足利事件は本当に冤罪なのか? 10 長谷部有美ちゃん殺害事件の概要 B | 宇都宮義塾

宇都宮義塾

Music & Study Cafe
- 宇都宮随一を誇る高音質と豊かな教養 - Since 2012

 

長谷部有美ちゃんが失踪してから5日目の1984年11月21日(水)の夕方、

有美ちゃんと思われる女児の声で

有美ちゃんが通う幼稚園に2回、自宅に1回の計3回電話があった。

うち1回は中年男性の声も一緒だった。

 

午後4時10分頃、

有美ちゃんが通っている足利市大沼田町の私立旭幼稚園に電話が入り、

女の子の声で「先生」と言ったが、I・C園長が出ると既に切れていた。

約3分後に再び電話が掛かり、I園長が受話器を取ると、

女の子が泣き声で「先生、今、コウセイ病院にいる」と話したため、

I園長が「佐野かい」と訊くと、女の子は「ウン」と答えた。

その直後に40~50代と思われる男がガラガラ声で

「長谷部さんの家は何処だ。電話番号を教えてくれ」と言った。

I園長が「○○局○○○○番です」と

長谷部さん宅の番号を教えると、電話が切れた。

 

I園長からの110番通報を受けた県警が

県央から県南にかけ緊急配備を敷いた直後の午後4時20分頃、

今度は足利市大久保町の有美ちゃんの自宅に電話が入った。

 

父親の長谷部秀夫さんが応対に出ると、

最初は聞き取れないほど小さな声だったが、

秀夫さんが「有美か」と2回繰り返すと、

女の子は「助けてちょうだい」と救いを求めた。

秀夫さんが「何処にいるの」と訊くと、

女の子は「コウセイ病院」と答えた。

長谷部さん宅で逆探知と電話録音をセットしていた捜査員は色めき立った。

だが、それも束の間、秀夫さんが「何処の」と訊くと、

有美ちゃんらしき女の子は「佐野(にいる)」の声を残して、電話はプツリと切れた。

 

県警刑事部と足利署は、

電話を受けたI園長が「有美ちゃんの声に非常に似ている」、

長谷部さんが「娘だと思うが、電話なので確認できない」

と言っていることなどから、有美ちゃんの可能性が高いと判断し、

近隣各署管内に緊急配備、「佐野厚生総合病院」の各病室や待合室を調べる一方、

読み方が同じ足利市の「更西病院」を調べたが、

有美ちゃんらしい女の子や不審な男は発見できなかった。

 

また、検問でも不審車両は見当たらなかった。

このため、同日午後6時50分、緊急配備を解除して、

宿泊施設、交通機関などのチェックと、県内隣接各市町村の検索、張り込みを行い、

有美ちゃんと不審な男の発見を急いだ。

 

3回とも電話の声は微かで通話時間は短く、

電話には車や音楽といった雑音は無かったが、

公衆電話か一般加入電話からか判別できなかったため、

県警は午後6時半から県内全署に、ホテル、モーテル、駐車場などの

一斉捜索を指令して有美ちゃんの発見に努めた。

 

足利署は有美ちゃんが生存している可能性が高まると共に、

誘拐の線が濃厚になったとみたが、金品を要求する連絡は一切なく、

長谷部さん方が人に恨まれる事情も無いことから、

営利目的や怨恨の可能性は薄いと判断した。

 

変質者などによる誘拐の場合、

有美ちゃんを持て余して解放しようとしたのであれば、

電話は居場所を伝えるための1回で足りるはずだが、

幼稚園と自宅に3度も電話があった上、

有美ちゃんの身柄が解放されないのは不自然であるため、

同署は電話の動機を測りかねた…。

 

 

翌22日、足利署は、前日に女児らしき声で旭幼稚園と長谷部さん宅に掛かってきた電話は

「いたずら電話」とほぼ断定した。

 

同署は21日の夕方に長谷部さん宅に掛かった電話をテープに録り、

両親や幼稚園の先生など10人に聞かせて有美ちゃんの声かどうか調べた。

この結果、両親が「言葉遣いは違うが、声質は似ている」と消極的に肯定した他は、

近所の人2人が「全く違う」、

旭幼稚園の先生が「受け答えが有美ちゃんにしてはハッキリし過ぎている」と、

いずれも否定した。

 

特に幼稚園の担任の先生らは、

 

①有美ちゃんは名前を訊くと「有美」とだけ答えるのに、

幼稚園に掛かった電話は「長谷部有美」と2回繰り返して姓まで答えている

 

②母親と一緒に出掛ける姿を見掛け、翌日「何処へ行ったの」と尋ねても答えられなかったのに、

電話では「コウセイ病院」「佐野」と具体的に居場所を伝えている

 

と、例を挙げて否定。

 

電話を受けたI・C園長は「大人が声を作っているような気がする」と、

前日までの「有美ちゃんの声に非常に似ている」との証言を翻した。

 

また、テープには「とうちゃん」と言おうとしたとみられる

「とうちゃ……」の声が微かに聞き取れるが、

有美ちゃんは父親の秀夫さんを「お父さん」と呼んでいることがわかった。

 

このため足利署は、電話は「悪質ないたずら」とほぼ断定、

誘拐犯からの電話との見方は薄らいだとしたが、

念のためテープを警察庁の科学警察研究所(科警研)に送り、

大人の声かどうか声紋などを調べることにした。

 

同署は幼稚園と自宅に電話のあった21日と22日、

捜査の主力を電話の内容に基づいて、病院、ホテル、モーテルなどの検索に当てていたが、

23日から捜査方針を戻し、聞き込み捜査による目撃者の発見と不審者の洗い直しを行なうことにした。

 

足利署のY・T署長は22日に記者会見し、幼稚園と長谷部さん宅に掛かった電話について

「いたずら電話とすれば、両親や関係者が当惑するのを見て喜ぶ悪質な嫌がらせだ。憤りを感じている」

と述べた。

 

長谷部さん夫婦は

「必ずもう一度有美から連絡がある」と、電話の前でまんじりともせず待ったが、

心無いいたずら電話があっただけ。

「有美ちゃんの声であってほしい」という願いがほぼ消されてしまったこの日、

長谷部さん宅は再び沈痛な空気に包まれた。

 

 

【画像】

1984年11月22日付「下野新聞」1面より複写。

長谷部有美ちゃん事件の現場周辺図と

旭幼稚園ならびに長谷部さん宅に掛かってきた電話でのやり取り。

尚、再審無罪になった元バス運転手の菅家利和氏

長谷部有美ちゃんが失踪して6年後の1990年4月から約1年間、

かつて有美ちゃんが通っていた旭幼稚園で働いていた。

 

(1991年12月22日付『下野新聞』1面)

 

 

[前回]

足利事件は本当に冤罪なのか? 9 長谷部有美ちゃん殺害事件の概要 A
https://ameblo.jp/utsunomiya-gijuku/entry-12360522544.html