チョコレートがとろけそうな7月上旬。
の、4時間目終了直後。
あたしは、キットカットの大袋をエサに、シュウ坊を教室まで迎えに行った。
しかも、手作り特大おにぎりとサンドウィッチ、卵焼きとハンバーグと特製ポテトサラダと牛乳エトセトラを両手に抱えて。
海洋実習を終えたばかりのシュウ坊は作業服姿で、少し照れながらそれを受け取り「あざッス」と頬を赤らめた。
あたしはそのまま廊下でシュウ坊を待ちかまえて、今度は制服姿のシュウ坊を呼び止めた。するとシュウ坊は何かを察したらしく、顔をキリっと豹変させて猛ダッシュで逃げようとした。
すかさずその腕を掴み「ちょっと来い」「イヤです」の押し問答。
「海洋環境科1年」の教室がざわめき出す中、あたしが「手を貸して」とその辺の男子高校生にお願いし、そのまま、嫌がるシュウ坊をムリヤリ進路指導室に引っ張り入れた。
いろいろとエトセトラな憶測が飛んだらしいけれど、構っているわけにもいかないので事情聴取ならぬ二者面談を強行する。
「なんの真似ですか。夢先輩。俺忙しいんスけど」
畑中は反抗的な態度であたしを睨む。
「―――いいから黙りなさい。先輩に向かってなその態度はなに」
目力を入れてそれを睨み返す。無論腕組みをしながら。
「…ハぁ」
シュウ坊が少しだけ、おとなしくなる。
「ねぇシュウ坊。あなたラグビーは上達したいし選手として強くなりたい。これは間違いないわよね?」
あたしはさらに目力を入れて、シュウ坊に尋ねる。
「そりゃそうっスけど…」
「じゃあなんで練習サボるのよ。あなたぐらいならうちの練習こなしながらでも自主トレは並行できるでしょ」
「そりゃ…そうスけど…」
シュウ坊は首を左右に傾けて、窓の外を睨んだり床を睨んだり。
いわゆる、典型的な反抗的態度。
それが少し可愛いくも思えたけれど、顔には出さず、事情聴取、もとい二者面談を続行。
「なに?言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
「だって、俺はもともとスタンドオフ希望だし、まぁBKはどこでもできますけど、今の3年生がいるうちは、特に大輔先輩みたいなカリスマプレーヤーがいるうちは、部活なんて意味ないっスよ。公式試合に出て結果出してナンボですからね」
シュウ坊の反抗は続く。
「…つーか夢先輩、大体ラグビー経験者でもないのに…。なんなんスカ。…毎日毎日偉そうに。先輩方もどうかしてますよ。俺は…。俺は素人に指導されるのはまっぴらごめんですっ!!!」
シュウ坊はとうとう机を叩いて立ち上がり、身を乗り出した。
「じゃあ青南なんか入らないで、誘いのあった修英にでも行きけばよかったじゃない」
さすがのあたしも腹が立って、舌打ちをしてシュウ坊に反論する。
「大体あなたね――」
あたしの言葉を遮って、シュウ坊が声を荒げる。
「人がどこの高校行こうが勝手でしょうがっ!俺は将来稼業を継ぐんです!。だからここの学科選んだんです!でも、その前にラグビーにとことん打ち込む。そのためには無駄な練習はしたくないんです。それに、修英みたいなエリートの集まりに入るより、弱小チームの華形プレーヤーになった方が、話題性があって注目してもらえるんですよ!!」
シュウ坊は「ガタンっ」とパイプイスに腰掛け、腕組みをしてあたしから視線を外す。
「…悪いんだけどさ。青南ラグビー部のみんなは、あたしに対する不満、ちゃんと面と向かってぶつけてくるよ?あたしもそれには誠意を持って耳を傾ける。じゃあさシュウ坊。なんであなたはその“弱小チーム”の、しかも素人のあたしが提案したものとほとんど変わらない基礎トレメニューを、美松海岸でひとり隠れてやってんのよ?あなた、うちの練習がレベル低いっての?アレ、ハッタリじゃないの?」
あたしは腕組みを外し、テーブルに肘をついて両手を組み、口元にそれをあてがった。
まぁいわゆる、典型的な「くにのおふくろさん泣いてんぞ?」スタイル。
「…それは、たまたま…」
シュウ坊は、ポケットに手を突っ込み、姿勢こそ反抗的だけれど、声が小さくなってゆく。
あたしは蛍光灯ならぬキットカットを差し向けながら、「ふぅ――」っと軽く吐息をもらし、シュウ坊に話しを進める。
「まぁいいよ。とりあえずシュウ坊が、一選手として強くなりたいっていう向上心はわかった。参考までにさ、あたしが客観的に見て叩き上げたあなたの分析データ、見てみない?いらないなら捨ててくれてかまわないから」
目力を少し和らげながら、温情派警部、もとい、優しい夢先輩ははそう言って2枚の紙きれをシュウ坊に渡す。
シュウ坊は、反抗的な姿勢を少し直して、その紙切れをガサガサ眺め、キリっとした目を、泳がせる。
「…夢先輩、コレ…?」
シュウ坊はキリっとした顔をすこし緩ませながら、夢先輩と紙切れを交互に見つめる。
「さすが青南ラグビー部だよね。それ見ただけでわかったでしょ?あなたの本来いるべき場所」
夢先輩はシュウ坊の顔を覗き込み、目を少し細めて微笑み落とす。
まぁいわゆる「カツ丼くうか?」スタイル。
「…でも…俺…」
シュウ坊は声を押し殺し、少し目を赤くする。
「いいから、あとのことは他の連中にでも聞いてもらいなさい」
夢先輩は、進路指導室の外で待ち構える、“他の連中”を中に入れる。
大輔、チビ助、ユッキー、あっちゃん、ユウコ。
そして最後に入ってきたのは、BKリーダーの、松岡拓実。
青南の背番号14・ウイングのレギュラー選手だ。
狭い進路指導室に、大きな体の“他の連中”が見守る中、シュウ坊がだんだん涙目になりながら手にしていたのは、青南のレギュラー陣営のメンバー表だった。
攻撃型のフォーメーションAと、防衛型のフォーメーションB。その14番・左ウイングには、どちらも「畑中修造」の名前と、ゼネマネの考察が書かれていた。
【畑中修造。100メートル10秒台の俊足は攻撃の切り札。ボールを受け取ってからの突破力は極めて強い。タックルを受けてのボール保持率は90%以上。総合身体能力は県内最高レベル。】
その紙には、大輔始め、中心メンバーのメモ書きがビッシリ書かれている。そして、14番の脇には、ひときわ目立つ直筆メッセージ「俺の仕事は、頼りになるスーパー・サブ。松岡」の文字。
「お前さ、俺に遠慮してたんだろ?シュウ坊」
松岡拓実が口を開いた。
続けて、
「どうせお前のことだから、憎まれ役、引いたんだよな?拓ちゃんに、松岡に気遣ってさ。スクールでのキャプテンぶりは、いろいろと耳に入ってくるんだぜ?」
大輔が、シュウ坊の肩に手のひらを乗せる。
「おれ、…おれ、…」
シュウ坊はそのまま黙り込む。
大輔ら中心選手の見解は、こうだった。
春の総体が過ぎた辺りからシュウ坊はその才覚を買われて、ちょくちょく練習試合にウイングやスタンドオフとしてレギュラーメンバーに加わるようになった。そして、必然的にウイングのポジションを拓ちゃんこと松岡拓実と争うようになった。
ラグビー経験者のシュウ坊は、特にウイングとしての動きが良く、トライを量産する一つの攻撃スタイルが、確立されつつあった。
驚いたことに、拓ちゃんは自ら直訴して、シュウ坊にウイングを任せたいと大輔に相談したらしい。自分は、スーパー・サブとして、BK陣の支えになる。と。
そんな先輩方の動向を、カンが鋭いシュウ坊は、すぐに察知した。
そして、先輩を気遣って練習に顔を出さなくなった。
そんなシュウ坊の心中を、大輔と松岡だけはなんとなく気づいていた。
だけど、直接その話しをぶつけるのも、本人はおそらく否定するだろう。と。
進路指導室が静かになる中、
「シュウ坊。お前さ、足の速さだけじゃウイングは務まらねーの、知ってるだろ?お前、自分の弱点、なんだか知ってる?」
と、拓ちゃんがシュウ坊に尋ねる。
「…弱点…スか?」
シュウ坊は拓ちゃん先輩を見上げる。
「足の速さ以外、全部弱点だらけだ。特に、仲間を信頼する気持ち。だから、俺がお前にマンツーの特訓を徹底的にしこんでやる。どうだ?」
「…拓ちゃん先輩…」
「おいおい。勘違いするなよ。花園予選まであと3か月。おれはまだレギュラー諦めてないからな。それに、ウチみたいな雑草集団だと…。ホラ、ユッキーに代わってプロップ!なんてのも、あり得るぜ」
「なんだよそれ―――ッ!俺、これでも体脂肪率2パーセント減ったんだぞ―――!?」
ユッキーが拓ちゃんにタックルをかます。それにあっちゃんとユウコが加わってモールができる。チビ助がボールをかき出して、大輔にスクリューパス。
大輔は“右の翼”めがけて、ロングスクリューパス。
それをしっかり受け取る仕草をして、右の翼が羽ばたく。
そして床に、それをつける。
「「「「ナイストライ!!」」」」
進路指導室の中に、高らかな笑い声が響き渡る。
昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。
キリっとした顔のシュウ坊が、グジャグジャに泣いている。
可愛いヤツだな。ホント。
夢先輩はそのまま、屋上に向かう。
それは授業がサボりたかったからじゃない。
この全身からこみあげてくる、なんとも言えないこの気持ちを、あの大空に解き放ちたかったんだ。
西の角の日陰に仰向けになって、目を閉じる。
そういえば、ここんとこ、徹夜が続いたな…。
部報作りにHPの更新、部費の帳簿作り、痛んだジャージの裁縫、問題児共の分析に神様たちへの御礼を込めたプレゼント作り。
まったく、期末テストは来週からだってのに…。
5時間目ぐらいは真面目に出ようと、あくびをしながら考えて、電源がOFFになる。
………。
…声が聞こえた。
「…おい、あいつアレだろ?2年の相澤」
「…何やってんだ?こいつ。つーかイイカラダしてんじゃん♪」
「…やめとけよ。そいつ、噂だとウリやってるって裏じゃ有名だぜ?」
「…おーコワ。変な病気うつさないでね~」
…赤マル?タバコの匂いで目を覚ます。
無意識に携帯電話を見る。…40分ぐらい寝ちゃったか。
声の方を見る。
対角線上の室外機の角で、ヤンキー座りをしている2人組みが、あたしをチラチラ見ている。
ん…誰だっけ。見たことあるような気もするけれど。
制服着ているから…。青南の生徒には間違いないか。
それにしても…。あたしに負けず劣らずの茶髪。
でも、あんな野良犬みたいな痛んだ毛先、全然同じじゃない。
もう片方はやけにガタイがいいな。それにしても、なんであんなにダボダボのズボンなんだ?そしてボウズ。住職か?
ま、どうでもいいや。
それを無視して起き上がり、教室に戻ろうとする。
―――次の瞬間、肩を掴まれて、口を押えられる。
「…ンウグ…ンな…」
「ねぇねえ相澤さぁ~ん。優しい先輩からの忠告なんだけどね~、少し目立ちすぎなんだよね~きみぃ~。先輩の教室であの態度はないんじゃな~い?」
茶髪が、根性焼きが入った腕で、あたしの腕を掴む。
「そうそう。あんまりナメたマネしてっと、今ここで恥ずかしい恰好させて、写メしてネットにさらしちゃうよ~?」
赤マルをくわえながら、ボウズでガタイのいい住職は、携帯電話を手に取って、あたしのスカートをまくりあげた。
口と腕を押えている茶髪の視線が、下にずれる。
次の瞬間、茶髪の手を、思いっきり噛む。
「――――ギャッ!!イ…ッテェ―――――ッ」
手が離れたスキに、走る。
ナメるな。あんたらみたいなクズ野郎に、女子高生をレイプする度胸なんてないだろう。
校舎に続くドアに向かう。
一度後ろ振り返る。振り切った。
扉を開ける。チョロいも…ドスンっ!!何か、イヤ、誰かにぶつかってそのまま抱きかかえられた。
「コラ待てテメ―――っ!」
ドタドタとそいつらの駆け寄る音がする。
「冬木。木下。機械製図と国際工業基礎のレポート、まだ提出してないだろ?白幡先生が探してたぞ」
…なんだ、あんたか。あたしはその腕を払おうとして力を入れる…けど、離れない。なんだよ。何の真似だ。大輔。
「ああ?何だよ遠藤。そいつ、お前の女か?」
左の手のひらを押えながら、茶髪はツバを飛ばす。
「優秀な生徒会長様と、ケツ軽女のカップル?マジウケるね」
ガタイがいい住職は、ダボダボズボンのポケットに手を突っ込む。
下品な笑い声。
すかさず大輔は、それを制す。
「愛澤夢はうちの部の大事なマネージャーだ。乱暴なマネをしたら俺が許さない」
「ああ?だったらテメーらで、もちっとマシな教育しろや」
手のひらをヒラヒラさせながら、茶髪のツバがまた飛ぶ。
「生徒会長さんよ。せいぜいケツ軽女と仲良くね…ちッ」
住職が、ダボダボズボンを腰でクイクイさせている。
冬木と木下と呼ばれるそいつらは、赤マルを大輔の足元に投げつけて、ドタドタと階段を下っていった。
大輔は、そのまま腕を広げてあたしを解放し、吸殻を拾う。
「…なんだよ。あいつら。あんたの友達?」
「…まぁ、クラスメイト?なかなかメルアド教えてくれないけどね」
ヤレヤレという顔で、大輔はそいつらの消えた階段の方を見降ろす。
「…あのさ、大輔」
「ん?何?夢」
「なんであたしがここにいるって、わかったの?」
「いやぁ、シャンプーのいい匂いがするなぁ~と、思ってね♪」
「…ふざけないでよ…」
大輔は手のひらを構えて、防御の姿勢に入る。
でも、すぐにその手を、おろす
あたしはボーっとしたアタマを、大輔の胸に押し付ける。
大輔の汗の匂いが、鼻から入ってくる。
「ど、ど、どした夢?熱でもあんのか?」
大輔は慌てる。
そりゃそうか。あたしから抱き着くなんてあり得ないもんね。
でも、もう少しいいでしょ?
そりゃ、怖かったよ、本当は。心臓が飛び出るぐらい。
そしてさ、うれしかったんだよ。あんたが来てくれて。
なんでかわからないけれど。
だからさ、も少し、このまま。
5時間目始業のチャイムが聞こえるまでの間でいいから。
…大輔の胸から、鼓動が伝わる。
なんだよ。もしかしてあんたもドキドキしてんの?
汗の匂いが、細胞の隅々に入り込んで、やけに心を落ち着かせてくれた。
「…5時間目サボろうかな。俺」
「…生徒会長がそんなことしていいの?」
「…それもそうなんだけど」
大輔はそのまま、あたしの手を握って、校舎まで送ってくれた。
アタマをポンポンして、機械創造科の実習棟に消える背中を目で追いながら、あたしは自分のアタマを触ってみる。
平熱のはずなのに、てっぺんがじんわりと、熱い。
一応、5時間目の「貿易実務」は出席したけれど、大輔の汗の匂いが身体から抜けなくて、自慢のナチュラルブラウンの毛先をクルクルして遊んでしまった。「CMでやってるサンヨンパ」のシャンプーは、香りだけじゃなくて、肌触りも抜群にいい。
放課後、ゆうべ徹夜で仕上げた部報を印刷するために、印刷室で作業していた時も、インク臭い室内で、やっぱり大輔の匂いが離れなかった。
汗の匂いは大嫌いなはずなのに。
あたしはその日の練習中、終始ピンクジャージの匂いをクンクン嗅いでいた。そのうちに、部員一人ひとりの匂いも嗅ぎ出して、体臭にも個性があると、「汗臭いスポーツ」の恐ろしさを知った。
期末テストの勉強、少し集中してやって、気を紛らわそうと思う、今日この頃。
主将の汗の匂いのおかげか、期末テストは本当に集中できた。
独特の解放感に学校中が浮足立つ中、あたしは若菜と2人で各教室を回り、部報を配って歩いていた。
青南高校のそれぞれの学科には、それぞれの匂いが漂う。
機械創造科1年の教室に顔を出すと、作業服の機械オイル臭さが鼻についた。
「こんにちは♡!ラグビー部です♡部報ができたので、ご覧の上掲示をお願いします♡」
いつでも甘い匂いが漂う若菜に、後輩共の視線が一気に集まって、男子生徒諸君がそわそわしながらヒソヒソしている。
しかし、こいつは本当に後輩からも絶大な支持があるんだな。
いつの間にか「相澤と伊東は大親友」と言われるぐらい、毎日毎日一緒に動くもんだから、若菜が男子生徒から「若菜ちゃ~ん♡」と声をかけられる場面には何度も出くわした。そのたびに「あ!タカシくん!トシちゃん!元気?」とか「コウヘイくんはこれから実習?」と愛嬌をふりまく若菜。
歩くたびに、ほんのり香る果実系の甘い匂いも、最近はなんだか気に入ってしまい、これを嗅がないと落ち着かないぐらいだった。
自分の制服をクンクンしていると、若菜が笑いながら話しかけてくる。
「ねぇねぇ夢ちゃん♡今度の『S・R・F・C伝説8月号』ホントおもしろいね♡」
あたしよりもまた、ほんの少しだけ小さい若菜は、制服姿もぽっちゃりと可愛いらしい。
二つに結んだ髪をポンポン弾ませて、ニコニコ笑うたびにまるでたんぽぽが咲いているようだ。
「あぁ、“サポーターから一言コーナー”でしょ?あたしも笑った。《ラグビー部のみなさんの買い食いと、父兄からの差し入れ発注のおかげで、軽トラックを新車で購入できました。美松浜食料品店》ってね!」
あたしはケラケラ笑う目の隙間から、そのたんぽぽを眺める。
若菜には、これでもちょっぴり感謝している。
素行の悪い茶髪娘を、あたしの知らないところでかばってくれていたとか、クラスで孤立するあたしのために、グループ分けの時は手を握って誘導してくれたとか、他にも理由はいろいろあったんだけれど、365日小春日和みたいな桃色オーラは、いつも背中やら隣やらをあたためてくれた。
あたしが毎日休まず学校に来ているのは、「生徒会長との交換条件」というキッカケもあったけれど、教室の中でもそれなりに楽しく過ごせたのは、まちがいなく若菜のおかげだった。
ま、そんなことは恥ずかしくて言えないんだけれどね。
恥ずかしさを見せないように、ケラケラと笑いながら、女子高生が廊下を歩く。
「ていうか若菜、テストどうだったの?」
ケラケラと笑っていた女子高生の茶髪の方が、質問をする。
「う~ん。あいざわの次はいとう。の、ハズなんだけどね…」
ケラケラと笑っていた女子高生の桃色の方が、急に黙り込む。
気まぐれに勉強したあたしのテストの合計点数は、学年で10番以内だったそうだけれど、どうやら親友の方は、補習が必要らしい。
そんな親友の補習プリントを、こっそり内職で付き合ってやるあたし。
だって、こんなんで練習休まれたら、マネージャーの仕事が増えて大変でしょ?
御礼にいちごポッキーを3箱ももらったし、いいじゃん。ねぇ?
“大親友”て響きも悪くないと思う、今日この頃。
そんな風に、若菜と2人で各教室を回るのが、「青南の七不思議」とも噂されるようになった一学期終了直前の、7月中旬。
今日は練習を少し小休憩して、他の部員はそれぞれ、学校外の家々や商店に部報を配布する係と、座学&ミーティングの準備を進める係にわかれて動いていた。
あたしと若菜は未配布分の部報を配るため、昇降口脇の廊下を歩いて職員室に向かおうとしていた。
すると突然、なにやら大きな声がして、見飽きた連中の聞き飽きた笑い声が耳に飛び込んできた。
「夢先輩と一緒に校内廻りがいい!!」
と、泣きわめいていたシュウ坊が、
「やった!俺イッチバ~ン!!」
と、額に汗をびっしょりかいて昇降口に滑り込む。
それから少し遅れてチビ助、拓ちゃん、ユウコ、マーちゃん、あっちゃん、梶原、石渡、茂木…さらに遅れて、最後にユッキー。
「何やってんのあんたたち~」
あたしはあきれ顔をしながら、シュウ坊の額をハンカチで拭いてやる。
「美松海岸から競争してきました!!」
息も切らさずシュウ坊がキリっと笑う。ホント可愛いな。こいつ。
「シュウ坊の野郎、マジで速ぇ~。すっげぇー悔しいぃ!!」
チビ助が若菜に、「汗!汗!」と、ハンカチを求める。
「こいつら後輩共、本当に生意気だよな~」
あっちゃんと拓ちゃんとマーちゃんが、自販機でポカリやら牛乳やら何やら色々買って、それぞれに渡す。あたしがユッキーからハチミツ・オレを取り上げて水飲み場を指さすと、いっせいに笑い声がおきる。
「アレ?ねぇねぇ、大輔先輩は?」
若菜が昇降口の外をキョロキョロ見ながら、頭を振り振りして、いるべきはずの大輔を探す。
たしかに。大輔もこいつらと一緒に動いているはずなのに。
「あぁ、大輔ならホラ、体育館の脇。女子バスケ部の連中にムリヤリ引っ張られて、ストレッチのコーチしているよ」
ユッキーが指さす方を見ると、たしかにそれらしい姿が見えた。
「しょうがねーよな。あいつは運動神経も良いし、女子生徒にはモテるし。頭も性格もいいし」
藤堂がうらやましそうに面長メガネでそれを眺める。
「大輔の人助け精神は昔からだからね。ま、それでも嫌味には見えないのが、いいんだか悪いんだか」
拓ちゃんがポカリを一気に飲み干して、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。
「…おい、まだミーティングまで時間あるよな♡」
マーちゃんがそう言いだすと、ユウコを誘って女子バスケ部連中の方に猛ダッシュ。続いてユッキー、あっちゃん、梶原、石渡、茂木も。
あたしは一瞬だけ、ニコニコ笑ってさわやかに腕を伸ばす大輔を、見る。
そのまま視線を前に向けて、職員室の方にスタスタ歩き出す。
「夢ちゃん待って!!」
若菜が後ろからついてくる。
「夢先輩!それ、俺が持ちます!」
シュウ坊が部報の束を持つ。
「ねぇ夢!大輔先輩に声かけなくていいの?」
うるさいよチビ助。
期末テストも終わったんだし、夏休みも近いんだし、少しぐらい鼻の下伸ばしてもいいんじゃないの?
「失礼いたします」
あたしの声に、教職員全員が凍りついた。
いえ、部報をお持ちしただけですので。
イライラする自分を必死に否定しながら、ニコニコ笑って部報を手渡す。
チビ助から、飲みかけの牛乳を奪い取って、一気に飲む。
…なんなのよ。このイライラは。
カルシウムを摂取しても、一向におさまらない。
「次は体育教官室だ!!いくよ!!」
言うより早く、体育館に向かって走る。
イライラを鎮める栄養素は、カルシウム…。
まったく!あのスポーツ栄養学、ウソ書きやがって!!
シュウ坊が「ハイ、夢先輩!」と差し出したフリスクを噛む。
ミントの香りがアタマを突き抜く。
いっそ、シュウ坊を舎弟にしてやろうか。
キリ可愛い坊やの、汗で湿る手を掴み、走る。
青南高校の体育館には、ワックス独特の匂いが漂っていた。
そんなこんなで、本日は第一学期終了式。
始めてまともに聴いた校歌は、もちろん口パクでやり過ごした。
「……と、いうわけで、みなさん、充実した夏休みを過ごしてください」
予想通り、充実で長い校長の話しが終わると、いよいよ夏休みが幕を開ける。
と言っても、もちろん我が青南ラグビー部に夏休みは、ない。
毎日午前は2時間半、午後は3時間。
地獄の強化練習が行われる。
ミーティングで遠藤主将が行程を発表すると、誰かが小声で「ゲぇ…」とうなだれた。いつものあたしなら怒鳴るところだけれど、その声も、遠藤主将の視線も、無視した。
「あんたらが目指すのは花園でしょ!」
今日もまた、ゼネマネの激がグラウンドに響く。
「ユッキー!ただ走ればいいってもんじゃないでしょ!展開をもっと先読みして必要以上に体力使わないで!!」
「あっちゃん!ラインアウトの勝負は高さだけじゃないよ!緩急で相手の裏を読んで!ワンパターンになっちゃダメ!」
「チビ助ぇ―――ッ!ユウコォ――――ッ!シュウ坊――――ッ!…よーし!2時間休憩!午後は1時半から始めるよ~!」
「ウオィ――…っス…」
最近はこの調子で、もっぱら練習の全体は、あたしが仕切るようになった。
大輔はその分ゲームメイクや戦術の方にアタマを集中させて、ほかのリーダー陣も、FW・BKそれぞれのサインプレーや攻守の連係プレーを細かく何度も確認する。
午前の練習を終え、部員はそれぞれ水で身体を洗ったり、日陰にへたり込んだりを始める。
お昼の休憩は基本的に自由。校舎に戻る者、適当な場所で休む者、あたしは自販機でミツヤサイダーを購入し、そのままグラウンドの片隅に戻ろうとした。するといきなり、
「夢先輩!一緒にメシ食いましょ!!」
と、シュウ坊があたしの手を握り、キリっとシャープに微笑む。
それに“キュン♡”となる純情派の夢先輩。
あれ以来、このキリット坊やは毎日部活に来るようになって、何かにつけて「夢先輩!俺が持ちます!!夢先輩!俺がやります!!」と夢先輩にまとまりつくようになった。
「あ!シュウ坊!卑怯だぞ!!俺も一緒だ!」
ついでに面長あっちゃんも。
「なんスかアツシさん!デカいし長いし理屈っぽいんスからあんま近よんないで下さいよ!」
キリット坊やと面長メガネが取っ組み合いのケンカを始める。
「夢ちゃんのとなりはあたしだよ♡今日はデザートにアイス食べよ~ね♡」
若菜がいつのまにかサンドイッチやらオードブルやら、ぽっちゃりニッコリ広げ始める。
「若菜の隣は俺~♡お!うまそうなから揚げ。若菜、コレ食べていい?」
チビ助がどこからかヒュっと現れて、牛乳パックをゴクゴク音立てて飲んでいる。
「俺たちもま~ぜ~ろ~♪」
ヒグマにハイエナの群れ、もとい、ユッキー率いるFW陣、千葉、村上、小松…。ぞろぞろメンバーが集まる。
「……あんたたち本当ウルサイッ!暑いんだからギャーギャー騒がないでよっ!!!」
グラウンド脇の青い桜の木の下。いつの間にか、あたしを中心に輪が出来上がる。こんな風に毎日「蒼い野獣」に囲まれて、ゲラゲラ笑ってぎゃギャースカ怒鳴って、汗と土ほこりまみれの夏休み。
ときおり肌をくすぐるすっかり慣れた海風が、なんとも涼しい。
悪くないよね。多分。
野獣共を眺める。みんなそれぞれ、個性豊かな色と顔。
そしてみんな、個性豊かな食べ物の好み。
「夢ぇ~、なんでいっつも梅干しなの~!?」
「夢さん…。も少し甘い梅干しがいいんだけど…」
「たまにはシャケとか、ツナやタラコも食いたいな…夢ちゃん」
「……うるさいよチビ助!ユッキーとあっちゃんも!!夏は梅干しが一番合理的なの!!」
ゼネマネは「夏季におけるおにぎりの食品衛生」を理屈っぽく教示する。
「夢先輩!!全部俺が食います!!文句言う奴らには食わせちゃダメですって!!最高にウマいっすよ!!ねー?」
理屈を抜きに、愛情でフォローするシャープなキリット坊や。
「シュウ坊~♡ミツヤサイダー半分こしよ♡冷やしいちごポッキーもあるんだぞ♡ホラ!口元についてるよ~♡」
と、これまた“キュン♡”となる夢先輩。
食欲旺盛な野獣共のために、朝から米一升も炊き上げておにぎりを作ってくるゼネマネ。
一個一個握るのはメチャクチャ重労働だったけれど、野獣共を手なずけるには一番手っ取り速い戦法でもあったし、なんでもかんでもバクバクガツガツするこいつらの、ご家庭のお台所具合が心配で仕方なかった。
ま、米は農家の加賀家から差し入れだし、重たいおにぎりの運搬も、同じ駅で乗り降りする今野と野口、通称「いまのぐち兄弟」が家から運んでくれたから、別にいいんだけどね。
ただ、大輔とは2人きりになる機会が、自然に減った。
イヤ、正確には、あたしから避けているだけれど。
ユウコを隣に、拓ちゃん&マーちゃんらBK陣と体育館脇の木陰で作戦会議をしている大輔を、横目で眺める。
一瞬目があった気がして、急いで目線をそらす。
非常に手前勝手な話しなんだけれど、あの日、屋上で抱き着いて以来、どうにもこう…。意識してしまうというか…。まともに顔を見れなくなってしまった。
それに、女子生徒とイチャイチャ戯れる大輔を思い出すと、無性にイライラしてしまって、アタマがおかしくなりそうだった。
大輔は、主将としてあたしに用事がある時も、普通に声をかけてくるんだけれど、あたしはわざと気づかないフリをしてつい露骨に目をそらしたり、すぐ後ろの若菜に丸投げしたり。
…それもこれも大輔が悪いんだよ。
たしかに抱き着いたのはあたしだけれど。
大輔が誰と仲良くしたって関係ないのもわかるけれど…。
これじゃまるっきしヤキモチじゃないか…
あ―――、もうッ!!あんまり考えると余計にムシャクシャするから、とりあえず「蒼い野獣」とじゃれあって気持ちを紛らわす。
そんなカンジに、みんなから「夢ちゃん!」とか「夢さん!」とか「夢先輩!」と慕われるうちに、連中相手に徹底した個別指導まで始めて、意図的にどんどん大輔と距離を置くんだから、自分の小さい人間性に、とことんあきれてしまう。
…これもゼネラルマネージャーの仕事だよ…ねぇ?
だけど、夏休みの強化練習が丁度一週間を過ぎた頃。
とうとうそのムシャクシャ&モヤモヤは突破された。
誰に?
他ならぬ、主将に。
「夢!!ちょっと話しがある!!」
オレンジ色に染まる列車の中。
若菜やユウコと相席してしゃべっていたあたしは、いきなり腕を掴まれた。
そしてそのまま隣の車両に拉致される。
「ちょ…いたいよ大輔。離してってば!」
大輔は無言でドスンと座席に腰掛けて、ストンっとあたしを隣に座らせる。
「なに大輔。あたしが誰としゃべろうと勝手でしょ?」
大輔は黙り込んで、反対側の窓から見えるオレンジ色の景色を見つめている。
仕方がないから、あたしも黙る。
沈黙が続く。
「つぎは~、ひがしみなと~、ひがしみなと~」
…JRのアナウンスがキッカケを作り、大輔が口を開く。
「…なんで最近俺のこと避けるんだよ」
「…避けてないもん。別に」
「避けてるだろうが。露骨に。わざとらしい」
「…だってさ…」
「だって…なんだよ」
「なんでもないよ…」
「…俺は夢に相談したいことが色々あるんだよ」
「…それは主将として、マネージャーにって…意味でしょ?」
「…それもある」
「…マネージャーはマドンナなんだよね?」
「…そうだ…」
「…マドンナはみんなのマドンナなんでしょ?」
「…そうだ…」
「遠藤大輔にとって、相澤夢はゼネマネなんだよね」
「…そうだけど…」
「…じゃあ、これからはゼネマネとして主将に接すればいいんだよね?」
「…それもある…」
「あんたの「夢」は、花園なんだよね?」
「…それは、そうだ…」
「その「夢」のために、あんたはあたしを必要としているんだよね?」
「……」
「…なんか言いなさいよ」
「…俺は、夢をつかみたい」
「だから、それはどーゆー意味なのよ」
「……」
「…もういいよ。バカ」
「ひがしみなと~、ひがしみなと~」
JRのアナウンスが、やけに無表情に聞こえる。
列車が走り出す前に、あたしは若菜とユウコの座席に戻る。
「大輔先輩とどんなお話ししてたの?夢ちゃん」
若菜がいちごポッキーを差し出しながら、あたしの顔を覗き込む。
「んー?色々。説教とか~」
あたしはそれをカリカリかじりながら、袋ごと奪い取る。
「あ、大輔先輩歩いてる。なんか凹んでるなぁ。説教って?夢ちゃんが大輔先輩に?」
ユウコが飲んでいる牛乳を奪い取って、一気に飲み干す。
「んー?まーそんなカンジ~」
若菜とユウコが、不思議そうな顔であたしの顔を覗き込む。
なによ?
え?ニキビ?
たしかにね。
多忙な仕事抱えてバリバリガミガミ働いて。
ストレス過多に糖分過多と寝不足に短気と負けず嫌い。
心当たりアリアリなカンジだよ。
え?
ジェラシーもアリアリなカンジだろう?って?
どんなカンジだよ。バカ!!
「え…?お前、それ本気で言ってんの?俺に…恋!?」
「そうだよ。自分の気持ちに素直になったんだ。快く受け入れたら?大輔先輩♡」
ガタンゴトンと揺られる列車内。
いかにも高校生らしい話題。
はたから見たら、そう見えるだろうね。
あたしは頭を抱える大輔先輩をヨシヨシしながら「今日は寝ないんでちゅか?」とか「大輔先輩てモテるんですね♡」とか、散々にからかう。
大輔先輩に恋する乙女…ならぬ、恋する乙メンは、つまり、ユウコだ。
ユウコいわく、自分にとって「大輔先輩は絶対的な憧れの存在」
いつも「背番号10」を最後方から視線で追えるフルバッグのポジションは、ユウコにとって絶好の位置。だけど「背番号9」、つまり、チビ助との絶妙なコンビネーションを見せつけられるたびに、どうしようもなくジェラシーが沸き起こって、試合中でも練習中でもテンションが下がるんだとか。だけど選手としてのチビ助も認めているから、ジレンマもあって、苦しかった。
大体そんなカンジらしい。
そんなカンジのコトをあたしが代弁で告白すると、
「で、でもさ、そしたら、俺と夢がいつもこうやって、2人きりになるのはいいのかよ。あいつ」
と、大輔先輩は、周りをキョロキョロしながら、サラサラの髪をいじいじしている。
「なんか、『もし大輔先輩が彼女でも作ったら、それはそれで祝福する』だって。変な恋愛論だよね」
あたしはクシをカバンから出して、そのサラサラをなでなでしてあげる。
「…彼女…か」
大輔先輩が、動きをとめて、アタマを抱える。
「あたし、なってあげようか?」
あたしは、クシをカバンに戻しながら、つぶやく。
「…え?」
大輔先輩が、顔を上げて、片手で髪をかきあげる。
「時給、1万。イヤ、2万円でどうですか?大輔先輩♡」
大輔先輩が、その手をギュっとにぎって、あたしを睨む。
「お前…絶対イイ死に方しねーぞ…」
「ありがとう♡大輔先輩♡」
YUMEちゃんの顧客になるなら、お安くしておきますよ♪
まー肩ぐらい貸してやるか。将来ホントに困ったら、手作りクッションぐらい、サービスで縫ってあげるよ♪と、少しニヤけながら、あたしはそのまま考える。
「将来…、か」
「なんだよ。まだ値上げしようってのか」
大輔先輩、今夜は眠れないらしい。まぁ、無理もないか。
「なぁ大輔先輩」
今度はあたしが、自慢のナチュラルブラウンをかきあげて、大輔を見る。
「なんだよ。いくらだよ」
「ちがうよバカ。あいつ、あいつのことは、別に今すぐじゃなくてもいいんじゃない?」
「あいつ?誰?」
あたしはシュウ坊こと、畑中修造のコトを切り出す。
なんでも大輔いわく「最大の問題児」だそうで「将来のことを考えると今しかない」だとか。
まったく、あんたはもう少し目の前のことだけ考えてればいいのに…。と思いつつ、横目で大輔先輩を眺める。つくづく面倒見のいい男だねホント。「男が惚れる男」なるほどねぇ…。
結局、大輔先輩はその夜は一睡もしないまま、サラサラの髪をヒラヒラなびかせて、トボトボと闇に消えた。
そしてまた、次の日の昼休み、あたしは「環境海洋科1年」の教室を覗く。
とりあえず、その辺で携帯電話をいじくっていた、黒髪の女子高生をテキトーに選んで、話しかける。
「ねぇ、あなた、悪いんだけど畑中呼んでくれない?」
黒髪の女子高生は、ビクっとして凍りついている。イヤ、あたしも同じ女子高生だし、別にシメるとか、そんなんじゃないから。
しばらくして黒髪とメガネの女子高生が2人で戻ってくる。
「あ…あの、相澤先輩。修造くん、教室の中に、いません…」
黒髪の女子高生は目も合わせてくれない。
「修造くん…。いつもお昼休みになるとどこかに消えるん…です」
メガネの女子高生は、黒髪の片腕をしっかり握って、猫背になっている。
「はぁ~っ!?どこ行った!!あのバカっ!」
今度は教室全体が凍りつく。
みんないっせいに、教科書や雑誌を眺めはじめた。
あ、イヤイヤ、見た目はこんなんだけど、あたしも一応あなたたちと同じ、高校生だから。
誤解しないでね♡
誤解をはらんだまま、放課後になり、いつもの場所へ。
「それにしても、一体どこに消えたんだ?」
グラウンドの片隅で、ユッキーとあっちゃん、ユウコのそれぞれの見識をパソコンに打ち込みながら、グラウンドを見わたす。
当たり前だけど、そこにもシュウ坊は、いない。
入部したての頃は、それこそ1年のリーダー格として張り切って練習していたし、いつも「キリッ」としていて他の同学年と動きが違うのは、素人のあたしが見ても一目瞭然だった。
だけど2か月過ぎた6月頃からちょいちょい練習サボるようになって、ここ最近は全く姿を見せない。
大輔が言うには「シュウ坊は将来の青南を背負う存在」だから「なんとしてでも復帰させたい」だそうなんだけれど…。
「練習にも来ない。呼び出しにも応じない。昼休みにはどっかに消える…か。どうすりゃいのよ。まったく」
当然だけれど、神様たちも口をそろえて、
「そもそも練習に来ないのは問題外。こればかりはYUMEちゃんが頑張るしかない」
と、白旗を振られてしまった。
パソコンを閉じて、グラウンドを離れようと立ちあがる。
歩いてすぐに、桃の缶詰、ならぬ桃色のマネージャーが目に留まる。
「どこにいくの?夢ちゃん?」
と、若菜が、カラーコーンを片付けながら聞いてくる。
どこに行こうとしたのか自分でもわからなくなって、それを手伝おうとする。
「あ、ねぇねぇ夢ちゃん。救急箱の中身、補充しなくちゃ。加賀監督と一緒に車で買い出し、お願いできないかな?」
「買い出し?若菜好きでしょ。買い出し。いいの?」
「あ…、うん。あたし、今日はちょっと。体調悪くて…」
若菜の顔を覗く。いつも以上にぽっちゃりと白桃の頬。
なるほどね。大変だよね。女子高生もいろいろと。
「オオ―イ!!1年!!佐々木!守!近藤!若菜の代わりにコレおねが――いっ!」
「ハ――――イっ」と威勢のいい返事が返ってくる。
シュウ坊もこれぐらい素直ならいいんだけどね。
「ごめんね。夢ちゃん…」
「いいんだよ若菜。少し休んでなよ。今日アレなんでしょ?」
「ん…、ごめんね。よくばって食べすぎちゃった。ポテチのバター醤油はやっぱ消化悪いね…」
……。やっぱお前、もっと動け。
「ん~、夢くぅん。やはりコレも一緒に買おう。今日特売らしいよ。ほら、全種類3割引きだって。塩、コンソメ、青のり、バター醤油。あ、キットカットの大袋に桃味新発売だって。うう~ん。若菜くんにお土産だなぁコレは」
お前はそれ以上しゃべるな。
ホームセンターの店内で、加賀がポテチを4袋も抱えて近づいてくる。あたしはそれを、包帯とコールドスプレーと湿布がいっぱいに入ったカゴを抱えながら、睨む。
つたく。こいつのどこが「物静か」なんだ?
あたしは「食い物話しに饒舌な総監督」しか見たことないぞ。
進路指導中はおとなしくしてやっているけれど、ラグビー部の切り盛りはあたしが「鬼」にならないと堕落する一方だ。
気づくと加賀は、パックの牛乳と和洋菓子も買い込んでいる。
それらがあたしの持つカゴをどんどん満載にしてゆく。
とうとうカートまで引っ張りだされた。
おいおい。ドンキホーテか。ここは。
コラ。部費と進路指導費は勘定科目が違うんだぞ?
いろいろと突っ込みどころが満載だけれど、めんどいから省く。
…ったく。経理の身にもなれ。
と、部費の帳簿帳も購入したその帰り道。
加賀の青いミニバンに揺られながら、あたしはシュウ坊のコトを考えていた。
畑中修造。小学生の頃から地元のラグビースクールに通う根っからのラグビー少年。中学生セブンスでは東北大会優勝の中心選手。最優秀選手に選出されて表彰された経験も持つ。
早くから全国域で活躍していた経歴で県内外での注目度も高く、あの名門・修英も声をかけたほどの逸材。それでも高校進学は地元を優先に青南に入学した。入部直後から即戦力として大輔も目をかけていたらしい。どんな雑仕事もキビキビこなす後輩の姿勢には、先輩方々からも「シュウ坊」と可愛がられ、決して人間関係が悪いわけでもない。
けど…。ねぇ?
だったら練習に顔出せよと、思うんだけれど…
ふと窓の外を見る。
ミニバンの左前方の方に、熱心に走り込む少年が視界に入る。
やけに足が速い。陸上の長距離選手かなんかかな?
タオルを巻いて目元を隠しているし、少し薄暗いから顔の輪郭はよく見えない。
…ん?あの背格好…見覚えがあるような…。
ミニバンはあっという間にそれを追い越す。
ゼネマネはついついタメ口で叫ぶ。
「おい加賀!あれ!あれ見なよ!」
「おぉ夢くぅん。気づいたかね!」
「…おにぎり全品100円セールのコトじゃないからね…」
「わかっているよ。一部140円の品もあるんだろう?」
…後ろを振り返りながら、青い看板が目印のコンビニの角を曲がって消えるそれを、目で追う。
…まちがいない。
「え?シュウ坊が一人でトレーニングしてる?なんでまた」
「あたしがそれを知りたいぐらいだよ」
新しく買ってきたコールドスプレーを、大輔のうっ血した足首にチョンチョン振りかけながら、小さく切り取った湿布を張ってテキトーにテーピングをする。
「どうでもいいけど、なんかテキトーすぎやしない?この処置…」
「うるさい。経費削減。経理の身にもなれ。ていうか試合でもねーのにアチコチぶつけんな…っと!」
大輔の足首をバシっと叩いて腕を組む。
ウヒャっと軽く跳ね上がりながら、大輔も同時に腕を組む。
グラウンドの片隅で、水銀灯に照らされながら、仲良く首脳会談ならぬ、苦悩会談をする、主将とゼネマネ。
「こうなったらさ、夢」
「なんだよ大輔」
「………」
…まぁ、あんたの考えそうなこった。
いいよ。こうなったらなんでもやってやるよ。
そして今度は、いつもとは違う雰囲気の仕事が動き出す。
次の日から、イヤ、正確には次の日の放課後の昇降口から。
下駄箱の隅に、体育座りをしながら顔を伏せ、それらしい姿を注意深く観察するゼネマネ。今日はジャージじゃなく制服を着て、髪は三つ編み。伊達メガネにマスクを着用しているYUMEちゃん。
え?「YUMEちゃんの派遣屋さん~純情派~」かって?
ちがうでしょ。たしかに三つ編み&メガネはニーズの高いコスチュームだけど。そうじゃないってば。
あたしはさっきからシュウ坊を探していた。
あいつは徒歩通学だから、あたしはバレないように変装して尾行することを企んでいた。部の方には「夢は得意先を営業中」と、大輔がテキトーな言い訳作ってみんなを納得させてくれていた。
まぁ、その言い訳もどーかと思うけど。社会人ラグビーじゃないんだから…と思いつつ、昇降口の窓ガラスに映る純情派YUMEちゃんを何度もちら見して、まんざらでもないあたし。
たまにはこういうのも…と一瞬ニヤけた次の瞬間、一人足早にグラウンドとは正反対の裏口へ歩くシュウ坊を確認する。
「さて…と、始めますか」
あたしはつかず離れず、そのあとを追う。
畑中の自宅は学校から約800メートル。
いっそチャリンコにしてはどうだい?と思うんだけれど…。
いろいろ考えながら、自販機や電柱の陰に隠れて、コソコソついて行く。
シュウ坊は、ほとんどジョギングに近いスピードでぐんぐん進む。
自宅は事前に調べてあるけれど、それにしてもせっかちな奴だな。
小走りするYUMEちゃん。
禁煙のおかげで肺はゼェゼェしなかったのが、なんだか複雑。
シュウ坊はあっという間に自宅に消えて、そのまま待つこと15分。
YUMEちゃんはマスクを外し、手元の携帯電話を眺めて、なんとなく天気予報を確かめる。
だって、こんな恰好で雨に打たれたら、それこそマニアのために画像の2・3枚ぐらい、撮影しなくちゃね。
携帯の画面に、YUMEちゃんの顔をおさめて構図を試していた次の瞬間、視界の中にTシャツ短パン姿のシュウ坊が動く。
あたしは携帯電話をポケットにしまう。
シュウ坊は自宅の前で、軽く屈伸やらアキレス健を伸ばして準備運動を始めている。そして左腕の時計を一瞬確認したあと、すぐに走り出す。
―――速い。
あたしは咄嗟に電柱の陰に身をひそめた。
たぶん気づかれていないだろうけれど…。
どうする?走って追うわけにはいかない。考える。
…大丈夫。ヤツだって食べ盛りの高校生。腹が減れば戻るだろう
そのまま1時間経過し、2時間近く経った頃、シュウ坊が自宅に戻ってきた。
あいつ、一体どんだけ走るんだ?
え?あたしがそれを、ずっと突っ立って待っていたかって?
まさか。最初の3分で飽きたよ。じゃあどうしたかって?
フフン。あたしを誰だと思っているのさ。
とりあえず、シュウ坊の意見を聞こうじゃないか。
「…何してんスか。夢先輩」
アタマからタオルを外して、だくだくに流れる汗を拭きとるシュウ坊。
短く整えられた髪。キリっとした目元。シャープな輪郭。少しタイプかも♡
と、思いつつつ、ニヤけるわけにもいかないので、仕事をする。
「何って、お茶ご馳走になっているんです。ね♡おばあちゃん。このお漬物、美味しいですね♡」
渋みの効いたほうじ茶をズズっとすすり、すこし苦手なキュウリのはしきれを箸でつまむ。
「ばーちゃん!なんで勝手に家にあげんだよ。こんな茶髪、俺の友達でもなんでもねーぞっ!」
シュウ坊はキリっとした顔を、さらにギリっとさせて、祖母を睨む。
「コレ!シュウ!なんだべ!先輩さ向がってこのわらす!そんでわがんねぇべど!。いい先輩だべっちゃやぁ~。あんだだぢのために家庭訪問だってがらぁ~、ね~ウメちゃん♡」
【優勝・畑中千穂(67)】と記載された賞状を丸めながら、グラウンドゴルフの自慢話しを中断し、祖母が孫を睨む。コワッ…。
「コレ!シュウ!このわらす!こっちゃきてウメ先輩に挨拶しねばわがんねべ!!」
チホちゃんの怒鳴り声が、お茶の間を揺るがす。
あたしはそれに少しおびえながら、呼び名の微妙なズレは気にせずに、シュウ坊に言葉をぶつける。
「あんたこそ、練習サボって何やってんの?ハコネ駅伝にでも出るつもり?」
孫はキリっと立ったまま、祖母とウメ先輩をギリギリっと睨む。
「…アホらし…付き合ってらんね。ばーちゃん、俺また行くから」
そう言うとシュウ坊は、「コレ!このわらす!ホデナスが!!」という地響きをかわし、「スタタタタッ!」と2階に駆け上がる。
そして今度はさっきと違うジャージに着替えて、ボールを小脇に抱えながらそのまま「スタタタタッ!」と家から飛び出していった。
あたしはそれを目で追いながら、再びお茶の間に戻ってお茶をいただく。チホちゃんはしきりに「あのホデナス」とご立腹の様子。
ホデナスなんてナスがあるのかな?と考えつつ、ナスのお漬物をいただく。これは結構好き。
庭の方に車が停まる音がして、ガサガサと音が聞こえてくる。
「ごめんなさいね~、あの子はあの子なりに、いろいろ考えてるらしいんだけどね~。誰に似たんだか…」
シュウ坊のお母さんがちょうど買い物から戻ってきて、スーパー袋を台所の方へ置きながら、ヤレヤレという表情であたしを申し訳なさそうに見つめる。
「パパもわげ頃コボゲナスだったべっちゃ。あんだがいだがらイッチョメになったんでがぁす」と、お嫁さんに向かってケラケラ笑い、チホちゃんは「どれや」と立ち上がって、畑から採ってきたナスを台所に持って行く。
今度はコボゲナス?イッチョメ?どんな品種だ?と、思いつつ、あたしは2人に愛嬌を傾ける。
事情は、全部お母さんとチホちゃんから聞いた。
まとめると、こうだ。
シュウ坊は、毎日3時間、イヤ、多い時だと大体4時間以上自主トレをしているらしい。
1・2時間ロードワークをし、その後は美松海岸で一人もくもくボールを蹴ったり走ったり。
時たま、ラグビースクールのコーチ役としてそっちの練習に参加したり、学校が休みの日はそのスクールのコーチの伝手で、大学やら社会人の練習にも混じっているとか。
率直に言うと、「青南の練習レベルが低い」というのがシュウ坊の主張なのだそうだ。
決してラグビーが嫌いなわけではなく、イヤ、むしろ根っから大好きで、将来は有名大学に入ってとことんラグビーに専念したいと常に周囲に語っている。らしいんだけれど…。
「あの子はね~、少しプライド高いところがあって」
と、息子を解説し、お母さんが夕飯の準備を始めに台所へ入る。
「ウメちゃん。ホレホレなんだべ。このアジの干物とサンマの佃煮も食べでけらいん。うんめぇど♡」
ニコニコしながらチホちゃんが、次から次へと色々運んでくる。
「夢さんはお刺身食べれるでしょ~」と台所からお母さんの声がする。チホちゃんは「ホタテの刺身も食ってがいん♡」とグラウンドゴルフのクラブを持ち出している。
マズイな。このままだと魚だらけの夕飯を食べさせられる羽目になる。なんでも修太郎おじいさん(72)と修二お父さん(46)は二世代経営の養殖工場業を営んでいるそうで。そうなる前に退散だ。
夢先輩は最後にナスのお漬物だけは空にしたあと、
「これからもう1軒が得意先廻りがありますので~♡」
と、キリっと美しい畑中亮子さん(43)に謝りながら、息子さんはお母さん似だなと確信し、家庭訪問を終える。
お茶の間を出て、玄関をガラガラ開けると外は真っ暗だった。
庭を出て、畑中家を外から眺める。
瓦造りのたいそう立派な御殿の出で立ち。
まぁ、この港町には海で闘う男たちの気風として「アワビ御殿」やら「ホタテ御殿」やら「マグロ御殿」が威風堂々建てられるのは珍しくないけどね。
ただそれがあまりにもバカでかいもんだから、ついつい「タマノコシ」とかよからぬことを考えてしまう。ウラヤマシイとか。ねぇ?
なんとも雑念の多い、薄暗くなった学校までの道。
あたしは両手に、アジ・ホタテの干物とサンマの佃煮、チホちゃん手作りの煮物にキュウリ・ナスetc.が大量に入ったタッパやら何やらを袋入りでズッシリ持ちながら、とぼとぼと歩く。
畑中修造…か。
将来の青南を背負う問題児。
男3人兄弟の末っ子で、性格はワガママだけど優しいところもある。
お昼休みは自宅でチホちゃんと一緒に昼食をし、チホちゃん手作りの煮物と煮付けが大好物。
チホちゃんの趣味はグラウンドゴルフと家庭菜園で、無口なおじいさんの趣味は洗車と漁船漁具の手入れ。
仏様以上に優しすぎるお父さんは元青南ラグビー部で、毎日の食費と息子3人の授業料が悩みのお母さん。
自宅は御殿。稼業は上々。女が強い家系。大排気量の車。広い庭に畑。アケボノという名の太った愛猫。
そして「ウメちゃん♡あんだお嫁さんさだいんや♡」か。
ま、とりあえず、いろいろな情報聞けたし、チホちゃんに超気に入ってもらえたし、ヨシとするか。
…それにしても重いし魚臭い。マスクしてんのに全く意味がない…。
気づくと2匹の野良猫が後をついてくる。
家庭訪問も楽じゃない。
吐き気をもよおして倒れそうになる。
こんな画像は…いらないよな、誰も。
…オェ。
そんな嗚咽を、ぽっちゃりと覗き込む甘い香りの桃娘。
「どーしたの夢ちゃん?具合わるいの?もしかして女の子の日?」
と、若菜が隣に近づいて、魚と甘さがグジャグジャになって鼻を襲う。
「JR美松海岸駅」のホームで、あたしはさっきよりまたさらに顔を白桃、もとい真っ白にしてうなだれていた。
「それにしても美味しいね。この佃煮♡」
…原因はそれとお前だよ…バカ。…オェ。
それに拍車をかける勢いで、汗臭いラグビー部連中はウマウマとタッパに手を伸ばし、さっきからその匂いが鼻から口からあたしを襲っている。
よりによって「魚・桃・汗」のトリプルミックスパンチ。
いっそのこと、グラウンドゴルフのクラブで殴ってやりたい気分だ。
汗の匂いが近づく。
「夢、三つ編みも悪くないよ?しばらくそのままでいいんじゃない?」
「…汗とサンマ臭い指であたしの髪の毛触るなっ!!この変態!!」
あたしの拳を変態はひらりと軽くかわし、ストンと隣にしゃがみ込む。
「でさ…、夢、どう思う?シュウ坊」
あたしはハンカチで鼻を押えながら主将に報告を始める。
「んー…。放っておきゃいいんじゃないの?別に悪いコトしてるわけじゃないんだし。顔はキリっとシャープだし」
「ん~、でもなぁ~…」
「なによ、何か引っかかることでもあんの?」
「青南の練習、レベルが低い…か」
「はぁ?そんなコト気にしてたの?自慢じゃないけど、青南は練習の量・質だけなら修英にも負けてないよ?」
「イヤ、それはわかるんだけど…」
ウジウジする大輔。目が疲れている。
そういやこいつ、今生徒会の引継ぎでも忙しいんだっけか。
とうとうハンカチを大輔にほっぽり投げて、ゼネマネはいざ宣言。
「あ―――、もう、わかったよ!畑中のことはあたしに任せなさい!だから大輔は心配しないで、次期会長候補と一服でもしてなさい!」
どうだ!!これでも「完璧な仕事が信条」なんだ!!
「イヤ、まぁ、それは。うん。ありがたいんだけど…」
なんだ?煮え切らない顔しちゃって。
いっそのことチホちゃんに煮付けてもらおうか?
「俺もキリ顔だどおもうんだけどなぁ…」
と、“むつける”主将を無視して、空になったタッパを桃娘に押し付ける純情派のゼネマネ。
魚・桃・汗の匂いが漂う「JR美松海岸駅」
定刻通り、左の方から汽笛の音が聞こえてきた。
オイ!キリッと坊やの三男坊!畑中修造っ!
あんたも少し、日本の鉄道見習って生真面目になれってんだ!!
そしてまた次の日の放課後。
あたしは、今度はTシャツにジーンズにスニーカー。髪を二つに結び、小脇に半ヘルメットを抱えて、一足先に畑中家の庭に居た。
しかも、チビ助から借りた、蒼カブくんにまたがって。
え?今度は例の女の子2人組のオマージュかって?
たしかにあの曲だけはCD買っちゃったけど。
…似ているって言われたんだもん。悪い?
YUMEにまつわるエトセトラとか言わないでよ?。
めんどいから小1の思い出は省く。
イヤ、しかし、「なんかの役には立つだろう」と取っておいた原付の免許が、まさか、ねぇ。こんな風に役立つとは。
それではキリッと坊や、もとい畑中修造君の意見を聞こうじゃないか。
「…夢先輩、毎日毎日、何してるんスか」
額に汗をかいて帰宅してくるシュウ坊。
「ん―――?チホちゃんとお茶のみ~♡ね?おばあちゃん♡」
あたしはグラウンドゴルフのルールブックを眺めながら、シュウ坊を無視してスイングの練習をする。
「んだでばよ~♡ウメちゃんと話してっと女学校時代思い出すでばぁ~♡いろいろ世の中詳しぐて、おべんきょになんでがぁす」
チホちゃんは縁側に座り「じょうずだごど♡」とそれを褒めてくれる。太ももの上にはアケボノ。
シュウ坊はそれらを無視し、無言でそのまままたいつものようにロードワークに出発する。
すかさずあたしは、蒼カブくんのエンジンをかける。
ルールブックをチホちゃんにお返しし、アクセルを握る
「じゃ、チホちゃん♡アケボノ♡いってきま~す♡」
「アイアイ、気つけていがいんよ~ウメちゃ~ん♪」
「アゥナァ~~…ンん…」
グラウンドゴルフのクラブをブンブン振り回し、お茶友チホちゃんとアケボノのあくびがウメちゃんを見送ってくれた。
ヨイショとテロテロ庭を出て、海側2つ目のT字路を左折してゆくシュウ坊を発見。
…しかし、速いな。シュウ坊。気ぃ抜くと振り切られそうだ。
「おい!シュウ坊!待て!あたしペーパーなんだ!少しは気を遣いなさいよ!」
シュウ坊は当然それを無視し、黙々と走る。
だんだんそれに慣れてきて、あたしはじっくりとシュウ坊を観察する。
キリっっとした顔を、まったく歪ませることなく、シュウ坊は時々腕時計をチラチラしている。
あたしは、チラチラと県道沿いの道路事情を確認しながら、テロテロ走る。
シュウ坊を見る。
…いいふくらはぎしているよなぁ。
上腕筋もそれなりに太くて無駄が無い。
こいつ、筋トレもしっかりやっているな。
パッと見は細身に見えるけど、よく見ると一つ一つのパーツはしっかり鍛え上げられている。呼吸もほとんど乱さないし、背筋が凛と伸びている。
大輔が一目置くのもわかるなと、ほんの一瞬見とれる。
その後もシュウ坊は、キリっとした目元をタオルで隠して1時間半以上走り続けた。
蒼カブくんののメーターを見る。
…ゲ。あいつ、20キロも走ってる。
近々ハーフマラソンの大会でもあんのかな?
と、思いつつ、チビ助自慢の蒼カブくんに水分補給をさせなきゃなと、ガソリンスタンドに向かう。
「毎度―――っ!」とおつりを受け取りながら、これも経費で落とせんのかな?と考える。
いかに低燃費といえども、チリも積もればバカにならない。
しっかり身に染みた総務の性。勘定科目は…、交際費かい?
イロイロ雑念を悶々させながら美松海岸に再び向かい、薄暗い中聞こえるボールの蹴りあげる音を確認して、グラウンドに戻る。
「夢ちゃん♡おつかれさま♡」
若菜がミネラルを差し出して、あたしはそれを一気飲みする。
ほんのり桃の香り。外で働いた後の一杯は美味い。
こんな風に、ロードワークの併走を10日間ほど続けてみた。
匂いの苦手な美松海岸は、極力遠くから眺めた。
あたしがポカリやアクエリを近くの自販機で買って差し入れすると、シュウ坊はキリっとした顔を少し緩めて「…あざっス」と、ぶっきらぼうにそれを受け取った。
初夏といえど、あんなガムシャラに走ったらぶっ倒れてしまう。
これでもスポーツ栄養学は勉強しているんだぞ。
水分・塩分・糖分をキッチリ補給しないとね。
あたしが差し出す塩アメやら黒糖キャラメルを、シュウ坊はこれまたぶっきらぼうに口へ放り込む。まるで、おやつを頬張る弟のように。
…なんか、可愛いな。こいつ♡
そんな風に餌付けをしているうちに、それなりの糸口を見つけたような気にもなれた。
「…なるほどねぇ」
美松海岸の彼方に、うっすら漁火が見え始める頃。
シュウ坊が自主トレを終え、帰宅準備を始める。
それを頬杖で眺めながら、そろそろ戻ろうとあたしも立ち上がる。
蒼カブくんのエンジンをかける。
でも、思い直して歩く。
若菜のせいで、少し、ぽっちゃりした太もものあたりを、触る。
少しだけ、シュウ坊の将来よりも、自分の将来の体型が心配になる。
いつの間にか、「夜道は危ないっスよ」と、あたしの隣を歩いてくれるシュウ坊。
なんだ。優しいトコあんじゃん。
畑中亮子さんの言うとおりだなと納得し、
「グラウンドに戻るんじゃないんスか?」
と聞いてくるキリッと坊やに、
「いいのいいの♪」
と、わざと遠回りをして御殿まで夜の散歩道。
「じゃ、またね♡」
とシュウ坊に投げチューをして別れる。
最後は御殿に大排気量の車、それと庭の畑と坪をゆ~っくり見つめる。
そしてやっと蒼カブくんにまたがり、いざ帰還。
駐輪場に蒼カブくんを停め、グラウンドにスキップ。
お茶飲みいこう♪
ナス食べいこう♪
漁網がはじけて御殿と坊~や~♪ってね♪
と、御殿にまつわるエトセトラを歌うアミちゃん、もとい夢先輩。
水銀灯に照らされて、エトセトラの余韻に浸りながら、差し入れ分のレシートと小銭を清算しようとするゼネマネ。
でも、汗だくの輪郭を思い浮かべてこのぐらいおごってもいいかと、それをポケットにしまうエトセトラ。
明日はキットカットにエトセトラを差し入れしようと考えて、ニヤニヤするユミちゃんならぬウメちゃん、もとい夢先輩。
視線を感じたその先で、今度はブスっとした顔の主将が、ゼネラルマネージャーをギリギリ睨んでいる。
…なによ。その“むつけ顔”。
ちゃんと仕事してんでしょうが。
悪いけど、そんな中途半端なキリ顔なら、三男坊と畑中家の方がエトセトラにカッコいいよ?
「そうだよ。自分の気持ちに素直になったんだ。快く受け入れたら?大輔先輩♡」
ガタンゴトンと揺られる列車内。
いかにも高校生らしい話題。
はたから見たら、そう見えるだろうね。
あたしは頭を抱える大輔先輩をヨシヨシしながら「今日は寝ないんでちゅか?」とか「大輔先輩てモテるんですね♡」とか、散々にからかう。
大輔先輩に恋する乙女…ならぬ、恋する乙メンは、つまり、ユウコだ。
ユウコいわく、自分にとって「大輔先輩は絶対的な憧れの存在」
いつも「背番号10」を最後方から視線で追えるフルバッグのポジションは、ユウコにとって絶好の位置。だけど「背番号9」、つまり、チビ助との絶妙なコンビネーションを見せつけられるたびに、どうしようもなくジェラシーが沸き起こって、試合中でも練習中でもテンションが下がるんだとか。だけど選手としてのチビ助も認めているから、ジレンマもあって、苦しかった。
大体そんなカンジらしい。
そんなカンジのコトをあたしが代弁で告白すると、
「で、でもさ、そしたら、俺と夢がいつもこうやって、2人きりになるのはいいのかよ。あいつ」
と、大輔先輩は、周りをキョロキョロしながら、サラサラの髪をいじいじしている。
「なんか、『もし大輔先輩が彼女でも作ったら、それはそれで祝福する』だって。変な恋愛論だよね」
あたしはクシをカバンから出して、そのサラサラをなでなでしてあげる。
「…彼女…か」
大輔先輩が、動きをとめて、アタマを抱える。
「あたし、なってあげようか?」
あたしは、クシをカバンに戻しながら、つぶやく。
「…え?」
大輔先輩が、顔を上げて、片手で髪をかきあげる。
「時給、1万。イヤ、2万円でどうですか?大輔先輩♡」
大輔先輩が、その手をギュっとにぎって、あたしを睨む。
「お前…絶対イイ死に方しねーぞ…」
「ありがとう♡大輔先輩♡」
YUMEちゃんの顧客になるなら、お安くしておきますよ♪
まー肩ぐらい貸してやるか。将来ホントに困ったら、手作りクッションぐらい、サービスで縫ってあげるよ♪と、少しニヤけながら、あたしはそのまま考える。
「将来…、か」
「なんだよ。まだ値上げしようってのか」
大輔先輩、今夜は眠れないらしい。まぁ、無理もないか。
「なぁ大輔先輩」
今度はあたしが、自慢のナチュラルブラウンをかきあげて、大輔を見る。
「なんだよ。いくらだよ」
「ちがうよバカ。あいつ、あいつのことは、別に今すぐじゃなくてもいいんじゃない?」
「あいつ?誰?」
あたしはシュウ坊こと、畑中修造のコトを切り出す。
なんでも大輔いわく「最大の問題児」だそうで「将来のことを考えると今しかない」だとか。
まったく、あんたはもう少し目の前のことだけ考えてればいいのに…。と思いつつ、横目で大輔先輩を眺める。つくづく面倒見のいい男だねホント。「男が惚れる男」なるほどねぇ…。
結局、大輔先輩はその夜は一睡もしないまま、サラサラの髪をヒラヒラなびかせて、トボトボと闇に消えた。
そしてまた、次の日の昼休み、あたしは「環境海洋科1年」の教室を覗く。
とりあえず、その辺で携帯電話をいじくっていた、黒髪の女子高生をテキトーに選んで、話しかける。
「ねぇ、あなた、悪いんだけど畑中呼んでくれない?」
黒髪の女子高生は、ビクっとして凍りついている。イヤ、あたしも同じ女子高生だし、別にシメるとか、そんなんじゃないから。
しばらくして黒髪とメガネの女子高生が2人で戻ってくる。
「あ…あの、相澤先輩。修造くん、教室の中に、いません…」
黒髪の女子高生は目も合わせてくれない。
「修造くん…。いつもお昼休みになるとどこかに消えるん…です」
メガネの女子高生は、黒髪の片腕をしっかり握って、猫背になっている。
「はぁ~っ!?どこ行った!!あのバカっ!」
今度は教室全体が凍りつく。
みんないっせいに、教科書や雑誌を眺めはじめた。
あ、イヤイヤ、見た目はこんなんだけど、あたしも一応あなたたちと同じ、高校生だから。
誤解しないでね♡
誤解をはらんだまま、放課後になり、いつもの場所へ。
「それにしても、一体どこに消えたんだ?」
グラウンドの片隅で、ユッキーとあっちゃん、ユウコのそれぞれの見識をパソコンに打ち込みながら、グラウンドを見わたす。
当たり前だけど、そこにもシュウ坊は、いない。
入部したての頃は、それこそ1年のリーダー格として張り切って練習していたし、いつも「キリッ」としていて他の同学年と動きが違うのは、素人のあたしが見ても一目瞭然だった。
だけど2か月過ぎた6月頃からちょいちょい練習サボるようになって、ここ最近は全く姿を見せない。
大輔が言うには「シュウ坊は将来の青南を背負う存在」だから「なんとしてでも復帰させたい」だそうなんだけれど…。
「練習にも来ない。呼び出しにも応じない。昼休みにはどっかに消える…か。どうすりゃいのよ。まったく」
当然だけれど、神様たちも口をそろえて、
「そもそも練習に来ないのは問題外。こればかりはYUMEちゃんが頑張るしかない」
と、白旗を振られてしまった。
パソコンを閉じて、グラウンドを離れようと立ちあがる。
歩いてすぐに、桃の缶詰、ならぬ桃色のマネージャーが目に留まる。
「どこにいくの?夢ちゃん?」
と、若菜が、カラーコーンを片付けながら聞いてくる。
どこに行こうとしたのか自分でもわからなくなって、それを手伝おうとする。
「あ、ねぇねぇ夢ちゃん。救急箱の中身、補充しなくちゃ。加賀監督と一緒に車で買い出し、お願いできないかな?」
「買い出し?若菜好きでしょ。買い出し。いいの?」
「あ…、うん。あたし、今日はちょっと。体調悪くて…」
若菜の顔を覗く。いつも以上にぽっちゃりと白桃の頬。
なるほどね。大変だよね。女子高生もいろいろと。
「オオ―イ!!1年!!佐々木!守!近藤!若菜の代わりにコレおねが――いっ!」
「ハ――――イっ」と威勢のいい返事が返ってくる。
シュウ坊もこれぐらい素直ならいいんだけどね。
「ごめんね。夢ちゃん…」
「いいんだよ若菜。少し休んでなよ。今日アレなんでしょ?」
「ん…、ごめんね。よくばって食べすぎちゃった。ポテチのバター醤油はやっぱ消化悪いね…」
……。やっぱお前、もっと動け。
「ん~、夢くぅん。やはりコレも一緒に買おう。今日特売らしいよ。ほら、全種類3割引きだって。塩、コンソメ、青のり、バター醤油。あ、キットカットの大袋に桃味新発売だって。うう~ん。若菜くんにお土産だなぁコレは」
お前はそれ以上しゃべるな。
ホームセンターの店内で、加賀がポテチを4袋も抱えて近づいてくる。あたしはそれを、包帯とコールドスプレーと湿布がいっぱいに入ったカゴを抱えながら、睨む。
つたく。こいつのどこが「物静か」なんだ?
あたしは「食い物話しに饒舌な総監督」しか見たことないぞ。
進路指導中はおとなしくしてやっているけれど、ラグビー部の切り盛りはあたしが「鬼」にならないと堕落する一方だ。
気づくと加賀は、パックの牛乳と和洋菓子も買い込んでいる。
それらがあたしの持つカゴをどんどん満載にしてゆく。
とうとうカートまで引っ張りだされた。
おいおい。ドンキホーテか。ここは。
コラ。部費と進路指導費は勘定科目が違うんだぞ?
いろいろと突っ込みどころが満載だけれど、めんどいから省く。
…ったく。経理の身にもなれ。
と、部費の帳簿帳も購入したその帰り道。
加賀の青いミニバンに揺られながら、あたしはシュウ坊のコトを考えていた。
畑中修造。小学生の頃から地元のラグビースクールに通う根っからのラグビー少年。中学生セブンスでは東北大会優勝の中心選手。最優秀選手に選出されて表彰された経験も持つ。
早くから全国域で活躍していた経歴で県内外での注目度も高く、あの名門・修英も声をかけたほどの逸材。それでも高校進学は地元を優先に青南に入学した。入部直後から即戦力として大輔も目をかけていたらしい。どんな雑仕事もキビキビこなす後輩の姿勢には、先輩方々からも「シュウ坊」と可愛がられ、決して人間関係が悪いわけでもない。
けど…。ねぇ?
だったら練習に顔出せよと、思うんだけれど…
ふと窓の外を見る。
ミニバンの左前方の方に、熱心に走り込む少年が視界に入る。
やけに足が速い。陸上の長距離選手かなんかかな?
タオルを巻いて目元を隠しているし、少し薄暗いから顔の輪郭はよく見えない。
…ん?あの背格好…見覚えがあるような…。
ミニバンはあっという間にそれを追い越す。
ゼネマネはついついタメ口で叫ぶ。
「おい加賀!あれ!あれ見なよ!」
「おぉ夢くぅん。気づいたかね!」
「…おにぎり全品100円セールのコトじゃないからね…」
「わかっているよ。一部140円の品もあるんだろう?」
…後ろを振り返りながら、青い看板が目印のコンビニの角を曲がって消えるそれを、目で追う。
…まちがいない。
「え?シュウ坊が一人でトレーニングしてる?なんでまた」
「あたしがそれを知りたいぐらいだよ」
新しく買ってきたコールドスプレーを、大輔のうっ血した足首にチョンチョン振りかけながら、小さく切り取った湿布を張ってテキトーにテーピングをする。
「どうでもいいけど、なんかテキトーすぎやしない?この処置…」
「うるさい。経費削減。経理の身にもなれ。ていうか試合でもねーのにアチコチぶつけんな…っと!」
大輔の足首をバシっと叩いて腕を組む。
ウヒャっと軽く跳ね上がりながら、大輔も同時に腕を組む。
グラウンドの片隅で、水銀灯に照らされながら、仲良く首脳会談ならぬ、苦悩会談をする、主将とゼネマネ。
「こうなったらさ、夢」
「なんだよ大輔」
「………」
…まぁ、あんたの考えそうなこった。
いいよ。こうなったらなんでもやってやるよ。
そして今度は、いつもとは違う雰囲気の仕事が動き出す。
次の日から、イヤ、正確には次の日の放課後の昇降口から。
下駄箱の隅に、体育座りをしながら顔を伏せ、それらしい姿を注意深く観察するゼネマネ。今日はジャージじゃなく制服を着て、髪は三つ編み。伊達メガネにマスクを着用しているYUMEちゃん。
え?「YUMEちゃんの派遣屋さん~純情派~」かって?
ちがうでしょ。たしかに三つ編み&メガネはニーズの高いコスチュームだけど。そうじゃないってば。
あたしはさっきからシュウ坊を探していた。
あいつは徒歩通学だから、あたしはバレないように変装して尾行することを企んでいた。部の方には「夢は得意先を営業中」と、大輔がテキトーな言い訳作ってみんなを納得させてくれていた。
まぁ、その言い訳もどーかと思うけど。社会人ラグビーじゃないんだから…と思いつつ、昇降口の窓ガラスに映る純情派YUMEちゃんを何度もちら見して、まんざらでもないあたし。
たまにはこういうのも…と一瞬ニヤけた次の瞬間、一人足早にグラウンドとは正反対の裏口へ歩くシュウ坊を確認する。
「さて…と、始めますか」
あたしはつかず離れず、そのあとを追う。
畑中の自宅は学校から約800メートル。
いっそチャリンコにしてはどうだい?と思うんだけれど…。
いろいろ考えながら、自販機や電柱の陰に隠れて、コソコソついて行く。
シュウ坊は、ほとんどジョギングに近いスピードでぐんぐん進む。
自宅は事前に調べてあるけれど、それにしてもせっかちな奴だな。
小走りするYUMEちゃん。
禁煙のおかげで肺はゼェゼェしなかったのが、なんだか複雑。
シュウ坊はあっという間に自宅に消えて、そのまま待つこと15分。
YUMEちゃんはマスクを外し、手元の携帯電話を眺めて、なんとなく天気予報を確かめる。
だって、こんな恰好で雨に打たれたら、それこそマニアのために画像の2・3枚ぐらい、撮影しなくちゃね。
携帯の画面に、YUMEちゃんの顔をおさめて構図を試していた次の瞬間、視界の中にTシャツ短パン姿のシュウ坊が動く。
あたしは携帯電話をポケットにしまう。
シュウ坊は自宅の前で、軽く屈伸やらアキレス健を伸ばして準備運動を始めている。そして左腕の時計を一瞬確認したあと、すぐに走り出す。
―――速い。
あたしは咄嗟に電柱の陰に身をひそめた。
たぶん気づかれていないだろうけれど…。
どうする?走って追うわけにはいかない。考える。
…大丈夫。ヤツだって食べ盛りの高校生。腹が減れば戻るだろう
そのまま1時間経過し、2時間近く経った頃、シュウ坊が自宅に戻ってきた。
あいつ、一体どんだけ走るんだ?
え?あたしがそれを、ずっと突っ立って待っていたかって?
まさか。最初の3分で飽きたよ。じゃあどうしたかって?
フフン。あたしを誰だと思っているのさ。
とりあえず、シュウ坊の意見を聞こうじゃないか。
「…何してんスか。夢先輩」
アタマからタオルを外して、だくだくに流れる汗を拭きとるシュウ坊。
短く整えられた髪。キリっとした目元。シャープな輪郭。少しタイプかも♡
と、思いつつつ、ニヤけるわけにもいかないので、仕事をする。
「何って、お茶ご馳走になっているんです。ね♡おばあちゃん。このお漬物、美味しいですね♡」
渋みの効いたほうじ茶をズズっとすすり、すこし苦手なキュウリのはしきれを箸でつまむ。
「ばーちゃん!なんで勝手に家にあげんだよ。こんな茶髪、俺の友達でもなんでもねーぞっ!」
シュウ坊はキリっとした顔を、さらにギリっとさせて、祖母を睨む。
「コレ!シュウ!なんだべ!先輩さ向がってこのわらす!そんでわがんねぇべど!。いい先輩だべっちゃやぁ~。あんだだぢのために家庭訪問だってがらぁ~、ね~ウメちゃん♡」
【優勝・畑中千穂(67)】と記載された賞状を丸めながら、グラウンドゴルフの自慢話しを中断し、祖母が孫を睨む。コワッ…。
「コレ!シュウ!このわらす!こっちゃきてウメ先輩に挨拶しねばわがんねべ!!」
チホちゃんの怒鳴り声が、お茶の間を揺るがす。
あたしはそれに少しおびえながら、呼び名の微妙なズレは気にせずに、シュウ坊に言葉をぶつける。
「あんたこそ、練習サボって何やってんの?ハコネ駅伝にでも出るつもり?」
孫はキリっと立ったまま、祖母とウメ先輩をギリギリっと睨む。
「…アホらし…付き合ってらんね。ばーちゃん、俺また行くから」
そう言うとシュウ坊は、「コレ!このわらす!ホデナスが!!」という地響きをかわし、「スタタタタッ!」と2階に駆け上がる。
そして今度はさっきと違うジャージに着替えて、ボールを小脇に抱えながらそのまま「スタタタタッ!」と家から飛び出していった。
あたしはそれを目で追いながら、再びお茶の間に戻ってお茶をいただく。チホちゃんはしきりに「あのホデナス」とご立腹の様子。
ホデナスなんてナスがあるのかな?と考えつつ、ナスのお漬物をいただく。これは結構好き。
庭の方に車が停まる音がして、ガサガサと音が聞こえてくる。
「ごめんなさいね~、あの子はあの子なりに、いろいろ考えてるらしいんだけどね~。誰に似たんだか…」
シュウ坊のお母さんがちょうど買い物から戻ってきて、スーパー袋を台所の方へ置きながら、ヤレヤレという表情であたしを申し訳なさそうに見つめる。
「パパもわげ頃コボゲナスだったべっちゃ。あんだがいだがらイッチョメになったんでがぁす」と、お嫁さんに向かってケラケラ笑い、チホちゃんは「どれや」と立ち上がって、畑から採ってきたナスを台所に持って行く。
今度はコボゲナス?イッチョメ?どんな品種だ?と、思いつつ、あたしは2人に愛嬌を傾ける。
事情は、全部お母さんとチホちゃんから聞いた。
まとめると、こうだ。
シュウ坊は、毎日3時間、イヤ、多い時だと大体4時間以上自主トレをしているらしい。
1・2時間ロードワークをし、その後は美松海岸で一人もくもくボールを蹴ったり走ったり。
時たま、ラグビースクールのコーチ役としてそっちの練習に参加したり、学校が休みの日はそのスクールのコーチの伝手で、大学やら社会人の練習にも混じっているとか。
率直に言うと、「青南の練習レベルが低い」というのがシュウ坊の主張なのだそうだ。
決してラグビーが嫌いなわけではなく、イヤ、むしろ根っから大好きで、将来は有名大学に入ってとことんラグビーに専念したいと常に周囲に語っている。らしいんだけれど…。
「あの子はね~、少しプライド高いところがあって」
と、息子を解説し、お母さんが夕飯の準備を始めに台所へ入る。
「ウメちゃん。ホレホレなんだべ。このアジの干物とサンマの佃煮も食べでけらいん。うんめぇど♡」
ニコニコしながらチホちゃんが、次から次へと色々運んでくる。
「夢さんはお刺身食べれるでしょ~」と台所からお母さんの声がする。チホちゃんは「ホタテの刺身も食ってがいん♡」とグラウンドゴルフのクラブを持ち出している。
マズイな。このままだと魚だらけの夕飯を食べさせられる羽目になる。なんでも修太郎おじいさん(72)と修二お父さん(46)は二世代経営の養殖工場業を営んでいるそうで。そうなる前に退散だ。
夢先輩は最後にナスのお漬物だけは空にしたあと、
「これからもう1軒が得意先廻りがありますので~♡」
と、キリっと美しい畑中亮子さん(43)に謝りながら、息子さんはお母さん似だなと確信し、家庭訪問を終える。
お茶の間を出て、玄関をガラガラ開けると外は真っ暗だった。
庭を出て、畑中家を外から眺める。
瓦造りのたいそう立派な御殿の出で立ち。
まぁ、この港町には海で闘う男たちの気風として「アワビ御殿」やら「ホタテ御殿」やら「マグロ御殿」が威風堂々建てられるのは珍しくないけどね。
ただそれがあまりにもバカでかいもんだから、ついつい「タマノコシ」とかよからぬことを考えてしまう。ウラヤマシイとか。ねぇ?
なんとも雑念の多い、薄暗くなった学校までの道。
あたしは両手に、アジ・ホタテの干物とサンマの佃煮、チホちゃん手作りの煮物にキュウリ・ナスetc.が大量に入ったタッパやら何やらを袋入りでズッシリ持ちながら、とぼとぼと歩く。
畑中修造…か。
将来の青南を背負う問題児。
男3人兄弟の末っ子で、性格はワガママだけど優しいところもある。
お昼休みは自宅でチホちゃんと一緒に昼食をし、チホちゃん手作りの煮物と煮付けが大好物。
チホちゃんの趣味はグラウンドゴルフと家庭菜園で、無口なおじいさんの趣味は洗車と漁船漁具の手入れ。
仏様以上に優しすぎるお父さんは元青南ラグビー部で、毎日の食費と息子3人の授業料が悩みのお母さん。
自宅は御殿。稼業は上々。女が強い家系。大排気量の車。広い庭に畑。アケボノという名の太った愛猫。
そして「ウメちゃん♡あんだお嫁さんさだいんや♡」か。
ま、とりあえず、いろいろな情報聞けたし、チホちゃんに超気に入ってもらえたし、ヨシとするか。
…それにしても重いし魚臭い。マスクしてんのに全く意味がない…。
気づくと2匹の野良猫が後をついてくる。
家庭訪問も楽じゃない。
吐き気をもよおして倒れそうになる。
こんな画像は…いらないよな、誰も。
…オェ。
そんな嗚咽を、ぽっちゃりと覗き込む甘い香りの桃娘。
「どーしたの夢ちゃん?具合わるいの?もしかして女の子の日?」
と、若菜が隣に近づいて、魚と甘さがグジャグジャになって鼻を襲う。
「JR美松海岸駅」のホームで、あたしはさっきよりまたさらに顔を白桃、もとい真っ白にしてうなだれていた。
「それにしても美味しいね。この佃煮♡」
…原因はそれとお前だよ…バカ。…オェ。
それに拍車をかける勢いで、汗臭いラグビー部連中はウマウマとタッパに手を伸ばし、さっきからその匂いが鼻から口からあたしを襲っている。
よりによって「魚・桃・汗」のトリプルミックスパンチ。
いっそのこと、グラウンドゴルフのクラブで殴ってやりたい気分だ。
汗の匂いが近づく。
「夢、三つ編みも悪くないよ?しばらくそのままでいいんじゃない?」
「…汗とサンマ臭い指であたしの髪の毛触るなっ!!この変態!!」
あたしの拳を変態はひらりと軽くかわし、ストンと隣にしゃがみ込む。
「でさ…、夢、どう思う?シュウ坊」
あたしはハンカチで鼻を押えながら主将に報告を始める。
「んー…。放っておきゃいいんじゃないの?別に悪いコトしてるわけじゃないんだし。顔はキリっとシャープだし」
「ん~、でもなぁ~…」
「なによ、何か引っかかることでもあんの?」
「青南の練習、レベルが低い…か」
「はぁ?そんなコト気にしてたの?自慢じゃないけど、青南は練習の量・質だけなら修英にも負けてないよ?」
「イヤ、それはわかるんだけど…」
ウジウジする大輔。目が疲れている。
そういやこいつ、今生徒会の引継ぎでも忙しいんだっけか。
とうとうハンカチを大輔にほっぽり投げて、ゼネマネはいざ宣言。
「あ―――、もう、わかったよ!畑中のことはあたしに任せなさい!だから大輔は心配しないで、次期会長候補と一服でもしてなさい!」
どうだ!!これでも「完璧な仕事が信条」なんだ!!
「イヤ、まぁ、それは。うん。ありがたいんだけど…」
なんだ?煮え切らない顔しちゃって。
いっそのことチホちゃんに煮付けてもらおうか?
「俺もキリ顔だどおもうんだけどなぁ…」
と、“むつける”主将を無視して、空になったタッパを桃娘に押し付ける純情派のゼネマネ。
魚・桃・汗の匂いが漂う「JR美松海岸駅」
定刻通り、左の方から汽笛の音が聞こえてきた。
オイ!キリッと坊やの三男坊!畑中修造っ!
あんたも少し、日本の鉄道見習って生真面目になれってんだ!!
そしてまた次の日の放課後。
あたしは、今度はTシャツにジーンズにスニーカー。髪を二つに結び、小脇に半ヘルメットを抱えて、一足先に畑中家の庭に居た。
しかも、チビ助から借りた、蒼カブくんにまたがって。
え?今度は例の女の子2人組のオマージュかって?
たしかにあの曲だけはCD買っちゃったけど。
…似ているって言われたんだもん。悪い?
YUMEにまつわるエトセトラとか言わないでよ?。
めんどいから小1の思い出は省く。
イヤ、しかし、「なんかの役には立つだろう」と取っておいた原付の免許が、まさか、ねぇ。こんな風に役立つとは。
それではキリッと坊や、もとい畑中修造君の意見を聞こうじゃないか。
「…夢先輩、毎日毎日、何してるんスか」
額に汗をかいて帰宅してくるシュウ坊。
「ん―――?チホちゃんとお茶のみ~♡ね?おばあちゃん♡」
あたしはグラウンドゴルフのルールブックを眺めながら、シュウ坊を無視してスイングの練習をする。
「んだでばよ~♡ウメちゃんと話してっと女学校時代思い出すでばぁ~♡いろいろ世の中詳しぐて、おべんきょになんでがぁす」
チホちゃんは縁側に座り「じょうずだごど♡」とそれを褒めてくれる。太ももの上にはアケボノ。
シュウ坊はそれらを無視し、無言でそのまままたいつものようにロードワークに出発する。
すかさずあたしは、蒼カブくんのエンジンをかける。
ルールブックをチホちゃんにお返しし、アクセルを握る
「じゃ、チホちゃん♡アケボノ♡いってきま~す♡」
「アイアイ、気つけていがいんよ~ウメちゃ~ん♪」
「アゥナァ~~…ンん…」
グラウンドゴルフのクラブをブンブン振り回し、お茶友チホちゃんとアケボノのあくびがウメちゃんを見送ってくれた。
ヨイショとテロテロ庭を出て、海側2つ目のT字路を左折してゆくシュウ坊を発見。
…しかし、速いな。シュウ坊。気ぃ抜くと振り切られそうだ。
「おい!シュウ坊!待て!あたしペーパーなんだ!少しは気を遣いなさいよ!」
シュウ坊は当然それを無視し、黙々と走る。
だんだんそれに慣れてきて、あたしはじっくりとシュウ坊を観察する。
キリっっとした顔を、まったく歪ませることなく、シュウ坊は時々腕時計をチラチラしている。
あたしは、チラチラと県道沿いの道路事情を確認しながら、テロテロ走る。
シュウ坊を見る。
…いいふくらはぎしているよなぁ。
上腕筋もそれなりに太くて無駄が無い。
こいつ、筋トレもしっかりやっているな。
パッと見は細身に見えるけど、よく見ると一つ一つのパーツはしっかり鍛え上げられている。呼吸もほとんど乱さないし、背筋が凛と伸びている。
大輔が一目置くのもわかるなと、ほんの一瞬見とれる。
その後もシュウ坊は、キリっとした目元をタオルで隠して1時間半以上走り続けた。
蒼カブくんののメーターを見る。
…ゲ。あいつ、20キロも走ってる。
近々ハーフマラソンの大会でもあんのかな?
と、思いつつ、チビ助自慢の蒼カブくんに水分補給をさせなきゃなと、ガソリンスタンドに向かう。
「毎度―――っ!」とおつりを受け取りながら、これも経費で落とせんのかな?と考える。
いかに低燃費といえども、チリも積もればバカにならない。
しっかり身に染みた総務の性。勘定科目は…、交際費かい?
イロイロ雑念を悶々させながら美松海岸に再び向かい、薄暗い中聞こえるボールの蹴りあげる音を確認して、グラウンドに戻る。
「夢ちゃん♡おつかれさま♡」
若菜がミネラルを差し出して、あたしはそれを一気飲みする。
ほんのり桃の香り。外で働いた後の一杯は美味い。
こんな風に、ロードワークの併走を10日間ほど続けてみた。
匂いの苦手な美松海岸は、極力遠くから眺めた。
あたしがポカリやアクエリを近くの自販機で買って差し入れすると、シュウ坊はキリっとした顔を少し緩めて「…あざっス」と、ぶっきらぼうにそれを受け取った。
初夏といえど、あんなガムシャラに走ったらぶっ倒れてしまう。
これでもスポーツ栄養学は勉強しているんだぞ。
水分・塩分・糖分をキッチリ補給しないとね。
あたしが差し出す塩アメやら黒糖キャラメルを、シュウ坊はこれまたぶっきらぼうに口へ放り込む。まるで、おやつを頬張る弟のように。
…なんか、可愛いな。こいつ♡
そんな風に餌付けをしているうちに、それなりの糸口を見つけたような気にもなれた。
「…なるほどねぇ」
美松海岸の彼方に、うっすら漁火が見え始める頃。
シュウ坊が自主トレを終え、帰宅準備を始める。
それを頬杖で眺めながら、そろそろ戻ろうとあたしも立ち上がる。
蒼カブくんのエンジンをかける。
でも、思い直して歩く。
若菜のせいで、少し、ぽっちゃりした太もものあたりを、触る。
少しだけ、シュウ坊の将来よりも、自分の将来の体型が心配になる。
いつの間にか、「夜道は危ないっスよ」と、あたしの隣を歩いてくれるシュウ坊。
なんだ。優しいトコあんじゃん。
畑中亮子さんの言うとおりだなと納得し、
「グラウンドに戻るんじゃないんスか?」
と聞いてくるキリッと坊やに、
「いいのいいの♪」
と、わざと遠回りをして御殿まで夜の散歩道。
「じゃ、またね♡」
とシュウ坊に投げチューをして別れる。
最後は御殿に大排気量の車、それと庭の畑と坪をゆ~っくり見つめる。
そしてやっと蒼カブくんにまたがり、いざ帰還。
駐輪場に蒼カブくんを停め、グラウンドにスキップ。
お茶飲みいこう♪
ナス食べいこう♪
漁網がはじけて御殿と坊~や~♪ってね♪
と、御殿にまつわるエトセトラを歌うアミちゃん、もとい夢先輩。
水銀灯に照らされて、エトセトラの余韻に浸りながら、差し入れ分のレシートと小銭を清算しようとするゼネマネ。
でも、汗だくの輪郭を思い浮かべてこのぐらいおごってもいいかと、それをポケットにしまうエトセトラ。
明日はキットカットにエトセトラを差し入れしようと考えて、ニヤニヤするユミちゃんならぬウメちゃん、もとい夢先輩。
視線を感じたその先で、今度はブスっとした顔の主将が、ゼネラルマネージャーをギリギリ睨んでいる。
…なによ。その“むつけ顔”。
ちゃんと仕事してんでしょうが。
悪いけど、そんな中途半端なキリ顔なら、三男坊と畑中家の方がエトセトラにカッコいいよ?
「ユッキー先輩、お寿司好きですか?」
「寿司!?大好き!!何!?ごちそうでもしてくれんの?」
練習も中盤に差し掛かる頃、あたしはユッキー先輩こと、小野寺直之にさりげなく声をかける。
次の日の夕方から、グラウンドの片隅からあたしの個別コンサルティングは始まった。
ドデカイ図体が汗をふきながらヒョコヒョコあたしについてくる。
昼休みに「練習を早退して話し合いをさせてほしい」と、大輔の了解はもらってあった。グラウンドの中央に大輔の姿が見える。無言であたしをじっと見ている。そんな情けない面しないでいいから。あんたは「ライオン」でしょ?堂々と我が子を谷に突き落としなさい!
我が子を谷にならぬ、ユッキー先輩を車の中に「ヨイショ」と入れる。
え?誰の車かって?まぁまぁ、とりあえず出発しましょう。
「それじゃシロウおじさん。よろしくお願いします」
「はい。わかりました。行きましょう」
「あの~、これからどちらへ…?」
綺麗なハイブリットカーの運転席で、“シロウおじさん“こと、スズキシロウさんが口を開く。
「美味しいお寿司をごちそうしますよ」
スズキシロウさんは落ち着いた様子でそう言うと、少し微笑んでから車を発進させた。
一応、ユッキー先輩には「シロウおじさんは父の友達」で、「昔から娘同様に可愛がってもらっている」と、説明するあたし。それに続いてスズキシロウさんが、
「YUMEちゃんからラグビー部のお話しを聞きましてね。僕は子供がいないものですから、ぜひ一度直之くんと会ってお話しをしてみたかったのですよ。突然のお誘いで申し訳ありませんが、今日は本当の親子のつもりで、私のわがままに付き合わせていただけませんか?」
と、律儀にフォロー。まぁ、ユッキー先輩は、「美味しお寿司をご馳走しますよ」というフレーズ意外は特に興味もないみたいで、「そうスか♪」「いいっスよ♪」と鼻息を荒くし、のんきにお腹をモミモミしている。静かな振動の車内。後部座席を一人で占領し、イクラやらウニやらを思い浮かべているであろうユッキー先輩。おい。ヨダレ。頼むから拭いてくれ。
スズキシロウさんが連れて行ってくれたのは地元でも有名な老舗のお寿司屋さん。
「南町青風通り商店会」の中心にお店を構える「三陸の味・旭寿司本舗」
カンのするどい皆さんはもう気づいたかな?
そうなのだ。あたしは「小野寺直之の課題」をスズキシロウさんにメールで相談をしていたんだ。そしたら、
「せっかくですから夕飯食べながら会いましょう」
って、提案されて、しかも、
「息子と寿司を食べるのが夢だったのです」
と返されて、お魚嫌いのあたしは生理的に相当イヤだったけれど、無理を押し付けた手前、
「場所はシロウさんにお任せします」
と返答。まぁ、仕方がないよね。「神様の夢」を叶えてあげるのも、「ビジネス」なんだから。
正直戸惑いもあったけれど、自分一人で悩むよりも、人生経験豊富なスズキシロウさんになら、任せてみてもいいかなという気持ちになっていた。
風格と威厳が滲み出ているお寿司屋さんの外観。それに少し目まいを起こす“娘”をよそに、“お父さん”と“息子さん”はヒョイヒョイ進む。
スズキシロウさんは慣れた様子で暖簾をくぐり「やぁ大将!今日は息子と娘を連れてきたよ♪」と上機嫌。そのまま2階の座敷部屋へ案内された。
「さ、遠慮しないで、たっぷり食べてください」
スズキシロウさんはユッキー先輩にそう微笑んで、イクラやらウニやら、トロやら何やらが次々に運ばれる中、それをバクバク食べる“息子”を目を細めて眺めていた。
無論、あたしは梅巻とかんぴょう巻をチビチビ食べて、大嫌いな魚の匂いを必死に我慢していた。
まぁしかし、この息子さんの辞書に「遠慮」という言葉がないのだろうか?と疑いたくなるほど、そしてお勘定が心配でならないほど、次から次へ特上寿司が胃袋へと消えてゆく。
そしておそらく、福沢諭吉が2~3枚はなくなったのでは?と思う頃、
「あぁ!!食った!!最高だ!」
と、そこでようやくユッキー先輩は箸を置いた。
「どれ、デザートに柚子シャーベットはいかがですか?」
と、スズキシロウさんは口を開き、そして細めた目を少し開いてこう切り出した。
「直之君。私はね、学生スポーツ観戦が趣味でして。君のラグビーの試合ぶり、YUMEちゃんからムービーを借りて観させてもらいましたよ」
そしてスズキシロウさんは「熱血で素晴らしいプレースタイル」「大きな声で周囲を誘導している」と、ユッキー先輩を褒め称えたあと、少し間を置いて、「そのかわりね」と、次の話しを始めた。
「直之君。初対面でこんな話しは少し失礼かと思いますが、修英の峰岸君は30分ジャスト、東北山光の村田君が28分弱。そして君は50分オーバー。コレ、なんだかわかりますか?」
木目調のテーブルを挟んで、スズキシロウさんはユッキー先輩の前にプリントアウトした紙切れを突き出した。もちろんそれはあたしが送ったデータ。
「あ~、コレは…お寿司早食いの記録では…ナイ…スね」
ユッキー先輩は「苦っ」と言いながら、お茶をすする。
「それは君の合同合宿のときの5000メートル持久走のタイムです。君の県内ライバル対抗馬、峰岸・村田と比べて直之君。君のタイムは少し厳しいですね」
ユッキー先輩は柚子シャーベットを置いて黙る。どうやら自覚はしているらしい。
それからスズキシロウさんは、あたしがまとめあげた「小野寺直之の課題」を読み上げる。
小野寺直之。その恵まれた体格から、一部大学から声がかかるほど選手としての評判は悪くない。持前の突進力と気迫ある気性はFWリーダーとして仲間うちから信頼も厚く、FWの精神中枢的存在にふさわしい闘争心もある。
ただし…、試合開始中盤から後半にかけて、圧倒的な弱さがある。
それがすなわち、持久力。
特に密集の絡みで押し切ったあと、マイボールを追う足が、止まる。ついでに、大食漢はいいにしても、大の甘党。
スズキシロウさんの話しは続く。
「直之君。私はね、小さな建設会社を親族で経営させてもらっているのですけどね。こんなお話しがあるんです。やはり以前、熱血漢な社員が1人おりまして、彼は仕事もバリバリこなしてくれましたし、他の同僚のこともグイグイ引っ張ってくれるような青年でした。ところがね、少し口だけなところもありまして、他の人にバンバン意見するのに自分が楽をしようとする傾向があったのですよ。それで、そのうちに仲間から信頼がなくなり、『あいつは口だけだ』と陰口をささやかれるようになり、とうとう彼は自ら会社を去ってしまいました」
そこまで話しを聞いていたユッキー先輩。追加で注文したあんみつをテーブルに「カタン」と置き、下を向いて押し黙る。スズキシロウさんはさらに、
「聞くに君は、FWリーダーだそうですね。しかしね、たとえ学生スポーツの世界でも、リーダーたる存在というのは生半可な気持ちでは務まらないと、私は思うのですよ。大きな声を出してほかのメンバーに発破をかける分、自らが動かないというのは、相手の立場になってみるといかがでしょうか?肝心の本人がゆっくり歩いたりしていては、仲間の皆さんの士気が下がるとは思いませんか?」
ユッキー先輩は「相手の立場…スか?」と小声でつぶやく。
「そうです。相手の立場を考える。です。ただですね、人には誰だって得意不得意がありますから、大事なのは『苦手な部分を改善しようと努力する姿勢』なんですよ」
スズキシロウさんはお茶をすすりながらユッキー先輩に微笑む。
ユッキー先輩は「努力する姿勢スか…」と、スズキシロウさんを見つめる。
スズキシロウさんはふいに隣のあたしに視線を送り、
「続きは夢ちゃんからのお話しです」
と、ゆっくりうなずく。
「ユッキー先輩、先輩て関東流星大学から推薦の話し、ありますよね?大学でも続けるんですよね?ラグビー」
あたしは斜め向かいに座るユッキー先輩に尋ねる。
「あぁ。あそこは決して強豪じゃないけど、進学して、できればレギュラーになりたい」
ユッキー先輩は顔を上げてあたしを見る。
「先輩知っていました?あそこの大学、他県のプロップ何選手かにも声かけているんですよ?その連中も持久力は相当レベル高いです。あたしの考える限り、仮に入部できても、今のままではせいぜいサブ止まりがオチだと思います」
あたしはお茶をすすりながら、ユッキー先輩にそれらのデータが書かれた紙切れを渡す。
「……」
ユッキー先輩が下を向く。制服のYシャツが汗でビッショリ濡れている。
ラグビージャージを着ていない副主将は、まるで飼いならされたクマさんにも見えて、パンパンのにきび面が少々チャーミングにも思える。
「ウ~…グ…」
飼クマさんは何か言葉を探している。あたしは少し熱を込めて話しを進める。
「まずは徹底的な食事管理から始めましょう。あたしが全部チェックしますから。目標は体脂肪率20%以下で持久走はマイナス15分。1日1時間以上の有酸素運動厳守で、糖分は一切禁止。いいですね?」
あたしは「小野寺直之肉体改造計画」の紙切れを差し出して渡す。
「…ウチ、稼業が洋菓子店なんだよな…目の前にケーキがあると、どうも我慢が…」
エサをお預けされた飼いクマさんはそれを苦々しそうな顔で手に取る。
「それなら心配しなくていいです。さっき『ケーキのKOMATSU』に電話して、ユッキーッ先輩の健康診断の血糖値、伝えておきましたから。ユッキー先輩のお母さん、涙声で『息子を長生きさせてやってください』って、あたしに任せてくれるらしいです」
あたしは涙目になるペット、もといユッキー先輩を無視して、追加注文の特製和風抹茶パフェを食べる。
「そ…そんな…練習後の甘いものが生きがいなのに…」
あたしはあんこと生クリームがたっぷり盛り付けされたたそれを、ゆっくりとスプーンでつつきながら飼いクマさんに見せつけて、譲歩案を提案する。
「ユッキー先輩。持久走で1分、体脂肪率で1パーセント、それぞれマイナスができたらご褒美に1個のケーキ。ようは結果出せばいいんですよ。どうです?」
それでも飼いクマさんは納得していない様子。
「俺は…」
あたしはその顔が、子供の頃何かで見た「はちみつを盗まれたプーさん」にも思えて、若菜の話しを思い出す。
「そういえば若菜が言ってましたよ。『ユッキー先輩はプーさんみたいでかわいいけど、若菜は筋肉質な人がタイプ♡』って」
「え…?」
プーさんのパンパンの頬が、一瞬引き締まる。
最後の「筋肉質」はテキトーな作り話だけど、なに?まんざらでもないのか?
「…俺、伊藤と一緒にケーキ食いたい」
「…若菜、桃とかイチゴ好きですよ」
「わかってる。うちの特製ケーキ、堂々と食ってみせる。俺が作った、特製ピーチイチゴショートはちみつスペシャル!」
かわいいプーさんが、たべかけの特製ジャンボふかひれパフェを「これはもういい」とあたしに差し向け、胸を拳で「ドドン!」と叩く。獰猛な野生のヒグマに化けた。気がした。そして「練習に戻ろう。今からでも1時間はできる」と座敷部屋のドアを勢いよく開けて、ヒグマが山に、もとい熱血なFWリーダーがグラウンドに向かう。
スズキシロウさんは、それをやっぱり目を細めながら眺めてこう呟いた。
「こんなもんで、いかがでしょうかね?」
あたしは食い散らかされたテーブルを片付けながらこう返す。
「できれば次は、洋食レストランがいいです…」
酢生臭い皿に嗚咽を覚えながら、お勘定が気になった“娘”
数日後、YUMEちゃんが手作りのヒマワリ柄クッションをプレゼントしたことは、言うまでもない。
…大輔、とりあえず、一人目、クリア。
しかし、ゼネマネの仕事って、こんなにキツイもんなの?
「さて、次は…」
秋本の国際流通経済の授業を受けながら、イヤ、正確にはただ机に座りながら、教科書に隠して森田篤のデータをプリントアウトした紙切れを眺める。
藤堂篤。この人も体格はいい。決して天才タイプじゃないけれど、練習も真面目にやっているし、試合の時の動きやスクラムの仕切りも、生真面目なくらいセオリーに忠実だ。走力・体力も、県内対抗馬に比べて平均値ぐらいは上回っている。
この人の弱点…か。大輔の話しをもう一度思い出す。
ん…むしろこの人の場合は、グラウンドの中じゃなくて、外なんだよな…。
「…以上が、アメリカ・イギリスと比較した日本の失業率の現状です。参考までにみなさんも覚えていてくださいね。質問ある方、いらっしゃいますか?」
あたしは手を上げるでもなく、ス…っと立つ。
秋本は一瞬後ずさりしながら、あたしに声をかける。
「あ、あ、相澤…さん…な、何か…」
「秋本先生、高校新卒者の就職内定率及び就職定着率を年次で表したデータ、ご存じでしたらご教示いただけませんでしょうか?できましたら本校の卒業生の分も含めて」
なるほどね。こういう視点があったか。
秋本はイソイソと何かをペラペラしている。
イヤ、秋本。Googleで調べるから、やっぱいいや。
そして2日後の夕方6時。
場所は地元で人気のコーヒーショップ「マリンポートコーヒー」のソファ席。
今度はノートパソコンを抱えたゼネマネが腕を組んでそこに座っていた。
そこはもともと魚魚用の倉庫を改築した店作りだそうだけれど、当然目の前には海。
隣には「ハローワーク新港」の名刺を取り出し、メガネをくいくいさせているスーツ姿のミッチャン。
念のために説明すると、森田篤の事を相談した相手はミッチャン。そしたら、
「店員さんが可愛いから」
という理由だけでこのお店をご指定されてしまった。
もちろん店内に海や魚の匂いは立ち込めていなかったけれど、窓のすぐ下ではさっきからタンクに入ったカツオやらサメらがハダカの状態で行ったり来たりしている。
まったく。「神様たち」はあたしの嫌いなものを知っていて嫌がらせのつもりだろうか。
とまぁそう思いつつも、忙しい中時間を作ってくれたミッチャンの手前、不満な顔はできない。ミッチャンは「話し合いと言ったらコーヒーでしょ」とでも言うかのように、アイスカフェラテを一口。一応「YUMEは俺の従妹です」という設定。
あたしはキャラメルモカの氷をシャリシャリ食べながら、対面のソファに静かに座るその人をチラっと眺める。
それでも森田篤を誘うのは一苦労だった。
「あっちゃん先輩。コーヒー飲みに行きません?」
と、あたしがストレートに誘ったら
「缶コーヒーじゃダメなの?練習あるでしょ」
とあっさり返されて、あたしはすかさず咄嗟のウソで、
「あたしの従兄がハローワークの職員で、高校生の就職活動を聞き取り調査したいらしいんですよ」
と、それらしく言ったら、
「進路指導の加賀先生じゃダメなの?」
と、疑われてしまい、とうとう、
「あっちゃん先輩と将来についてお話しがしたいんです」
と、上目使いで色仕掛け。一瞬青縁メガネをクイっとさせたあっちゃん先輩は、
「あ、そう…。まぁ、ハローワークの職員さんなら、俺も勉強になるかもね」
と、いきなり素直になり、迎えに来てくれたミッチャンの車に乗るあたしに向かって、
「俺は自分のバイクでいくから」
と、キザに片手を挙げて軽快に後ろをついてきた。
ミッチャンが話しを切り出す。
「僕はハローワークで主に新卒者の就職相談を担当しているんですけれど。先生方のお話しだけではなくて学生さんの生の声をお聞きしたいなと思いまして。参考までに、森田くんの将来のお話しをぜひお聞かせ願いたいのです。手前勝手を申し上げてすみません」
ミッチャンはネクタイを触りながら手帳とボールペンを取り出し、それらしく聞き取りの仕草をしている。
「俺は…就職希望です。できれば大手の工業系。そのために担任の指導にも従って委員会やセミナーに参加したり、それなりの心構えというか、本を読んだり面接の練習も始めています。まぁ、今のままなら、担任も心配ないって言ってくれていますが…」
あっちゃん先輩は青縁メガネを中指でくいっと上げ、面長をドンっとミッチャンとあたしの対面に突き出した。
この風格は、新社会人よりもそれらしく見えるなと、少々後ろに下がる“従妹”
すかさずミッチャンは顔を突出し、その風貌に負けじと話しを進める。
「たしかに、青南高校機械創造科の就職希望者の内定率は毎年ほぼ100%ですからね。この不景気な時代に素晴らしいです。これには生徒さんの努力ももちろんですが、学校側の指導や企業側との信頼関係も大きいと思います」
それに対してあっちゃん先輩は「準備をしているから大丈夫」「心構えができているから大丈夫」と、しきりに「大丈夫」を連呼する。
え?とうとう就職相談を始めたのかって?ちがうちがう。ま、黙って見てなって。
ミッチャンは「なるほど」とうなづき、隣のあたしを見る。あたしはそれを合図に、ノートパソコンのデータをあっちゃん先輩に見せる。
「あっちゃん先輩、ちょっとこのデータ、見てもらっていいですか?」
そこに並んでいたのは、あっちゃん先輩の試合の分析データ。
その前に、ちょいとラグビーのルールを説明。
ラグビーでは、ボールやボールを持ったプレーヤーがタッチラインを割ったときに、競技の再開としてラインアウト=双方の選手が1列ずつ並ぶ中央に、ボールを投げ込むプレーが行われる。たとえ相手ボールでも、あわよくばマイボールにもなったりするから、タイミングや位置次第では当然チャンスともなるし、逆にピンチともなる。
あっちゃん先輩の弱点は、ズバリそこ。
青南のラインアウトは、ボールを高く投げ入れてジャンパーが受け取る手法がセオリーになっていて、そのジャンパー、つまり空中戦の要として、森田篤を中心としたサインが起点となっていた。
それに対しマイボールラインアウトの成功率は62%。相手ボールのラインアウトの奪取は皆無。その上、セオリーに縛られて裏をかけない度胸の悪さと、保守的にしか動けないプレースタイルが、必然的に相手にも読まれてしまっている。というのが「森田篤の課題」。
あたしはパソコンのデータをスクロールしながら、理路整然と説明を続ける。
「あっちゃん先輩。ついでに言うと、新卒者の就職定着率、どのぐらいか知ってます?」
「いや、そこまでは…知らない」
あっちゃん先輩ははしきりに靑縁メガネをくいくいさせながら、背中を丸めて画面を見つめている。
「そこからは僕が説明しますね」
と、ミッチャン。スコーンを「どうぞ」と差し出しながら、こんな話しをあっちゃん先輩に始めた。
「これはあくまで統計的なお話しですが、高校や大学の新卒者に多く見られる傾向として、皆さん就職をゴールだと思っている人が目立んです。勘違いしないでいただきたいのは、就職してからが本当の闘いだということです。残念ながら、新卒者のうち3年以内に辞める人は全体の4割から5割。その理由のほとんどが『こんなはずじゃなかった』と『理想の仕事とイメージが違う』というのが多く、その中には『自分は大丈夫だと思っていた』と口にする人も多いのです」
あっちゃん先輩はブラックのアイスコーヒーを涼しい顔で飲みながらこう返す。
「俺は…違う…と、思いますが」
あっちゃん先輩の持論。ラグビーと就職は別物だと主張してくる。
「ところが本質は同じなんですよ。この不景気な時代「相手の仕事も分捕って自分がやるんだ!」ぐらいの気迫がなくては、競争社会は勝ち残れないのです。特に高校生の考えで多い一つに、就職を勝ち取るのは担任の仕事と思っていたり、会社が自分を守ってくれるという誤解です。本来就職は自分で勝ち取り、入社してからは社員が会社を支えるもの。保守的な考えばかりでは、あっという間に負けてしまいます」
「ラグビーのプレースタイルと、就職の心構えは同じ。ってことですか…」
とうとう保守的な副主将が黙り込む。ミッチャンの冷静且つ現実的な見解には、さすがのあっちゃん先輩も納得しているらしい。少し下にずれたメガネを直そうともせずに、しょぼんと下を向いてしまった。
「でもあっちゃん先輩」
そしてあたしは、そこからアメとムチ攻撃を仕掛ける。
「先輩て、ラグビー選手としては県内対抗馬と比べても総合的なデータは負けないんですよ。もっと野心むき出しにして、ラインアウトを一発勝負の就職面接試験だと思いましょうよ。マイボールは制して当たり前。その上相手ボールまで奪えば、面接官は一目置くと思いますよ?」
ゼネマネの就職相談は饒舌に拍車がかかる。
「少なくとも、あたしは空中戦制している時のあっちゃん先輩は格好よく見えます!それに、先輩はいつだって部の「安全・安心」を一番に考えてくれています。先輩のその冷静な判断力と思慮深さは、あたしにとっては尊敬にも値します!」
少しぐらいのリップサービスは、この際やむを得ない。
「…俺に足りないのは、あと、なんだろう」
冷静沈着な副主将が顔上げて、あたしをゆっくり見つめたあと、「スッ」と立ち上がる。
面長が、メガネを外した。ずいぶんデカいな。おい。
あたしはさらに身体を後ろにのけぞらせながら、
「度胸だと思います…。それとあとジャンプ力。瞬発力です…。先輩は食事管理もしっかりしているから…」
進路指導を遮って、面長の上半身が白い丸テーブルをひょっこりまたぐ。
「夢ちゃん!!そこまで真剣に俺のことを…。がんばるよ俺!!夢ちゃんのために!!空中戦の時、いつも俺を見てくれているのは気づいてた!!」
面長は、あたしの両肩をガシっと握ると青縁メガネを胸ポケットにスっと入れ、そのままジャンプしながら面接会場に、もとい空中を制すために、席を立ち去った。
階段の途中で「カシャンッ!バキッ!」と、何かが落ちて踏まれる音がする。
…あんたは少し、女心と物理の勉強も必要だぞ。
悪い女と引力に引っかからないことを願う。
せめて、花園予選が終わるまでは。
ちなみに、そのお店の帰り道、面長メガネさんは「ミエナイ。メガネふんじゃった」と言いながら、バイクを置き、ミッチャンの運転する黒いRVに乗せられて、グラウンドに戻ったとか。
さてさて、次は…
2年の二宮…か。
こいつは…、同じクラスだからそこそこ素性は知っている。
運動神経もいいし、なんていうか、大輔ほどじゃないけど結構目立つ存在なんだよな~。でも…なんか、ん~、今いちつかみどころがないっていうか…
普段はイキのいいリーダー格なのに、試合の時になると、たまに弱腰な一面があるっていうか。女々しいっていうか…。
スズキシロウさんもミッチャンも仕事が忙しくて相談も頼みづらいし…。
…こうなりゃ、まずはこの人に聞いてみるか。
青南高校の七不思議のひとつ。
進路指導室の茶棚。
の、支配人。
進路指導部長・加賀に、食と女のコの好みを。
「夢くぅん。そのナチュラルブラウンは最高だねぇ~。シャンプー何使っているの?スカートの短さもファンデーションの美白もいい感じだよ。それに君はハイソックスだしね。たださ。一応ね、ホラ、校則とか風紀の手前、まぁ、とりあえず、ホラホラ牛乳飲んで。僕はロールケーキ好きだなぁ~」
食い物と女のコの話題には饒舌な支配人、もとい進路指導部長。
「加賀先生、このロールケーキもユッキー先輩のお店で作っているやつですか?美味しいですね♡」
進路指導室で、ガールズトークのような進路指導。
この人は本気で生徒を正そうとする気があるのか?と思いつつ、話しを切り出す。
「ねぇねぇ加賀先生。商経2年の二宮雄一郎君、フルバックの。1年の時はどんな感じだったんですか?」
2切れ目のロールケーキを手に取りながら、あたしは苦手な牛乳をすする。
「あぁ、ユウコくん?彼はねぇ…」
加賀は、ガサゴソとゴマ醤油せんべいの袋を開けながら、話しを始めた。
二宮雄一郎。入部当時から学年で中心的な存在となり、現在部内では2年サブリーダーを務めている。2年構成メンバーでのポジションはスタンドオフを任され、練習試合でも時たま大輔に代わって出場する経験も持つ。その才能は顕著に認められ、レギュラーメンバーの選出でも、それまでフルバッグを務めていた3年の川口将輝を抜き出て、正ポジションを勝ち取った。状況によっては2年リーダーの中村浩志の代役、つまりはスクラムハーフもこなせるオールラウンドプレーヤー、まぁいわゆる、まちがいなく将来の中心選手。ちなみに愛称は「ユウコちゃん」で、本人の希望によりそう呼ばれている。
だ、そうなんだが。
「どうしたの?ユウコくんに恋でもしたのかい?」
今度は恋バナを始める指導ボーイ。
「あ、あたし、あーゆーの好みじゃないんで」
キッパリと否定する茶髪ガール。
今時の流行りで身を纏ったカチューシャ男を思い浮かべて、一応、男のコの好みはハッキリと物申す。
「あ、そう。僕はユウコくんのオシャレな感じは好きだけどなぁ~♪カチューシャが特にねぇ♪夢くぅん。君はあれかな。もしかして茶髪とミニスカ好きな男の子と恋愛でもしているのかな。まぁ、健全ならばそれで構わないんだけれどね。カッカッカッカ♪バリボリボリボリ…」
「も~、加賀先生ったら!それじゃまるであたしが不健全な女子高生みたいじゃないですか~♡バリボリボリボリ…」
…あぶねーあぶねー。
ゴマ醤油せんべいはそんなに好きじゃないけれど、この際、この音にまぎれてさっさとずらかろう…
「走れ―――――ッ!ユウコォ―――ッ!気ィ抜くな―――ッ!」
今日は土曜日。グラウンドでは、午後から新港高校との練習試合が行われている。
今日のあたしはしばし、ユウコちゃんこと、二宮雄一郎の動きに洞察を集中させる。
ユウコちゃんを見る。
ん―――、悪くない。フルバッグの経験が浅いから、最終防衛ラインのポジショニングや、BK選手の指揮にムラがあるのは当たり前だ。
だけど、ユウコのセンスならそれも、すぐにクリアするだろうし…。
なんだろうな…?
たまに見せる、あの弱弱しさ。ほら、まただ。
…あ、もしかして…
練習試合のハーフタイム。あたしは水を持っていきながら大輔に相談を持ちかける。
あたしは自分の考えを大輔に話す。
大輔は「なるほど」とうなずく。そしてチビ助とユウコちゃん、ユッキーとあっちゃんに声をかけて指示を出す。
練習試合の後半が始まる。
あたしは再びユウコの動きに集中して、前半と後半の周辺データを拾う。
…やっぱりだ。
さてと、データは出たけれど、これが一体何を意味してんだろうな?しばし考える。
…さっぱりわからん。
意外なことに、「ユウコちゃんの相談相手」を名乗り出たのはサトシだった。
何気なくその試合のムービーをPCメールで送ったら、
「もしかすると、彼には悩みがあるのかも」
と、早速次の日の日曜日の夕方、ミスタードーナツにあたしとユウコちゃんを誘い出した。
サトシの考えが全くわからなかったあたしは、
「ていうか“お兄ちゃん”、スポーツの経験ないよね?大丈夫?」
と心配そうにこっそり尋ねると、
「ボクはカリスマ診断士だからまかせてちょ♪」
と、サトシは自分がSNSで主宰する「行列のできる人生相談所」というコミュニティサークルの評判を自慢してきた。なんでも、
「ネットの世界だろうが現実の世界だろうが、ほんの少し観察すれば大体の事はわかる」
と、参加人数が5000人以上いることを誇らしげに語り、自信満々な様子。
しかもサトシは、
「どうせならお茶会は人数が多い方がいい」
と、よりによって若菜も一緒に誘えと言い出し、練習後グラウンドまで迎えに来て開口一番、
「うちの妹がいつもお世話様ね」
と調子に乗って喋りまくる始末。
あたしはあわてて「サトシは近所のお兄ちゃん的存在」と弁明。
無論、ユウコちゃんも若菜も「ミスド♪ミスド♪」とそれを気にすることもなく、妙に派手な軽自動車の車内をケラケラとはしゃぎまくっていた。
「今日はボクのおごりだから、なんでも好きなモノ食べてちょ♪」
と、調子に乗っているサトシを横目に、あたしはオールドファッションを一口。
ユウコちゃんと若菜はポンデリングやらハニーディップやらを大量にトレイに乗せて、それをリスのような表情で食べている。
イオンのテナントの一角にある店内では、若いカップルさんや買い物帰りの親子連れがそれぞれの空間を楽しんでいる。
しばらく雑談が続き、そろそろドーナツを食べ終える頃、サトシが口を開く。
「妹たちよ。ちょっとユウコちゃんと2人きりにさせてもらっていいかな?」
と、“妹たち”に提案。
「じゃあ夢ちゃん♡お菓子買いに行こうよ♡」
と若菜があたしの手を引っ張り、イオンの食料品コーナーへ誘導。
あたしは「余計なことしゃべるなよ」とか「お前どんだけ食うつもりだ」とか、いろんな意味で諸々が気がかりだったけれど、とりあえずその場を離れる。
そしてちょうど若菜の買い物が終わる頃、“兄”から「終わったナリ♡」とホットメールを受信。
そのままミスドに戻ると、スッキリした顔の“兄”とユウコちゃんがいて、何とも仲睦まじい雰囲気でシェイクを飲んでいた。。
あたしは何がなんだかわからなかったけれど、帰り間際サトシから、
「あとはユウコちゃんの気持ち次第ナリ♪」
「あとでYUMEちゃんに相談するよう言っておいたナリ♪」
と、何やら意味深なメッセージを残され、その日のお茶会は終了。
なんだよ。結局楽しくドーナツ食べただけか?と少々懐疑的になりながら、あたしはやっぱり自分で何とかしようと、ブツブツとアレコレを考え「最後はあいつのアタマを借りるか」と、主将の背中を思い浮かべる。
そして次の日の月曜日。練習終了後。
「ユウ。ちょいと話しがある。夢と3人で、少しいいか?」
あたしと大輔は2人で商経2年の教室に立ち、着替えが終わったばかりのユウコに声をかける。
ちなみに、倉庫代わりの部室はあれど、64人分のスペース確保は無理なので着替えは基本教室。女子生徒は空き教室が更衣室になっているから、テキトーに想像してね。
そのまま夜の真っ暗な帰り道。
「なんですか?大輔先輩、話しって」
「最初は夢からだな。頼む」
「JR美松海岸駅」に向かう、いつもの農道一本道。
牛乳やらおにぎりやらを飲み食いする2人を両隣に、あたしは自分の考察を切り出す。
「ねぇユウコ。この前の練習試合さ、ポジションの入れ替え、アレ、なんでかわかる?」
あたしがハーフタイムの時、大輔に頼んだのは次の通りだった。
後半、青南のスタンドオフを大輔、スクラムハーフをユウコ。フルバッグは川口将輝に終始任せて、あるデータを拾っていた。
あたしは担当直入に言う。
「インターセプト。つまりパス回しん時に、マイボールを相手に取られる確率と、あと、大輔の試合コントロール。これがユウコ、あんた次第で全然違うんだ」
「どういうこと?」
ユウコは牛乳を一気に飲みながら、あたしに尋ねる。
「結論から言うと、ユウコがフルバッグの時が、一番上手く機能しているんだよ」
あたしは人差し指をピンと立てて考察を述べた。
ユウコがフルバッグに着くとき、大輔は積極的にBK陣を誘導して多彩な攻撃を仕掛ける。ところが、フルバッグがユウコ以外になると、大輔は無意識にその動きをカバーしようとして、敵陣にパスカットされる傾向がある。そして大輔は、自分でボールを持って相手を突破しようとする。無論練習試合程度の相手なら簡単に突破もできるけれど、本番ではワンパターン化して危険性がはらむ。
だからユウコは、やっぱりフルバッグが適任。
そこまで話すと、今度はユウコが黙り込む。
ユウコはカチューシャをいじいじしながら、毛先をクルクルさせている。
続けて大輔がユウコに話しかける。
「なぁユウ。いや二宮。お前もしかして、マーちゃんに、川口に遠慮しているんじゃないか?後輩が先輩をさしおいて…とか。それなら、川口も納得しているし、好意的にお前の面倒みてくれているじゃないか」
「いや、そういうんじゃないんです。なんていうか…」
ユウコの声はますます小さくなる。
カチューシャをつけたり外したり。手元がなにやら忙しい。
あたしはその仕草を、少々細目で敬遠しながらユウコに語りかける。
「あんたさ、自分でも気づいてんでしょ?レギュラーメンバーの中でスクラムハーフはチビ助、スタンドオフは大輔が一番適任てこと。確かにユウコはどっちもこなせるから多少の不本意はあると思うけど」
あたしは最初、ユウコがたまに見せる弱腰は、自分がチビ助と大輔の存在を抜き出ることのできない中途半端な存在と、変な劣等感があるんじゃないかと推測していた。
「イヤ、コウシと大輔先輩のコンビは絶対だよ。俺はその万が一の代役ってだけで十分うれしい」
ウソはついてない真剣な表情。
どうやらそんなことでもないらしい。
「大輔、ゴメン。ちょいとユウコと2人にさせて」
あたしは悩んだあげく、ユウコと2人きりで話しを始める。
「ねぇユウコ。あんたさ、前も言ったけど、うちの部員数で、2年のうちからレギュラー掴んで、加賀の評価も高いんだよ?なのになんでゲーム中にいきなり弱腰になるの?」
「…誰にも言わないか?」
ユウコは「JR美松海岸駅」のホームの隅にドスンと腰掛け、あたしを見上げる。
なんだかウジウジしている。なんだこいつ。
いつもの教室での勢いはどこに消えた。
「あぁ、言わないよ。あたしは青南ラグビー部が強くなればそれでいい」
あたしの背中の方では、恒例の討論会の笑い声が響いている。
「サトシさんからさ、素直になっていいってさ…。大輔先輩と…コウシが…」
ユウコが小声でなにかつぶやいている。全然聞こえなくて、あたしはその口元に耳を近づける。
「おぉ―――っ!!なんだあの2人、怪しいぞ――――っ!!」
他のメンバーが茶化す。すかさず睨む。
「うるさい外野っ!!黙れっ!!まったく、あいつら…ん?何?聞こえないって。大輔とコウシが…ナニ?…え…?」
…次の瞬間、その場にいた誰よりも、でっかい笑い声がホームに響きわたる。
「コラっ!だから言うのイヤだったんだ!!笑うなっ!!」
「…アハ…アハハッ!!大丈夫、大丈夫、あたしはそのへん否定も肯定もしないから…でもさ…」
あたしは笑いが止まらず、とうとうお腹を抱える。
ユウコは、カチューシャを外した自慢のセミロングを、忙しく何度も両手でかきあげている。
「やっぱり黙ってればよかった!!」
ムスっと顔を真っ赤にしているユウコ。
そしてあたしは、ス…っと笑うの止めて、今度は真剣な目でユウコを見つめる。
「ユウコ、笑ってごめんね。でもね、これは、大輔はあたしだけに話してくれたけど、あいつ、大輔さ、『ユウがフルバッグにいてくれると、俺はものすごく安心する。あいつは本当に信頼できるヤツだ』って、言ってたから。だから、大丈夫。ね?」
「本当か?大輔先輩、そう言ってくれたのか?マジか?」
ユウコはセミロング片手でかきあげながら、片方の手で胸のあたりを押えている。
「あたしは、リップサービスを他人のために、使ったりしない」
「そうか。そうか。そっ…かぁ――――っ!!」
ユウコが、とうとう自慢のセミロングをフリフリ振り乱して、グジャグジャとアタマを揉んでいる。
この際、ウソも方便。
イヤ、大輔がそう言っていたのは本当だから安心していいよ。
あたしはユウコと2人でみんなの輪に戻る。
「『あとはユウコちゃんの気持ち次第ナリ♪』か…」
なんでもユウコいわく、あの時サトシはミスドで、
「ユウコちゃんのムービーをみせてもらって、すぐに気づいたナリよ。苦しいよね。ボクはわかるよその気持ち。だけど恋するキモチは人を強くするものだから、どうか自分を否定しないでちょ」
と、手を握って力説してくれたらしい。
その二宮は、いつの間にか髪型を整えて、大輔の左斜め後方に立ち、最終の下り列車が来る左の方を眺めもせず、右斜め前方の主将を見つめている。
時々、カチューシャをイジイジしているユウコ。
つーかあんた、そのカチューシャ、ラメ入りかよ!
いっそのこと「ユウコりん」て呼んでやろうか?
でも、その目はラメのようにキラキラ輝いていたから、きっともう大丈夫だろう。
ふぅ、これで問題児3人は片付けたぞ。
「ユウコちゃんは夢さんとデキてるのか?」と茶化されるクラスメイトを、真後ろに感じながらあたしは、すぐ右隣の大輔を見上げる。
ん?何よあんた、その不服そうな顔。
まるで、オモチャを取り上げられたガキみたいじゃないか。
オモチャのカチューシャ、買ってあげようか?
ラメ入りのピンクとか?
少し想像して、クスクス一人笑い。
…それにしても。
ラグビーってやつは、つくづくおもしろいスポーツだね。
体がデカけりゃいいってもんでもなく、アタマがイイだけでも不十分で、センスがいいだけでも務まらない。それぞれの個性や悩みもプレイを左右する。
こうやって、個別コンサルティングをしていると、ダメな社員を叱責する管理職のような感覚にもなって、それもまた悪くないと思えてきた。
「人間には得意不得意があって当たり前」と学んだYUMEちゃんのビジネスの経験が、自然に生かされていることの善し悪しは別にして、言うことを言うからには、あたしも本気で勉強しなくちゃなと思う、今日この頃。
壁時計を見る。
21:48分。定刻通り、ホームに列車が滑り込む。
つくづく、日本の鉄道は生真面目だ。
創業者はA型か?
「寿司!?大好き!!何!?ごちそうでもしてくれんの?」
練習も中盤に差し掛かる頃、あたしはユッキー先輩こと、小野寺直之にさりげなく声をかける。
次の日の夕方から、グラウンドの片隅からあたしの個別コンサルティングは始まった。
ドデカイ図体が汗をふきながらヒョコヒョコあたしについてくる。
昼休みに「練習を早退して話し合いをさせてほしい」と、大輔の了解はもらってあった。グラウンドの中央に大輔の姿が見える。無言であたしをじっと見ている。そんな情けない面しないでいいから。あんたは「ライオン」でしょ?堂々と我が子を谷に突き落としなさい!
我が子を谷にならぬ、ユッキー先輩を車の中に「ヨイショ」と入れる。
え?誰の車かって?まぁまぁ、とりあえず出発しましょう。
「それじゃシロウおじさん。よろしくお願いします」
「はい。わかりました。行きましょう」
「あの~、これからどちらへ…?」
綺麗なハイブリットカーの運転席で、“シロウおじさん“こと、スズキシロウさんが口を開く。
「美味しいお寿司をごちそうしますよ」
スズキシロウさんは落ち着いた様子でそう言うと、少し微笑んでから車を発進させた。
一応、ユッキー先輩には「シロウおじさんは父の友達」で、「昔から娘同様に可愛がってもらっている」と、説明するあたし。それに続いてスズキシロウさんが、
「YUMEちゃんからラグビー部のお話しを聞きましてね。僕は子供がいないものですから、ぜひ一度直之くんと会ってお話しをしてみたかったのですよ。突然のお誘いで申し訳ありませんが、今日は本当の親子のつもりで、私のわがままに付き合わせていただけませんか?」
と、律儀にフォロー。まぁ、ユッキー先輩は、「美味しお寿司をご馳走しますよ」というフレーズ意外は特に興味もないみたいで、「そうスか♪」「いいっスよ♪」と鼻息を荒くし、のんきにお腹をモミモミしている。静かな振動の車内。後部座席を一人で占領し、イクラやらウニやらを思い浮かべているであろうユッキー先輩。おい。ヨダレ。頼むから拭いてくれ。
スズキシロウさんが連れて行ってくれたのは地元でも有名な老舗のお寿司屋さん。
「南町青風通り商店会」の中心にお店を構える「三陸の味・旭寿司本舗」
カンのするどい皆さんはもう気づいたかな?
そうなのだ。あたしは「小野寺直之の課題」をスズキシロウさんにメールで相談をしていたんだ。そしたら、
「せっかくですから夕飯食べながら会いましょう」
って、提案されて、しかも、
「息子と寿司を食べるのが夢だったのです」
と返されて、お魚嫌いのあたしは生理的に相当イヤだったけれど、無理を押し付けた手前、
「場所はシロウさんにお任せします」
と返答。まぁ、仕方がないよね。「神様の夢」を叶えてあげるのも、「ビジネス」なんだから。
正直戸惑いもあったけれど、自分一人で悩むよりも、人生経験豊富なスズキシロウさんになら、任せてみてもいいかなという気持ちになっていた。
風格と威厳が滲み出ているお寿司屋さんの外観。それに少し目まいを起こす“娘”をよそに、“お父さん”と“息子さん”はヒョイヒョイ進む。
スズキシロウさんは慣れた様子で暖簾をくぐり「やぁ大将!今日は息子と娘を連れてきたよ♪」と上機嫌。そのまま2階の座敷部屋へ案内された。
「さ、遠慮しないで、たっぷり食べてください」
スズキシロウさんはユッキー先輩にそう微笑んで、イクラやらウニやら、トロやら何やらが次々に運ばれる中、それをバクバク食べる“息子”を目を細めて眺めていた。
無論、あたしは梅巻とかんぴょう巻をチビチビ食べて、大嫌いな魚の匂いを必死に我慢していた。
まぁしかし、この息子さんの辞書に「遠慮」という言葉がないのだろうか?と疑いたくなるほど、そしてお勘定が心配でならないほど、次から次へ特上寿司が胃袋へと消えてゆく。
そしておそらく、福沢諭吉が2~3枚はなくなったのでは?と思う頃、
「あぁ!!食った!!最高だ!」
と、そこでようやくユッキー先輩は箸を置いた。
「どれ、デザートに柚子シャーベットはいかがですか?」
と、スズキシロウさんは口を開き、そして細めた目を少し開いてこう切り出した。
「直之君。私はね、学生スポーツ観戦が趣味でして。君のラグビーの試合ぶり、YUMEちゃんからムービーを借りて観させてもらいましたよ」
そしてスズキシロウさんは「熱血で素晴らしいプレースタイル」「大きな声で周囲を誘導している」と、ユッキー先輩を褒め称えたあと、少し間を置いて、「そのかわりね」と、次の話しを始めた。
「直之君。初対面でこんな話しは少し失礼かと思いますが、修英の峰岸君は30分ジャスト、東北山光の村田君が28分弱。そして君は50分オーバー。コレ、なんだかわかりますか?」
木目調のテーブルを挟んで、スズキシロウさんはユッキー先輩の前にプリントアウトした紙切れを突き出した。もちろんそれはあたしが送ったデータ。
「あ~、コレは…お寿司早食いの記録では…ナイ…スね」
ユッキー先輩は「苦っ」と言いながら、お茶をすする。
「それは君の合同合宿のときの5000メートル持久走のタイムです。君の県内ライバル対抗馬、峰岸・村田と比べて直之君。君のタイムは少し厳しいですね」
ユッキー先輩は柚子シャーベットを置いて黙る。どうやら自覚はしているらしい。
それからスズキシロウさんは、あたしがまとめあげた「小野寺直之の課題」を読み上げる。
小野寺直之。その恵まれた体格から、一部大学から声がかかるほど選手としての評判は悪くない。持前の突進力と気迫ある気性はFWリーダーとして仲間うちから信頼も厚く、FWの精神中枢的存在にふさわしい闘争心もある。
ただし…、試合開始中盤から後半にかけて、圧倒的な弱さがある。
それがすなわち、持久力。
特に密集の絡みで押し切ったあと、マイボールを追う足が、止まる。ついでに、大食漢はいいにしても、大の甘党。
スズキシロウさんの話しは続く。
「直之君。私はね、小さな建設会社を親族で経営させてもらっているのですけどね。こんなお話しがあるんです。やはり以前、熱血漢な社員が1人おりまして、彼は仕事もバリバリこなしてくれましたし、他の同僚のこともグイグイ引っ張ってくれるような青年でした。ところがね、少し口だけなところもありまして、他の人にバンバン意見するのに自分が楽をしようとする傾向があったのですよ。それで、そのうちに仲間から信頼がなくなり、『あいつは口だけだ』と陰口をささやかれるようになり、とうとう彼は自ら会社を去ってしまいました」
そこまで話しを聞いていたユッキー先輩。追加で注文したあんみつをテーブルに「カタン」と置き、下を向いて押し黙る。スズキシロウさんはさらに、
「聞くに君は、FWリーダーだそうですね。しかしね、たとえ学生スポーツの世界でも、リーダーたる存在というのは生半可な気持ちでは務まらないと、私は思うのですよ。大きな声を出してほかのメンバーに発破をかける分、自らが動かないというのは、相手の立場になってみるといかがでしょうか?肝心の本人がゆっくり歩いたりしていては、仲間の皆さんの士気が下がるとは思いませんか?」
ユッキー先輩は「相手の立場…スか?」と小声でつぶやく。
「そうです。相手の立場を考える。です。ただですね、人には誰だって得意不得意がありますから、大事なのは『苦手な部分を改善しようと努力する姿勢』なんですよ」
スズキシロウさんはお茶をすすりながらユッキー先輩に微笑む。
ユッキー先輩は「努力する姿勢スか…」と、スズキシロウさんを見つめる。
スズキシロウさんはふいに隣のあたしに視線を送り、
「続きは夢ちゃんからのお話しです」
と、ゆっくりうなずく。
「ユッキー先輩、先輩て関東流星大学から推薦の話し、ありますよね?大学でも続けるんですよね?ラグビー」
あたしは斜め向かいに座るユッキー先輩に尋ねる。
「あぁ。あそこは決して強豪じゃないけど、進学して、できればレギュラーになりたい」
ユッキー先輩は顔を上げてあたしを見る。
「先輩知っていました?あそこの大学、他県のプロップ何選手かにも声かけているんですよ?その連中も持久力は相当レベル高いです。あたしの考える限り、仮に入部できても、今のままではせいぜいサブ止まりがオチだと思います」
あたしはお茶をすすりながら、ユッキー先輩にそれらのデータが書かれた紙切れを渡す。
「……」
ユッキー先輩が下を向く。制服のYシャツが汗でビッショリ濡れている。
ラグビージャージを着ていない副主将は、まるで飼いならされたクマさんにも見えて、パンパンのにきび面が少々チャーミングにも思える。
「ウ~…グ…」
飼クマさんは何か言葉を探している。あたしは少し熱を込めて話しを進める。
「まずは徹底的な食事管理から始めましょう。あたしが全部チェックしますから。目標は体脂肪率20%以下で持久走はマイナス15分。1日1時間以上の有酸素運動厳守で、糖分は一切禁止。いいですね?」
あたしは「小野寺直之肉体改造計画」の紙切れを差し出して渡す。
「…ウチ、稼業が洋菓子店なんだよな…目の前にケーキがあると、どうも我慢が…」
エサをお預けされた飼いクマさんはそれを苦々しそうな顔で手に取る。
「それなら心配しなくていいです。さっき『ケーキのKOMATSU』に電話して、ユッキーッ先輩の健康診断の血糖値、伝えておきましたから。ユッキー先輩のお母さん、涙声で『息子を長生きさせてやってください』って、あたしに任せてくれるらしいです」
あたしは涙目になるペット、もといユッキー先輩を無視して、追加注文の特製和風抹茶パフェを食べる。
「そ…そんな…練習後の甘いものが生きがいなのに…」
あたしはあんこと生クリームがたっぷり盛り付けされたたそれを、ゆっくりとスプーンでつつきながら飼いクマさんに見せつけて、譲歩案を提案する。
「ユッキー先輩。持久走で1分、体脂肪率で1パーセント、それぞれマイナスができたらご褒美に1個のケーキ。ようは結果出せばいいんですよ。どうです?」
それでも飼いクマさんは納得していない様子。
「俺は…」
あたしはその顔が、子供の頃何かで見た「はちみつを盗まれたプーさん」にも思えて、若菜の話しを思い出す。
「そういえば若菜が言ってましたよ。『ユッキー先輩はプーさんみたいでかわいいけど、若菜は筋肉質な人がタイプ♡』って」
「え…?」
プーさんのパンパンの頬が、一瞬引き締まる。
最後の「筋肉質」はテキトーな作り話だけど、なに?まんざらでもないのか?
「…俺、伊藤と一緒にケーキ食いたい」
「…若菜、桃とかイチゴ好きですよ」
「わかってる。うちの特製ケーキ、堂々と食ってみせる。俺が作った、特製ピーチイチゴショートはちみつスペシャル!」
かわいいプーさんが、たべかけの特製ジャンボふかひれパフェを「これはもういい」とあたしに差し向け、胸を拳で「ドドン!」と叩く。獰猛な野生のヒグマに化けた。気がした。そして「練習に戻ろう。今からでも1時間はできる」と座敷部屋のドアを勢いよく開けて、ヒグマが山に、もとい熱血なFWリーダーがグラウンドに向かう。
スズキシロウさんは、それをやっぱり目を細めながら眺めてこう呟いた。
「こんなもんで、いかがでしょうかね?」
あたしは食い散らかされたテーブルを片付けながらこう返す。
「できれば次は、洋食レストランがいいです…」
酢生臭い皿に嗚咽を覚えながら、お勘定が気になった“娘”
数日後、YUMEちゃんが手作りのヒマワリ柄クッションをプレゼントしたことは、言うまでもない。
…大輔、とりあえず、一人目、クリア。
しかし、ゼネマネの仕事って、こんなにキツイもんなの?
「さて、次は…」
秋本の国際流通経済の授業を受けながら、イヤ、正確にはただ机に座りながら、教科書に隠して森田篤のデータをプリントアウトした紙切れを眺める。
藤堂篤。この人も体格はいい。決して天才タイプじゃないけれど、練習も真面目にやっているし、試合の時の動きやスクラムの仕切りも、生真面目なくらいセオリーに忠実だ。走力・体力も、県内対抗馬に比べて平均値ぐらいは上回っている。
この人の弱点…か。大輔の話しをもう一度思い出す。
ん…むしろこの人の場合は、グラウンドの中じゃなくて、外なんだよな…。
「…以上が、アメリカ・イギリスと比較した日本の失業率の現状です。参考までにみなさんも覚えていてくださいね。質問ある方、いらっしゃいますか?」
あたしは手を上げるでもなく、ス…っと立つ。
秋本は一瞬後ずさりしながら、あたしに声をかける。
「あ、あ、相澤…さん…な、何か…」
「秋本先生、高校新卒者の就職内定率及び就職定着率を年次で表したデータ、ご存じでしたらご教示いただけませんでしょうか?できましたら本校の卒業生の分も含めて」
なるほどね。こういう視点があったか。
秋本はイソイソと何かをペラペラしている。
イヤ、秋本。Googleで調べるから、やっぱいいや。
そして2日後の夕方6時。
場所は地元で人気のコーヒーショップ「マリンポートコーヒー」のソファ席。
今度はノートパソコンを抱えたゼネマネが腕を組んでそこに座っていた。
そこはもともと魚魚用の倉庫を改築した店作りだそうだけれど、当然目の前には海。
隣には「ハローワーク新港」の名刺を取り出し、メガネをくいくいさせているスーツ姿のミッチャン。
念のために説明すると、森田篤の事を相談した相手はミッチャン。そしたら、
「店員さんが可愛いから」
という理由だけでこのお店をご指定されてしまった。
もちろん店内に海や魚の匂いは立ち込めていなかったけれど、窓のすぐ下ではさっきからタンクに入ったカツオやらサメらがハダカの状態で行ったり来たりしている。
まったく。「神様たち」はあたしの嫌いなものを知っていて嫌がらせのつもりだろうか。
とまぁそう思いつつも、忙しい中時間を作ってくれたミッチャンの手前、不満な顔はできない。ミッチャンは「話し合いと言ったらコーヒーでしょ」とでも言うかのように、アイスカフェラテを一口。一応「YUMEは俺の従妹です」という設定。
あたしはキャラメルモカの氷をシャリシャリ食べながら、対面のソファに静かに座るその人をチラっと眺める。
それでも森田篤を誘うのは一苦労だった。
「あっちゃん先輩。コーヒー飲みに行きません?」
と、あたしがストレートに誘ったら
「缶コーヒーじゃダメなの?練習あるでしょ」
とあっさり返されて、あたしはすかさず咄嗟のウソで、
「あたしの従兄がハローワークの職員で、高校生の就職活動を聞き取り調査したいらしいんですよ」
と、それらしく言ったら、
「進路指導の加賀先生じゃダメなの?」
と、疑われてしまい、とうとう、
「あっちゃん先輩と将来についてお話しがしたいんです」
と、上目使いで色仕掛け。一瞬青縁メガネをクイっとさせたあっちゃん先輩は、
「あ、そう…。まぁ、ハローワークの職員さんなら、俺も勉強になるかもね」
と、いきなり素直になり、迎えに来てくれたミッチャンの車に乗るあたしに向かって、
「俺は自分のバイクでいくから」
と、キザに片手を挙げて軽快に後ろをついてきた。
ミッチャンが話しを切り出す。
「僕はハローワークで主に新卒者の就職相談を担当しているんですけれど。先生方のお話しだけではなくて学生さんの生の声をお聞きしたいなと思いまして。参考までに、森田くんの将来のお話しをぜひお聞かせ願いたいのです。手前勝手を申し上げてすみません」
ミッチャンはネクタイを触りながら手帳とボールペンを取り出し、それらしく聞き取りの仕草をしている。
「俺は…就職希望です。できれば大手の工業系。そのために担任の指導にも従って委員会やセミナーに参加したり、それなりの心構えというか、本を読んだり面接の練習も始めています。まぁ、今のままなら、担任も心配ないって言ってくれていますが…」
あっちゃん先輩は青縁メガネを中指でくいっと上げ、面長をドンっとミッチャンとあたしの対面に突き出した。
この風格は、新社会人よりもそれらしく見えるなと、少々後ろに下がる“従妹”
すかさずミッチャンは顔を突出し、その風貌に負けじと話しを進める。
「たしかに、青南高校機械創造科の就職希望者の内定率は毎年ほぼ100%ですからね。この不景気な時代に素晴らしいです。これには生徒さんの努力ももちろんですが、学校側の指導や企業側との信頼関係も大きいと思います」
それに対してあっちゃん先輩は「準備をしているから大丈夫」「心構えができているから大丈夫」と、しきりに「大丈夫」を連呼する。
え?とうとう就職相談を始めたのかって?ちがうちがう。ま、黙って見てなって。
ミッチャンは「なるほど」とうなづき、隣のあたしを見る。あたしはそれを合図に、ノートパソコンのデータをあっちゃん先輩に見せる。
「あっちゃん先輩、ちょっとこのデータ、見てもらっていいですか?」
そこに並んでいたのは、あっちゃん先輩の試合の分析データ。
その前に、ちょいとラグビーのルールを説明。
ラグビーでは、ボールやボールを持ったプレーヤーがタッチラインを割ったときに、競技の再開としてラインアウト=双方の選手が1列ずつ並ぶ中央に、ボールを投げ込むプレーが行われる。たとえ相手ボールでも、あわよくばマイボールにもなったりするから、タイミングや位置次第では当然チャンスともなるし、逆にピンチともなる。
あっちゃん先輩の弱点は、ズバリそこ。
青南のラインアウトは、ボールを高く投げ入れてジャンパーが受け取る手法がセオリーになっていて、そのジャンパー、つまり空中戦の要として、森田篤を中心としたサインが起点となっていた。
それに対しマイボールラインアウトの成功率は62%。相手ボールのラインアウトの奪取は皆無。その上、セオリーに縛られて裏をかけない度胸の悪さと、保守的にしか動けないプレースタイルが、必然的に相手にも読まれてしまっている。というのが「森田篤の課題」。
あたしはパソコンのデータをスクロールしながら、理路整然と説明を続ける。
「あっちゃん先輩。ついでに言うと、新卒者の就職定着率、どのぐらいか知ってます?」
「いや、そこまでは…知らない」
あっちゃん先輩ははしきりに靑縁メガネをくいくいさせながら、背中を丸めて画面を見つめている。
「そこからは僕が説明しますね」
と、ミッチャン。スコーンを「どうぞ」と差し出しながら、こんな話しをあっちゃん先輩に始めた。
「これはあくまで統計的なお話しですが、高校や大学の新卒者に多く見られる傾向として、皆さん就職をゴールだと思っている人が目立んです。勘違いしないでいただきたいのは、就職してからが本当の闘いだということです。残念ながら、新卒者のうち3年以内に辞める人は全体の4割から5割。その理由のほとんどが『こんなはずじゃなかった』と『理想の仕事とイメージが違う』というのが多く、その中には『自分は大丈夫だと思っていた』と口にする人も多いのです」
あっちゃん先輩はブラックのアイスコーヒーを涼しい顔で飲みながらこう返す。
「俺は…違う…と、思いますが」
あっちゃん先輩の持論。ラグビーと就職は別物だと主張してくる。
「ところが本質は同じなんですよ。この不景気な時代「相手の仕事も分捕って自分がやるんだ!」ぐらいの気迫がなくては、競争社会は勝ち残れないのです。特に高校生の考えで多い一つに、就職を勝ち取るのは担任の仕事と思っていたり、会社が自分を守ってくれるという誤解です。本来就職は自分で勝ち取り、入社してからは社員が会社を支えるもの。保守的な考えばかりでは、あっという間に負けてしまいます」
「ラグビーのプレースタイルと、就職の心構えは同じ。ってことですか…」
とうとう保守的な副主将が黙り込む。ミッチャンの冷静且つ現実的な見解には、さすがのあっちゃん先輩も納得しているらしい。少し下にずれたメガネを直そうともせずに、しょぼんと下を向いてしまった。
「でもあっちゃん先輩」
そしてあたしは、そこからアメとムチ攻撃を仕掛ける。
「先輩て、ラグビー選手としては県内対抗馬と比べても総合的なデータは負けないんですよ。もっと野心むき出しにして、ラインアウトを一発勝負の就職面接試験だと思いましょうよ。マイボールは制して当たり前。その上相手ボールまで奪えば、面接官は一目置くと思いますよ?」
ゼネマネの就職相談は饒舌に拍車がかかる。
「少なくとも、あたしは空中戦制している時のあっちゃん先輩は格好よく見えます!それに、先輩はいつだって部の「安全・安心」を一番に考えてくれています。先輩のその冷静な判断力と思慮深さは、あたしにとっては尊敬にも値します!」
少しぐらいのリップサービスは、この際やむを得ない。
「…俺に足りないのは、あと、なんだろう」
冷静沈着な副主将が顔上げて、あたしをゆっくり見つめたあと、「スッ」と立ち上がる。
面長が、メガネを外した。ずいぶんデカいな。おい。
あたしはさらに身体を後ろにのけぞらせながら、
「度胸だと思います…。それとあとジャンプ力。瞬発力です…。先輩は食事管理もしっかりしているから…」
進路指導を遮って、面長の上半身が白い丸テーブルをひょっこりまたぐ。
「夢ちゃん!!そこまで真剣に俺のことを…。がんばるよ俺!!夢ちゃんのために!!空中戦の時、いつも俺を見てくれているのは気づいてた!!」
面長は、あたしの両肩をガシっと握ると青縁メガネを胸ポケットにスっと入れ、そのままジャンプしながら面接会場に、もとい空中を制すために、席を立ち去った。
階段の途中で「カシャンッ!バキッ!」と、何かが落ちて踏まれる音がする。
…あんたは少し、女心と物理の勉強も必要だぞ。
悪い女と引力に引っかからないことを願う。
せめて、花園予選が終わるまでは。
ちなみに、そのお店の帰り道、面長メガネさんは「ミエナイ。メガネふんじゃった」と言いながら、バイクを置き、ミッチャンの運転する黒いRVに乗せられて、グラウンドに戻ったとか。
さてさて、次は…
2年の二宮…か。
こいつは…、同じクラスだからそこそこ素性は知っている。
運動神経もいいし、なんていうか、大輔ほどじゃないけど結構目立つ存在なんだよな~。でも…なんか、ん~、今いちつかみどころがないっていうか…
普段はイキのいいリーダー格なのに、試合の時になると、たまに弱腰な一面があるっていうか。女々しいっていうか…。
スズキシロウさんもミッチャンも仕事が忙しくて相談も頼みづらいし…。
…こうなりゃ、まずはこの人に聞いてみるか。
青南高校の七不思議のひとつ。
進路指導室の茶棚。
の、支配人。
進路指導部長・加賀に、食と女のコの好みを。
「夢くぅん。そのナチュラルブラウンは最高だねぇ~。シャンプー何使っているの?スカートの短さもファンデーションの美白もいい感じだよ。それに君はハイソックスだしね。たださ。一応ね、ホラ、校則とか風紀の手前、まぁ、とりあえず、ホラホラ牛乳飲んで。僕はロールケーキ好きだなぁ~」
食い物と女のコの話題には饒舌な支配人、もとい進路指導部長。
「加賀先生、このロールケーキもユッキー先輩のお店で作っているやつですか?美味しいですね♡」
進路指導室で、ガールズトークのような進路指導。
この人は本気で生徒を正そうとする気があるのか?と思いつつ、話しを切り出す。
「ねぇねぇ加賀先生。商経2年の二宮雄一郎君、フルバックの。1年の時はどんな感じだったんですか?」
2切れ目のロールケーキを手に取りながら、あたしは苦手な牛乳をすする。
「あぁ、ユウコくん?彼はねぇ…」
加賀は、ガサゴソとゴマ醤油せんべいの袋を開けながら、話しを始めた。
二宮雄一郎。入部当時から学年で中心的な存在となり、現在部内では2年サブリーダーを務めている。2年構成メンバーでのポジションはスタンドオフを任され、練習試合でも時たま大輔に代わって出場する経験も持つ。その才能は顕著に認められ、レギュラーメンバーの選出でも、それまでフルバッグを務めていた3年の川口将輝を抜き出て、正ポジションを勝ち取った。状況によっては2年リーダーの中村浩志の代役、つまりはスクラムハーフもこなせるオールラウンドプレーヤー、まぁいわゆる、まちがいなく将来の中心選手。ちなみに愛称は「ユウコちゃん」で、本人の希望によりそう呼ばれている。
だ、そうなんだが。
「どうしたの?ユウコくんに恋でもしたのかい?」
今度は恋バナを始める指導ボーイ。
「あ、あたし、あーゆーの好みじゃないんで」
キッパリと否定する茶髪ガール。
今時の流行りで身を纏ったカチューシャ男を思い浮かべて、一応、男のコの好みはハッキリと物申す。
「あ、そう。僕はユウコくんのオシャレな感じは好きだけどなぁ~♪カチューシャが特にねぇ♪夢くぅん。君はあれかな。もしかして茶髪とミニスカ好きな男の子と恋愛でもしているのかな。まぁ、健全ならばそれで構わないんだけれどね。カッカッカッカ♪バリボリボリボリ…」
「も~、加賀先生ったら!それじゃまるであたしが不健全な女子高生みたいじゃないですか~♡バリボリボリボリ…」
…あぶねーあぶねー。
ゴマ醤油せんべいはそんなに好きじゃないけれど、この際、この音にまぎれてさっさとずらかろう…
「走れ―――――ッ!ユウコォ―――ッ!気ィ抜くな―――ッ!」
今日は土曜日。グラウンドでは、午後から新港高校との練習試合が行われている。
今日のあたしはしばし、ユウコちゃんこと、二宮雄一郎の動きに洞察を集中させる。
ユウコちゃんを見る。
ん―――、悪くない。フルバッグの経験が浅いから、最終防衛ラインのポジショニングや、BK選手の指揮にムラがあるのは当たり前だ。
だけど、ユウコのセンスならそれも、すぐにクリアするだろうし…。
なんだろうな…?
たまに見せる、あの弱弱しさ。ほら、まただ。
…あ、もしかして…
練習試合のハーフタイム。あたしは水を持っていきながら大輔に相談を持ちかける。
あたしは自分の考えを大輔に話す。
大輔は「なるほど」とうなずく。そしてチビ助とユウコちゃん、ユッキーとあっちゃんに声をかけて指示を出す。
練習試合の後半が始まる。
あたしは再びユウコの動きに集中して、前半と後半の周辺データを拾う。
…やっぱりだ。
さてと、データは出たけれど、これが一体何を意味してんだろうな?しばし考える。
…さっぱりわからん。
意外なことに、「ユウコちゃんの相談相手」を名乗り出たのはサトシだった。
何気なくその試合のムービーをPCメールで送ったら、
「もしかすると、彼には悩みがあるのかも」
と、早速次の日の日曜日の夕方、ミスタードーナツにあたしとユウコちゃんを誘い出した。
サトシの考えが全くわからなかったあたしは、
「ていうか“お兄ちゃん”、スポーツの経験ないよね?大丈夫?」
と心配そうにこっそり尋ねると、
「ボクはカリスマ診断士だからまかせてちょ♪」
と、サトシは自分がSNSで主宰する「行列のできる人生相談所」というコミュニティサークルの評判を自慢してきた。なんでも、
「ネットの世界だろうが現実の世界だろうが、ほんの少し観察すれば大体の事はわかる」
と、参加人数が5000人以上いることを誇らしげに語り、自信満々な様子。
しかもサトシは、
「どうせならお茶会は人数が多い方がいい」
と、よりによって若菜も一緒に誘えと言い出し、練習後グラウンドまで迎えに来て開口一番、
「うちの妹がいつもお世話様ね」
と調子に乗って喋りまくる始末。
あたしはあわてて「サトシは近所のお兄ちゃん的存在」と弁明。
無論、ユウコちゃんも若菜も「ミスド♪ミスド♪」とそれを気にすることもなく、妙に派手な軽自動車の車内をケラケラとはしゃぎまくっていた。
「今日はボクのおごりだから、なんでも好きなモノ食べてちょ♪」
と、調子に乗っているサトシを横目に、あたしはオールドファッションを一口。
ユウコちゃんと若菜はポンデリングやらハニーディップやらを大量にトレイに乗せて、それをリスのような表情で食べている。
イオンのテナントの一角にある店内では、若いカップルさんや買い物帰りの親子連れがそれぞれの空間を楽しんでいる。
しばらく雑談が続き、そろそろドーナツを食べ終える頃、サトシが口を開く。
「妹たちよ。ちょっとユウコちゃんと2人きりにさせてもらっていいかな?」
と、“妹たち”に提案。
「じゃあ夢ちゃん♡お菓子買いに行こうよ♡」
と若菜があたしの手を引っ張り、イオンの食料品コーナーへ誘導。
あたしは「余計なことしゃべるなよ」とか「お前どんだけ食うつもりだ」とか、いろんな意味で諸々が気がかりだったけれど、とりあえずその場を離れる。
そしてちょうど若菜の買い物が終わる頃、“兄”から「終わったナリ♡」とホットメールを受信。
そのままミスドに戻ると、スッキリした顔の“兄”とユウコちゃんがいて、何とも仲睦まじい雰囲気でシェイクを飲んでいた。。
あたしは何がなんだかわからなかったけれど、帰り間際サトシから、
「あとはユウコちゃんの気持ち次第ナリ♪」
「あとでYUMEちゃんに相談するよう言っておいたナリ♪」
と、何やら意味深なメッセージを残され、その日のお茶会は終了。
なんだよ。結局楽しくドーナツ食べただけか?と少々懐疑的になりながら、あたしはやっぱり自分で何とかしようと、ブツブツとアレコレを考え「最後はあいつのアタマを借りるか」と、主将の背中を思い浮かべる。
そして次の日の月曜日。練習終了後。
「ユウ。ちょいと話しがある。夢と3人で、少しいいか?」
あたしと大輔は2人で商経2年の教室に立ち、着替えが終わったばかりのユウコに声をかける。
ちなみに、倉庫代わりの部室はあれど、64人分のスペース確保は無理なので着替えは基本教室。女子生徒は空き教室が更衣室になっているから、テキトーに想像してね。
そのまま夜の真っ暗な帰り道。
「なんですか?大輔先輩、話しって」
「最初は夢からだな。頼む」
「JR美松海岸駅」に向かう、いつもの農道一本道。
牛乳やらおにぎりやらを飲み食いする2人を両隣に、あたしは自分の考察を切り出す。
「ねぇユウコ。この前の練習試合さ、ポジションの入れ替え、アレ、なんでかわかる?」
あたしがハーフタイムの時、大輔に頼んだのは次の通りだった。
後半、青南のスタンドオフを大輔、スクラムハーフをユウコ。フルバッグは川口将輝に終始任せて、あるデータを拾っていた。
あたしは担当直入に言う。
「インターセプト。つまりパス回しん時に、マイボールを相手に取られる確率と、あと、大輔の試合コントロール。これがユウコ、あんた次第で全然違うんだ」
「どういうこと?」
ユウコは牛乳を一気に飲みながら、あたしに尋ねる。
「結論から言うと、ユウコがフルバッグの時が、一番上手く機能しているんだよ」
あたしは人差し指をピンと立てて考察を述べた。
ユウコがフルバッグに着くとき、大輔は積極的にBK陣を誘導して多彩な攻撃を仕掛ける。ところが、フルバッグがユウコ以外になると、大輔は無意識にその動きをカバーしようとして、敵陣にパスカットされる傾向がある。そして大輔は、自分でボールを持って相手を突破しようとする。無論練習試合程度の相手なら簡単に突破もできるけれど、本番ではワンパターン化して危険性がはらむ。
だからユウコは、やっぱりフルバッグが適任。
そこまで話すと、今度はユウコが黙り込む。
ユウコはカチューシャをいじいじしながら、毛先をクルクルさせている。
続けて大輔がユウコに話しかける。
「なぁユウ。いや二宮。お前もしかして、マーちゃんに、川口に遠慮しているんじゃないか?後輩が先輩をさしおいて…とか。それなら、川口も納得しているし、好意的にお前の面倒みてくれているじゃないか」
「いや、そういうんじゃないんです。なんていうか…」
ユウコの声はますます小さくなる。
カチューシャをつけたり外したり。手元がなにやら忙しい。
あたしはその仕草を、少々細目で敬遠しながらユウコに語りかける。
「あんたさ、自分でも気づいてんでしょ?レギュラーメンバーの中でスクラムハーフはチビ助、スタンドオフは大輔が一番適任てこと。確かにユウコはどっちもこなせるから多少の不本意はあると思うけど」
あたしは最初、ユウコがたまに見せる弱腰は、自分がチビ助と大輔の存在を抜き出ることのできない中途半端な存在と、変な劣等感があるんじゃないかと推測していた。
「イヤ、コウシと大輔先輩のコンビは絶対だよ。俺はその万が一の代役ってだけで十分うれしい」
ウソはついてない真剣な表情。
どうやらそんなことでもないらしい。
「大輔、ゴメン。ちょいとユウコと2人にさせて」
あたしは悩んだあげく、ユウコと2人きりで話しを始める。
「ねぇユウコ。あんたさ、前も言ったけど、うちの部員数で、2年のうちからレギュラー掴んで、加賀の評価も高いんだよ?なのになんでゲーム中にいきなり弱腰になるの?」
「…誰にも言わないか?」
ユウコは「JR美松海岸駅」のホームの隅にドスンと腰掛け、あたしを見上げる。
なんだかウジウジしている。なんだこいつ。
いつもの教室での勢いはどこに消えた。
「あぁ、言わないよ。あたしは青南ラグビー部が強くなればそれでいい」
あたしの背中の方では、恒例の討論会の笑い声が響いている。
「サトシさんからさ、素直になっていいってさ…。大輔先輩と…コウシが…」
ユウコが小声でなにかつぶやいている。全然聞こえなくて、あたしはその口元に耳を近づける。
「おぉ―――っ!!なんだあの2人、怪しいぞ――――っ!!」
他のメンバーが茶化す。すかさず睨む。
「うるさい外野っ!!黙れっ!!まったく、あいつら…ん?何?聞こえないって。大輔とコウシが…ナニ?…え…?」
…次の瞬間、その場にいた誰よりも、でっかい笑い声がホームに響きわたる。
「コラっ!だから言うのイヤだったんだ!!笑うなっ!!」
「…アハ…アハハッ!!大丈夫、大丈夫、あたしはそのへん否定も肯定もしないから…でもさ…」
あたしは笑いが止まらず、とうとうお腹を抱える。
ユウコは、カチューシャを外した自慢のセミロングを、忙しく何度も両手でかきあげている。
「やっぱり黙ってればよかった!!」
ムスっと顔を真っ赤にしているユウコ。
そしてあたしは、ス…っと笑うの止めて、今度は真剣な目でユウコを見つめる。
「ユウコ、笑ってごめんね。でもね、これは、大輔はあたしだけに話してくれたけど、あいつ、大輔さ、『ユウがフルバッグにいてくれると、俺はものすごく安心する。あいつは本当に信頼できるヤツだ』って、言ってたから。だから、大丈夫。ね?」
「本当か?大輔先輩、そう言ってくれたのか?マジか?」
ユウコはセミロング片手でかきあげながら、片方の手で胸のあたりを押えている。
「あたしは、リップサービスを他人のために、使ったりしない」
「そうか。そうか。そっ…かぁ――――っ!!」
ユウコが、とうとう自慢のセミロングをフリフリ振り乱して、グジャグジャとアタマを揉んでいる。
この際、ウソも方便。
イヤ、大輔がそう言っていたのは本当だから安心していいよ。
あたしはユウコと2人でみんなの輪に戻る。
「『あとはユウコちゃんの気持ち次第ナリ♪』か…」
なんでもユウコいわく、あの時サトシはミスドで、
「ユウコちゃんのムービーをみせてもらって、すぐに気づいたナリよ。苦しいよね。ボクはわかるよその気持ち。だけど恋するキモチは人を強くするものだから、どうか自分を否定しないでちょ」
と、手を握って力説してくれたらしい。
その二宮は、いつの間にか髪型を整えて、大輔の左斜め後方に立ち、最終の下り列車が来る左の方を眺めもせず、右斜め前方の主将を見つめている。
時々、カチューシャをイジイジしているユウコ。
つーかあんた、そのカチューシャ、ラメ入りかよ!
いっそのこと「ユウコりん」て呼んでやろうか?
でも、その目はラメのようにキラキラ輝いていたから、きっともう大丈夫だろう。
ふぅ、これで問題児3人は片付けたぞ。
「ユウコちゃんは夢さんとデキてるのか?」と茶化されるクラスメイトを、真後ろに感じながらあたしは、すぐ右隣の大輔を見上げる。
ん?何よあんた、その不服そうな顔。
まるで、オモチャを取り上げられたガキみたいじゃないか。
オモチャのカチューシャ、買ってあげようか?
ラメ入りのピンクとか?
少し想像して、クスクス一人笑い。
…それにしても。
ラグビーってやつは、つくづくおもしろいスポーツだね。
体がデカけりゃいいってもんでもなく、アタマがイイだけでも不十分で、センスがいいだけでも務まらない。それぞれの個性や悩みもプレイを左右する。
こうやって、個別コンサルティングをしていると、ダメな社員を叱責する管理職のような感覚にもなって、それもまた悪くないと思えてきた。
「人間には得意不得意があって当たり前」と学んだYUMEちゃんのビジネスの経験が、自然に生かされていることの善し悪しは別にして、言うことを言うからには、あたしも本気で勉強しなくちゃなと思う、今日この頃。
壁時計を見る。
21:48分。定刻通り、ホームに列車が滑り込む。
つくづく、日本の鉄道は生真面目だ。
創業者はA型か?
「おい大輔、話しがある」
腕組みをして、ベンチに座る新入りゼネマネ。
「主将と呼べ」
そう言いながら、「プっ」と笑って、満足そうな顔でベンチに座る主将。
その日の放課後、グラウンドにジャージ姿で登場したゼネラルマネージャーの姿は、とても神様たちにはお見せできないものだった。
無論、そんな依頼はあっても断るが。
準備のいい若菜が、「うちで作った製品だよ♡」とか言いながら、寄越してくれたジャージはよりによってピンク色。
結局あの夜、制服の裁縫を終えてからも寝つけなかったあたしは、「ラグビーのすべて」という本をあっという間に読み上げて、徹夜でネットを検索していた。
単なる汗臭いボール遊びと思っていたのに、一つ一つのポジションにはそれぞれ役割があって、やけに多いルールや、「ノーサイド」とか言う専門用語の意味に、不覚にもちょっぴり興味がそそられてしまったのだ。
どっかのサイトから、いろいろ情報を引っ張って、あたしなりに分析と研究をしてみた。
その理由は、来週から始まる中間テストの勉強をしたくなかったってのもあったけれど、どっかのぽっちゃりかわいコちゃんには意地でも負けたくなかったから、とにかくルールやら歴史やらを徹底的に調べ上げた。「エリス少年!あんたはイノベータ―だ!」とかブツブツ言いながら、日本代表の動画やら何やらアレコレを検索しては洞察を繰り返した。
あたしはもともと記憶力はいいし、分析力と洞察力はスズキシロウさんのお墨付きだ。
ま、負けず嫌いが、なんとやらだけどね。
それでも、校舎の2階から飛び降りるような無鉄砲ではないから、どっかの坊ちゃんとは一緒にしないでほしい。夏目漱石より福沢諭の方が魅力的だしね。
話しを戻す。
ここでラグビーのポジションを説明。
15人競技のラグビーは、「1」~「15」までそれぞれ次のような役割がある。
*********************************************************************
ラグビーの各ポジション名と役割
【FW】
背番号1:PR1
(左プロップ)
スクラムを組む時に、最前列/左側で相手フォワードを組み合うプレーヤー。
体重も重く、がっしりした体型の人が向いている。
背番号2:HO
(フッカー)
スクラムを組む時に、最前列/中央で相手フォワードを組み合うプレーヤー。
スクラムをコントロールし、器用さも求められるポジション。
背番号3:PR3
(右プロップ)
スクラムを組む時に、最前列/右側で相手フォワードを組み合うプレーヤー。
チームの中で最重量プレーヤーが担うことの多い。
背番号4:LO4
(左ロック)
スクラムを組む時に、左プロップとフッカーの後方から押し込むプレーヤー。
身長の高いプレーヤーが向いている
背番号5:LO5
(右ロック)
スクラムを組む時に、左プロップとフッカーの後方から押し込むプレーヤー。
身長の高いプレーヤーが向いている。
背番号:FL6
(左フランカー)
スクラムを組む時に、後方左端から押し込むプレーヤー。
BKのサポートも多く、体力が必要。
背番号7:FL7
(右フランカー)
スクラムを組む時に、後方右端から押し込むプレーヤー。
BKのサポートも多く、体力が必要。
背番号8:NO8
(ナンバーエイト)
フォワードを最後方からコントロールし、統率するプレーヤー。的確な判断力。総合的に高い能力の求められる、フォワードの中で最も華のあるポジション。
【BK】
背番号9:SH
(スクラムハーフ)
フォワードとバックスの繋ぎ役で、敏捷性と、的確で正確な判断力が必要なポジション。体が小さくても充分に活躍できるポジション。
背番号10:SO
(スタンドオフ)
バックス陣を率い、自ら走り、蹴り、パスを出し、とバックス攻撃の起点となる、チームの司令塔的ポジション。
背番号11:WTB11
(左ウイング)
バックスの左端で、多くのトライを得ることが求められるポジション。
チームの中で最もスピードのあるプレーヤーが担うことの多い
背番号12:CTB12
(左センター)
バックスの中の重要な「縁の下の力持ち」系ポジション。守る時にはタックルをする機会が多く、攻める時にはウィングのトライをアシストすることが多い
背番号13:CTB13
(右センター)
左センターと同じで、突破力とディフェンス力、スピードとパワー、両方が必要とされるポジション。
背番号14:WTB14
(右ウイング)
バックスの右端で、左ウイングと同様、スピードが最も重要視されるポジション。
自陣深くから敵陣深くまで走り込むこともあるのでスタミナも必要。
背番号15:FB
(フルバック)
チーム最後尾でバックス陣を統率し、防御ラインの最後の砦となる、
サッカーで言うところのゴールキーパーのようなポジション。
*********************************************************************
ふぅ、これを眺めるだけでも一仕事だね。
「SO」というのはスタンドオフ=司令塔で、最も重要且つ中枢的存在であることがちょっとムカついたけれど、大輔にぴったりのポジションであることは認めざるを得なかった。
こんな風に、いろいろと調べているうちに、
「青南高校ラグビー部の弱点を絶対見出すんだ!!」
「徹底的に改革して、優越感丸出しで遠藤大輔を見下すんだ!」
と、意地になってしまったのだから、悲しい負けず嫌いの性。
まぁここだけの話し、『組織改革論』の作成には、神様たちの意見も、少々お借りしたんだけどね。
会社役員と国家公務員、それに老舗自営業者は特にノリノリで、どんどんいろんなアイディアを出してくれた。
もちろん、そんなことは一切喋らなかったけれど。
大輔はの笑い声が聞こえる。
「似合うじゃん。それ♪」
練習前の水分補給をしながら、新入りゼネマネの隣で桃色を茶化す主将。
だけどその優顔は次第に、真面目になって話しを聞いてくれた。
あたしは次の「組織改革論」を、遠藤主将に提言した。
① 部のHPを開設して、選手データや写真のアーカイブ、試合日程や戦績、BBSや動画メッセージを活発に発信・公開し、学校内外とコミュニケーションを図る。
(これは、ブランド化を図ることによって選手の士気を高めることにつながる。応援者の共感を集めるツールにもなる)
② 定期的に部の広報発行・メルマガを配信し、選手たちが自ら学校や近隣住民に配布・営業をする。
(直のコミュニケーションは、個々の意識を高める、レギュラー陣以外の部員にも自己有用感が生まれる)
③ 練習メニュー、食事管理、戦力分析、他校の情報などを収集して、定期的に座学を行う。ただし、その主催はこれまでのように一部が仕切るのではなく、部員全員に担当させる。
(責任感を持たせることで、一人一人に自然と身に付く)
④ 厳しい練習だけではなく、社会人の試合観戦や、異分野スポーツとの交流、レクリエーションや福祉・環境などの社会貢献活動を織り交ぜて、精神的な価値観を育む。
(多面的な経験と思考は、組織行動に豊かさを生み出す)
⑤ その他に、意見交換の場としてグループディスカッションやワークショップを定期的に開催して、縦社会では日ごろは口に出せないことを、共有し合える環境を作る。
(お互いを尊重し、不満を内に溜めないようにする)
大体そんな感じのことを一気に話すと、大輔はそのまま下を向いてうなだれてしまった。
うなだれながら、主将がつぶやく。
「まいったな」
「まいったか」
優越感を感じる。
「夢、さすがだ」
「当たり前でしょ」
優越感がみなぎって、昨夜の徒労が報われる。
「じゃあさ、夢」
「フフン♪なんでも聞きなさい。あたしのコンサルティングに死角はない♪」
主将を見下ろすゼネマネ。何とも言えない構図。
ゼネマネに見下ろされる主将が、上目使いのまま、親指を立てる。
「早速、若菜と2人で始めてくれ。それ」
優越感が、ガラガラと音を立てて、崩壊した。
―――しまった。ハメられた。
肝心の実行部隊のことまで考えていなかった!
「まずは選手名鑑の配布と、HPの素材集めだな♪」
ペットボトルの水を一気に飲み干して、主将は「部費でデジカメ買っていいからね~♪」と、疾風のごとくグラウンド中央に走り去る。
「チクショ…っ。詐欺罪と強姦罪で刑務所にぶちこんでやる―――っ!!」
と、大声で叫んだあたしよりはるかにでっかい声の「集合――――っ!!」という大声が響きわたり、ウォーミングアップが始まる。
あまりにそれが華麗な演劇だっから
「早速印刷してきたよ♡2人でホチキス止めしよ♡」
と、若菜の声が聞こえるまで、ハメられたことも忘れて見とれてしまった。
情けない。
そしてそんな、若菜に指導されるあたしは、もっと情けない。
マネージャーの仕事は、思ったよりも重労働だった。
なにせ、部員64名を誇る青南高校ラグビー部の総務を、たった2人で切り盛りするのだから。
「夢ちゃん、ウォーミングアップが終わるまでにラインを引いておくんだよ♡」
とか、
「夢ちゃん♡ラダーの次はカラーコーンを準備するんだよ♡」
とか、
「夢ちゃん♡プロテインとサプリはこのメーカー厳守だよ♡」
とか、意外にテキパキ動く若菜を眺めながら、「こいつ今までよく1人でがんばっていたな」と見直してしまう。
そのわりにはぽっちゃりしているけどね。
もちろん新入部員もいろいろ手伝ってくれたから、あたしは要領よくそれらを指示して、極力汗はかかないように努力した。あたしはコンサルティング側なんだ。
そしてのっそりとCEOが現れる。
「はいどうぞ」
牛乳を差し出すCEO、もとい加賀。
「CCC」とロゴの入ったTシャツをぴっちりムッチリさせた総監督さんが、なにやら担いでやってきた。
「加賀監督♡こんにちは♡」
若菜がキャピキャピと加賀に走り寄る。
「チワ―――――ッス!!」
汗の軍団が足を止め、それだけ言って練習を再開する。
「監督、なんですか、それ?」
若菜が加賀を見上げて尋ねる。
「あぁ、これね」
簡易イスと机、それからドラム式延長コードだ。
「夢くぅん」
なに?特設進路指導室のつもり?
今日はまだ何も悪いことしてないよ?
「今日からここが、君の職場だよ」
「…マジでCEOか、あんたは」
とは口に出さず、とりあえず微笑む新入社員、もとい新入りゼネマネ。
そして加賀は、巨体をゆっくりのっそり動かしながら、即席の事務スペースを設置した。
「さ、やろうか」
「……は?」
伝統ある青南高校ラグビー部の、グラウンドの片隅にある桜が散った木の下で、ゼネラルマネージャーがパソコンにらんで事務仕事。
雨の日はどうすんのさ?チーフエグゼグティブオフィサーさん。
「さすが監督さんだ!」
制服が半袖になる頃には、すっかり恒例になってしまった討論会。
今夜もまた、「JR美松海岸駅」のホームに高らかな笑い声が響きわたる。
この「JR美松海岸駅」、最大の“ウリ”は「日本一海に近い駅」だそうで、日本海水浴場100選でもある「美松海岸」までは徒歩数十秒。
しかも、駅舎の外観はなぜか「マンボウ」のカタチ。
駅舎の中には本物のマンボウさんが泳いでいて、海水浴シーズンともなればそれはもう。ウジャウジャ人が次から次に。あんまり説明すると吐き気をもよおすから、この辺でストップするけど。
とにかく、海嫌いなあたしから言わせてもらえれば、高い公共事業費や経費をかけてまで、何もくそ親父そっくりに設計しなくてもいいじゃないかと、初めて見たときは関係者の皆様を恨みまくった。
まぁ、そこはローカル鉄道の田舎駅。観光シーズンと営業時間の9:00~17:30を除けばあっと言う間に無人駅になるから、とりあえず耐えているけどさ。
それでも最近は不満と疲労が増える一方だ。
どんなに海が近くても、肝心の学校までは徒歩15分もかかるのだから、新入りゼネマネのあたしから言わせてもらえれば帰り道ぐらいは「日本一超高校に近い駅」にしてくれと思う、今日この頃。
あたしも一応「17歳の超可憐な女子高生様」だから、ねぇ?
なんだかんだ言っても暗い夜道は超足早になる。
極めつけは、砂浜が超目の前にあるおかげで超苦手な海臭風を超全身に浴びてしまい、あたしにとっては超地獄でもあったし、イライラに拍車が超かかるんだよね~…。
だから今夜も、
「あいつっ!!アタマ超おかしいんじゃねーのっ!?」
と、社長さんへの不満を超爆発させる新入社員、もとい女子高生様。
「まあまあおさえて」
と、新入りゼネマネの不満をおさえ、疲労をねぎらう主将。
それから大輔は、「ウチの監督さんはさ」と、牛乳をあたしに差し出しながら、「牛乳を飲みましょう」が口癖の例の巨体。
「加賀壮二郎(59)」を、得々と語り出した。
なにやら「伝説のラガーマン」の異名を持つ加賀は、その昔は有名な選手だったらしく、部員からも絶大な支持があるらしい。
日頃は物静だけれど、ここぞという時は必ず「素晴らしいご指導」があり、そして「素晴らしい未来」を導き出してくれるとか。
【呼び出し回数歴代No.1】のあたしから言わせてもらえれば「食い物話しに饒舌なシロナガス」なんだけどな。とりあえず主将の話しを聞く。
そんな加賀壮二郎の「組織論」とは、
「選手本人に主体性を持たせ、監督は後方支援に徹する」
で、ある。
練習内容やゲームメイク、戦術・戦法の一切は主将の遠藤と副主将の森田篤(背番号8・ナンバーエイト)、FWリーダーの小野寺直之(背番号3・プロップ)、BKリーダーの松岡拓実(背番号14・ウイング)の4人が最終決定権を持つ。
その他にも選手一人ひとりに総務やコンディショニング、テクニカルやストレングス、3年になると場合によってはコーチなどの役割を当て、プレー以外の仕事も担当させているらしい。
グラウンドの中では選手同士を名前で呼び合い、横一線の意識で連帯感を持たせること。
能力最優先でレギュラーを選出し、グラウンドの中では年功序列なし。
そのかわり、グラウンドから一歩でも足が踏み出たら、後輩は先輩を、先輩は全体気にかけ、お互いを敬い合うこと。
だ、そうなんだけれど。
ド素人のあたしから言わせてもらえれば、どこにでもあるような、体育会系の風習。
普通のことなんじゃないの?と、思うのだけれど。
あたしが「ふぅ~ん」と言いながら、その質問をすると、
「言うは易く行うは難し。だよ」
と、大輔は、意外にも弱音をポロリ。
2人きりの列車の中で、イロイロ弱気なことを打ち明けてきた。
これも恒例になってしまった隣同士の討論会。
ま、別にいいけどさ。
あたしは苦手な牛乳をチビチビ飲みながら、大輔の話しに耳を傾ける。
「うちの部はさ…」
驚いた。なんでも完璧にこなす主将・遠藤大輔が、内に秘める悩み。
それはこうだ。
部員が多い分、どうしたって意識の統率は行き届かなくなる。
熾烈なレギュラー争いは、常にトラブルの原因になるのだ。
たしかに、たとえ練習試合でも、直前にいつもピリピリした雰囲気になるのはあたしもすぐに気づいていた。
大輔はその都度、協調性を取り持とうと部員に気遣うけれど、「あいつは加賀のお気に入りだ」とか「優等生ぶって調子に乗るな」とか、ヒソヒソ影口を叩かれる。
大輔もそれには気づいていても、極力気にしないようにはしている。それでも、たまにどうしようなくイヤになって、自己嫌悪に陥ってしまうんだとか。
本来であれば主将以下、副主将と各リーダー陣にも相談すべきところだけれど、肝心のそれがいまいち機能していない。みんな自分の事で精一杯だったり、口で言うほどリーダーの役割を果たしてくれていなかったり。だけど自分は、ディスカッションでそれを指摘するほどの存在なのかと自問自答。
「“主将”ってなんだろうな」
と、つぶやく主将。
「俺だってたかが高校生なんだけどな」
と、小声になるもうすぐ18歳。
このあたしですら、大輔のそんなの気配は微塵も感じなかったのに。
話しを聞き終えて、しばらく沈黙のあと、
「そっか…」
と、つぶやくあたし。
せっかく弱点を見つけても、全然うれしくなくて、なぜだか一緒に落ち込んでしまった。
牛乳をパック一気に握りしぼめる。
だってさ、こんな弱気な奴を見下してもうれしくないじゃん。
あたしは下を向きながら押し黙る。
「だから夢が必要なんだよ」
あたしは顔をあげて、大輔を見る
大輔は「ゴミ、よこして」と言いながら、牛乳パックを手に取る。
「夢を見ていると、それだけで元気になれるんだ」
コクンと心臓が動く。なんでだろう。
「マネージャーはいつの時代も、マドンナだからな」
……は? 少しがっかりする自分を、必死に否定する。
「監督さんの口癖でさ。『グラウンドの片隅に、かわいいマネージャーがただいるだけで、男っちゅーもんは頑張れるもんだ』って」
……そういうことか。
だからあたしは、屋外で事務仕事させられる羽目になったのか。
男心を巧みに操る、なかなかの戦略家。
加賀の奴、ある意味尊敬してしまうな。
「でも、それなら若菜もいるじゃん」
あたしは「自分で捨てるよ」と牛乳パックを取り返しながら、大輔にそう言った。
とことん女の子らしい若菜が、実は男子生徒に結構モテていることを、あたしはなんとなく知っている。
「たしかに。伊藤の存在も大きい。部員の中でも告白した奴が何人かいる」
大輔はヤレヤレという顔で、苦笑いをしている。
……あんたは?あんたも若菜が好きなのか?
牛乳パックをギュっと握りしめる。
別にどうでもいいけれど、あたしはこいつを派手に見下すんだ。
そんな小さい弱みを握ってもしょうがないじゃんか。
列車の床に白い水滴がこぼれる。
大輔はヤレヤレという顔でそれをティッシュで拭きとりながら、あたしを見ずにこう言った。
「俺はこれでも、けっこうみんなのコト、考えてんだけど…、な」
大輔はそのティッシュをポケットに突っこんで、反対側の車窓に映るあたしを眺めてため息を吐く。
「あんたはもう少し自分のことだけ考えたら?」
あたしは「ゴメンゴメン」と謝りながら話しを続ける。
「そんなんじゃさ、疲れない?人間なんて、得意不得意がある生きもんなんだし、さ」
あたしは反対側の車窓に映る大輔を眺めながら、組んでいた腕を後ろに回し、そのまま列車の天井を見つめる。
「だから夢が必要なんだよ」
大輔は、横目でじっとあたしを見る。
「あたしはあんたの専属ケアマネージャーか」
そう言ってその視線を外して、窓の外に見えるコンビニの灯りを眺めるケアマネ、もといゼネマネ。
「だけど、マドンナは誰かに独り占めされちゃいかんのだよ。夢くん」
大輔は座席に戻り、今度はあたしの差し出したウェットティッシュで手をふきふきして、それをコロコロ丸める。
「…それも加賀の持論?」
あたしは「よこしなよ」と手を差し出し、その丸まったものを、ティッシュに包んで大輔に尋ねる。
「いや、俺の持論だ」
「どういう意味だよ。それ」
…毎晩列車ん中で、あたしを独り占めするのはいいのかよ。
「なぁ夢」
「なんだよ」
「どう思う?」
「なにが」
…なんだよ。告白でもしようっての?
「直之、篤、2年のユウ。それに1年のシュウ坊」
…は?あんたまさかそっちの趣味?
「あー、あたしは別に男同士のアレは否定はしないけど」
「は?何言ってんの?そうじゃなくてさ…」
大輔は、座席に座ると、いつになくまた一段と真剣な表情になり、その4人についていろいろと弱音をこぼしはじめた。
…なるほどねぇ。主将もいろいろ大変なんだね。
いつの間にかあたしの肩をまくら代わりに、主将はいびきをかいて寝てしまった。
汗の匂いが鼻から入る。
それにも慣れてしまって、寝顔の優顔を眺める。
「ひがしみなと~、ひがしみなと~」
大輔のアタマを叩いて起こす。最近こいつは本気で寝ている。
「ん…また寝ちまった」
「さっさと降りろ。バカ」
「夢さ…」
「なんだよ」
「意外にやわらかいよね。二の腕のあたりとか」
「…ひと眠り10万。ぜってー払ってもらうからな…」
あたしは手の中にあったティッシュを大輔に投げつけて、【S・R・F・C SEINAN.RUGBY.FOOTBOAL.CLUB 遠藤大輔】ネーム入りバッグを、ホームに放り投げる。
「オットトト…出世払いでよろしく~♪」
と、バッグを「ヒョイっ」と拾い、今夜もまた、疾風のごとく走り去る大輔。
だけど、もうあんまり腹も立たなくなっている。
毎日毎晩こんな風にお悩み相談されているうちに、なんでも完璧にこなす遠藤大輔の弱みが次から次に見えてきて、手を貸してやってもいいかなとすら、思うようになってしまった。
床に落ちたティッシュを拾い上げて、真っ暗闇なその方角を眺める。
ま、あたしも一応、血の通った人間だから。ねぇ?
……あんたらも、血の通った人間ならいちいち盗み見してんじゃねぇぞ。子分ども……。
隣の車両でニヤニヤ笑う子分どもを睨む。
あんたらの主将は、あんたらのことで悩んでいるんだぞ。まったく。
拾い上げたティッシュを隣の車両に投げつけて、また、拾う。
ケアマネは何かと、忙しい。
…ったく。
「しんうおはま~、しんうおはま~」
「JR新魚浜駅」で下車して、足早に「相澤魚店」の裏口をくぐる。
「おお夢ぇ~おかえり~♪さっき秋本先生から電話あったぞ~。お前ラグビー部のマネージャー真面目にやってるらしいじゃね~か~。よかったな~カツオ~♪」
2階にあがろうとして茶の間を通るたあたしに、まるで親父のような口調で飲んべい共が大声を張り上げる。
まったく、どいつもこいつも!
サケ友だかなんだか知らないけど、人ん家を居酒屋のごとく勝手振る舞まって。
くそ親父!あんたも血の繋がった父親なら、担任からの電話ぐらい直接出なさいよ!
そのまま部屋に入り、すぐにパソコンの電源を立ち上げる。
青南ラグビー部選手名鑑を開きながら、さっきの大輔の話しを思い出す。
「小野寺直之、森田篤、2年のユウこと二宮雄一郎。それに1年のシュウ坊こと畑中修造…か」
あたしは、若菜からもらったいちごポッキーをぽりぽりしながら、一人一人のデータを眺める。
「背番号3:プロップ 小野寺直之 3年 【FWリーダー】 身長178cm 体重104㎏」
「背番号8:ナンバーエイト 森田篤 3年 【副副将】 身長183cm 体重75㎏」
「背番号15:フルバック 二宮雄一郎 2年 【2年サブリーダー】 身長177cm 体重72㎏」
「背番号20:畑中修造 1年 【1年リーダー】 身長173cm 体重67㎏」
「まったく。みんなガタイだけはスクスク成長してんだから…」
あたしは今度は、そいつらの過去の試合のクセ、日頃の練習を見てきた中で記録したデータを片っ端から眺め始めた。
副主将に各リーダー。か。
統一サイズで並んだ顔写真を画面に並べ、ゆっくり眺める。
小野寺直之のニキビ面を見る。
このひとは一言で言うと熱血の巨漢。あたしが提案した改革論も熱心に聴いてくれたし、グラウンドの外の作業も中心になって動いてくれている。少々自己中なところはあるけれど大輔が上手く調和させてくれていたし、砂浜の清掃活動や児童養護施設のタグラグビー大会ん時も、むしろほかのメンバーを上手にまとめて楽しく盛り上げてくれた。
通称「ユッキー」で、血液型はB型、か。関係ないか。そんなの。
いちごポッキーの2袋目を開ける。
「ポリ…ポリ…ポリ…」
なんでこんなに美味いんだろうね。コレ。
そういや若菜が「うちのママの実家がお菓子問屋さんで、毎日いろいろもらってくるの♡」とか言ってたな。
雑念を払って、森田篤の面長メガネを眺める。
このひとは、そうだなぁ。一言で言うと保守的な頭脳派。口数が少なくて落ち着きのある先輩って感じ?。いつも大輔やユッキーの二番手という立ち位置が気になるんだけれど…。まぁそのおかげで、ミーティングの資料集めは几帳面だし、試合観戦やレクリエーションの時も暴走する部員の歯止め役になってくれているもんな。あたしの「組織改革論」にも客観的な考察を的確に指摘して編集に付き合ってくれたし、熱くなるユッキーの扱いは大輔以上に慣れている。
ある意味副主将向き…ってね。
通称「あっちゃん」で、ユッキーとは幼馴染み。
…この人、A型だっけか。あ、やっぱり。
「ポリ…ポリ…ポリ…ふぅ」
いちごポッキーを食べ終わり、袋をクシャクシャさせる。
それをキーボードの脇に置いて、【2年】をクリックする。
え~と、二宮雄一郎。
クラスメイトなので、顔写真は見ない。
う~ん。へ~、あんたもA型なんだね。
意外だね。いつも教室でギャースカ騒いでいるくせに。
次に【1年】をクリックする。
畑中修造は…。O型か。O型って、リーダー格と甘えん坊も意外に多いんだっけか?
そういやあいつ…。
再び【2年】をクリック。
チビ助は…。B型か。なんか納得。自意識過剰だし。チャラチャラしているし。チビだし。
そうそう、若菜はさそり座のAB型なんだよね。
あいつ、一体どんな裏顔があるんだろ。ウシシシシ…。
ついでに…。
松岡拓実はAB型で、川口将輝はA型…。千葉…村上…。
いつの間にか血液型で部員の相性占いを始めてしまう、A型でうお座のゼネマネ。
気づくと、若菜からもらったハイチュウのピーチ味を、あぐらかいてクチャクチャしていた。
「………」
…おい、ゼネマネ。
お菓子食い食い部員同士の相性を調べてどうするんだ。
イヤ、これは占い好きのサトシのせいだからね。
それにさ、ホラ、もしかすると相性分析の一理になるかもしれないし。
「ユッキー」と「あっちゃん」はBとAだから、本来相性悪いんだよ?
誰もいない部屋でぶつぶつ言いながら、占いサイトを閉じる。
大輔の顔写真から「夢、まじめにやろうよ」という声が聞こえてくる。
…少しぐらい遊んだっていいでしょうが。別に。
自分で買ったパソコンなんだし。
ネットの接続はスイスイ早いし。
夜中にひとりでパソコンカチャカチャしていると、いろいろ誘惑が邪魔してくるんだよっ!!
「グぅ…」
小腹が鳴く。
若菜からもらったストロベリークリームパンをかじる。
「…甘っ…」
口の動きを止めた次の瞬間、
「お~い夢ちゃん!カツオの刺身食わね~か~!うまいぞ~♪」
と、サケ友の親分・ヨッサンのドデカい声が下から響く。
「いらない!夜中にうるさい!!」
と、心の中で怒鳴り散らしながら、カバンの中のアップルクリームパンとフルーツ・オレを見る。
若菜…。あんたはあたしを糖尿病で殺す気か。
それでも魚だけは…死んでも食わない。
糖尿病を覚悟で、それらを一気に腹に流し込む。
砂糖漬けされるゼネマネの血糖値が、急上昇する。
ふと考える。
…そういや、魚にもあるのかな。血液型とか。
「夢っ!!」
わかったかよ!やるよ!うるさいな~!
…あんたはO型で…。
「夢っ!!!」
…ハイハイ。スミマセン。てんびん座の主将殿。
その夜、チーターのゼネマネが、動物占いを徹底的に調べあげたとか、六星やら風水やらを徹底的に調べあげたとか、気になる方々は「ブログ・YUMEちゃんの覗き部屋」にでもアクセスして、テキトーに閲覧してね。
そしてあたしは、この夜初めて、「ビジネス」意外のメールを、それぞれの「神様たち」に打ち込んでは送信を続けた。
腕組みをして、ベンチに座る新入りゼネマネ。
「主将と呼べ」
そう言いながら、「プっ」と笑って、満足そうな顔でベンチに座る主将。
その日の放課後、グラウンドにジャージ姿で登場したゼネラルマネージャーの姿は、とても神様たちにはお見せできないものだった。
無論、そんな依頼はあっても断るが。
準備のいい若菜が、「うちで作った製品だよ♡」とか言いながら、寄越してくれたジャージはよりによってピンク色。
結局あの夜、制服の裁縫を終えてからも寝つけなかったあたしは、「ラグビーのすべて」という本をあっという間に読み上げて、徹夜でネットを検索していた。
単なる汗臭いボール遊びと思っていたのに、一つ一つのポジションにはそれぞれ役割があって、やけに多いルールや、「ノーサイド」とか言う専門用語の意味に、不覚にもちょっぴり興味がそそられてしまったのだ。
どっかのサイトから、いろいろ情報を引っ張って、あたしなりに分析と研究をしてみた。
その理由は、来週から始まる中間テストの勉強をしたくなかったってのもあったけれど、どっかのぽっちゃりかわいコちゃんには意地でも負けたくなかったから、とにかくルールやら歴史やらを徹底的に調べ上げた。「エリス少年!あんたはイノベータ―だ!」とかブツブツ言いながら、日本代表の動画やら何やらアレコレを検索しては洞察を繰り返した。
あたしはもともと記憶力はいいし、分析力と洞察力はスズキシロウさんのお墨付きだ。
ま、負けず嫌いが、なんとやらだけどね。
それでも、校舎の2階から飛び降りるような無鉄砲ではないから、どっかの坊ちゃんとは一緒にしないでほしい。夏目漱石より福沢諭の方が魅力的だしね。
話しを戻す。
ここでラグビーのポジションを説明。
15人競技のラグビーは、「1」~「15」までそれぞれ次のような役割がある。
*********************************************************************
ラグビーの各ポジション名と役割
【FW】
背番号1:PR1
(左プロップ)
スクラムを組む時に、最前列/左側で相手フォワードを組み合うプレーヤー。
体重も重く、がっしりした体型の人が向いている。
背番号2:HO
(フッカー)
スクラムを組む時に、最前列/中央で相手フォワードを組み合うプレーヤー。
スクラムをコントロールし、器用さも求められるポジション。
背番号3:PR3
(右プロップ)
スクラムを組む時に、最前列/右側で相手フォワードを組み合うプレーヤー。
チームの中で最重量プレーヤーが担うことの多い。
背番号4:LO4
(左ロック)
スクラムを組む時に、左プロップとフッカーの後方から押し込むプレーヤー。
身長の高いプレーヤーが向いている
背番号5:LO5
(右ロック)
スクラムを組む時に、左プロップとフッカーの後方から押し込むプレーヤー。
身長の高いプレーヤーが向いている。
背番号:FL6
(左フランカー)
スクラムを組む時に、後方左端から押し込むプレーヤー。
BKのサポートも多く、体力が必要。
背番号7:FL7
(右フランカー)
スクラムを組む時に、後方右端から押し込むプレーヤー。
BKのサポートも多く、体力が必要。
背番号8:NO8
(ナンバーエイト)
フォワードを最後方からコントロールし、統率するプレーヤー。的確な判断力。総合的に高い能力の求められる、フォワードの中で最も華のあるポジション。
【BK】
背番号9:SH
(スクラムハーフ)
フォワードとバックスの繋ぎ役で、敏捷性と、的確で正確な判断力が必要なポジション。体が小さくても充分に活躍できるポジション。
背番号10:SO
(スタンドオフ)
バックス陣を率い、自ら走り、蹴り、パスを出し、とバックス攻撃の起点となる、チームの司令塔的ポジション。
背番号11:WTB11
(左ウイング)
バックスの左端で、多くのトライを得ることが求められるポジション。
チームの中で最もスピードのあるプレーヤーが担うことの多い
背番号12:CTB12
(左センター)
バックスの中の重要な「縁の下の力持ち」系ポジション。守る時にはタックルをする機会が多く、攻める時にはウィングのトライをアシストすることが多い
背番号13:CTB13
(右センター)
左センターと同じで、突破力とディフェンス力、スピードとパワー、両方が必要とされるポジション。
背番号14:WTB14
(右ウイング)
バックスの右端で、左ウイングと同様、スピードが最も重要視されるポジション。
自陣深くから敵陣深くまで走り込むこともあるのでスタミナも必要。
背番号15:FB
(フルバック)
チーム最後尾でバックス陣を統率し、防御ラインの最後の砦となる、
サッカーで言うところのゴールキーパーのようなポジション。
*********************************************************************
ふぅ、これを眺めるだけでも一仕事だね。
「SO」というのはスタンドオフ=司令塔で、最も重要且つ中枢的存在であることがちょっとムカついたけれど、大輔にぴったりのポジションであることは認めざるを得なかった。
こんな風に、いろいろと調べているうちに、
「青南高校ラグビー部の弱点を絶対見出すんだ!!」
「徹底的に改革して、優越感丸出しで遠藤大輔を見下すんだ!」
と、意地になってしまったのだから、悲しい負けず嫌いの性。
まぁここだけの話し、『組織改革論』の作成には、神様たちの意見も、少々お借りしたんだけどね。
会社役員と国家公務員、それに老舗自営業者は特にノリノリで、どんどんいろんなアイディアを出してくれた。
もちろん、そんなことは一切喋らなかったけれど。
大輔はの笑い声が聞こえる。
「似合うじゃん。それ♪」
練習前の水分補給をしながら、新入りゼネマネの隣で桃色を茶化す主将。
だけどその優顔は次第に、真面目になって話しを聞いてくれた。
あたしは次の「組織改革論」を、遠藤主将に提言した。
① 部のHPを開設して、選手データや写真のアーカイブ、試合日程や戦績、BBSや動画メッセージを活発に発信・公開し、学校内外とコミュニケーションを図る。
(これは、ブランド化を図ることによって選手の士気を高めることにつながる。応援者の共感を集めるツールにもなる)
② 定期的に部の広報発行・メルマガを配信し、選手たちが自ら学校や近隣住民に配布・営業をする。
(直のコミュニケーションは、個々の意識を高める、レギュラー陣以外の部員にも自己有用感が生まれる)
③ 練習メニュー、食事管理、戦力分析、他校の情報などを収集して、定期的に座学を行う。ただし、その主催はこれまでのように一部が仕切るのではなく、部員全員に担当させる。
(責任感を持たせることで、一人一人に自然と身に付く)
④ 厳しい練習だけではなく、社会人の試合観戦や、異分野スポーツとの交流、レクリエーションや福祉・環境などの社会貢献活動を織り交ぜて、精神的な価値観を育む。
(多面的な経験と思考は、組織行動に豊かさを生み出す)
⑤ その他に、意見交換の場としてグループディスカッションやワークショップを定期的に開催して、縦社会では日ごろは口に出せないことを、共有し合える環境を作る。
(お互いを尊重し、不満を内に溜めないようにする)
大体そんな感じのことを一気に話すと、大輔はそのまま下を向いてうなだれてしまった。
うなだれながら、主将がつぶやく。
「まいったな」
「まいったか」
優越感を感じる。
「夢、さすがだ」
「当たり前でしょ」
優越感がみなぎって、昨夜の徒労が報われる。
「じゃあさ、夢」
「フフン♪なんでも聞きなさい。あたしのコンサルティングに死角はない♪」
主将を見下ろすゼネマネ。何とも言えない構図。
ゼネマネに見下ろされる主将が、上目使いのまま、親指を立てる。
「早速、若菜と2人で始めてくれ。それ」
優越感が、ガラガラと音を立てて、崩壊した。
―――しまった。ハメられた。
肝心の実行部隊のことまで考えていなかった!
「まずは選手名鑑の配布と、HPの素材集めだな♪」
ペットボトルの水を一気に飲み干して、主将は「部費でデジカメ買っていいからね~♪」と、疾風のごとくグラウンド中央に走り去る。
「チクショ…っ。詐欺罪と強姦罪で刑務所にぶちこんでやる―――っ!!」
と、大声で叫んだあたしよりはるかにでっかい声の「集合――――っ!!」という大声が響きわたり、ウォーミングアップが始まる。
あまりにそれが華麗な演劇だっから
「早速印刷してきたよ♡2人でホチキス止めしよ♡」
と、若菜の声が聞こえるまで、ハメられたことも忘れて見とれてしまった。
情けない。
そしてそんな、若菜に指導されるあたしは、もっと情けない。
マネージャーの仕事は、思ったよりも重労働だった。
なにせ、部員64名を誇る青南高校ラグビー部の総務を、たった2人で切り盛りするのだから。
「夢ちゃん、ウォーミングアップが終わるまでにラインを引いておくんだよ♡」
とか、
「夢ちゃん♡ラダーの次はカラーコーンを準備するんだよ♡」
とか、
「夢ちゃん♡プロテインとサプリはこのメーカー厳守だよ♡」
とか、意外にテキパキ動く若菜を眺めながら、「こいつ今までよく1人でがんばっていたな」と見直してしまう。
そのわりにはぽっちゃりしているけどね。
もちろん新入部員もいろいろ手伝ってくれたから、あたしは要領よくそれらを指示して、極力汗はかかないように努力した。あたしはコンサルティング側なんだ。
そしてのっそりとCEOが現れる。
「はいどうぞ」
牛乳を差し出すCEO、もとい加賀。
「CCC」とロゴの入ったTシャツをぴっちりムッチリさせた総監督さんが、なにやら担いでやってきた。
「加賀監督♡こんにちは♡」
若菜がキャピキャピと加賀に走り寄る。
「チワ―――――ッス!!」
汗の軍団が足を止め、それだけ言って練習を再開する。
「監督、なんですか、それ?」
若菜が加賀を見上げて尋ねる。
「あぁ、これね」
簡易イスと机、それからドラム式延長コードだ。
「夢くぅん」
なに?特設進路指導室のつもり?
今日はまだ何も悪いことしてないよ?
「今日からここが、君の職場だよ」
「…マジでCEOか、あんたは」
とは口に出さず、とりあえず微笑む新入社員、もとい新入りゼネマネ。
そして加賀は、巨体をゆっくりのっそり動かしながら、即席の事務スペースを設置した。
「さ、やろうか」
「……は?」
伝統ある青南高校ラグビー部の、グラウンドの片隅にある桜が散った木の下で、ゼネラルマネージャーがパソコンにらんで事務仕事。
雨の日はどうすんのさ?チーフエグゼグティブオフィサーさん。
「さすが監督さんだ!」
制服が半袖になる頃には、すっかり恒例になってしまった討論会。
今夜もまた、「JR美松海岸駅」のホームに高らかな笑い声が響きわたる。
この「JR美松海岸駅」、最大の“ウリ”は「日本一海に近い駅」だそうで、日本海水浴場100選でもある「美松海岸」までは徒歩数十秒。
しかも、駅舎の外観はなぜか「マンボウ」のカタチ。
駅舎の中には本物のマンボウさんが泳いでいて、海水浴シーズンともなればそれはもう。ウジャウジャ人が次から次に。あんまり説明すると吐き気をもよおすから、この辺でストップするけど。
とにかく、海嫌いなあたしから言わせてもらえれば、高い公共事業費や経費をかけてまで、何もくそ親父そっくりに設計しなくてもいいじゃないかと、初めて見たときは関係者の皆様を恨みまくった。
まぁ、そこはローカル鉄道の田舎駅。観光シーズンと営業時間の9:00~17:30を除けばあっと言う間に無人駅になるから、とりあえず耐えているけどさ。
それでも最近は不満と疲労が増える一方だ。
どんなに海が近くても、肝心の学校までは徒歩15分もかかるのだから、新入りゼネマネのあたしから言わせてもらえれば帰り道ぐらいは「日本一超高校に近い駅」にしてくれと思う、今日この頃。
あたしも一応「17歳の超可憐な女子高生様」だから、ねぇ?
なんだかんだ言っても暗い夜道は超足早になる。
極めつけは、砂浜が超目の前にあるおかげで超苦手な海臭風を超全身に浴びてしまい、あたしにとっては超地獄でもあったし、イライラに拍車が超かかるんだよね~…。
だから今夜も、
「あいつっ!!アタマ超おかしいんじゃねーのっ!?」
と、社長さんへの不満を超爆発させる新入社員、もとい女子高生様。
「まあまあおさえて」
と、新入りゼネマネの不満をおさえ、疲労をねぎらう主将。
それから大輔は、「ウチの監督さんはさ」と、牛乳をあたしに差し出しながら、「牛乳を飲みましょう」が口癖の例の巨体。
「加賀壮二郎(59)」を、得々と語り出した。
なにやら「伝説のラガーマン」の異名を持つ加賀は、その昔は有名な選手だったらしく、部員からも絶大な支持があるらしい。
日頃は物静だけれど、ここぞという時は必ず「素晴らしいご指導」があり、そして「素晴らしい未来」を導き出してくれるとか。
【呼び出し回数歴代No.1】のあたしから言わせてもらえれば「食い物話しに饒舌なシロナガス」なんだけどな。とりあえず主将の話しを聞く。
そんな加賀壮二郎の「組織論」とは、
「選手本人に主体性を持たせ、監督は後方支援に徹する」
で、ある。
練習内容やゲームメイク、戦術・戦法の一切は主将の遠藤と副主将の森田篤(背番号8・ナンバーエイト)、FWリーダーの小野寺直之(背番号3・プロップ)、BKリーダーの松岡拓実(背番号14・ウイング)の4人が最終決定権を持つ。
その他にも選手一人ひとりに総務やコンディショニング、テクニカルやストレングス、3年になると場合によってはコーチなどの役割を当て、プレー以外の仕事も担当させているらしい。
グラウンドの中では選手同士を名前で呼び合い、横一線の意識で連帯感を持たせること。
能力最優先でレギュラーを選出し、グラウンドの中では年功序列なし。
そのかわり、グラウンドから一歩でも足が踏み出たら、後輩は先輩を、先輩は全体気にかけ、お互いを敬い合うこと。
だ、そうなんだけれど。
ド素人のあたしから言わせてもらえれば、どこにでもあるような、体育会系の風習。
普通のことなんじゃないの?と、思うのだけれど。
あたしが「ふぅ~ん」と言いながら、その質問をすると、
「言うは易く行うは難し。だよ」
と、大輔は、意外にも弱音をポロリ。
2人きりの列車の中で、イロイロ弱気なことを打ち明けてきた。
これも恒例になってしまった隣同士の討論会。
ま、別にいいけどさ。
あたしは苦手な牛乳をチビチビ飲みながら、大輔の話しに耳を傾ける。
「うちの部はさ…」
驚いた。なんでも完璧にこなす主将・遠藤大輔が、内に秘める悩み。
それはこうだ。
部員が多い分、どうしたって意識の統率は行き届かなくなる。
熾烈なレギュラー争いは、常にトラブルの原因になるのだ。
たしかに、たとえ練習試合でも、直前にいつもピリピリした雰囲気になるのはあたしもすぐに気づいていた。
大輔はその都度、協調性を取り持とうと部員に気遣うけれど、「あいつは加賀のお気に入りだ」とか「優等生ぶって調子に乗るな」とか、ヒソヒソ影口を叩かれる。
大輔もそれには気づいていても、極力気にしないようにはしている。それでも、たまにどうしようなくイヤになって、自己嫌悪に陥ってしまうんだとか。
本来であれば主将以下、副主将と各リーダー陣にも相談すべきところだけれど、肝心のそれがいまいち機能していない。みんな自分の事で精一杯だったり、口で言うほどリーダーの役割を果たしてくれていなかったり。だけど自分は、ディスカッションでそれを指摘するほどの存在なのかと自問自答。
「“主将”ってなんだろうな」
と、つぶやく主将。
「俺だってたかが高校生なんだけどな」
と、小声になるもうすぐ18歳。
このあたしですら、大輔のそんなの気配は微塵も感じなかったのに。
話しを聞き終えて、しばらく沈黙のあと、
「そっか…」
と、つぶやくあたし。
せっかく弱点を見つけても、全然うれしくなくて、なぜだか一緒に落ち込んでしまった。
牛乳をパック一気に握りしぼめる。
だってさ、こんな弱気な奴を見下してもうれしくないじゃん。
あたしは下を向きながら押し黙る。
「だから夢が必要なんだよ」
あたしは顔をあげて、大輔を見る
大輔は「ゴミ、よこして」と言いながら、牛乳パックを手に取る。
「夢を見ていると、それだけで元気になれるんだ」
コクンと心臓が動く。なんでだろう。
「マネージャーはいつの時代も、マドンナだからな」
……は? 少しがっかりする自分を、必死に否定する。
「監督さんの口癖でさ。『グラウンドの片隅に、かわいいマネージャーがただいるだけで、男っちゅーもんは頑張れるもんだ』って」
……そういうことか。
だからあたしは、屋外で事務仕事させられる羽目になったのか。
男心を巧みに操る、なかなかの戦略家。
加賀の奴、ある意味尊敬してしまうな。
「でも、それなら若菜もいるじゃん」
あたしは「自分で捨てるよ」と牛乳パックを取り返しながら、大輔にそう言った。
とことん女の子らしい若菜が、実は男子生徒に結構モテていることを、あたしはなんとなく知っている。
「たしかに。伊藤の存在も大きい。部員の中でも告白した奴が何人かいる」
大輔はヤレヤレという顔で、苦笑いをしている。
……あんたは?あんたも若菜が好きなのか?
牛乳パックをギュっと握りしめる。
別にどうでもいいけれど、あたしはこいつを派手に見下すんだ。
そんな小さい弱みを握ってもしょうがないじゃんか。
列車の床に白い水滴がこぼれる。
大輔はヤレヤレという顔でそれをティッシュで拭きとりながら、あたしを見ずにこう言った。
「俺はこれでも、けっこうみんなのコト、考えてんだけど…、な」
大輔はそのティッシュをポケットに突っこんで、反対側の車窓に映るあたしを眺めてため息を吐く。
「あんたはもう少し自分のことだけ考えたら?」
あたしは「ゴメンゴメン」と謝りながら話しを続ける。
「そんなんじゃさ、疲れない?人間なんて、得意不得意がある生きもんなんだし、さ」
あたしは反対側の車窓に映る大輔を眺めながら、組んでいた腕を後ろに回し、そのまま列車の天井を見つめる。
「だから夢が必要なんだよ」
大輔は、横目でじっとあたしを見る。
「あたしはあんたの専属ケアマネージャーか」
そう言ってその視線を外して、窓の外に見えるコンビニの灯りを眺めるケアマネ、もといゼネマネ。
「だけど、マドンナは誰かに独り占めされちゃいかんのだよ。夢くん」
大輔は座席に戻り、今度はあたしの差し出したウェットティッシュで手をふきふきして、それをコロコロ丸める。
「…それも加賀の持論?」
あたしは「よこしなよ」と手を差し出し、その丸まったものを、ティッシュに包んで大輔に尋ねる。
「いや、俺の持論だ」
「どういう意味だよ。それ」
…毎晩列車ん中で、あたしを独り占めするのはいいのかよ。
「なぁ夢」
「なんだよ」
「どう思う?」
「なにが」
…なんだよ。告白でもしようっての?
「直之、篤、2年のユウ。それに1年のシュウ坊」
…は?あんたまさかそっちの趣味?
「あー、あたしは別に男同士のアレは否定はしないけど」
「は?何言ってんの?そうじゃなくてさ…」
大輔は、座席に座ると、いつになくまた一段と真剣な表情になり、その4人についていろいろと弱音をこぼしはじめた。
…なるほどねぇ。主将もいろいろ大変なんだね。
いつの間にかあたしの肩をまくら代わりに、主将はいびきをかいて寝てしまった。
汗の匂いが鼻から入る。
それにも慣れてしまって、寝顔の優顔を眺める。
「ひがしみなと~、ひがしみなと~」
大輔のアタマを叩いて起こす。最近こいつは本気で寝ている。
「ん…また寝ちまった」
「さっさと降りろ。バカ」
「夢さ…」
「なんだよ」
「意外にやわらかいよね。二の腕のあたりとか」
「…ひと眠り10万。ぜってー払ってもらうからな…」
あたしは手の中にあったティッシュを大輔に投げつけて、【S・R・F・C SEINAN.RUGBY.FOOTBOAL.CLUB 遠藤大輔】ネーム入りバッグを、ホームに放り投げる。
「オットトト…出世払いでよろしく~♪」
と、バッグを「ヒョイっ」と拾い、今夜もまた、疾風のごとく走り去る大輔。
だけど、もうあんまり腹も立たなくなっている。
毎日毎晩こんな風にお悩み相談されているうちに、なんでも完璧にこなす遠藤大輔の弱みが次から次に見えてきて、手を貸してやってもいいかなとすら、思うようになってしまった。
床に落ちたティッシュを拾い上げて、真っ暗闇なその方角を眺める。
ま、あたしも一応、血の通った人間だから。ねぇ?
……あんたらも、血の通った人間ならいちいち盗み見してんじゃねぇぞ。子分ども……。
隣の車両でニヤニヤ笑う子分どもを睨む。
あんたらの主将は、あんたらのことで悩んでいるんだぞ。まったく。
拾い上げたティッシュを隣の車両に投げつけて、また、拾う。
ケアマネは何かと、忙しい。
…ったく。
「しんうおはま~、しんうおはま~」
「JR新魚浜駅」で下車して、足早に「相澤魚店」の裏口をくぐる。
「おお夢ぇ~おかえり~♪さっき秋本先生から電話あったぞ~。お前ラグビー部のマネージャー真面目にやってるらしいじゃね~か~。よかったな~カツオ~♪」
2階にあがろうとして茶の間を通るたあたしに、まるで親父のような口調で飲んべい共が大声を張り上げる。
まったく、どいつもこいつも!
サケ友だかなんだか知らないけど、人ん家を居酒屋のごとく勝手振る舞まって。
くそ親父!あんたも血の繋がった父親なら、担任からの電話ぐらい直接出なさいよ!
そのまま部屋に入り、すぐにパソコンの電源を立ち上げる。
青南ラグビー部選手名鑑を開きながら、さっきの大輔の話しを思い出す。
「小野寺直之、森田篤、2年のユウこと二宮雄一郎。それに1年のシュウ坊こと畑中修造…か」
あたしは、若菜からもらったいちごポッキーをぽりぽりしながら、一人一人のデータを眺める。
「背番号3:プロップ 小野寺直之 3年 【FWリーダー】 身長178cm 体重104㎏」
「背番号8:ナンバーエイト 森田篤 3年 【副副将】 身長183cm 体重75㎏」
「背番号15:フルバック 二宮雄一郎 2年 【2年サブリーダー】 身長177cm 体重72㎏」
「背番号20:畑中修造 1年 【1年リーダー】 身長173cm 体重67㎏」
「まったく。みんなガタイだけはスクスク成長してんだから…」
あたしは今度は、そいつらの過去の試合のクセ、日頃の練習を見てきた中で記録したデータを片っ端から眺め始めた。
副主将に各リーダー。か。
統一サイズで並んだ顔写真を画面に並べ、ゆっくり眺める。
小野寺直之のニキビ面を見る。
このひとは一言で言うと熱血の巨漢。あたしが提案した改革論も熱心に聴いてくれたし、グラウンドの外の作業も中心になって動いてくれている。少々自己中なところはあるけれど大輔が上手く調和させてくれていたし、砂浜の清掃活動や児童養護施設のタグラグビー大会ん時も、むしろほかのメンバーを上手にまとめて楽しく盛り上げてくれた。
通称「ユッキー」で、血液型はB型、か。関係ないか。そんなの。
いちごポッキーの2袋目を開ける。
「ポリ…ポリ…ポリ…」
なんでこんなに美味いんだろうね。コレ。
そういや若菜が「うちのママの実家がお菓子問屋さんで、毎日いろいろもらってくるの♡」とか言ってたな。
雑念を払って、森田篤の面長メガネを眺める。
このひとは、そうだなぁ。一言で言うと保守的な頭脳派。口数が少なくて落ち着きのある先輩って感じ?。いつも大輔やユッキーの二番手という立ち位置が気になるんだけれど…。まぁそのおかげで、ミーティングの資料集めは几帳面だし、試合観戦やレクリエーションの時も暴走する部員の歯止め役になってくれているもんな。あたしの「組織改革論」にも客観的な考察を的確に指摘して編集に付き合ってくれたし、熱くなるユッキーの扱いは大輔以上に慣れている。
ある意味副主将向き…ってね。
通称「あっちゃん」で、ユッキーとは幼馴染み。
…この人、A型だっけか。あ、やっぱり。
「ポリ…ポリ…ポリ…ふぅ」
いちごポッキーを食べ終わり、袋をクシャクシャさせる。
それをキーボードの脇に置いて、【2年】をクリックする。
え~と、二宮雄一郎。
クラスメイトなので、顔写真は見ない。
う~ん。へ~、あんたもA型なんだね。
意外だね。いつも教室でギャースカ騒いでいるくせに。
次に【1年】をクリックする。
畑中修造は…。O型か。O型って、リーダー格と甘えん坊も意外に多いんだっけか?
そういやあいつ…。
再び【2年】をクリック。
チビ助は…。B型か。なんか納得。自意識過剰だし。チャラチャラしているし。チビだし。
そうそう、若菜はさそり座のAB型なんだよね。
あいつ、一体どんな裏顔があるんだろ。ウシシシシ…。
ついでに…。
松岡拓実はAB型で、川口将輝はA型…。千葉…村上…。
いつの間にか血液型で部員の相性占いを始めてしまう、A型でうお座のゼネマネ。
気づくと、若菜からもらったハイチュウのピーチ味を、あぐらかいてクチャクチャしていた。
「………」
…おい、ゼネマネ。
お菓子食い食い部員同士の相性を調べてどうするんだ。
イヤ、これは占い好きのサトシのせいだからね。
それにさ、ホラ、もしかすると相性分析の一理になるかもしれないし。
「ユッキー」と「あっちゃん」はBとAだから、本来相性悪いんだよ?
誰もいない部屋でぶつぶつ言いながら、占いサイトを閉じる。
大輔の顔写真から「夢、まじめにやろうよ」という声が聞こえてくる。
…少しぐらい遊んだっていいでしょうが。別に。
自分で買ったパソコンなんだし。
ネットの接続はスイスイ早いし。
夜中にひとりでパソコンカチャカチャしていると、いろいろ誘惑が邪魔してくるんだよっ!!
「グぅ…」
小腹が鳴く。
若菜からもらったストロベリークリームパンをかじる。
「…甘っ…」
口の動きを止めた次の瞬間、
「お~い夢ちゃん!カツオの刺身食わね~か~!うまいぞ~♪」
と、サケ友の親分・ヨッサンのドデカい声が下から響く。
「いらない!夜中にうるさい!!」
と、心の中で怒鳴り散らしながら、カバンの中のアップルクリームパンとフルーツ・オレを見る。
若菜…。あんたはあたしを糖尿病で殺す気か。
それでも魚だけは…死んでも食わない。
糖尿病を覚悟で、それらを一気に腹に流し込む。
砂糖漬けされるゼネマネの血糖値が、急上昇する。
ふと考える。
…そういや、魚にもあるのかな。血液型とか。
「夢っ!!」
わかったかよ!やるよ!うるさいな~!
…あんたはO型で…。
「夢っ!!!」
…ハイハイ。スミマセン。てんびん座の主将殿。
その夜、チーターのゼネマネが、動物占いを徹底的に調べあげたとか、六星やら風水やらを徹底的に調べあげたとか、気になる方々は「ブログ・YUMEちゃんの覗き部屋」にでもアクセスして、テキトーに閲覧してね。
そしてあたしは、この夜初めて、「ビジネス」意外のメールを、それぞれの「神様たち」に打ち込んでは送信を続けた。
ところで。
なんで世の中には「夜の学校」を題材にした怪談噺が氾濫しているんだろうね?
コドモの頃から、誰となく語り継がれる「トイレの○○さん」やら「あかずの□□室」やら「うしろの××さん」やら。
もちろん、あたしはそんなもん無視して育ってきたから、ハナコさんとかいう女性に恐怖を抱いたことはないし、誰も近寄らない教室はむしろ好都合で、しょっちゅう隠れ家にして遊んでいた。
それでも、誰もいない「夜の青南高校」の薄暗い廊下はやけに静かで、自然に足早になる。
そういえば、この青南高校には伝統校らしく、長く受け継がれる七不思議があるって、伊藤若菜がはしゃいでいたな。
「トイレのカツマタ先輩」に「沈黙した海洋実習船」、「夜の職員室悲恋簿」に「無線機から聞こえる遺言」に、あと、なんだっけか。
戦時中はこの校舎の下に兵士の死体が埋没されて、海戦に出陣した多くの学徒の怨念が眠っているとかで。夜になると亡霊たちの「早く帰れ」という声が聞こえてくるんだってさ。
昇降口の時計を見る。
21:48分着発の最終列車に乗り遅れたら、無駄なタクシー代を払うことになるから、「早く帰れ」と聞こえてこなくても、いつの間にか走りだす。
昇降口を出ると、でかいバッグを抱えた連中がウロウロしていた。
「夢、一緒に帰ろう」
そんなこと言われなくても、列車の本数が少ない上に、登下校通路は一つなのだから、必然的に一緒になる。
ま、暗い農道を歩く都合上、そのあとに続く。
無人の「JR美松海岸駅」のホームに着くと、ラグビー部の連中数人があたしを囲んで談笑を始めた。
各々、惣菜パンやおにぎり、牛乳を口に運びながら。
あたしはその場を離れて、さっさと一服をしたかった。
駅ですることは、栄養補給じゃなくてニコチン補給なのに、あたしがそうできなかったのは、こいつのせいだった。
「夢はすごいだろ!」とか「夢は最高だ!」とか、意気揚々と連中に語り掛け、あげく「俺たちの夢は叶う!」とか「花園も夢じゃない!」と、連中を触発する遠藤。
まるで選挙に立つ立候補者のようにあたしを仕立て上げ、「夢さん!」とか「夢先輩!」とか言いよる支援者と一緒になって、あたしをその場に押さえつけた。
おいおい、今度は応援弁士のつもり?
まったく、あんたの言う「夢」は、夢なのか、「夢」じゃないのか、どっちなんだ!
まったく。まぎらわしい…。
ふいにぽっちゃりとガサガサ音がする。
「ハイ。ピーチジャムパン半分こにしよ♡」
支援者に交じってクスクス笑う、裁縫工場の跡取り桃娘。
伊藤若菜!あんたの席は「あいざわ」の後ろだろ!
さっきからあたしの隣をぽっちゃりと占拠し、「サクランボ・オレもあるんだよ♡」とか「イチゴジャムバタパン好き?」とか聞いてくる。
それを「あー」とか「うー」とかテキトーに受け流すあたし。
「好きなたべものある?」
と、めげずに聞いてくる伊藤若菜。
「セブンスター」
と、即答すると、
「それ、どんな味?」の続けざま、
「ねぇ♡あたしも『夢ちゃん♡』て呼んでいい?」
と、にっこりぽっちゃり微笑んで、あたしはジャムバタパンを吐き出しそうになった。
……どいつもこいつも…。
好きにしろ!!
イライラするキモチを必死におさえて、白壁にぶら下がるデカいアナログ時計を見る。
21:48分。
定刻通り、2両編成の下り列車に乗り込むと、当然のようにあたしの隣に座る、少々疲れ気味の遠藤。
今度はなに?応援演説で精魂尽き果てたっての?
周りを見ると、ほかの連中はどこかに消えて、なぜか2人きり。
車内には疲れた顔の他校生や、居眠りをするサラリーマン、ご年配のご夫婦が、広々した座席に足を延ばして散らばっている。
下らない車両の年功序列も、最終列車には関係ないようだ。
こんなに座席が空いているんだから、あんたもそこに座ったらどうなの?と思いつつ、それを口にしなかったのは、聞きたいことが一つあったからだ。
今にして思えば一生の不覚。
ウィキペディアがあったじゃないか。
「ところでさ」
あたしは遠藤をにらみつける。
「ん?」
相変わらず真っ赤な目。遠藤は少し眠そうな顔をしていた。
こんな美人と並んでいるのに、失礼な。
「あの、記号って、なに」
進路指導室で眺めた、ノートを思い出す。
「どの記号?CAD?それとも機械製図?」
違うでしょ。
「あの、ほら、“SO”とかって、やつ…」
緊急避難信号にしては、“S”が足りない。
「あー、スタンドオフね」
遠藤がガサガサと何やら取り出す。
「ラグビーのすべて」と書かれたタイトルの、一冊の本をあたしの目の前に突き出す。
「それ、貸してやるから読んでみろよ」
遠藤はそのままいびきをかいて眠ってしまった。
「ラグビーの…すべて~?」
読む気にもなれず、手のひらにずっしり乗っかったその本を、そのまま自分のカバンに放り投げた。
「あんたの「夢」も、この中に書いてあんの…?」
……。聞いてんのか!このバカ!
列車が揺れて、応援弁士から優顔に豹変した遠藤の頬が、肩にもたれかかる。
YUMEちゃんの肩は、時給2万円だぞ。
払いのけようとして、やめた。
調子が狂いっぱなしだ。
「つぎは~、ひがしみなと~、ひがしみなと~」
ところで。
JRのアナウンスの声はなんであんなに鼻にかかる声なんだろう?年中風邪気味なのか?
ダイヤは生真面目なのに、生活は不規則なのだろうか?
JRさんの睡眠時間をお察ししていると、
「あ、次で降りるわ」
遠藤が、パっと目を覚ます。
「うん。またね」
そんなこと言うとでも思ったか。
「ところでさ」
目をごしごしする遠藤。
「ところでさ、夢」
なによ、真剣な声で。
「俺、ずっと前から言おうと思っていたんだけど…」
声はさらに小さくなる。なんだよ。早く言え。
「だめだ、ここじゃ言えない」
遠藤は周囲を見渡して、ヤレヤレという表情を浮かべる。
「これも、読んでくれないか?」
カバンから封筒を取り出す。素早い手つき。
「ひがしみなと~、ひがしみなと~」
プシュ~っとドアが開き「寝心地よかったよ~♪」と疾風のごとく走り去る遠藤。
「あんた…。寝たふりだったのか!このペテン師がっ!」
思わず「起立!」して、あっという間に暗闇に消えたペテン師を見送るわけもなく、座席に「着席!」
「相澤 夢 様」
ご丁寧に筆文字で書かれた長封筒が、手に残る。
「なにこれ?謝礼?」
列車が再び、動き出した。
「しんうおはま~、しんうおはま~」
22:08分。
「JR新魚浜駅」の改札をダッシュで抜けて、「魚浜商店街」のところどころ切れた街灯の下を、足元を確かめながら、「相澤魚店」の2階に駆け上がる。
まったく。あたしはどこに行っても「魚」に囲まれている。
魚臭い家の中で、駅名をつけた連中を恨む。
パソコンの電源を立ち上げて、「YUMEちゃんの派遣屋さん」のHPにログインする。
“YUME”なんて名前を源氏名と信じているお客様が、神様に思えた。
神様たちの依頼内容を、一件一件眺めてゆく。
…しかしまぁ、次から次へとマニアックな依頼があるもんだね。
神様からのご要望は、常連になればなるほど細かくて、中には理解しがたいものもある。そりゃ少しは慣れたけどさ。
例えば…。
《希望日時:○月□日、19:30~21:00 希望内容 先週お願いした刺繍、その後いかがでしょうか?突如カラー変更の旨、お詫び申し上げます。お手数おかけして申し訳ありません。その御礼とお詫びに美味しいシチューなどご馳走させていただきますので、ご都合よろしければ遊びにお越しください。また肩など揉んでいただければ幸いです》
これはスズキシロウさん。
《希望日時:○月□日、19:00~21:30 希望内容 淡い桜色のエプロンを着用の上、ナスとピーマンのピリ辛炒めと味噌汁を作って、僕の帰りを待っていてほしいです。髪型は一つ結びでメガネも希望。できればモミアゲから、一筋髪の毛を垂らしてください。そして僕が家に着いたら「おかえり。ごはんできてるわよ」と言いながら、カバンとネクタイを受け取ってください。マンションの合鍵は、いつもの場所にあります》
これはミッチャン。
《希望日時:○月□日、17:50~21:00 希望内容:制服姿のYUMEちんを駅前まで迎えに行きたい。車に乗る前に「おにいちゃん、もう、遅いよ!」って怒ってもらいたいな。そのまま隣町までドライブして、新しいMACを買いに、いつもの家電ショップに行こう。あと、帰りにいつものファミレスに寄って、ご飯食べようね。できればその時、バナナパフェかイチゴパフェで悩んでほしいな。それで、8時半を過ぎた頃にいつものセリフ「おにいちゃん、明日もがんばろうね♡」と上目使い。よろしこ~♪》
これはサトシ。
その他にも、刺繍や縫い物だけの発送依頼や、写真撮影の希望などなど。とにかく細かくて、どれもこれもマニアック。
あたしはその案件一つ一つに、できること、できないこと、料金以外の経費が発生する場合の線引きや条件を設定して、またひとりひとりに返事を出す。
もちろん直アドや直電は絶対教えないけどね。
パソコンの画面とカバンを交互に眺める。
「ええと、スズキシロウさんの刺繍は…」
携帯電話を取り出す。
事前準備が必要なことを考えて、スケジュールに打ち込む。
ふとその手を止めて、ひとりごと。
「そういえば練習試合、いつなんだろうな?」
カバンの中から封筒を取り出して、開けてみる。
ちなみに列車の中で封筒を開けなかったのは、一部始終を盗み見していたペテン師の子分どもが影に隠れてチロチロみていたからだ。…あいつら、ネットで個人情報さらそうか。
「相澤 夢 様」
あらためて、封筒の文字を眺める。憎たらしいほど、綺麗な文字。
あたしは、B5サイズ三つ折りの便箋を見て、セブンスターの灰を、制服に落とした。
「アッ…チィ――――ッ!」
-------------------------------------------------------------------------------
商業経済科2年
相澤 夢 様
青南高等学校生徒会 会長
遠藤大輔 ㊞
時下、日ごろは本生徒会の活動にご理解賜り感謝致します。
またこの度の一連の粗相、あらためてお詫び申し上げます。
さて、私こと、遠藤大輔は、以前より貴女様の喫煙が、大変気になっておりました。
ご存知の通り、未成年の喫煙は法律でかたく禁止され、無論、本校でも喫煙は一か月以上の謹慎もしくは、改善の見込みがない場合は退学処分の対象となることが、規則により定められております。
なにより、貴女様の健康、健全な将来を案じると、私は大変心が苦しくなります。
そこで一つ、左記のとおりご提案申し上げます。
記
一、青南高校ラグビー部のゼネラルマネージャーに就任の上、朗らかに登校し、真面目に授業を受け、今後一切喫煙をしないことを交換条件に、これまでの喫煙の事実を、私は守秘する。
一、万が一、貴女様の喫煙もしくは疑わしき行為等が発覚した場合は、保護者合意の上家庭訪問を実施し、関係各法令並びに本校校則に則り厳正に処罰することを学校長に提言する。
一、本記に合意したことを証明する署名を青南高校ラグビー部入部届に記名捺印し、遠藤に提出する。
ご多忙の折、何卒ご検討の程お願い申し上げます。
以上
-------------------------------------------------------------------------------
―――やられたっ!!
あいつは手品師でも、組長でも、応援弁士でもペテン師でもない。
頭の切れる、生徒会長だ。
あたしはセブンスターをゴミ箱に投げ棄てて、制服に空いた穴を裁縫する。
ちくしょう!大事なユニフォームに傷をつけやがって!
「生徒会長の遠藤大輔です」
壇上に立ってニコニコ自己紹介をする、憎たらしい優顔を想像する。
お前…。本当は悪魔だろっ!!
翌日の昼休み。青南高校3階の南側校舎。
「大輔いるか―――っ!」
びっくりして集まる視線。
無理もない。
「機械創造科3年」の教室に、「商業経済科2年」の茶髪の小娘が、ズカズカと先輩を呼び捨てにして入ってきたのだから。
「おお!夢!どした?」
どした?じゃないだろうが!!
遠藤はノンキに弁当広げて、「最強スポーツ栄養学」とやらをもぐもぐしながらペラペラと読んでいた。
「あんた…っ!」
あたしはそのまま殴りかかりたかった。
「バンッ!!」
机の上に、紙切れを叩きつける。
弁当箱がびっくりしてジャンプする。
「ん?どれどれ?」
遠藤は箸を置き、足を組みながら「相澤YUME」と書かれた紙切れを眺め、涼しい顔をしてこう言った。
「ん~、ちょいとふざけてるが、ま、いいだろう♪」
次の瞬間遠藤は、いきなり立ち上がってあたしを抱きしめる。
ガチガチの筋肉が全身から伝わってきて、汗とブロッコリーの匂いが鼻から入る。
「―――!?…て…っめー…。なにすんだ!はなせ――っ!」
教室のど真ん中で犯そうってのか!?
「ん―――よし。良い匂い。やめたようだな」
クンクンと匂いをかがれる。
当たり前だ。タバコは夕べから吸ってないし、シャンプーは1本サンヨンパだっ!!
「相澤夢!」
あたしの両肩をがっしりつかんで、悪魔がにんまり微笑む。
「よろしくおねがいします。“ゼネラルマネージャー”さん♡」
…ちくしょう。
「…ヨロシクオネガイシマス。“エンドウ…シュショウ”」
……チクショ――――っ!!
大声で発狂しそうになって、シュショウの声がそれを遮る。
「…ところでさ、夢」
遠藤は席に座り、弁当箱を持ちながら、ゆでタマゴを口にくわえている。
「…なに、まだなにかあるの?」
色気のないその弁当の中身と遠藤を、あたしはイヤイヤと睨む。
「夢、朝ごはん、魚だった? なんか少し、魚臭い」
「…。トーストにジャムバターだっつの!」
朝ごはんのメニュー吐き捨てて、教室を飛び出した。
あたしはそのままトイレに飛び込んで、個室に入ってドアを閉める。
心臓がドキドキしている。
こんな顔、見せてたまるもんか。
あんなに力強く、抱きしめて。
「トーストに…」
つぶやきながら、熱くなった頬をつねって、ガチガチの筋肉の余韻を消そうとした。
でも、ダメだった。
男の人と、キスすらしことがない、自分の経験値に嫌気がさしてくる。
「なにがYUMEちゃんだ…」
自分の真っ赤になった顔を、元の美白に戻すために、わりと嫌いじゃない「パソコン情報処理実習」は欠席した。
ウイルス野郎のおかげで、あたしの脳内CPUはとうとう大炎上を起こした。
手すらも握ってこないお客様たちが、やっぱり神様に思える。
スズキシロウさんやミッチャン、サトシの顔を思い出して「YUMEちゃんの派遣屋さん」は、しばらく臨時休業する旨を伝えなくちゃならないと考える。
携帯電話を取り出す。
充電を忘れていたことに気づく。
…あたしとしたことが。
そのまま電源をOFFにして、とりあえず便所の水を流す。
無意識に内ポケットをイジイジして、それはすでに、ゴミ箱の中に棄ててしまったことに気づく。
イライラのぶつけどころがわからなくて、とりあえず壁を叩く。
「英語のミチタ先生LOVE♡」と、白い壁の落書きに気づく。
そしてまた、ガチガチの筋肉の余韻に浸っている自分に、気づく。
だけどあたしは、もっと重要なことに気づくべきだったんだ。
機械創造科3年の教室で、ちがう感情がうごめく、冷たい視線に。
なんで世の中には「夜の学校」を題材にした怪談噺が氾濫しているんだろうね?
コドモの頃から、誰となく語り継がれる「トイレの○○さん」やら「あかずの□□室」やら「うしろの××さん」やら。
もちろん、あたしはそんなもん無視して育ってきたから、ハナコさんとかいう女性に恐怖を抱いたことはないし、誰も近寄らない教室はむしろ好都合で、しょっちゅう隠れ家にして遊んでいた。
それでも、誰もいない「夜の青南高校」の薄暗い廊下はやけに静かで、自然に足早になる。
そういえば、この青南高校には伝統校らしく、長く受け継がれる七不思議があるって、伊藤若菜がはしゃいでいたな。
「トイレのカツマタ先輩」に「沈黙した海洋実習船」、「夜の職員室悲恋簿」に「無線機から聞こえる遺言」に、あと、なんだっけか。
戦時中はこの校舎の下に兵士の死体が埋没されて、海戦に出陣した多くの学徒の怨念が眠っているとかで。夜になると亡霊たちの「早く帰れ」という声が聞こえてくるんだってさ。
昇降口の時計を見る。
21:48分着発の最終列車に乗り遅れたら、無駄なタクシー代を払うことになるから、「早く帰れ」と聞こえてこなくても、いつの間にか走りだす。
昇降口を出ると、でかいバッグを抱えた連中がウロウロしていた。
「夢、一緒に帰ろう」
そんなこと言われなくても、列車の本数が少ない上に、登下校通路は一つなのだから、必然的に一緒になる。
ま、暗い農道を歩く都合上、そのあとに続く。
無人の「JR美松海岸駅」のホームに着くと、ラグビー部の連中数人があたしを囲んで談笑を始めた。
各々、惣菜パンやおにぎり、牛乳を口に運びながら。
あたしはその場を離れて、さっさと一服をしたかった。
駅ですることは、栄養補給じゃなくてニコチン補給なのに、あたしがそうできなかったのは、こいつのせいだった。
「夢はすごいだろ!」とか「夢は最高だ!」とか、意気揚々と連中に語り掛け、あげく「俺たちの夢は叶う!」とか「花園も夢じゃない!」と、連中を触発する遠藤。
まるで選挙に立つ立候補者のようにあたしを仕立て上げ、「夢さん!」とか「夢先輩!」とか言いよる支援者と一緒になって、あたしをその場に押さえつけた。
おいおい、今度は応援弁士のつもり?
まったく、あんたの言う「夢」は、夢なのか、「夢」じゃないのか、どっちなんだ!
まったく。まぎらわしい…。
ふいにぽっちゃりとガサガサ音がする。
「ハイ。ピーチジャムパン半分こにしよ♡」
支援者に交じってクスクス笑う、裁縫工場の跡取り桃娘。
伊藤若菜!あんたの席は「あいざわ」の後ろだろ!
さっきからあたしの隣をぽっちゃりと占拠し、「サクランボ・オレもあるんだよ♡」とか「イチゴジャムバタパン好き?」とか聞いてくる。
それを「あー」とか「うー」とかテキトーに受け流すあたし。
「好きなたべものある?」
と、めげずに聞いてくる伊藤若菜。
「セブンスター」
と、即答すると、
「それ、どんな味?」の続けざま、
「ねぇ♡あたしも『夢ちゃん♡』て呼んでいい?」
と、にっこりぽっちゃり微笑んで、あたしはジャムバタパンを吐き出しそうになった。
……どいつもこいつも…。
好きにしろ!!
イライラするキモチを必死におさえて、白壁にぶら下がるデカいアナログ時計を見る。
21:48分。
定刻通り、2両編成の下り列車に乗り込むと、当然のようにあたしの隣に座る、少々疲れ気味の遠藤。
今度はなに?応援演説で精魂尽き果てたっての?
周りを見ると、ほかの連中はどこかに消えて、なぜか2人きり。
車内には疲れた顔の他校生や、居眠りをするサラリーマン、ご年配のご夫婦が、広々した座席に足を延ばして散らばっている。
下らない車両の年功序列も、最終列車には関係ないようだ。
こんなに座席が空いているんだから、あんたもそこに座ったらどうなの?と思いつつ、それを口にしなかったのは、聞きたいことが一つあったからだ。
今にして思えば一生の不覚。
ウィキペディアがあったじゃないか。
「ところでさ」
あたしは遠藤をにらみつける。
「ん?」
相変わらず真っ赤な目。遠藤は少し眠そうな顔をしていた。
こんな美人と並んでいるのに、失礼な。
「あの、記号って、なに」
進路指導室で眺めた、ノートを思い出す。
「どの記号?CAD?それとも機械製図?」
違うでしょ。
「あの、ほら、“SO”とかって、やつ…」
緊急避難信号にしては、“S”が足りない。
「あー、スタンドオフね」
遠藤がガサガサと何やら取り出す。
「ラグビーのすべて」と書かれたタイトルの、一冊の本をあたしの目の前に突き出す。
「それ、貸してやるから読んでみろよ」
遠藤はそのままいびきをかいて眠ってしまった。
「ラグビーの…すべて~?」
読む気にもなれず、手のひらにずっしり乗っかったその本を、そのまま自分のカバンに放り投げた。
「あんたの「夢」も、この中に書いてあんの…?」
……。聞いてんのか!このバカ!
列車が揺れて、応援弁士から優顔に豹変した遠藤の頬が、肩にもたれかかる。
YUMEちゃんの肩は、時給2万円だぞ。
払いのけようとして、やめた。
調子が狂いっぱなしだ。
「つぎは~、ひがしみなと~、ひがしみなと~」
ところで。
JRのアナウンスの声はなんであんなに鼻にかかる声なんだろう?年中風邪気味なのか?
ダイヤは生真面目なのに、生活は不規則なのだろうか?
JRさんの睡眠時間をお察ししていると、
「あ、次で降りるわ」
遠藤が、パっと目を覚ます。
「うん。またね」
そんなこと言うとでも思ったか。
「ところでさ」
目をごしごしする遠藤。
「ところでさ、夢」
なによ、真剣な声で。
「俺、ずっと前から言おうと思っていたんだけど…」
声はさらに小さくなる。なんだよ。早く言え。
「だめだ、ここじゃ言えない」
遠藤は周囲を見渡して、ヤレヤレという表情を浮かべる。
「これも、読んでくれないか?」
カバンから封筒を取り出す。素早い手つき。
「ひがしみなと~、ひがしみなと~」
プシュ~っとドアが開き「寝心地よかったよ~♪」と疾風のごとく走り去る遠藤。
「あんた…。寝たふりだったのか!このペテン師がっ!」
思わず「起立!」して、あっという間に暗闇に消えたペテン師を見送るわけもなく、座席に「着席!」
「相澤 夢 様」
ご丁寧に筆文字で書かれた長封筒が、手に残る。
「なにこれ?謝礼?」
列車が再び、動き出した。
「しんうおはま~、しんうおはま~」
22:08分。
「JR新魚浜駅」の改札をダッシュで抜けて、「魚浜商店街」のところどころ切れた街灯の下を、足元を確かめながら、「相澤魚店」の2階に駆け上がる。
まったく。あたしはどこに行っても「魚」に囲まれている。
魚臭い家の中で、駅名をつけた連中を恨む。
パソコンの電源を立ち上げて、「YUMEちゃんの派遣屋さん」のHPにログインする。
“YUME”なんて名前を源氏名と信じているお客様が、神様に思えた。
神様たちの依頼内容を、一件一件眺めてゆく。
…しかしまぁ、次から次へとマニアックな依頼があるもんだね。
神様からのご要望は、常連になればなるほど細かくて、中には理解しがたいものもある。そりゃ少しは慣れたけどさ。
例えば…。
《希望日時:○月□日、19:30~21:00 希望内容 先週お願いした刺繍、その後いかがでしょうか?突如カラー変更の旨、お詫び申し上げます。お手数おかけして申し訳ありません。その御礼とお詫びに美味しいシチューなどご馳走させていただきますので、ご都合よろしければ遊びにお越しください。また肩など揉んでいただければ幸いです》
これはスズキシロウさん。
《希望日時:○月□日、19:00~21:30 希望内容 淡い桜色のエプロンを着用の上、ナスとピーマンのピリ辛炒めと味噌汁を作って、僕の帰りを待っていてほしいです。髪型は一つ結びでメガネも希望。できればモミアゲから、一筋髪の毛を垂らしてください。そして僕が家に着いたら「おかえり。ごはんできてるわよ」と言いながら、カバンとネクタイを受け取ってください。マンションの合鍵は、いつもの場所にあります》
これはミッチャン。
《希望日時:○月□日、17:50~21:00 希望内容:制服姿のYUMEちんを駅前まで迎えに行きたい。車に乗る前に「おにいちゃん、もう、遅いよ!」って怒ってもらいたいな。そのまま隣町までドライブして、新しいMACを買いに、いつもの家電ショップに行こう。あと、帰りにいつものファミレスに寄って、ご飯食べようね。できればその時、バナナパフェかイチゴパフェで悩んでほしいな。それで、8時半を過ぎた頃にいつものセリフ「おにいちゃん、明日もがんばろうね♡」と上目使い。よろしこ~♪》
これはサトシ。
その他にも、刺繍や縫い物だけの発送依頼や、写真撮影の希望などなど。とにかく細かくて、どれもこれもマニアック。
あたしはその案件一つ一つに、できること、できないこと、料金以外の経費が発生する場合の線引きや条件を設定して、またひとりひとりに返事を出す。
もちろん直アドや直電は絶対教えないけどね。
パソコンの画面とカバンを交互に眺める。
「ええと、スズキシロウさんの刺繍は…」
携帯電話を取り出す。
事前準備が必要なことを考えて、スケジュールに打ち込む。
ふとその手を止めて、ひとりごと。
「そういえば練習試合、いつなんだろうな?」
カバンの中から封筒を取り出して、開けてみる。
ちなみに列車の中で封筒を開けなかったのは、一部始終を盗み見していたペテン師の子分どもが影に隠れてチロチロみていたからだ。…あいつら、ネットで個人情報さらそうか。
「相澤 夢 様」
あらためて、封筒の文字を眺める。憎たらしいほど、綺麗な文字。
あたしは、B5サイズ三つ折りの便箋を見て、セブンスターの灰を、制服に落とした。
「アッ…チィ――――ッ!」
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商業経済科2年
相澤 夢 様
青南高等学校生徒会 会長
遠藤大輔 ㊞
時下、日ごろは本生徒会の活動にご理解賜り感謝致します。
またこの度の一連の粗相、あらためてお詫び申し上げます。
さて、私こと、遠藤大輔は、以前より貴女様の喫煙が、大変気になっておりました。
ご存知の通り、未成年の喫煙は法律でかたく禁止され、無論、本校でも喫煙は一か月以上の謹慎もしくは、改善の見込みがない場合は退学処分の対象となることが、規則により定められております。
なにより、貴女様の健康、健全な将来を案じると、私は大変心が苦しくなります。
そこで一つ、左記のとおりご提案申し上げます。
記
一、青南高校ラグビー部のゼネラルマネージャーに就任の上、朗らかに登校し、真面目に授業を受け、今後一切喫煙をしないことを交換条件に、これまでの喫煙の事実を、私は守秘する。
一、万が一、貴女様の喫煙もしくは疑わしき行為等が発覚した場合は、保護者合意の上家庭訪問を実施し、関係各法令並びに本校校則に則り厳正に処罰することを学校長に提言する。
一、本記に合意したことを証明する署名を青南高校ラグビー部入部届に記名捺印し、遠藤に提出する。
ご多忙の折、何卒ご検討の程お願い申し上げます。
以上
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―――やられたっ!!
あいつは手品師でも、組長でも、応援弁士でもペテン師でもない。
頭の切れる、生徒会長だ。
あたしはセブンスターをゴミ箱に投げ棄てて、制服に空いた穴を裁縫する。
ちくしょう!大事なユニフォームに傷をつけやがって!
「生徒会長の遠藤大輔です」
壇上に立ってニコニコ自己紹介をする、憎たらしい優顔を想像する。
お前…。本当は悪魔だろっ!!
翌日の昼休み。青南高校3階の南側校舎。
「大輔いるか―――っ!」
びっくりして集まる視線。
無理もない。
「機械創造科3年」の教室に、「商業経済科2年」の茶髪の小娘が、ズカズカと先輩を呼び捨てにして入ってきたのだから。
「おお!夢!どした?」
どした?じゃないだろうが!!
遠藤はノンキに弁当広げて、「最強スポーツ栄養学」とやらをもぐもぐしながらペラペラと読んでいた。
「あんた…っ!」
あたしはそのまま殴りかかりたかった。
「バンッ!!」
机の上に、紙切れを叩きつける。
弁当箱がびっくりしてジャンプする。
「ん?どれどれ?」
遠藤は箸を置き、足を組みながら「相澤YUME」と書かれた紙切れを眺め、涼しい顔をしてこう言った。
「ん~、ちょいとふざけてるが、ま、いいだろう♪」
次の瞬間遠藤は、いきなり立ち上がってあたしを抱きしめる。
ガチガチの筋肉が全身から伝わってきて、汗とブロッコリーの匂いが鼻から入る。
「―――!?…て…っめー…。なにすんだ!はなせ――っ!」
教室のど真ん中で犯そうってのか!?
「ん―――よし。良い匂い。やめたようだな」
クンクンと匂いをかがれる。
当たり前だ。タバコは夕べから吸ってないし、シャンプーは1本サンヨンパだっ!!
「相澤夢!」
あたしの両肩をがっしりつかんで、悪魔がにんまり微笑む。
「よろしくおねがいします。“ゼネラルマネージャー”さん♡」
…ちくしょう。
「…ヨロシクオネガイシマス。“エンドウ…シュショウ”」
……チクショ――――っ!!
大声で発狂しそうになって、シュショウの声がそれを遮る。
「…ところでさ、夢」
遠藤は席に座り、弁当箱を持ちながら、ゆでタマゴを口にくわえている。
「…なに、まだなにかあるの?」
色気のないその弁当の中身と遠藤を、あたしはイヤイヤと睨む。
「夢、朝ごはん、魚だった? なんか少し、魚臭い」
「…。トーストにジャムバターだっつの!」
朝ごはんのメニュー吐き捨てて、教室を飛び出した。
あたしはそのままトイレに飛び込んで、個室に入ってドアを閉める。
心臓がドキドキしている。
こんな顔、見せてたまるもんか。
あんなに力強く、抱きしめて。
「トーストに…」
つぶやきながら、熱くなった頬をつねって、ガチガチの筋肉の余韻を消そうとした。
でも、ダメだった。
男の人と、キスすらしことがない、自分の経験値に嫌気がさしてくる。
「なにがYUMEちゃんだ…」
自分の真っ赤になった顔を、元の美白に戻すために、わりと嫌いじゃない「パソコン情報処理実習」は欠席した。
ウイルス野郎のおかげで、あたしの脳内CPUはとうとう大炎上を起こした。
手すらも握ってこないお客様たちが、やっぱり神様に思える。
スズキシロウさんやミッチャン、サトシの顔を思い出して「YUMEちゃんの派遣屋さん」は、しばらく臨時休業する旨を伝えなくちゃならないと考える。
携帯電話を取り出す。
充電を忘れていたことに気づく。
…あたしとしたことが。
そのまま電源をOFFにして、とりあえず便所の水を流す。
無意識に内ポケットをイジイジして、それはすでに、ゴミ箱の中に棄ててしまったことに気づく。
イライラのぶつけどころがわからなくて、とりあえず壁を叩く。
「英語のミチタ先生LOVE♡」と、白い壁の落書きに気づく。
そしてまた、ガチガチの筋肉の余韻に浸っている自分に、気づく。
だけどあたしは、もっと重要なことに気づくべきだったんだ。
機械創造科3年の教室で、ちがう感情がうごめく、冷たい視線に。