足利事件は本当に冤罪なのか? 113 豊臣秀吉から菅家さんを考える | 宇都宮義塾

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菅家さん(知能指数「77」。中卒。=欠陥品)だとか、

そういうわけわかんないガ●ジが

なぜ東日本においては“北関東”(栃木県南部、群馬県東部と西部、茨城県西部、埼玉県北部)

に集中してるのかというと、

それは端的に言って【豊臣秀吉】の責任なんですよ、えぇ。

 

★豊臣秀吉(関白、太政大臣。1537年生1598年没)

 

西暦1590年(天正18年)に豊臣秀吉は

当時、関東一円でブイブイ言わせていた(後)北条氏を

居城である小田原城を包囲して攻め滅ぼすことにしたんですよ。

小田原征伐といって。

 

小田原城(神奈川県小田原市)。戦国期のそれとは立地が違うが。

 

で、関東の強豪・北条氏と戦争するには

大量の武具が必要だと。

 

効率が良い場所で武具を生産して

最前線の小田原まで輸送する必要があると。

 

 

それで、豊臣秀吉は、

 

「西日本の香ばしいヤカラを北関東に連れてきて、そいつらに武具を作らせようぜ」

 

っていう方針にしたんですよ、えぇ。(冷や汗)

 

【京都】(冷や汗)

 

【大阪(当時は大坂)】(冷や汗)

 

【神戸】(冷や汗)

 

で、【ヤカラどもの北関東への強制移住】は滞りなく完了して、

そいつらが作った武具のおかげで

見事、豊臣秀吉は小田原の北条氏を攻め滅ぼすことが出来ました。

一件落着。めでたしめでたし。

 

で、そんな1590年頃に北関東で武具作りをやらされてた

わけわかんない香ばしいヤカラの末裔だと思われるのが

知能指数「77」の菅家さんなのです。(冷や汗)

 

 

 

じゃあの。(冷や汗)