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  ヴェルサイユ条約とケインズ

 

 

 

 

前のブログでジンバブエのハイパーインフレについて話しましが、ハイパーインフレの例で有名な事例は第一次世界大戦後のドイツです。日興フロッギーの2022年12月のブログで紹介されていることですが、ドイツは国土事態は無傷だったものの第一次世界大戦にイギリス、フランス、ベルギー、アメリカなどの連合国に敗戦。大戦における賠償金などの講和条件などについて討議するため1919年、パリ講和会議が開かれました。講和会議にはイギリスの経済学者で「近代経済学の父」と称されるジョン・メイナード・ケインズさんがイギリス大蔵省の役人としてドイツ賠償金問題を担当するため参加していました。ケインズさんはドイツに巨額の賠償金を課すことは反対しました。なぜなら、ドイツがイギリス、フランスなどに巨額の賠償金を支払うためには、ドイツに貿易を盛んにしてもらいお金を稼いでもらう以外にない。となると貿易でドイツが勝ってしまう。これではイギリスやフランスには何の意味もないし、ドイツにあまり貿易させないとなると、いつまでもドイツは賠償金を払お金を稼げずドイツ国民を苦しめるだけ、それに巨額な賠償金はドイツ経済を完全に破壊してしまい、かえってヨーロッパの経済復興の足かせになると考えていました。

イギリスやフランスは、ドイツからの賠償金をアメリカからの大戦中に借りたお金の返済に使わないといけませんでした。当時のアメリカの民主党のウッドロウ・ウィルソン大領領は賠償金は強盗のようなもので野蛮で貪欲であると考えていましたしかしドイツ軍に戦闘に敗れて国土を破壊されたフランス国民はドイツへの恨みが強く、ドイツが復興すれば再度フランスを攻めるのではないかとも恐れ、ドイツに莫大な賠償金を課すことを強く主張。イギリスも国内の反ドイツ感情の高まりや対ドイツ強硬派が幅をきかせてフランスに同調。ケインズさんは賠償金の議論からはずされます。

アメリカは当時のアメリカの民主党のウッドロウ・ウィルソ大統領自らが講和会議に参加。大統領自体は賠償金はまるで強盗で野蛮で貪欲であると考えていたものの、イギリスとフランスに押されてしまいます。こうしてフランスの主張が通りヴェルサイユ条約が結ばれ、ドイツは賠償金を課せられます。ケインズさんはこれに激怒して勝手にパリから帰ってしまいました。ちなみにアメリカは上院議会で多数を占めていた共和党が孤立主義を主張し、アメリカが国際問題に積極的に関与することを反対したためヴェルサイユ条約に参加できませんでした。

 

 

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  ハイパーインフレの発生

 

 

1921年のロンドン会議で賠償金の額が決められ、それは1320億マルク(約200兆円以上)というドイツの国家予算の数十年分という支払能力をはるかに超える額となります。当然賠償金の支払いは進まず、怒ったフランスとベルギーは石炭、鉄鋼の生産拠点でありドイツ工業の心臓部といえるルール地方を占領。それに対してルール地方のドイツ人労働者や工場経営者たちはストライキを起こして生産を停止し抵抗します。ドイツ政府はこのストライキで抵抗する人々の生活を支援するため、マルク紙幣を印刷します、銀行の印刷だけでは間にあわず、個人の印刷機を使わないと程でした。しかしもともとドイツ政府は大戦の戦費調達と賠償金の支払いのため、当時の中央銀行であるドイツ帝国銀行に直接国債を買わせてマルク紙幣を印刷していました。その国債は後で税金でまかなうつもりでした。後で税金でまかなうとはいえ、これは政府がお金を好き勝手に印刷するとの同じです。現代では先進国がこのようなことをすると世界から信用されなくなるうえに、これから話をするハイパーインフレにつながります。先進国はろくな担保もなく政府が好き勝手に紙幣を刷れないようにする何らかの仕組みがあります。戦費調達と賠償金支払いとための紙幣の増大と大戦後の物資不足もあり、マルクの価値は下がってインフレになっており、ルール地方の一件でさらに紙幣の量が激増します。同時にルール地方を占領されたドイツは国力は低下し、税収が少なくなって国債を税金でまかなえず、マルクの信用はますます失墜します。

 

 

こうして1923年にとてつもないハイパーインフレが発生。人々の給与は多くの場合、日払いでしたが、物価の上昇スピードに追いつかず。人々は銀行の窓口に並び、大量のマルク紙幣を受け取ると、かばんに詰め込み、近くの店で商品を買います。マルクは価値いよいよ下がり、1918年に比べ物価は1兆倍という信じられないものとなります。マルク紙幣を受け取らない店が続出し、物々交換が行われ、紙切れ同然となったマルク紙幣は、子供が積み木の代わりにして遊んだり、暖炉で燃やされたりする有様で通貨経済は崩壊します。盗みなどの犯罪も横行。庶民の生活は破壊され餓死者が続出、ドイツ各地で暴動が頻発します。

 

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  レンテンマルクの奇跡

 

 

このハイパーインフレの中でグスタフ・シュトレーゼマン首相の内閣が成立、ルドルフ・ヒルファディング財務大臣と経済学者のカール・フェルリッヒさんは、大量に出回っているマルク紙幣を減らせばインフレを抑えられると考え、「レンテンマルク」という新しい通貨をつくり、通貨の桁を切り捨てるデノミネーションを行うことを決め、ドイツ帝国銀行のヒャルマル・シャハト総裁が実行しました。金が足りないドイツでは、金と交換できる紙幣はつくれませんでした。このレンテンマルクはドイツの土地を担保にしており、土地には限りがありますから、ドイツの土地以上のレンテンマルクを発行することはできません。ドイツ政府は同時に公務員の徹底的な削減や給料の引き下げを行い、公共事業費、失業扶助、教育・科学・芸術などのための文化的経費まで切り詰めます。レンテンマルクは土地を担保にしていましたが、実際は土地と交換などできません。こんな紙幣を果たしてドイツ国民が信用するのか信用されなければ終わりです。シャハト総裁はドイツ国民にハイパーインフレを納めるためにレンテンマルクを信用してほしいと強く訴え、まさに賭けのようなものでした。ドイツ国民は今まで大量に印刷された何の担保も信用もない今までのマルク紙幣よりも、土地を担保にして発行量が限られ、政府機関への支払いにも使えるレンテンマルクの方がまだ信用できるとして、奇跡的に受け入れられ、1兆マルク=1レンテンマルクで交換されてハイパーインフレは約1年で終息します。これは「レンテンマルクの奇跡」と呼ばれています。しかしこの後もドイツの混乱は続き、シュトレーゼマン首相はアメリカに助けを求めます。ドイツが破滅すれば、イギリスやフランスに貸したお金を返してもらえなくなることを恐れたアメリカはドイツ支援に乗り出します。1924年にアメリカの政治家であるチャールズ・ドーズさんが、ドイツの毎年の支払う賠償金の額を減額し、アメリカが民間資本をドイツに貸すドーズ案を提案。

 

 

これはフランスとベルギーに受け入れられ、ルールから両軍は撤退しました。アメリカから借りたお金で金を用意できたドイツは金本位制に復帰。応急処置のような紙幣であったレンテンマルクを回収し金との兌換紙幣である、価値の高いライヒスマルクに交換し経済を安定させます。さらもドイツの負担を軽くするため1929年にはゼネラル・エレクトリックのオーウェン・D・ヤング会長がドイツの賠償金そのものを減額するヤング案も取り入れられ、これでドイツ経済は少し足りなおり賠償金も少しずつ払っていきます。アメリカはドイツの復興支援を行い、賠償金をイギリスやフランスに支払わせて、戦費として貸したお金を金利と一緒にイギリスやフランスに返してもらおうとしたのです。ところが世界恐慌が起こるとドイツ経済もどん底になり賠償金が払えなくなります。ドイツでは生活が苦しい国民の不満が増大する中で、ナチス党を率いるアドルフ・ヒトラーが台頭し1933年に政権をとると、賠償金の支払いを拒否。やがて第二次世界大戦が勃発します。大戦後、ドイツは賠償金の利息だけ払えばよいということになり、西ドイツと統一ドイツが利息を払い、2010年にようやくすべて払い終え、賠償金問題は解決しました。

 

 

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