「セクシー田中さん」の原作者・漫画家の芦原先生が亡くなったニュースが衝撃的だ。ドラマ化したが「原作の漫画を忠実に」が守られなかったことが発端らしい。非常に残念だ。
「セクシー田中さん」つまらなそうなタイトル。だいたい俺は「からかい上手の高木さん」みたいなタイトルが好きでない。「地球を守るよ悟空くん」「ルフィーくんは身体が伸びる」「巨人になるよエレンくん」「道具に頼るよ、のび太くん」みたいなタイトルが世界に広まるとしたらちょっと恥ずかしい。あ、でも「味にうるさい新聞社の山岡さん」なら読んでみたいかもだけど。タイトルで話の中身をある想像させるって、5分で読めるニュースとかブログとかYoutubeのタイトルならわかりやすくて便利だけど、長編としては洒落っ気がなくなる。長編のタイトルは情報開示でなく表現の一つであってほしい。
って、こんなことが言いたいんでなかった。言いたいことが2つあるわ。
まず1つ。
原作ファンは作者の創作物とメディア化は別物だって思おうじゃないか作者はメディア化でねじ曲がってしまった作品も、元々のファン離れはしないから大丈夫って信じれるんでないか。
「キャプテン翼 Rivals」というゲームがある。超有名マンガのキャプテン翼、プロサッカー選手のイニエスタと長友がアンバサダー、だがしかしNFTのカードを仮想通貨で買ってプレイするゲームという怪しいハードルが待ち構える。
NFTに関連するゲームは基本的に先にプレイした人を後からプレイした人が稼がせるポンジースキーム構造になっている。あの有名なキャプテン翼なら大丈夫なのか? 健全なゲームが出来上がるのか?
蓋を開けてみれば、出金手数料の後出し大幅値上げもあり、ほとんどのゲームプレイヤーが損をする、詐欺ゲームと疑われてもしょうがないような結末を迎えている。
「ボールは友達、翼くん」を見ると「ああ、あの詐欺ゲームの・・・」ってRivalsをプレーした人は思うだろう。クリエーターはクリエイトするだけでなくて、創造物が壊れていくの守る必要まであるのか?
いや、もう原作者が創った世界とは別だ。キャプテン翼は悪くない、作者の高橋陽一は悪くないぞ。
言いたいこと2つ目。
原作のメディア化での内容の改変は正義。
忘れもしない実体験なのだが、保育園時の頃お、俺の一番好きだったアニメは土曜の夜7時、セインセイヤっ🎵 って歌にテンションがアガる。
聖闘士星矢(セイントセイヤ)が好きすぎて、親と本屋に行った時に親が本を1冊買ってくれるって言ってくれたので聖闘士星矢、なぜか1巻でなく3巻を買ってもらった。
え、なにこれ? セイヤ達の鎧(クロス)はアニメだとヘルメット型なのに、そのヘルメットがない。そんで、その年齢で見ては絶対いけないグロ描写(大きくなって全巻読んでみたら3巻が一番グロい、ババ引いてたわ)。
ペガサスやドラゴンの口から顔出してるダサいヘルメットや、グロを省いたマイルド描写は、幼い自分にとっては心地いいエンタメだった。漫画3巻は開いてはいけない書物として本棚に封印し、アニメだけを楽しんだ。
漫画がアニメ化、ドラマ化、映画化すればもう別物だ。濃さとか味が変わるんだ。コーヒーだって砂糖やミルクを入れたりフラペチ化すれば苦いの嫌いな子供も飲むわけだ。
一つの原作があって、それを好む人たちがいて、でもせっかくなら原作をいじって、全く好まなかった人にも届くなら、それがいい。届いた分だけ楽しんだ人が増える。
一つの作品で生み出す世界の幸せの総量がメディア化によって増えるんだ。
だから、こんなニュースがあっても、原作の改変は正義だ、と唱えながら園児だった自分を楽しませてくれた、薄味に変更されたアニメ聖闘士星矢に感謝したい。
きっとみんな原作改変のおかげでワクワクドキドキした経験があるのかと思うと、メディアのお仕事って素敵だって思うんだ。最近メディア批判が多いから、いやいや、待てよ、と思っての書き殴りでした。