話だ。

 

「日本人は綿棒なんて使わなくて、もっと良い耳掃除のツールあるだろう。そっちを使えよ」と医者にアドバイスをもらい、300ドル支払って聞こえる耳が手に入った。いや、耳かきも良いんだけど、ちょっと違うんだよね。やっぱり気持ちいいのは綿棒なんよ。

 

それからは何年も綿棒には気をつけている。良い綿棒は気持ちが良すぎるから、安物のスティックがプラスチックですぐ折れるやつを買っていた。20秒くらいですぐダメになるからちょうどよいやめ時だ。

 

先日ついつい魔が差してしまい、紙の芯で丈夫な綿棒を買ってしまった。スティックは折れないし、コットンも取れてこない頑丈なプロダクトでさ、生きてるうちに好きなだけ幸せを味わおうと思ってさ、良い綿棒を使いたくなったんだ。

 

でもその気持ちよい綿棒をしている途中で「このままでいいんだろうか? 早くこれやめなきゃ」って罪悪感というか背徳感というか、モゾモゾ頭をよぎりだす。綿棒のやりすぎは耳の穴の皮膚の炎症を起こす、そんなもんわかってるわ、でも少々の身体の犠牲を払ってでも続けたい。これが本当の好きってことなのかもしれない。

 

遠出して得られる幸せはある。けど実際は遠出によって、名物を食べて美味しいという身体の内側の反応が強く出たり、花火を見にいって視覚と聴覚を刺激されて、のような、全部内側の出来事に敏感に耳を澄ますためのきっかけにすぎない。近くにある幸せを味わいやすくするために遠くにいくのが現代人。

 

その点、耳掃除は内側に全集中して得られる幸せだ。何が言いたいかっていうと、健康に良いとは言えない綿棒、それがやめられない自分なんだけど、ひたすら肯定したいだけ。自分の好きに忠実に生きるために質のいい綿棒を使い出したのに、心にあるモヤモヤを退治したい。

 

そんな今日この頃。