身体と仲良くなって手放すのが人生 | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

先週書いた偏頭痛の続き

 

右の偏頭痛、原因は右首のコリなことまでは3年前くらいに判明できていて、できれば日常的に、それでも予兆が来たら頭痛がピークになる前に、血流強くなりすぎて痛くなりすぎない程度に首をマッサージとか肩回しとかして防いでいた。たまに上手くいかなくてしょうがないから薬飲んで対処。

 

この前、朝起きた時に左右の肩の上がり方に違和感を感じた。位置が右上がり過ぎだ。側屈や斜め前に前屈しながら左側を伸ばして、左肩が上がってくるように調整ストレッチしたらめっちゃ改善された。

 

この偏頭痛が、身体の歪み(左側が縮こまって右側が身体伸びている)を知るイベントになった。思えば残りの半分の人生を考えると、苦しいイベントだけど、あっても良い気がしてくる。

 

自分のように、右利きの人は左側が縮んで右側が伸びてる状態が多いそうだ。お腹の力を抜いてる状態で右手を上げようとすると左の身体が少し小さく縮みやすい。右手で携帯持っても、箸を持っても、ボール投げても、右がホウキの左がチリトリでも、伸びるのはいつも右側。

 

最近、激しめに運動していたので身体のアンバランスが強くなっていたのかもしれない。ちゃんと身体の左側も伸びるようにメンテナンスをしていつも快適な身体にしないとまた右の首がコッて頭痛発生のメカニズムなんだろう。

 

身体の左側をしっかり伸ばした方がいい。だけど、ただ身体の左側をストレッチしててもつまらないから、左ピッチャーのエアプレイ(ボール持ってないのに投球フォームだけこなす)しながら左腕を大きく回して遊んでみた。10級くらいすると、かなり身体の左側が伸びて来る。左投げで時速110kmくらい出せるようになりたい。

 

 

令和XX年

歪み矯正下着が発売され、翌年ワークマン、翌々年ユニクロの店頭にも現れ、大衆に広まる。来ているだけで歪みが改善される。歪みを助長する動きが長く続いたらアラートが鳴る。

 

整った身体に喜ぶ大多数の人々、

 

テクノロジーに仕事を奪われるとは思ってなかったと涙する整体&マッサージの職人、

 

自然と伝統を重んじ続け、変わらぬフンドシ愛好家、

 

AI矯正下着を着けたらダサいと思われるので隠すように身につけるオシャレな若者たち。

 

多くの人がAI下着をつけて歪みが改善され頭痛は完全になくなった。

 

 

のような妄想をしてしまう。そんなことが起これば喜ばしい。喜ばしいっちゃ喜ばしいのだが

 

今回、頭痛の予兆が来てからどのタイミングまでは運動などで温めた方がいいのか、どのタイミングを過ぎると患部を冷やした方がいいのか、どこをストレッチすると頭痛がなくなるのかを自力で探していったの無駄とは思えない。

 

その間、身体の声を聞きながら、身体を動かして、頭痛が強くなったり弱くなったりする傾向を見極めて、そのかけた時間の分だけ身体と仲良くなった。

 

一緒に過ごした時間が長いからって仲良し、っていう発想はない。仲良い人は1日で全幅の信頼を寄せるソウルメイト的になることもあるし、毎日一緒の職場で働いても価値観が違い過ぎてピンと来ない人もいるわけだし。

 

でも自分の身体に関しては寄り添えば寄り添うほど仲良くなっていく実感がある。

 

思い返してみると小さい頃は外の刺激ばかり目がいってた。保育園の時なんて、デカくて速いから電車が好きだった。外側に刺激を求め続けて、テレビついてたらずーっと観てたし。大人になると自分の内側に目を向けれるようになるから、複雑な味付けが「これはキノコと海藻でダシをとってるね」とわかるようになる。

 

体力のピークが20歳くらい、そこから少しずつ不調になりやすくなってくる。寿命を迎えるまでに健康診断で何かが見つかり、その症状について学び、病気を取り除いていく。年々身体のことを考えて寄り添う時間が増えてくる。自分の身体との親密度が増していく。命がなくなる直前、この身体がずっと心と一緒に居続けてくれたことに感謝して、共に生きたことに満足をしながら身体を手放す。

 

身体の不調、病気、老衰、なんでも身体に感謝して手放すための、生まれた時から決めらていて、生きることは身体へ次第に感謝していくストーリーなんだ。

 

甲子園で優勝しても、東大に合格しても、結婚しても、月に旅行しても、悟りを開いても、エンドロールは流れない。昨日と同じように地球は回っていて、日常がまたやって来る。人生っていう映画はなんなの? 何が最終回なの? 左投げの練習するよ。それは投げ勝つスポーツ映画だからでなくて、ストレッチをしながら歪み矯正していき、身体を少しずつ理解して、寄り添い、感謝する感動ドラマとして今日も明日も投球動作をするんだ。