発信箱 - 毎日jp(毎日新聞) http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/

興味深い視点だ。戦争特需という言葉はよく聞くが、著者はさしずめ、[災害特需]とでもいいたいのであろうか。このご時世、極めて論じがたいテーマであろうが、これをあえて取り上げることはに、賛同する。

確かにこれはありうる。実際、建築土木系で使用する部品の中小企業の中には、先の震災により受注がパンクしているところもあると聞く。不謹慎ながら、これを天恵と密かに思う企業もあって然り。経営が厳しい企業とあっては、なおのことであろう。

全く不謹慎であることは重々承知の上で述べているわけだが、上記記事の筆者はこれを資本主義経済の[怪物]であると論じる。単純な論理だ。需要の逼迫しているところに、供給が集中する。ただそれだけの、必然的経済原則である。善も悪もない。無機質な原理なのだ。畢竟、資本主義はこれを全面的に肯定している。

誰も否定することはできない。仮にこのように震災によって儲ける人間がいるとして、その儲けは被災地の需要に応えているのだからだ。形はどうであれ、復興に寄与していることに違いはない。ボランティアでは、できることとそうでないことがある。それは否定できない事実である。

こと経済活動においてはこうした例が挙げられるが、一方で政治的な利用法を見いだす者もいよう。即ち、簡潔に述べれば、票稼ぎである。

これこそ不謹慎の極みであると思われるかもしれない。なにしろ、表面的には、震災にかこつけた政治的謀略と見られるからだ。しかし、実のところこれは上記の経済原則と、理論上または本質的に何ら変わりはないと言える。なぜならこと日本国で採られている議会制民主主義もまた、これを全面的にこれを肯定していると言えるからである。

国民の投票によって選出された代議士は、利益代表者として、代弁的に自由な政治活動をする。彼らの活動は、罷免されないそのかぎりにおいて、理論的には肯定される。なぜなら彼らの活動は、投票によって選出されたという強烈な担保を得ているのだ。必然的に、政治家は国民の支持を継続的に獲得でき、且つ自身にとっての最大利益を生み出す行動をとる。支持と利益の最大公約数を常に追求する(時として、自信の利益の比重が高い場合、批判の対象となる。それを巧妙に隠蔽することこそが、政治的技量なのだ。)。さらに現行体制の上では、政治家も純然たる職業と言える。彼らはそれによって飯を食っている以上、利益を無視できるわけがない。裕福な慈善事業家でない限り、完全な滅私奉公など不可能である。仮にそれがいかに卑劣で姑息な行動であろうとも、罷免されなければなんら問題はない。選出者は罷免すればいいだけの話だ。憲法によって保障されたその権利を行使すればよいのだ。

これは現在日本が採用している政治システムに内包された機能なのである。立憲国家である以上、何人もこれを否定することはできない。罷免という行動をとらないのであれば、目を閉じ、口をつぐみ、孤独に暮らすしかない。

結論、政治家の活動は経済原則に則っている以上、そこに含まれる利益性を排除することはできないし、それを頭から批判することもあたわない。また、議会制民主主義というシステム上、彼らの行動の責任は彼らを代弁者として認めた我々にある。彼らを常に監視し、必要があれば罷免に追い込むことは、我々の権利であり、それ以前に義務であることを忘れてはならない。その義務を放棄して、批判をしているだけですべてが変わるのであれば、延々とその愚行をし続けていればよい。但しそれによってなにかが変わると考えるのは、全くもって本質を見失った行為であることを忘れてはならない。

このシステムにこそ問題があり、改善すべきであると強く思う。その意味で、民主主義を無批判に信望することは到底できないのだ。