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今日もおもちはよくのびる

twitterじゃ書ききれないあれこれを綴っています

こんにちは、望月です。

 

望月はtwitterのトレンドチェックを日課にしているんだけど

今日のトレンドのひとつにこんな話があったのね。

「痴漢」をした男性が逃げる場面を動画で撮影したツイートが話題

もちろん望月もその動画を見て「あーこれはやったな」と思ったんだ。

動画を見たあとにリプライを追ったら…まあ、あるよね

「冤罪だったらどうするの!?」

っていう主張。

これに関して望月、いくつかツイートしたんだけど

 

今日の記事はこのツイートの考えをさらに詳細化したものになる。

 

このツイートの内容に、今回の事件をあてはめてみると

加害者が悪ではない可能性

=晒された男性が痴漢冤罪の可能性

ってことになる。

そして、リプライで男性の痴漢冤罪を主張している人は

紛れもない第三者←ここ重要

被害者でも、加害者でも、関係者でもない。

第三者なんだよ。

 

自分の意見を発信する第三者の中には

加害者にも理由があると信じ、守りたい

と思ってる人が少なからずいるように思えてならないんだ。

少しでも悪ではない可能性が残っているとき

人はそこに希望を見るのかもしれない。

まったく知らない、関わりのない赤の他人にすら。

「誰かを守りたい」という思いは紛れもなく良心だ。

だけど、その良心が加害者に向けられたとき、被害者は守れない。

被害者に向けられたときは加害者は守れない。

加害者と被害者は敵対関係なのだから

どちらにも良心を向け続けることはできないと思うの。

 

じゃあ、この良心はどちらに向けられることが多いのか。

圧倒的に加害者だと思うんだよね。

 

いじめを例にあげてみる。

被害者が、周りの人にいじめの事実を訴え助けを求めたとする。

助けを求められた人は皆、二つ返事で助けようとするとは限らない。

中には被害者に対してこんな言葉をかけてくる人がいる。

…というより、被害者/加害者問わず

いじめに関わったことがない第三者なら

大半こう思うんじゃないか、とも思う。

「いじめられたほうにも原因がある」

 

実際望月は小学生~高校生までいじめの被害者で

周りに助けを求めたときにこう言われた経験がある。

そのときに思ったのは

「100%の責任を加害者に負わせたくないんだな、何割かは被害者にも責任を負わせたいんだな」

ってことだった。

でも、その気持ちもわかるから何も言えなかった。

 

もしも自分が加害者になったとき

100%責任を負わされることをよしとするかどうか。

仮に自分が本当に100%悪かったとしても

それを認めて受け入れられる人なんてこの世に何人いるだろうね。

 

結局、第三者であるうちは

自分が加害者になったときのことを考えた行動

を無意識に人はとるのかもしれない。

 

被害者になるリスクも、加害者になるリスクも

自分以外の他人と関わる以上、誰にでも等しく存在する

被害者は当然守られるべき立場だから

何もしなくてもある程度守られることはみんなわかってる。

加害者は当然責められ、攻撃される。

でも、加害者だって人だ。

加害者だって守られたい。

 

まとめ

自分が加害者(=世間からの被害者)

になることを恐れて

自分を守るために被害者に責任を負わせる

それは

「人間自分が一番大事」

っていう思いの具現化なのかもしれないし

「人間はみんな加害者で、被害者だから」

なのかもしれない

 

じゃ、またね。