こんにちは、望月です。
望月はtwitterのトレンドチェックを日課にしているんだけど
今日のトレンドのひとつにこんな話があったのね。
「痴漢」をした男性が逃げる場面を動画で撮影したツイートが話題
もちろん望月もその動画を見て「あーこれはやったな」と思ったんだ。
動画を見たあとにリプライを追ったら…まあ、あるよね
「冤罪だったらどうするの!?」
っていう主張。
これに関して望月、いくつかツイートしたんだけど
望月ちょこ@もちちょこ@mochimoch_choco
晒し動画やいじめの話題、それに対する反応を見る度に思う。第三者が擁護するのはいつだって「加害者が悪ではない可能性」なんだよな。「やられたほうにも原因がある」じゃなくて、正しくは「やられたほうに原因があるのではないか」でしょ。人の良心信じたいのはわかるけど被害者の傷はどうなるよ
2019年05月29日 07:26
今日の記事はこのツイートの考えをさらに詳細化したものになる。
このツイートの内容に、今回の事件をあてはめてみると
加害者が悪ではない可能性
=晒された男性が痴漢冤罪の可能性
ってことになる。
そして、リプライで男性の痴漢冤罪を主張している人は
紛れもない第三者←ここ重要
被害者でも、加害者でも、関係者でもない。
第三者なんだよ。
自分の意見を発信する第三者の中には
加害者にも理由があると信じ、守りたい
と思ってる人が少なからずいるように思えてならないんだ。
少しでも悪ではない可能性が残っているとき
人はそこに希望を見るのかもしれない。
まったく知らない、関わりのない赤の他人にすら。
「誰かを守りたい」という思いは紛れもなく良心だ。
だけど、その良心が加害者に向けられたとき、被害者は守れない。
被害者に向けられたときは加害者は守れない。
加害者と被害者は敵対関係なのだから
どちらにも良心を向け続けることはできないと思うの。
じゃあ、この良心はどちらに向けられることが多いのか。
圧倒的に加害者だと思うんだよね。
いじめを例にあげてみる。
被害者が、周りの人にいじめの事実を訴え助けを求めたとする。
助けを求められた人は皆、二つ返事で助けようとするとは限らない。
中には被害者に対してこんな言葉をかけてくる人がいる。
…というより、被害者/加害者問わず
いじめに関わったことがない第三者なら
大半こう思うんじゃないか、とも思う。
「いじめられたほうにも原因がある」
実際望月は小学生~高校生までいじめの被害者で
周りに助けを求めたときにこう言われた経験がある。
そのときに思ったのは
「100%の責任を加害者に負わせたくないんだな、何割かは被害者にも責任を負わせたいんだな」
ってことだった。
でも、その気持ちもわかるから何も言えなかった。
もしも自分が加害者になったとき
100%責任を負わされることをよしとするかどうか。
仮に自分が本当に100%悪かったとしても
それを認めて受け入れられる人なんてこの世に何人いるだろうね。
結局、第三者であるうちは
自分が加害者になったときのことを考えた行動
を無意識に人はとるのかもしれない。
被害者になるリスクも、加害者になるリスクも
自分以外の他人と関わる以上、誰にでも等しく存在する
被害者は当然守られるべき立場だから
何もしなくてもある程度守られることはみんなわかってる。
加害者は当然責められ、攻撃される。
でも、加害者だって人だ。
加害者だって守られたい。
まとめ
自分が加害者(=世間からの被害者)
になることを恐れて
自分を守るために被害者に責任を負わせる
それは
「人間自分が一番大事」
っていう思いの具現化なのかもしれないし
「人間はみんな加害者で、被害者だから」
なのかもしれない
じゃ、またね。
