足利事件は本当に冤罪なのか? 13 福島万弥ちゃんの胃の内容物と死亡推定時刻 A | 宇都宮義塾

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朝日新聞社の梶山天(=日本テレビの清水潔と同じくホームラン級の大嘘吐き。人間失格)

は今年3月に出版された『孤高の法医学者が暴いた足利事件の真実』(株式会社金曜日)で

このように綴っている。以下、引用。

 

 

午後2時過ぎ頃、万弥ちゃんが同い年くらいの男の子と一緒に

足利市通4丁目の中華料理店「中央軒」の前を通って渡良瀬川方面へ駆けていく姿を、

同店従業員の新泉祥さん(仮名、当時24歳)が見かけていた。

万弥ちゃんの消息は、その後ぷっつりと途絶えた。

(梶山天『孤高の法医学者が暴いた足利事件の真実』p45)

 

 

改竄

 

「犯人が捕まった。万弥ちゃん事件当時のあんたの供述と、犯人の供述が食い違っている。

あんたが万弥ちゃんを見たという時はもう死んでいたんだよな。

このままでは、あんたの証言は邪魔なんだ。

万弥ちゃん事件について起訴ができねぇんだ。調書を確認してくれ」

91年も終わろうとする頃だ。4、5人の刑事たちが突然、新泉さん(当時36歳)の勤務先の病院食堂に

パトカーで乗り付けてきて、こう言った。

 

新泉さんは12年前の8月3日午後2時頃、

当日勤めていた中華料理店の前で万弥ちゃんを目撃した最後の人物だった。

その日の午後1時半頃、新泉さんは晒し業者「一光」から注文を受けた。

午後2時頃には出前の配達を終えて帰ってきた新泉さんが

店前の道路を挟んで反対側にバイクを止めた時、

店の前の道路を駆けていく万弥ちゃんと男の子の姿が目に入った。

万弥ちゃんの家は店からバイクで1、2分の距離にある。

1週間に1、2回くらいの割合で出前の注文を受け届けていたので、

新泉さんは万弥ちゃんと言葉を交わすようになっていた。

時には抱っこをおねだりするなど、万弥ちゃんも新泉さんに懐いていた。

 

翌日、新泉さんが出勤すると、店は万弥ちゃんが行方不明という話で持ちきりだった。

「俺、昨日見たよ」驚いた新泉さんが状況を説明すると、

店の経営者の妻が急いで警察に110番通報をした。

大勢の警察官がすぐに店にやって来て、その後も入れ替わり立ち替わり、

目撃時の状況を事細かく新泉さんに質問した。

「午後2時頃です。万弥ちゃんと一緒にいた男の子に面識はないけれど、

上半身裸で日焼けしていた。

万弥ちゃんは独り言のような感じで何か話していたけれど、

あまり気にもとめませんでした」新泉さんは見たままを答えた。

 

店の厨房には大きな黒板が掲げてあり、注文を受けると順番に、

出前の内容と配達時間、届け先を書き足していく。

前日の出前の履歴を見ると、新泉さんの言う通り

ちょうど午後2時頃に配達から戻ってきたことが分かった。

 

「こりゃ、間違いないな」捜査員も黒板の記録を見て目配せを交わし、

念のために店から借りた出前帳で配達先に確認もした。

万弥ちゃんの司法解剖の結果からも、

死亡推定時刻と新泉さんが目撃した「午後2時頃」は整合しており、

有力な目撃情報となったのだ。

 

さらに、警察官は10人くらいの男の子を1人ずつ、新泉さんのもとに連れてきた。

そして、万弥ちゃんと一緒にいた子どもかどうか確認を求めた。

しかし、どの子も新泉さんが見た顔ではなかった。

 

「万弥ちゃんなんて見てねぇんだろ」12年後、病院を訪れた刑事のなかには、

こう言って新泉さんに悪態をつく者もいた。「とにかく、署まで来てくれ」。

 

刑事の高圧的な態度に、新泉さんは嫌気がさした。

はっきり言って迷惑だったし、行きたくもない。

しかし事件を解決できるならと気持ちを切り替え、後日、足利署に赴いた。

取調室に通され、新泉さんは2人の刑事から事情聴取を受けた。

しかし最初は、彼らの意図を理解できなかった。

 

「事件当日にあんたが万弥ちゃんを見た時間と、菅家の言う犯行時間が違うんだよ」

そのうち新泉さんにも、警察が調書を取り直したいのだということが呑み込めてきた。

自分の見た時間が正しい。ということは、菅家という人が嘘をついている。

しかし自分の取り直しは、すなわち、警察による犯人のでっち上げだ――。

 

恐ろしい事実を直感した新泉さんは、冤罪作りに加担したくない、抗いたいと思った。

しかし、ただならぬ威圧感のある刑事が机を挟んで目の前に座っている。

 

新泉さんが黙り込んでいたためか、刑事の1人が勝手に作文を始めた。

新泉さんの面前で、

「まるっきり見ていませんでした。私の勘違いでした」

「万弥ちゃんを見たのは失踪の1週間ほど前でした」

などと話し、もう1人の書き取り役がそれを調書にしていった。

自分の記憶ではないことが、他人の口からさも自分の記憶のように出てくるのを、

新泉さんは椅子に座ってただ聞いていることしかできなかった。

 

「作文」を読み上げた刑事が、内容に間違いがないか確認を求めた。

調書作成を断ったら、刑事たちに何をされるか分からない。

事件に巻き込まれるのも嫌だし、これ以上関わりたくない……もうええや!

そう思った新泉さんは、刑事に求められるまま取り直した調書に署名し、拇印を押した。

 

指についた赤い色が、傷のように映った。

目にした調書の上半分は空白で、行間も不自然なほど広く空いている。

ここにまた、俺の言っていないようなことを書き足されるんかな。

嫌な思いを抱えたまま、新泉さんは警察署を後にした。

 

それから1週間ほどして、新泉さんはさらに、検察庁に出頭するよう要請された。

検察では警察で取り直した調書の内容について尋ねられたが、

警察で“訂正”された目撃情報は、自分の記憶ではない。

新泉さんは検察の取調べでも黙っていた。

すると検事が口を開いた。

そして、新泉さんが供述しているように話し始め、事務官がそれを書き取り、

そのまま新泉さんの供述調書として作り上げられた。

警察も検察も同類だった。

(梶山天『孤高の法医学者が暴いた足利事件の真実』p52~56)

 

 

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