「前世は兎」をどう読むに至ったか | 弁護士宇都宮隆展の徒然日記

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くにたち法律事務所@吉祥寺 東京大学法学部卒 東京弁護士会所属(35489) レアルマドリー・ボクシング・小説・マンガ・音楽・アート・旅行・猫などが中心のブログです

1 (本作の設定として)兎には言葉がないから死に至る恐怖や苦痛も言語化されず、結果としてそのような感情も生じない

 
2 なぜ兎なのか、他の動物でないのか
 
土曜日の読書会(2019-03-23)で町田さんから示されて印象的だったのは、上記の2点です
 
それを受けて次のように考えました
 
本作はあくまでも空爆を受けた後における主人公の一人語りであって、過去の出来事はすべて「現在」からの回想にすぎません
 
主人公の前世が兎であるということや空爆後に周囲の人間たちも兎になってしまうことなどは、本作におけるフィクション的真実として捉えるべきでなく、すべて小学校時代の虐待から解離性障害を起こした主人公の妄想と捉えるべきでしょう
 
そこに他の動物ではなく兎であることの意味が生じます
 
兎は好色の象徴とされており、幼いころから百科事典に夢中になっていた主人公は当然そのことを知っていたと思われます
 
そこで、小学校の担任から性的虐待を受けたことについて自分を責めるあまり、精神を守るために「自分は元々好色なんだ」、「兎の生まれ変わりなんだ」という設定を施したのではないでしょうか
 
空爆直前に主人公が心療内科にかかっているシーンの意味もそういうことなのだと思います
 
小学校のころに「俺はウーキチ」と言っていなかったはずの同級生が、大学生になっていきなりそう言い始めたという一見不自然な流れも、主人公が妄想にとらわれているのだとすれば何の矛盾もありません
 
そもそも本短編集のうち本作を含む6編は「すばる」に継続的に掲載されていた作品であるところ、他の短編では神経症が正面から扱われているのですから、本作の設定もそのように考えるのが自然です
 
もちろん、兎には「弱きもの」、「暴力や悪意に抵抗できないもの」という意味も込められていると思います(それだけだと必ずしも兎である必要はないのですが)
 
空爆によって主人公を含めた周囲の人間から言葉が失われてみんな兎になってしまうというシーンは、そのような意味付けがうまく展開されているところでしょう
 
言葉がないから死の恐怖や苦痛に対する感情が生じないという流れから、あまりに強大な死の恐怖や苦痛を前にすると言葉が無意味になってしまうという逆の流れを引き出すところが非常に面白いと思います
 
たとえばアウシュビッツや原爆などの写真をみると本当に言葉の無意味さを感じますよね
 
以上はあくまで私個人の勝手な読み方なわけですが、そのように自由にいろいろなことを考えられたのが本当に楽しかったです!