時は流れ、わたしは中学2年生になっていた。
中学の監督には、怪我の事は言わなかった。
中学では、絶対にエースナンバーを手に入れたかったからだ。
が、まだ肘は完治せず、7割程度しか力を込めることが出来なかった。
力を込めすぎると、激痛が走り、暴投になってしまうのだ。
壊れている為、鍛えることも出来ない。
とりあえず、走り込みや筋トレで下半身から重点的に
ベースアップをはかる。
ピッチングは、コントロールをとにかく研ぎ澄ますしか無い。
が、結局決め球に力が込められない為、打ち込まれるのであった。
比べて、Aが本領を発揮し始める。
下半身が安定してきた事で、コントロールが定まるようになったのだ。
名実共に、彼はエースで4番になりつつあった。
上級生に混ざり、彼は勝ち試合の抑えピッチャーに。
わたしは、敗戦処理のリリーフピッチャーとなった。
(もちろん、2人だけは野手として、2年生春からレギュラーでした。)
そして中学2年生の秋、先輩が引退し、
わたしの学年がレギュラーを占めることになる。
当然、Aはエースで4番、背番号はエースナンバー1
わたしは控えピッチャーのナンバー11。
彼は自慢の剛球と強打で大活躍。
わたしはレギュラーだが、野手としてホドホドの活躍をしていた。
と、ここからだ。
大会終了後、ここで、わたしの右肘が、
奇跡の回復を遂げる
何の前触れも無く、ある日、右肘の痛みが無くなっていた。