■冬季北海道徒歩縦断 | ★ 茶髭の熊のブログ (^(ェ)^)ゞ

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★ 更新:【 第2木曜 】、他・随時更新。(2010年9月2日開設)  . 

 

いささか旧聞に属するが、先月、10月22日付けの琉球新報ネット版の記事を紹介する。

沖縄県の18歳の青年が日本最南端から最北端まで野宿しながらの徒歩縦断を計画し、厳冬期の2022年1月28日に終点の稚内に到着の予定という。

ところが、出発はしたものの、直ぐに中止となった。

本人が現実に気付いたこともあろうが、全国から罵倒を浴びてのことだろう。

本人によるお詫びのメッセージにもあるが、冬季の積雪寒冷地の道路を通行することのが、迷惑極まりないことを指摘されたからだろう。

冬道徒歩通行の危険に比べれば、凍死の危険などの指摘は屁でも無い。

本日は、本件の是非については横に置き、青年への批判や忠告の中から、気になったことについて述べたい。

◆寒さについて

一部に凍死の危険への指摘があった。

しかし、装備さえ完璧ならば、氷点下30度でも野宿は問題ない。

 

小生の趣味の一つにクライミングがあるが、厳冬期の道内の滝の氷壁を登る。
現地では、登攀前日からテントによる泊まり込みをする。

厳冬期ゆえ、夜は氷点下20度以下に下がるが、テントの周囲は同好の士達のテントが立ち並び雪面に咲く花畑の様である。
もちろん、各自装備に怠りないので寒さは全く問題にならない。

さて、青年の日本縦断のテント泊の箇所は、ネットで行程を配信すれば提供者が出てくるはずだ。
冬季の天候により同じ地点に1週間程足止めをくうこともあろうが、天候には従わねばならない。

ついでながら、冬季間はバッテリー性能が悪化する。
縦断中の現地協力者との通信のためには、充電環境に苦労すると思われる。
しかし、ヨットの単独無寄港海洋横断ではないのだから、ネット環境を利用し協力者を募れば、充電問題はクリアできるであろう。

青年に求められるのは、社会性もある。
そもそも、一定の社会性があれば、本件を始める前に止める人物に巡り会えたことだろう。

もちろん、氷点下30度台のテント泊を難なくこなす最低限のスキルは必要なのは言うまでもない。

難関は道路だが、協力者が現れれば安全な田畑上の雪原を通れるだろう。
車輪付きの橇と樏(かんじき:スノーシュー)があれば問題ない。
当然、相応の体力は必要だ。

そして、最大の難関は、橋とトンネルだ。

徒歩に拘る限り、冬季積雪寒冷地の『橋の徒歩横断』は、地元民の協力が無い限り実行するべきではない。

◆熊について

一部に熊の危険を言う者もいたが、冬至から春までは極稀な穴持たず熊以外は、冬眠のため出てこない。

逆に言えば、冬至前の山際の田畑の横断は熊と接近することとなるので、一定の危険はある。

◆積雪寒冷地の冬季環境について

冬季の積雪寒冷地の単独徒歩縦走となると、背嚢だけでは厳しいものがある。

そこで、車輪付き橇が欲しいところだが、路面がそれを許さない。

何故か。

冬季間の道内積雪寒冷地の道路は歩道が無くなる。

また、片側2車線の道路であっても、冬季積雪期間は道路脇の除雪による雪壁で1・5車線や1車線に減少する。
これは一定基準に達しないと、雪壁は排雪されないのでしばらくは車線減少が続く。

歩道は町中だけで、除雪を行わない歩道も多い。

そして北海道は、都市と都市が密接しているところは札幌近郊の極一部で、街を離れるとすぐに郊外となる。

以上のことを、簡単にいうとこうなる。

歩道ではなく、片側1車線の『車道の端』を徒歩で進むのだ。
冬季の路面状況は様々で、アイスバーンや圧雪後のグレーダー平削路面は氷のように滑る。
また、道路わきの雪壁から崩れた雪が圧雪されて道路脇が高く、道路中央側に向かって低くなることも少なくない。

そのようなところをのこのこと歩かれては、大変な迷惑なのだ。
それでなくとも、白一色の中に雪煙や雪が舞う見通しの悪さだ。

だからこそ、このことが今回の無謀な企てに対して一番苦情が上がったところなのだろう。

さて、ここからは蛇足である。

道内は大寒から1週間後が一番寒い時だ。
青年の到着予定日1月28日はまさにその時である。

公式記録として日本最低気温の氷点下41度を旭川で記録した日が、1902年(明治35年)1月25日で、大寒の5日後のことだった。

この年の冬は寒く、旧陸軍の八甲田山遭難事件が起こったのも大寒後の寒さを極める時期だった。

それだけに1月28日に到着予定日としたことが興味深かった。

 

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