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フジムラの8823ブログ

♪誰よりも速く駆け抜け LOVEと絶望の果てに届け
君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ♪

スピッツの8823(ハヤブサ)という曲です。
大好きな曲です。そこから由来しています。

「看板娘」がすっかり板についた10月下旬。
昼間は包丁。夜はパソコン。
あたしは毎日怒鳴られながらも、経営改革にますますのめり込んでいた。
社長は「魚」の腕が一流でも、経営手腕はあたしに軍配が上がるんだ。
社長の反論をどこ吹く風で、ちゃっかり「世界最高の魚屋さん 愛澤」のHPを立ち上げてみたり、通信販売はもちろん、ママさん向けの「カツオちゃんの刺身講座」を主催したり、「愛と夢のカツオ物語」なんていう広報まで作ってばらまいて、今や商店会の風雲娘とまで噂されるようになっていた。
刺身講座では、「魚の扱いは一流」の社長も「ママさんの扱いは小学生以下」で、あたしはサポートで同行したはずなのに、社長を差し置いてママさん達の手取り足取りを始める始末。
講座のあとには決まって「すこしはイソノくんを見習え!」と社長を怒鳴る「看板娘」
それに対して「お前もあいつにそっくりだ」と背中を丸める社長。
担当直入ではないけれど、少しずつ「おかあさん」の話題も、するようになった。
そうそう、ブログも始めたんだ!
あたしは今まで近づきもしなかったんだけれど、「新港魚市場」のすぐ脇には「オーシャン・シャーク・ミュージアム」なる観光施設が隣接されていて、「カツオ・サンマ水揚げ・ふかひれ生産日本一」を掲げる港町の歴史や概要を勉強できる資料館をはじめ、鮫の生態系を堪能できる「シャーク博物館」、マイナス20°の世界「氷の国の水族館」、ほかにも「漁船体験館」「鮫皮製品物産展」などなど、とにかく興味深いんだ!これが。
もちろんその「ミュージアム」にはお寿司屋さんや海鮮料理のお店が立ち並んでいて、鮮魚販売ブースや海産物コーナーの中では「ふかひれ」を使ったソフトクリームやハンバーガーも楽しめる、地元住民も必見の観光スポット。
あたしはお店が休みのたんびそこに通い、デジカメでそれらの写真を撮りまくってブログにUPをしまくった。
その他にも魚市場や漁船の風景、新鮮な魚をタイムリーに発信する内容は観光客にも好評で,、さすがに「ブログを見て来ました」と「相澤魚店」に来訪した観光客さんにはびっくりしたけれど、「せっかくだから」と歴史ある「魚浜商店会の見どころ」を案内する「看板娘」には、会長さん以下、商店会連中も社長もあきれていたっけか。
荒波のような「海の男達」の扱いにもだんだん慣れて、「魚市場の四天王」や「氷屋の暴走貴公子」、「箱屋のポパイ」からの熱烈プロポーズにも「今度の飲みにきてね~♡」とか「大人になってからね~♡」とか「それは秘密だよ~♡」とか愛嬌を振る舞えるようになっていた。
無論、彼らの質問の中身は、ここでは言えないから、テキトーに想像をしていただきたい。

 ある日。
あまりに忙しいから「看板娘」は社長に聞いてみた。
「やっぱり刺身講座なんてやめようか?」
一応親父を心配する娘。
「それなら一人雇おう」
珍しく前向きな発言をする社長。
「そんなに無理しなくていいよ」
心配したあたしがバカだった。
「カツオちゃんて響きも悪くない」
初のモテ期を喜ぶ親父。
ウキエさんも出席しているのか?
そのうちカオリちゃんと再婚するとか言い出すなよ。
それも悪くないと思える、今日この頃。
 ある平日の朝。
あたしはいつものように朝ごはんの片づけをしていた。
今朝のメニューはサンマの塩焼き。それも2週間連続。
さすがの親父も「見たくない」と言って残しちまった。
不覚にも、今やあたしの大好物となり、ネットで栄養価と生態系まで調べる始末。
港町の公式HPに堂々と掲げられている、
【サンマ水揚げ日本一】
の文字を眺めて、自分の生まれた街に感謝した。
「美味しいサンマの口説き方でもブログに書こうかな~♪」
そんな事言いながら、フンフン新聞を眺める。
一面の見出しにでかでかと
【サンマ水揚げ好調・今期最高】
ヨシヨシ♪
新聞をめくる。
【目指せベスト4!青南の快進撃】
‐主将遠藤・4トライの活躍‐
ヨシヨシ♪
 「………」
…何がヨシヨシだ。

「すみません。社長。今日はお休みさせてください」
「世界最高の魚屋さん 愛澤」に勤めてから、初めて口にする、休暇希望。
社長は少し驚いたけれど、訳も聞かず、「ゆっくり休め」と、言ってくれた。
あたしはそれから、ゆっくり2階に上がり、ベッドにうつ伏せになる。
カツオをさばいている時も、サンマを焼いている時も、いつだって、頭の中では同じことを考えていた。
「みんなにも食べさせたい」
「みんなにも教えてあげたい」
「チビ助、ユッキー、あっちゃん、ユウコ、シュウ坊…。あんたたちに食べさせたい…」
「若菜、糖分ばっかじゃなくてDHA摂れよ…」
「みんなのために…」
「大輔にのために、やってあげたい…」
「………」
…今、あたしができることはなんだ?
…こうして布団にふせって泣くことか?
…考えろ。「退学届?」「退部届?」
紙切れの問題じゃない。
精神論だ。
「ONE FOR OLL OLL FOR ONE。 俺が「夢」と同じくらい好きな言葉なんだ」
大輔の笑顔が浮かぶ。
「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために いい言葉だろ?」
…本当にいい言葉だよ。
「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために」
「あたしはみんなのために みんなは、…みんなは?」
こんな不良なゼネラルマネージャーのために、誰が動いてくれるんだ?
…こんなあたしのために。
…あたしはみんなを裏切った。
…みんなの「夢」を踏みにじるコトをした。
…どんなに償っても、過去は消えない。
「俺は「夢」を叶えたい」
…大輔…。
…飛び起きて、パソコンの電源を立ち上げる。
…急いでインターネットに接続する。
「修英学園高等学校ラグビー部」のHPを睨みつける。
大輔、あたしがあんたにしてあげられるのは、一緒に「夢」を叶えることだ。
たとえそれが、グラウンドの片隅じゃなくても。
それから丸5日間。
あたしは、「看板娘」を休業した。
「打倒修英の道」を、なんとしてでも完成させなくちゃならない。
試合は今度の11月8日、日曜日。午後1時キックオフ。
カレンダーを見る。今からじゃ10日も時間がない。
「修英学園高等学校ラグビー部」
この名前は、一生忘れない。
思い出す。
―――春の高校総体。
まだ“新入部員”だったあたしは、パソコン打ち込みながら思わず指の操作を誤った。
「赤い天才集団」花園常連は《86―0》という圧倒的なスコアを叩いて3回戦に出場を決め、そのまま当然のように優勝。
「蒼い伝統」青南は「遠藤のワンマン」と吐き捨てられて、2回戦で姿を消した。
あたしは今でも忘れられない。
うるさいだけのデブ、デカいだけの根性なしとユッキーとあっちゃんを笑い、マーちゃんとユウコはトタン板にもならない、松岡拓実?そんな奴いたか?と試合会場の外で聞こえよがしに笑っていたあいつらの顔。
大輔はあの時、それに気づいていたけれど何も言わなかった。
大輔は目を真っ赤にして「本気の目」をして西の空を見ていた。
「夢」の方角。
花園の方角を静かに見つめていた。
後半から出場したチビ助は、素早いだけのチビガリ君とバカにされて、ヘトヘトだったくせにひとり隠れて筋トレをしていた。
そのうちに大輔、ユッキー、あっちゃん、ユウコ、拓ちゃんとマーちゃん、みんなも加わって。
誰も一言もしゃべらず、ただもくもくと、それぞれに汗を流していた。
あたしはなぜかそれは見ちゃいけない気がして、進路指導室の窓から、真っ暗なグラウンドを静かに眺めていた。
「赤い天才集団」…か。
HPに並ぶ文字を見る。

背番号3…巨神・峰岸徹
背番号4…空中の魔術師・高柳翔吾
背番号7…破壊請負人・藤田貴之
背番号8…華麗なる司令官・緒方慎之介

…FW陣にオールジャパン候補が4人。

背番号10…燃ゆる闘将・大阪悠馬
背番号11…紅の神風・神田隼人
背番号15…鉄壁の巨城・西城鉄平

…BK陣にもオールジャパン候補が3人。
他の選手も、サブメンバーまで県選抜選手が名を連ねる。
総合力、技術、体力と体格、運動能力、その全てが超高校級。
どこを見ても、明らかにレベルが違う。
「背番号10・ 大阪悠馬」
大輔を「ワンマン」と笑った涼しい顔を思い出す。
「赤い天才集団」悔しいけれど本当にその通りだ。
こいつらだって「天才」の裏では並々ならぬ努力をしているはず。
でも、でも、何かがあるはずだ。
あいつらだって、「伝統の青南」だって、死にもの狂いで闘ってきた。
「勝ちにこだわる執念」
「絶対にあきらめない精神」
この半年間、「花園へ」を合言葉に、必死で闘ってきた。
青南の武器はなんだ。
「青南高校ラグビー部」のHPへアクセスする。
懐かしい壁紙を見つめる。
あいつらの顔を思い浮かべながら、
選手名鑑を、開く。




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―――若菜だ。すぐにわかった。
一人ひとりの身長や体重が、細かく書き換えられている。
戦績も戦況も、こんなに細かく…。
若菜独特の桃色文脈は一目瞭然だ。
一見中学生並の綴りだけど、真心込められた文章だよ…。
あいつ…。パソコンも作文もレポートも大の苦手なくせに…。
他のメンバーに代ってもらえたはずなのに…。
あっちゃんや村上に気遣ったにちがいない…。
BBSや写真アーカイブまで丁寧に更新して、「S・R・F・C伝説11月号」も、きちんとバックナンバーに掲示されている…。
これじゃ徹夜だったろう…。
「夢ちゃん♡何か食べたいものない?」
「…若菜…」
胸がしめつけられて何も食べられないじゃないか…。
千葉、村上、熊谷、佐藤…。
一人ひとりの顔を見る。
ユッキー…。グラウンド目いっぱい走っているね…。
あっちゃん…。ラインアウトの成功率、すごいよ。
ユウコ…。ほとんど零封じゃん。見直したぞ。
拓ちゃん、マーちゃん…。そうか、ちゃんとレギュラー掴んだんだ。さすがだね…。
シュウ坊…。まったく。「青の14」は大原に譲ったくせに、6トライも取るなんて、ホント生意気なんだから…。
「…チビ助!?」
あんた!?またデカくなったの!?
「夢!おかわり!!」
あいつ…。どんだけ牛乳飲んだのよ。
「チビ」って、呼べないでしょうが…。
 目頭をおさえて、ページをスクロールする。

総務/ゼネラルマネージャー 相澤 夢 2年
総務/チーフマネージャー 伊藤若菜 2年
総監督/部長 加賀壮二郎

―――キーボードの脇に、大粒の雫が、落ちる。
…みんな、いいの?
……あたしの名前を、削除しなくて。
………あたしはまだ、【青南の戦士】の一員でいて、いいの?
…「退学届」も、「退部届」も、出したでしょう?
2滴…3滴…雫が頬を、つたう。
大輔…。いいの?
あたしはまだ、みんなの「仲間」でいて、いいの?
写真の一枚一枚を、見る。
大輔…。どの試合でも、あんたは「本気の目」で闘っているね。
大輔…。あんたは本当に、格好いいよ。
大輔…。
涙を、ぬぐう。
「………」
―――考えろ。思い出せ。
春の高校総体。DVDで繰り返し見た「赤い天才集団」の動き。
相手も同じ高校生。どんな天才でも、絶対に弱点はある。
一人ひとりの成長幅には、法則性があるはずだ。
攻撃と守備の動きにはクセがあるハズなんだ。
「花園へ」の想いは負けていないんだ。
あの時の「赤い天才集団」を、睨みつける。
「赤の3」峰岸に押し込まれたスクラム。
「赤の4」高柳に届きもしなかったラインアウト。
「赤の7」藤田に吹き飛ばされたBK陣。
「赤の8」緒方に蹴散らされたFW陣。
「赤の11」神田に幾度も突破されたゴールライン。
「赤の15」西城に触れもしなかった「蒼の戦士達」
「赤の10」大阪の代わりにサブを途中投入された屈辱。
唇を噛みしめて、キーボードを叩く。
何か…抜け道は…。
何か…打開策は…。
「………」

……夢を見た。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
…夢の余韻にひたる。
花園ラグビー場の、グラウンドのど真ん中。
大輔が「夢、ありがとう」って、あたしに抱きつく、夢。
ガチガチな筋肉にギュウっと抱きしめられて、あたしもそれを、ギュウって抱きしめた。
大輔は「いい匂いだな」って、髪を優しく撫でてくれた。
あたしはその胸で泣きじゃくった。
大好きな汗の匂いが全身を包み込む。
…大輔、よかったね。大輔、おめでとう。大輔、大輔、あたしは、あたしは、大輔が…
 ……。
「…俺が、何?」
「………」
―――ん?
「夢、お前、いい匂いするな。シャンプー何使ってるの?」
「CMでやってるサンヨンパだよ♡大ちゃん♡」
言うわけもなく、見事なスクリューブローが、大ちゃんのアゴにキマッた。
ナイストライ。
このあと、あたしがどんな風に大ちゃんを吹き飛ばして、どんな風に嵐を巻き起こしたか、テキトーに想像してくれとは、死んでも言いたくない。

とりあえず、あたしは今、包丁を握りしめている。
「いや~、カツオさんのカツオの刺身、最高ですね~♡サンマの塩焼きも、舌がとろけますよ~。あ、夢、おかわり♡」
…おかわり♡…ぃ? あんた、それ以上食うなっ!!この変態が!!…
包丁を握る手が、ギュウっとなる。
「う~ん、いいね、その食いっぷり。惚れたっ!」
くそ親父も!!なにが惚れたっ!だ!!
愛する娘の部屋に、変態野郎を、「どうぞお願いします」なんて普通入れるか!?
「ん~、あんた気に入った。どうだ一杯♡」
おいヨッサン!未成年に酒なんか勧めるな!
あたしは炊飯ジャーをちゃぶ台に叩きつけて、包丁を突出してそれを奪い取る。
「何、夢。なんでそんなカリカリしてんの?」
「お前、カルシウム足りないんじゃない?」と、とぼけた顔して言いながら、口ん中に突っ込んだサンマを「食う?」って箸であたしに向ける変態。
「…あたしの主食は…トーストにジャムバターだっ!!!」
主食をのメニュー吐き捨てて、包丁を投げ飛ばし、2階にドスドスあがる。
「バタンッ!!ガチャっ!!」
部屋に鍵をかけて、ベッドに伏せる。
何なの一体!!信じらんないーっ!!
やっぱりあいつは変態だ!
毎晩徹夜でヘトヘトになって、疲れて寝ていたあたしの布団の中に、勝手に忍び込んで添い寝するなんて!
「…ん?」
待てよ、あの変態、どうやって鍵開けたんだ…?
窓もドアも、しっかり施錠していたはず…。
「…夢、ありがとな」
背後から声がする。
「………」
――ん?
髪を撫でられる。
―――!?
「あんた…。どうやって忍び込んだっ!!この変態!!」
ベッドから顔を起こして、殴りかかろう…と、した拳を、おろす。
目の前にいたのは、変態な鍵師でも、頭の切れる生徒会長でも、遠藤主将でもない。
あたしが、1日も忘れることができなかった、優しい顔の、大輔だった。
「………」
「夢、ありがとな。コレ」
大輔の手に、しっかりと握られた、「打倒修英の道」のファイル。
「………」
「俺、いや、俺たち、絶対「夢」叶えるから」
「…………」
――――胸に、飛び込む。
優しく、抱きしめられる。
強く、抱きしめる。
「…ごめん。ごめん。大輔…」
泣きじゃくる。
「大丈夫…。大丈夫。夢はひとりじゃない」
今度は強く、抱きしめられて、
「…あたし…あたし…」
さらに強く、抱きしめる。
…ス…っと、腕から、はなされる。
「夢は、みんなの「夢」だ」
あたまのてっぺんに、優しいゴツゴツの感触が、つたわる。
「なぁ夢。俺たち、いよいよ準決勝まで、進んだぞ」
「…知ってたよ…ヒック…1日だって…ヒック…忘れることが…ヒック…できなかったよ…」
「夢のおかげで、青南は強くなった」
「…当たり前だろ…ヒック…あたしを…ヒック…誰だと…」
「あぁ、わかってる。お前は最高のゼネラルマネージャーだ」
「…でも…ヒック…みんなは…ヒック…」
「大丈夫。試合のたんびに、みんな口をそろえて『夢のおかげだ』『夢がいたからだ』って、お前の名前を叫んでいたよ」
「…ヒック…でも…あたし…グス…」
「なぁ夢。聞いてくれ。俺たちはさ、3年間、闘ってきた。でもな、お前が、夢が来てくれてからの青南は、明らかに変わった。勝ちにこだわる執念。最後まで絶対にあきらめない精神。夢の気持ちが、みんなを変えたんだ。これは、俺一人じゃ、できないことだった」
「うッ…うッ…でも…」
 「ユッキーもあっちゃんも、ユウにシュウ坊に拓ちゃんマーちゃん。それにコウシも、みんな、64人全員『夢のために勝とう』『夢が帰ってくるまで負けてなんかいられない』って、毎日本当にうるさいんだぜ?」
 「…あたしの…ために…?」
 「あぁ、みんな、夢が、どれだけ青南ラグビー部のために動いてくれたか、わかっているんだよ」
 「…でも…」
 「お前ひとりにだけ、つらい思いをさせて、本当に悪かった」
 「…でも…それは…」
「…アレ、そのおかえし」
視線が、部屋の隅に向く。
でっかい段ボールが、3つ。
「………?」
「「夢」を叶えるのか、「夢」をあきらめるのか、あとは、夢の、気持ちしだい」
最後にもう一回あたまをポンポンして、大輔は「ごちそうさま」と部屋を出た。
最後は礼儀正しい、遠藤紗江子の愛息子。
段ボールを見る。なんだろう?おいてきたままの荷物かな?
段ボールに近づいて、開ける。
「……」
――――――床に崩れて、泣く。

「俺たちには、夢が必要だ」

でっかいマッキ―で書かれた手紙の下に、大量の署名。

「我が校は全校生徒数480名を誇る…」

校長の話しを思い出す。
ほぼ全校生徒数に匹敵する、名前の数々。

「がんばれよ~青南!!」

500人以上の、保護者や、近隣住民・商店、支援者・OBの署名。

「いつでも連絡くださいね」

クラス全員の名前と、校長、加賀、秋本、教職員全員の、署名。
あいつらだ…。
練習でヘトヘトに疲れているはずなのに。
授業そっちのけで学校中走りまわって、夜遅くまで町中頭下げて廻ったに決まっている。
…みんな。
…もう一つを開ける。
見慣れた桃色文脈の手紙を読む。
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夢ちゃんへ。
元気? 若菜は元気だよ。あのね、夢ちゃん。
若菜やっぱり、裁縫は苦手かも。
少しやり残したから、お手伝い、よろしくね♡
若菜♡
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大量のお菓子と、ピンク色の新品パーカーの下に、見覚えのある布が見える。
青い下地に、黄色い横線。
「蒼い伝統」の、ラグビージャージ。
そして…。
「青の10」のゼッケンと、裁縫箱。
――――――若菜。

「これは夢ちゃんの仕事でしょ?」

指を痛めながら、徹夜でゼッケンを縫い上げる、若菜の声が、聞こえる。
…最後の箱を、開ける。
「S・R・F・C」
見慣れたロゴ入りの、パソコン。
個性豊かな、64人分の字で埋め尽くされた、寄せ書きのバカデカイ色紙。
ユッキー、あっちゃん、ユウコ、シュウ坊、拓ちゃんにマーちゃん、みんな…。
1/4を支配する、見慣れたでっかい文字。
――――――チビ助。

「夢の作った梅干しおにぎりが食いたい!!!」

…大輔の名前を探す。
…無い。
マンガ本やらCDやらアイドル雑誌やら、大量のガラクタの一番に下に、長封筒。
見慣れた綺麗な、文字。
封筒を、開ける。

相澤 夢 様
「俺たちには夢が必要だ」プロジェクト 代表
青南高等学校ラグビー部 主将
 青南高等学校生徒会 会長
 
遠藤大輔 ㊞

あとは、夢の、気持ち次第。
退部届も、退学届も、俺の一任で、受理はさせない。
「ONE FOR OLL OLL FOR ONE」だろ?
一緒に、「夢」叶えような。
県営スタジアムで、待っている。


…大輔。あんた本当に、肩書き多いんだね…。
泣きじゃくって、手紙を握りしめる。

あとは、夢の、気持ち次第。
…あたしは…

一緒に、「夢」叶えような。
…あたしは…
……あたしは……

「県営スタジアムで、待っている」

………でも………


「JR新魚浜駅」から歩いて15分。
「魚浜町商店街」のちょうどド真ん中。
少し店構えは古いけれど、イキのいい新鮮な魚と、脂の乗ったカツオ。
それに、とびきり可愛い看板娘がいる、魚屋さん。
そこがあたしの、大好きな職場だ。
…言えるわけ、ない。
…声もすらも、出ない。
「なんなのよコレ、気持ちわるい――――ッ!ウェッ…」
「あ、そこはカマだから捨てちゃだめだ。酒の肴に最高なんだ…」
カマぁ~?あたしは包丁でカマしてやりたい気分だ!
大声で社長に“あくたれる”娘。
時節は残暑お見舞い申し上げる8月中旬。
あたしは長靴とカッパを身に纏い、包丁握って格闘していた。
誰と?
まな板の上の、マグロと…。
…オェッ…
始めて触る生魚の感触。
鼻を襲う生臭い刺激臭。
こんなこと、信じてたまるもんか…。
なにもかもが、信じられなかった…。
お母さんの愛情すらも…。

あの時、魚市場でずぶ濡れになって、茫然とするあたしに紗江子さんは、「夏休みったら稼ぎ時っショー♡」と言い放ち、あたしもあたしで「どこで働くんですか?」なんて間抜けな質問をしたもんだから、ヒョイっと軽く担がれて、いきなりカツオの前にたたき降ろされた。
次の瞬間お母さんはまるでソウチョウさんに豹変し、
「ほら!あいさつはどしたー――ッ!」
と、あたしの後頭部を声で殴りつけた。
女社長は異常なほどあいさつにきびしい。
あたしが「は?」って顔したらゴツンッ!と頭を殴られて、「目の前に社長がいるだろう」とすごまれたあと、グイって身体を反転させられて、ガシっと頭を掴まれた。
「よろしくお願いします。相澤社長。ホラ、テメエもだ」
「……イテテテッ、よ、よろしくおねがいします。あいざわ……社長!?」
あまりに無様だったから、説明もしたくない。
そしてそこから、あたしの仕事は始まった。
そう、文字通り、そこから。
「仕事があるからお先します♡」
と、愛洋丸さんは疾風のごとく消え去り、残されたあたしは“社長”と2人、市場を回って魚を口説く。
脂の乗ったカツオ社長と、ずぶ濡れノースリーブ&シュシュのコンビ。
当然だけれど、視線がイタイ。
魚の匂いが平気だったのはほんの一瞬だった。
だんだんと鼻を襲うは厳しい現実。
目にどんどんと飛び込むは悲しい生命の終末。
「市場の経済は地獄絵図だ」
檀上の上から授業してやりたかった…。
そしてその後、あたしがどこで何をどんな風にリバースしたか。
 イロイロとナニをアレして水に流したか。
 それだけは、そうぞうしないでほしい…
…普通は「明日から」とか言うもんじゃないのぉぉぉぉ――!?
トイレの中で、もとい心の中で大絶叫した愛娘。
その日1日、お母さんが地獄の閻魔大魔王にしか思えなかった。
 その夜の夢は、当然だけど、言いたくない…。

 そしてスッキリと晴れ渡った次の日。
そこから本当の“仕事”が始まった。
まだ朝靄が白々しい4時半に起きて、社長と2人「相澤魚店」の看板が入った軽トラに乗り込み、市場で魚を買い付け、戻ってすぐにそれをさばく。
そしてそれを手速く店頭にならべて、ぞくぞくと買いに来る常連の奥様や、おじいちゃんおばあちゃん、小銭を握ってお使いに来る子供達に「ありがとう」と言って渡す。
日の暮れる頃に売り上げを勘定して、なかなか繁盛している店だったことに驚かされた。
もう一つビックリしたことがある。
「あら夢ちゃんお手伝い?」とか「あら夢ちゃん美人になって」と、顔もよく知らない近所の人たちが、あたしを名前で呼んでくる。
自分のことを知る人が、こんなにいたなんて。
あまりにそれが予想外で、「はぁ」と「あぁ」とかしか言えず立ち振る舞うあたし。
社長はそんな愛想の悪い「看板娘」を大声で怒鳴る。
 「バカ野郎!あの人はナリミヤの若旦那さんだ」
 「バカ野郎!今のはヨコテンの社長さんだ」
 「バカ野郎!あの方は元の大家さんだ」
 「お前がガキん時から世話になってんだよ!バカ野郎が!!」
と、記憶にすらない時代のことを持ち出しては大声を張り上げる。
 挨拶。口調。態度、。つき。声色。「看板娘」の一挙手一投足。
 まさに爪の先からアタマのてっぺんまで、徹底的に全否定をしてくる鬼社長。
 紗江子さんの手前一応ハイハイはしていたけれど、あたしの頬と不満はどんどん膨れた。
 茶髪はいいのかよ?ねぇ?
 その上「看板娘」は査定もされた。
「お前の腕は時給100円にもならん」
そう文句をつぶやきながら、つまらないパック詰めや掃除ばっかりさせていた鬼社長。
時給1万円の「女子高生様」から99%も割安になった「使いものにならない看板娘」のはずなのに、半月後、いきなりあたしの部屋をノックして「給料日だ」と不愛想に6万円も渡してきた。
あたしが「こんな大金受け取れない」と返すと、「うちはこれでも労働基準法を守っているんだっ!!いいから受け取れ!!」とでっかい声で怒鳴られた。
なにをやっても怒鳴られる。
どこを触っても否定される。
優しかったのは最初の2~3日。
だから余計に不思議な感覚。
だって、今までのあたしは“お客様”を選ぶ立場だったのに。
自分がイヤだと思うものはやらなくても、それでもどんどんお金が入ってきたのに。
怒鳴られてイヤなこと尽くめの「相澤魚屋」初給料。
1万円札が5枚と、千円札が5枚に、小銭が440円。皆勤手当に5000円。
いつもこの倍は財布に入っていた。
あけど、あまりにもそれが重いから、しばらく両手で高らかに掲げてしまった。
ほんの一瞬だったけれど、鬼社長が大仏様に思えた。
そんな「看板娘」は、キッチリ法定労働時間内しか働かせてもらえない。
朝が早い分休憩は、午前1時間、お昼2時間、午後1時間、「休め!」と怒鳴られて無理にでも休ませられる。
それでも社長は絶対休まない。
お茶菓子程度は食ってもいいんじゃないの?と思うんだけれど。
もちろん、待遇はある意味良いとはいえ、この仕事をそんなにすぐには好きになれなかった。
だけど、魚の匂いに慣れるのと比例して、一方ではものすごくためになる「経済の勉強」を否定はできなかった。
鬼社長の隣で毎朝毎日、お店と市場を行ったり来たり人と接するうちに、その業界ならではのルールの奥深さに心底驚いた。
美味しい脂の乗ったお魚さんがお客様の口に届くまでは、本当に多くの人たちの洗練された連係プレーがあることに、あたしは目からウロコの連続劇場だった。
季節や天候に始まり、漁場の具合に海流の変化、入港する船の種類と続き、お魚さんの種類・名称・個体差・目利き・単価・相場。
さらには市場のニーズや鮮度の保ち方、美味しい食べ方と梱包に配送方法。一度言われただけじゃわからないことが複雑に合理的につながり合って、市場を中心に港町の経済が成り立っている。
記憶力と分析力には自信があったはずのあたしなのに、どっちが美味しい魚か見極められずに悩んでいると「なんでも教科書通りじゃねーんだよ」と、輪切りされたそれの尻尾を一瞬見つめ「コレだな」と瞬時に判断する鬼社長。
鬼社長は「これがなきゃ仕事にならん」と、手カギと懐中電灯を持ち歩き、専門用語の飛び交う濡れたコンクリートの上を、「これが丸物であっちが長物。ここからが上、中、下。間違えるなよ」と、いろいろに授業しながらズンズン突きすすみ、看板娘がその背中を追う毎日。
市場の中をぐるりと見渡すと、一見無秩序に並んでいる「お魚さん」たち。
だけど、種類はもちろん、鮮度や脂の乗り具合、大きさなどによって合理的に配列されていて、どれも似たようにしか思えない「お魚さん」たちにもさまざまな個性があり、さらには人によって呼び方が違うのもアタマを混乱させた。
例えば一言で「マグロ」と言っても、代表的な「ホンマグロ」を筆頭に「メバチ」「キハ(ワ)ダ」「ビンチョウ(ナガ)・トンボ」「メカジキ(メカ)」「マカジキ(マカ)」などなど、とにかくややこしい。
特にこんがらがったのが「メバチ」だ。
「バチ」とか「チュウバチ」とか「ダルマ」とか、早口な市場のオジサン達が「カツオんところの夢ちゃんか♡」とか言いながら色々教えてくれるんだけれど、あたしは何がなんだかわからなくて「はぁ」とか「なるほど」とかしか言えず、「まぁそのうちわかるからよ♡」とオジサン達に肩を叩かれる。
鬼社長は「コラ!ウロチョロしてっとフォークにぶつかるぞ!」とあたしの手を引っ張り、不愛想に「ゆっくり覚えればいい」と背中を向ける。
すべりやすいコンクリートの上、手カギでお魚さんのお腹をペラっとめくっては懐中電灯をあてて見つめ、ふいに覗き込んで時に匂いをクンクンし、真剣なまなざしでプロポーズをしてゆく鬼社長。
鬼社長はさも当たり前のように、淡々とそれらをこなしていったけれど、単に包丁さばきが上手いだけじゃ魚屋は勤まらないってことを、学んだ。
ま、あたしはあたしで、ピンクジャージから白い長靴とジーンズに衣替えをし、自慢のナチュラルブラウンをシュシュで束ね、
「こうとなったら港町の経済を徹底的に分析してやろうじゃないか君ぃ…。あたしがこの港町を変えてやるっ!!」
と覚悟を決めて、毎日市場のコンクリートをオットト踏みしめて歩るくようになった。
そのうちに、洗練されたプロ達の連係プレーをラグビーにも重ねて、大型漁船はデカいからプロップで、フォークリフトは器用だからフッカー&フランカー。その爪で高々上がるタンクはラインアウトだ♪と、ひんやりする構内をノリノリで歩けるようになった。
氷屋さんと運送屋さんはビュンビュン走るからセンターとウイング。お魚さんの鮮度と身体を守る箱屋さんはフルバッグ。キビキビと動いて判断する市場の職員さんと仲買人さん達は、ナンバーエイトとスクラムハーフとスタンドオフ♪
…それならうちの社長は司令塔?と、考えてみたり。
ならばそれならばと、濡れたコンクリートの上に整列して並ぶお魚くんたちを、グラウンドに整列するあいつらにも見立てて「このダルマはユッキー」とか「このメカはあっちゃん」とか、勝手に名前を呼んで遊び、バンジョウいっぱいに突っこまれたカツオに、独特の匂いで積み重なるヨシキリザメは「スクラムが崩れてごちゃっとなるFW陣」と笑い、「若菜はぽっちゃりな小悪魔キャラだからフグ?」とかとか、妄想を膨らませて二ニヤニヤしてみたりもした。
だけどそのうちに、そういえば若菜は元気かなと心配になり、イワシを見つけてチビ助を思い出し、キリッとした目玉のサメを見つけてシュウ坊を重ね、いきなり血まみれのモウカが目に突き刺さって、あの夜の大輔の、口から流れる真っ赤な血を、思い出しちゃって、じんわり、涙ぐんだりもした。
そんなあたしの心中を、社長は気づいているのかいないのか、購入17年目の軽トラを忙しそうに走り回し、これもまた毎日毎晩せっせと洗車する日々。
毎日朝早くから夜遅くまで働いて、お客様のために身を粉にして魚をさばきつづける鬼社長。
決して愛想は良くないけれど、誰しもが感じる「相澤勝男の誠意」が滲み出ている。ような気がした。
「お魚は相澤さんとこに限るのよ♪」
そう言ってお店に来る常連さん達の言葉の意味が、少しずつ、少しずつ、分かってきた気がする、今日この頃。

ある日「魚浜町商店会」の寄合に顔を出した。
親父に「夜の8時半を過ぎたら集会所に持ってこい」と言われた、カツオの刺身の盛り合わせを配達するために。
そしたら、そのまま中に引きずり込まれて、顔も知らないおじさんやおばさん達が「夢ちゃん、ジュース飲まいん。夢ちゃん、こっちゃおいで」と、声をかけてくれて、誰もがあたしを「カツオんところの愛娘」と、無条件で可愛がってくれた。
真剣な話し合いはまだ終わっていなくて、あたしは長テーブルの隅にチョコンと体育座りをして、ジュースをチビチビと話しを聞いていた。
「武田米店」の雄三会長を先頭に、「カットサロン・モンキー」のサル社長、「まかべ印刷」の真壁社長、「船舶仕込み・佐中商店」のアキトさんとユミさんなどなど、ざっとその数15人。
みんな、不景気に苦しむ商店会の復興を必死に考えていた。
その日は青年部主催の屋台イベント「青海市」の話し合いを中心に、大売出しのタイミング、そのコンセプトやオリジナル性。社会奉仕活動に防災対策に交通安全の諸々。
みんなが一丸になって、商店会の将来を見据え、まちづくりの計画を練っていた。
夜の9時半も過ぎる頃「カツオちゃんの刺身」を肴に、ビールと日本酒が持ち出され、みんな幸せそうに、それを口に放り込みながらコップを傾けた。
「俺は口下手だから」と、ほとんど発言をしないカツオちゃんのことを、「早馬呉服・洋品店」のカヨさんが「カツオちゃんはね。いつも縁の下の力持ちなんだよ。面倒見が本当に良くてねぇ」と、小声で教えてくれた。
たしかに、カツオちゃんは昔から若手の青年たちを招いては刺身を振る舞っていた。あたしは幼心に、家計を圧迫する原因なんだから止めてくれと、その酒盛りが大嫌いだった。
だけど、最近お店の売り上げ勘定をやってみて、あたしの見る限りそれはきちんと上手にやりくりされていて、家計を逼迫するほどのものでもないと思えた。「いつもお世話様~♪」と差し入れがしょっちゅうだし。まぁ、いわゆる“持ちつ持たれつ”なんだよね?
それなのに毎月の家計費、なんであんなにきりつめてんだろう?
あれだけ働いていれば、スーパーの特売品に敏感にならなくていいし、ボロボロに破れた絨毯を繰り返し裁縫する必要はない。
オンボロの軽トラだって買い換えられるし、ベンツとまではいかずとも、中古の保冷車ぐらいなすぐに買える。ハズ。
ギャンブルか?社長に女は…。いるわけないか。と、思いつつ。カツオちゃんの背中を眺めながら、それでもいいじゃないかと、思えてしまう。

 そんなこんなを、見たり聞いたり思ったり。
 今夜もまた、あたしは醤油とわさびとニンニクを「スーパー魚浜屋」から買ってきて、それをちゃぶ台にバラバラっと置く。
なんで?
 いや、まずはこのバカでかい声を聞いてくれ。

「いや~っ!カツオのさばいたカツオの刺身は世界最高だぁ~ッ!」

【最高の味・秋の戻りガツオはいかがですか?】
この港町の公式HPでも、宣伝してあったけか。
今夜もまた、臭気、もとい陽気な声で「相澤魚店」をたまり場に、サケ友どもが集まっている。
お向かいの角山酒店店主・ヨッサンをリーダーに、お隣は安部八百屋のマサじい、いつも軽トラの車検・修理を頼んでいる桜井モータース3代目のカズちゃん。
あと、毎日入れ替わりで「魚市場の四天王」とか「氷屋の暴走貴公子」とか「箱屋のポパイ」とか、わけのわからないキャラが大勢いたような気もするけれど、紹介すると長くなるからやめておく。いろいろ憶測はあるだろうけれど、テキトーに想像してヨシ。
なのに、社長は。
勤務時間でもないのに板場に張り付いて、ワンカップをチョビチョビやりながら包丁片手に酒盛り用の刺身を延々さばき続けている。しかもトレードマークをかぶったままで。
あんた自分家だよね?
ていうか家の中で帽子はいかんだろ。
オイオイカツオちゃん。そのカツオは「上モノ」ではないのかね?
と、いろいろ突っ込みどころは満載だったけれど、あたしはあたしで、大嫌いだったはずの魚と、酒と汗の匂いに囲まれている。
これも最初は相当イヤだったけれど、「看板娘」が焼いたサンマや、少しずつ覚えたお刺身の盛り合わせを「おいしい最高だ♡」とバクバク食べてもらえることが、結構うれしかった。
「相澤魚店」を我が家のように振る舞うヨッサンに、
「いいか夢ちゃん。酒と涙は恋人だ。俺が若い頃はな…※以下省略」
と、演説されたり、
「大根のツマと大葉とニンニクはうちをひいきにね」
と、ゴマをするマサじい。
「免停明けたらドライブしよ♡KAZUYAって呼んで♡」
と、口説いてくるカズちゃん。
みんなそれぞれ「男の夢」とかやらがあるらしく、聞いてもいないのに、それを肴にあたしへの演説がくどくど始まる。
「酒ってのはよ~、人と人をまろやかに結ぶ魔法のコミュニケーションなんだよ。みんがよ~、うちの酒飲んでよ~、そんでケンカや争いがなくなったらよ~、素敵だろ~?夢ちゃん~♪」
と、毎日毎晩「ほらよ♪」ってお店の商品を担いでやってくるヨッサン。
「最近の子供は野菜嫌いが多くてさ~。んでもさ、ウチでうまい野菜と果物仕入れてさ、それをバクバク食ってもらってさ、この世の中から病気や不健康がなくなればいいなとさ、いつも思うんださ」
と、「丈夫な赤ちゃん産ねばわがんね~さ」ってナスとバナナを差し入れしてくれるマサじい。
「俺が一度でも抱いた奴はな、絶対事故らせたくないんだ。だから俺はな、販売も、板金も、車検に塗装に修理も、一回抱いた奴のことを一生忘れない。一度抱いたクルマたちとすれちがうたんびに『お前もキレイになったな』って思う瞬間が、最高なんだ」
と、「今度夢を見に行こうな♡」ってうるさいカズちゃん。
「小さな夢」、「大きな夢」
「夢」のカタチは、人それぞれなんだなと、おっさんたちのキラキラ目玉を眺めながら、少し感心してしまった。
 みんなホヤみたいに顔を赤く染めて、毎日毎晩、「消防団は」やら「青年会は」やら、次から次に話題は尽きない。
幸せそうな顔で、箸をつついてコップを傾ける、サケ友たち。
あたしも二十歳になったら飲んでみようかな。お酒とやらを。
そんなハダカの、もといお酒の大将・酒豪リーダーの演説を、角山酒店提供の日本酒でお送りいたします。
「カツオは幸せもんだな」
そう突然うつろにつぶやいて、ワンカップ1本でのびている社長を眺めながら、
「もう1杯だめぇ~ん?」
と、ほにゃんと甘えてくるヨッサン。
「はぁ~?そうですか~?」
と、どうせまぁヨッサンが持ち込んだ日本酒だしなと思いながら、それにトクトクと注ぎ込む看板娘。
それからあたしは、日本酒を背中に隠して、のびているカツオ、いや社長に、氷ならぬタオルケットをかけてやる。
そのあとまた、ヨッサンの真向かいに座り、テレビを観ながらミツヤサイダーやウーロン茶を飲む。これも角山酒店提供品。
ヨッサンと2人きり+寝ている社長を囲んでの討論会が、どうやら定番になってしまったサケ友スタイル。
「人生は刺身だ」
あんなにたらふく食べたのに、まだカツオを食いながら、ヨッサンが演説の兆候。
「はぁ~?なんですか~?それ~?」
あたしはウーロン茶の入ったグラスを両手で傾けながら、氷をカランっと遊ばせて、ヨッサンを見る。
「いやな、カツオの格言なんだよ」
カツオらしい生き様だと、それから延々、社長について話しが始まった。
(※約40分を手短に編集)

うちの社長――相澤勝男。
カツオちゃんは、根っからの釣り好きだった。
地元の高校を卒業してから水産加工場に実家通いで勤務し、特に女の子との浮いた話しもなく、とにかく地味に目立たず、暇があれば釣竿片手に糸を垂らしていた。
ある日、カツオちゃんは夜釣りをしていた所をゴージャスなバイク集団に逆ナンパされ、「釣りを教えろ」やら「竿を貸せ」やら、されたくないことをされそうになったらしい。
困ったカツオちゃん。なんとかそこから逃げようと考えたあげく、バケツ一杯に入った魚を高らかに掲げ、「これをあげますから解放してください」と泣きながら懇願したそうだ。
たまたま刺身好きだったその集団の会長さんに「お前、刺身はさばけるか?」と聞かれて、本当はできないくせに「得意料理です」と宣言してしまったカツオちゃん。
それから集会のたびに呼び出され、カツオやらイカやらなんやらの刺身を、次から次へとリクエストされ続ける日々。
少しでも不具合のものを献上すれば、またされたくないことをされそうになる。
そんな日々を繰り返しながら、カツオちゃんは猛特訓を重ねた。
その努力が伝わり、だんだんと会長さんに気に入られて、今ではすっかり仲良しになったんだとか。
だけど、そのおかげで気づいたことがあったらしい。
包丁握って魚をさばいているみると、外側から見たら一見同じ魚でも、365日違う表情があって、同じように切り盛りしているのに「美味い」と言われたり「不味い」と言われたり。
最後は食われて無くなるのに、いい笑顔もあれば、不機嫌な顔をされる時もある。
最後の最後まで、食べてもらう人の口に入るまで、結果がどう出るかわからない。
いろんな魚を口説いて見つめて、いろんな角度で切り盛りして、それを積み重ねてつなぎ合わせて、一枚の皿に盛り付けて、そしてまたいろんな表情にふれあってみる。
どんどんのめり込んでいくうちに、気づけば魚屋を営んでいた。
これは、人生みたいなもんだろう?
だ、そうだ。
「そんな人生論聞いたことないってば」
あたしはヨイショと立ち上がり、色々散乱しているちゃぶ台を片付け始める。
皿やら箸やらを手に取り、タオルケットに包まって「ビンチョ」とか「モウカ」とか寝言を言っている社長の、マンボウみたいな顔を眺めながら、あたしは少しだけ、本当に本当に少しだけ、社長を尊敬してしまった。
「そういや夢ちゃんよ~、大学に行くんだろう?」
人差し指を1本突出して「もう一杯」のジェスチャーをするヨッサン。
「え~、行きませんよ~」
お盆を置き、人差し指を交差して「×」を作るあたし。
だって、高校中退だものと思いかけて、それを無視してヨッサンがまた、演説を始める。
「あれ~?おかしいな。カツオの口癖なんだけどよ~。ま、アイちゃんそっくりの夢ちゃんを、遠くにはやりたくねぇ~よな~」   
え?アイ?それも魚類か?
 ………。
…1時間後、ボロボロに泣いて、“父親”を抱きしめている“娘”がいた。
あたしの母親――相澤愛の話しを、知ってしまったからだ。
ヨッサンはグラスをくるくると、まるで思い出をそこに映すように、あたしにゆっくりと話しをしてくれた。
あたしの母親――杉島愛は、幼少の頃から病弱で、しょっちゅう入退院を繰り返す少女だった。中学卒業後「人生の修行」と宣言して高校には通わず、地元の夜のレーシングチームに入会を申請しに行った少女愛。その根性が認められ、半年経たずして会長さん専属のマネージャーに君臨したそうだ。
ある夜、いつものように会議に出席していると、夜釣りをしている青年と出会った。
青年――相澤勝男。
勝男の負け犬のような生き様に、最初は「名前負けした男」と見下していた愛。
だけど、毎晩美味しい刺身をごちそうになるうちに、そのひたむきさに惹かれ、いつしかチーム公認のカップルになった。
そして2人は結婚。なんと、歳の差は約20歳。
双方の両親の、大反対を押し切っての純愛結婚だった。
そんな愛の夢は「母親になること」
だけど、病弱な身体故、医師からは妊娠をあきらめるよう忠告された愛。
それでも「お前の夢は、俺の夢」と勝男に励まされ、死を覚悟して「夢」を産んだ。
念願だった「夢」の母親になれた愛。
ところが、それからすぐに長い入院生活が始まった。
勝男は魚屋経営と子育てで、毎日ヘトヘトになりながらも必死に看病を続ける。
愛は、二度と丈夫な身体には戻れない自分を、責め続ける。
「親子3人で魚屋を切り盛りするのが夢」
と、語っていた勝男の姿を見て、
「妻にも母にもなれなくて、魚屋の手伝いも一生できない」
と、苦しむ愛。
カツオは、そんな愛を見るのがつらくなって、とうとう自分から離婚を切り出した。
その2年後、愛は執刀医との間に新しい「愛」を育み、遠い、海の見える場所へ、嫁いで行ってしまった。せめて、海の見える場所に、と。
なぜそんなことをしたんだと責められる勝男。
「俺は愛のために魚と夢を選んだ」
そう答えた勝男。
そこから、勝男は、毎日毎日1日も休むことなく働き続けた。
「夢が生まれたら、あたしの分まで勉強させて、大学にも通わせよう」
愛と誓った「夢」のために。
 
「勝男のさばくカツオの刺身は世界最高だ」
酒飲みが、酒屋に酒を飲みに、帰宅する。
「酒と涙は恋人だ」
…本当だ。
…1日1杯のワンカップも、ギリギリの食費も、オンボロな店も軽トラも、汚い服も。
大学の学費を貯めるため――――あたしのため。
「お前の夢は、俺の夢」
…不器用な愛を貫いていたんだ。
…カツオ臭い腕を、泣きじゃくりながら、抱きしめた。
「愛と夢はそっくりだよ」
……紗江子さんに抱かれるまどろみの中で、ぼんやり耳にした声が、聞こえた気がした。
 …親父…
 …あんた、バカだよ…
 …なんで…なんで…そんな…
 …おやじ…おやじ…
 …おとう…さん…
 ……。

そのまま、朝目覚めると、タオルケットに包まって、まくらをにぎり、布団の中でうずくまる娘が、いた。
茶の間の時計を見る。
少し寝坊したことに気づいて、あわてて顔を洗う。
「カツオの盛り付けはこれでいいのか?親父」
「店ん中では社長と呼べ。不良娘」
あの夜を境に、あたしは社長を、親父と呼ぶようになった。
それでも、根っから負けず嫌いのあたしは、そんな簡単には、顔にも口にも出さない。
「両親に感謝します」
…そんな事、言えるか。
親父はいつもと変わらず、丸い背中をさらに丸めて、もくもくと包丁を動かしている。
「コラ!!バカ野郎!!そんな力強く皮を剥ぐな!!」
「ダメだダメだ!!触るな!!俺のやり方よく見やがれ!!」
日に日に親父の「刺身修行」は厳しくなった。
「カツオの格言」の通り、たかが魚一匹、本当に奥が深い。
「大学進学」は、どうやら叶えられそうにないけれど、「魚屋の看板娘」も悪くないと思い始めていた。
突き抜けるように高い、もうすぐ秋の空を見上げて、見たこともない母親の顔を思い浮かべる。
…おかあさん…
カツオをさばきながら、親父には聞こえないように、心の中でつぶやいてみた。

そんな毎日も、気づけば2か月が過ぎようとしている。
「環洋マリンホテルに行ってくる」
と、配達に行った親父を見送って、いつものように店番をしていた。
店内をぐるりと見渡す。
「看板娘」のおかげで、徹底的に経営改革が施された店内は、常連客からも「明るくなっていいわね~」と言われるほど評判だった。
ちょいと戸惑いはあったけれど、なんせあたしの貯金全額を投資して改装したのだから、当然の結果だろう。
半月前。ちょうど、ヨッサンの話しを聞いて数日が過ぎたある日、あたしは「相澤魚店」の改装工事を社長に持ちかけた。
最初は当然ビックリされた。お前が口出しすることじゃないと怒られた。そんな金どこにあると。
それもそうかと思って、やっぱり親父にはYUMEちゃんことを黙っておくべきかなと悩んだ。
だけど、とにかく通帳から福沢諭吉を消したかったあたしは、とりあえず全額を引き出して、通帳を空にした。
スズキシロウさんやミッチャン、サトシやほかの神様たちには、正直に話して、謝った。
そして、お金は返すと申し出た。
それなのにみんな、
『YUMEちゃんのいいように使って』
と、それを断って、それどころか、
『YUMEちゃんのおかげで、がんばれた。会えなくなるのはさみしいけれど、YUMEちゃんに負けないように、がんばるから』
と、あたしを励ましてくれた。
ただ、みんなに許してもらっても罪悪感はぬぐえなくて、銀行からの帰り道、トボトボ歩きながら封筒の重さを片手にぶらさげて、どこかの団体に寄付しようかなとか、親父にばれないように生活費にまわそうかなとか、いろいろ考えた。
でも、まずはやっぱり、正直に話そうと決めた。
オレンジ色に染まる西の空から「勇気だそうぜ」って声が、聞こえてきた気がしたんだ。
その夜、夕飯の片付けを済ませたあたしは、板場で作業する親父に声をかけた。
「あの…さ、親父」
「なんだ。不良娘」
社長は、看板娘に背を向けて、もくもくと包丁を研いでいる。
「あたし、その…。本当はさ…」
「なんだ。用があるなら早く言え」
「その…。男の人相手にさ…」
「ん―――?」
社長は手を止めず、やっぱりもくもくとずんぐりした腕を前後させている。
あたしはそれを見つめ、しばらく沈黙のあと、
「…その…本当は…お金、もらって、援交まがいのこと、やってた」
「………」
親父の手が止まった。
さらに沈黙が続く。
親父の肩が、震えているように、見える。
重い空気。
怒っている…よな。
あたしは唇を噛みしめた。
やけに冷たい両手をギュっと握りしめて、足元に視線を落とす。
次の瞬間「ショリ…ショリ…」と包丁を研ぐ音が聞こえて、親父の口が開く。
あたしは顔をあげる。
「…なんとなく。わかってたよ」
「え…?」
「でも…。お前は、女まではすてちゃいない」
「なんで…そんなこと…わかるんだよ」
「お前の身体には、あいつの…。あいつの血が、流れている」
「あい…つ?。…だれ…?」
「…もういいから」
「…でも…」
「…悪かったな…」
「…え?」
「…俺が、こんなんだからな…」
「…おやじ…」
「…つらい思いさせちまったな…」
「…でも…それは…」
「…いいから…」
「…親父…ごめん…ごめん…」
「…いいから、早く寝ろ!!」
包丁を蛍光灯にかざして、刃先を見つめる親父。
ギラギラに研がれた包丁に、親父の目が映った。ような気がした。
丸い背中をさらに丸めて、汗なのか、それともほかの水分なのか、流しにポツリと、雫が落ちる。
それには気づかないフリをして、階段を上がる。
階段の一段一段に、大粒の雫が、落ちる。

17年の時を経た「相澤魚店」は、もともとは居酒屋だったらしく、昭和の中期に建てられた木造モルタルの自宅兼店舗を、親父が借金して改築したそうだ。
あたしが差し出した福沢諭吉を、親父は手にも取らず、じっと見つめながら「せっかくだから、徹底的にやろう」と、その倍の金額を出して改装費用を組んだ。
業者が出入りして、古くくすんだ壁紙を剥がし、錆びついた照明器具やら痛んだトタン張りを、次々に塗り替えてゆく中、親父は静かにそれを見守っていた。
コンクリート打ちっぱなしの床には、タイルを張った。
トタンから木枠がはみ出していた看板は、外照付のアルミフレーム仕様に取り替えた。
美味しいお魚たちが、より美味しく見えるようにと、白基調に仕上げられた店内。
そのおかげで、お店の外装もすっかりオシャレに様変わりし、新装開店したOPEN初日は「魚浜町商店会」の会長さんやらが御花を飾ってくれた。
ま、例によりサケ友たちが、散々騒いで飲み散らかしてくれたけれど。
あたしは外に出て、真新しいその御花をツンツンつついたあと、ビールの空き缶やら日本酒の空瓶がぎっしり入った燃えないゴミの袋を、裏の勝手口に片付けた。
そして、お店の外回りをホウキで掃いた。
平日の水曜日は、お昼を過ぎるとお客さんの足が止まる。
外の掃き掃除を終えて、今度は店内を掃除しようと雑巾を絞る。
「これだけは捨てちゃいかん」と親父に言われて、そのまま残してある陳列ケースや戸棚、建具や時計を磨く。
親父は何も言わなかったけれど、きっと、大切な誰かと選んだのだろうと、力を込めてピカピカにしてあげる。
レジカウンターを特に念入りに磨き上げてから、身をかがめる。
改装工事の作業中、一旦外に置かれたレジカウンターの、その一番下のカギ付きの引出に、こっそり隠してあったそれを、とうとう見つけてしまった。
引出の裏側に、セロハンテープでくっついていたカギを取って、中から1冊のアルバムを取り出す。
それを開いて「ごめんなさい」と謝った。
生まれて初めてまともに顔を合わせる、その人の腕の中には、生まれたばかりの赤ん坊が抱かれている。
世界一幸せそうな顔で眠る、赤ん坊。
この赤ん坊は、この時どんな夢を見ていたのだろうと、考えてみる。
きっと、とびきり幸せな夢だったに違いない。
そして、この写真を撮った反対側には、同じように幸せそうな顔をした、誰かがいたのだろうと、想像してみる。
あたしよりも、何百倍も綺麗で、優しくて、にっこり微笑んでいるその人は、やわらかい声で「大丈夫。私こそ、ごめんね」と言っている気がして、泣いた。
「ねぇ、おかあさん」
『なぁに。ゆめちゃん』
「うんでくれて、ありがとね」
『こちらこそ、うまれてきてくれてありがとう』
「おかあさんはいま、げんき?」
『うん。げんきよ。あなたたちは?』
「あたしたちも、げんきだよ」
そしてすぐに、涙をぬぐう。
…YUMEちゃんとは、これで本当におさらばだ。

【世界最高の魚屋さん 愛澤】
社長に大反対された新しい看板を見上げて、そのまま西の空に目を向ける。
そういえば、花園予選がもうすぐ始まるな。
HPの更新はしているだろうか?
若菜は一人で大丈夫だろうか?
大輔にチビ助、ユッキーにあっちゃん、ユウコにシュウ坊、拓ちゃん&マーちゃん、みんな…。
64人の顔を思い出す。
ぬぐったはずの涙が、またこぼれそうになる。
「カツオの刺身くださいな」
お客様の声で我に返る。
「はいはい、いらっしゃいませ~」
タオルで顔を拭いて、そのまま下を向く。
…この顔は、思い浮かばなかった。
あんたいつからそこにいた?
カツオの刺身パック3つも抱える巨体。
進路指導部長、加賀。

「来週から、謹慎を解くことが決まりました。力になれなくて本当に申し訳ない」
あたしに、最初に謝ってきたのは秋本だった。
隣でノンキにようかん食っていた加賀から、
「秋本先生は夏休みも休日も返上で相澤夢の陳情に走り回っていた」
と、話しを聞く。
「どうですか?戻ってこれそうですか?」
と、丁寧に聞いてくる秋本。
「…学校を辞めようかと思っています」
うつむくあたし。
「そうですか」
と、メモ書きの携帯番号をちゃぶ台に置いて、
「いつでも連絡くださいね」
とだけ言い残して、帰っていった。
あたしがさばいた、イカの刺身を「ありがとう」と受け取って。
 お店を出て、商店会のコインパーキングの方に消えるそれの背中を眺めていた時、進路指導室で見た、秋本の背中を思い出した。
あたしの目の前では、腕組みをする教職員が、苦々しい顔をして、あたしと、秋本を責め続けていた。
「相澤のせいで企業からの内定が消えたらどう責任を取るんですか」
「父兄会は即刻退学を希望しているようですよ」
「仮に真実でないとしても、伝統ある青南高校に泥を塗るような疑わしき行為を許すわけにはいきませんね」
「うちのクラスの和田は京東大学の推薦を控えているんです。こんなことが公になったら、一教師の辞任では済まされませんよ」
「聞いているのか相澤!お前のためにみんなが迷惑しているんだぞ!少しは謝罪の姿勢を見せたらどうだ!」
進路指導室で、大声で罵声を張り上げる教職員に、ただただ、
「私は相澤夢を信じています。責任は全て私にあります」
と、黙り込むあたしを背中に隠して、身を挺した秋本。
ヨレヨレのYシャツを、汗でびっしょり濡らしながら、額から流れるそれを、ハンカチで拭おうともせずに、ひたすらにアタマを下げてくれた。
秋本にはまだ小さい娘さんがいる。
あたしを家まで送ってくれる白いスポーツセダンの中で、
「将来の夢はアイドルだそうです」
と、照れながら言っていた秋本。
最後の別れ際も、秋本は、
「力不足で申し訳ない」
と、あたしに深々アタマを下げた。
謝るべきは、秋本じゃないのに。
あたしは「ごめんなさい」の一言すらも、言えなかった。
ずっと黙っていた加賀は、最後に一言、
「心配せんでよか♪」
と、あたしに牛乳をくれた。
部屋に入って、それを一気飲みして、一緒に涙があふれて、牛乳パックをグシャグシャに握りつぶした。
あの日の夜、寄合から帰ってきた親父が、電話口で誰かに謝っていたのを思い出す。
あたしはそれを、ベッドの中で聞こえないフリをして、聞いていた。
次の日の午前中、親父がお店を臨時休業して、Yシャツを着てどこかにでかけて行くのを、カーテンの隙間から眺めていた。
なんとなく、それが何を意味するのか気づいていたけれど、あたしは寝たフリをしてやり過ごした。
あたしは、生意気に大人ぶってイキがってきたけれど、所詮17歳の小娘にすぎない。
あたしには「責任」を取ることすらも、できない。
渡されたメモをじっとながめて、あたしはそれを一つ一つゆっくりと確認しながら、携帯電話に打ち込んだ。
…赤外線があれば楽なのに。
こんなにめんどくさいことが、うれしいのか、悲しいのか、わからなくなって、泣いた。

「謹慎処分中は、しっかりと反省し、自分を見つめ直すこと」
校則の意義を考える。
創立110周年の重みが、ずっしりと心にのしかかる。
…夢をみた。
いろいろとグチャグチャな、夢。
グラウンドの片隅で、いつものように画面を眺めていたら、いきなりあたしの写真が現れて、何度消しても、何度OFFにしても、バンバン叩いて目をふさぐのに、全然消えてくれない、夢。
ふいに声が聞こえて、誰かがゲラゲラ笑いながら「ウイルスは消したぞ~」って、ゼッケンをひらひらさせて手招きしている、夢。
いきなり甘い匂いが漂ったと思ったら、一気にピンクのワゴンに引きずり込まれて、乱暴にピンクジャージを脱がされる、夢
ずぶ濡れの青い浴衣を着せられたあと、夏祭り会場に抛り投げられて、浴衣を貸してと若菜に電話するのに、つながらない、夢。
いきなり花火の音が轟いて、その光射が頭上から降り注いで、それがなぜだかすごく不安で、泣きながら裸足で走る、夢。
叫びたいのに、叫べなくて、誰かの名前を叫んで走る、夢。

***こちらは第64回新港夏祭り実行委員会の宣伝車です***

明るい女性のスピーカーの声で目が覚めた。
夢のモヤモヤが、アタマの片りんで、グルグル回っている。
たしか「夢」ってのは、
「睡眠中に様々な物事をあたかも現実の経験であるかのように感じる心的現実。またその人の心的真理」
とかいう意味もあるんだっけか?
…あたしは願ってんの?
謹慎開けたらまた制服着て、女子高生に戻ってピンク色のジャージ羽織って、ゼネラルマネージャーに君臨するの?
約束の夏祭りに青い浴衣着て、ギャースカ笑って、みんなや大輔と、花火見上げるのか?
過去を綺麗に削除して、ケラケラしていたいのか?
そんなこと、できるわけがない。
できないよ。
あたしの心は決まっている。
浴衣をクリーニングしてお返しするだけだ。
謹慎が明けたら、「退学届」を出すだけだ。
たかが紙切れ1枚。たいしたことじゃない。
単なる事務手続き。それだけのことだ。
でも…。「退部届」は、出したくないな…。
…窓の外から宣伝車の気配が遠のく。
 みんなと約束した夏祭りの気配が、消える。
涙が、こぼれる。
 ……いきたかったよ。
 あいつらと一緒に…。
 青い浴衣?焼きそば?金魚すくい?
ギャーギャー騒いで、ガーガー怒鳴りたかったよ…。
 見上げたかったよ…。
 …でっかい花火。
 でっかい背中の…。
 …あんたのとなりで…。
 覚悟はしていたけれど、夏祭りのパレードは窓のすぐ下を練り歩き、念願だった花火は鋭い牙となってあたしの願いを食い千切り続けた。
 グラウンドの片隅にいた時は、毎日1分1秒がもったいないほど時間が足りなかったのに。
その2日間だけは、1分1秒が、永遠に続く地獄でしかなかった。
どんなに耳をふさいでも。
どんなに布団に隠れても。
あたしの犯した罪を閻魔様は許してはくれなかった。
 生ぬるい水分は、あふれてもあふれても、どんどんあふれてきた。
そのうちにだんだん頭がぼんやりしてきた。
部屋から一歩も出ず、窓すら開けず、天井を見上げて過ごした。
携帯電話もパソコンも、電源は一回も入れていない。
窓の外が明るくなれば、誰かの声や車の音が聞こえてくる。
窓の外がオレンジ色になれば、どこかの家から夕飯の匂いが漂う。
窓の外が暗くなれば、静かになる。
夏祭り後の陽気な気配には耳をふさいで、布団に隠れて。
ただ、それの繰り返し。
暑さで汗は流れるけれど、そんなことで記憶は流れてくれない。
ゼネラルマネージャーになる前のあたしは、一体毎日をどう過ごしてきたっけか。
考えるのも疲れて、目を閉じる。
今日何日何曜日かも考えず。
ただただ、それの繰り返し。
だんだんその繰り返しも、長く感じなくなって、全ての感覚が、無に等しくなる。
「夢」…か。そういえば、
「現実から離れた空想」
「はかないもの。また、たよりにならないもの」
って意味も、あったっけ。
「夢」…か。あたしの「夢」は…。
目を閉じて、眠る。

…パフォ――――――ンッ!
JRの音で、目が覚めた。
きっと「夢」をみたせいだ。
新幹線に乗って、花園ラグビー場に出発する「夢」
あたしは夢の中でまで、資金調達に頭抱えてパソコン叩いてたっけ?
新幹線の席の隣で、若菜がお菓子食いまくって「それ以上食べるなッ」て怒鳴るあたし。
リアルだな…。
…パッフォゥ―――――ン!!
さっきよりも大きい音。
なんだ?なんだ?自宅の前に駅でもできたのか?
あたしはびっくりして窓を開けた。
見ると、バカでかい機関車…、ではなく、バカでかい大型のトレーラーが「相澤魚店」の目の前にハザード点けて横付けしている。
「なんだあれ?迷惑な…」
あたしは階段を駆け下りて、店に出ようとした。
何やら声が聞こえてくる。
「オオ――、カツオ、あいかわらず美味そうな腹してんなー♪」
なんだ、客か。
見ると、サングラスをかけた見知らぬおばさんが、くそ親父の腹を揉んでゲラゲラ笑っている。やけに細い身体。サヨリか?
そのおばさんが、あたしに気づいて、「おっはよう~♡」なんてあいさつをしてきた。
「おはよう?」
夜中の1時半だぞ。サングラス意味なくね?
おばさんが、サングラスを外す。うわ、どぎつい顔。
くっきり二重にマスカラつけて、真っ赤な口紅にとゴージャスパーマ。
それに、あのするどい目つき。おい!店ん中でタバコ吸うな!!
ったく、くそ親父のやつ。
あんな水商売のおばさんにまでへこへこしてんのか?情けない。
うんざりして2階に戻ろうと背中を向けた次の瞬間。
でっかい声に、後頭部を殴られた。
「夢ぇ――っ!テメエ、あいさつはどした―ッ!」
「…は?」
なんであたしの名前、知ってんの?
思考回路が混乱する。
ご趣味はネットでサーフィンか?
ま、そりゃ、心当たりと前科ぐらい、イロイロだけど、ねぇ?
後頭部を押えながら、恐る恐る、振り返る…。

―――色トリドリのサーフボード。を、積んだワゴンが走り出した。
「どうせ夏休みだろ?」
クラクションがセミの声にぶつかる。
「いえ、無期限自宅謹慎処分中です」
とは言えず、あたしは今、ざるソバを食べている。
どこで?
東北自動車道の、安達原SA。の、食堂で。
美味いか?
イヤ、一口もノドを通らないデス。
なんで?
あたしがききたいよ。ソレ…。
―――ピッ♡
めんつゆにおでこをハネられた。
「どした?食わねーの?ウマいよ?ここのソバ♡」
―――とりあえず給油、もとい給水。
「―――あの」
ピンッ♡とはねる一本のアンテナならぬピンソバ。
「ん?」
わさびネギの匂いが鼻で渋滞する。
「あ♡ソフトクリームも食べる?」
言うより早く、財布を掴むその犯人。
「あの、そうじゃなくて…」
信号の如く無視される質問。振り向くはニンマリ顔。
「行先?ボ~ソ~ッ♡」
暴走!?
沖縄に行きたかったか?
そういう問題じゃないんデス…。

憧れの女性。
遠藤紗江子との初対面は、無期限自宅謹慎処分をサンシャインのごとく吹き飛ばす暴走機関車のようだった。
「夢ちゃん、夏休みなんだからドライブしよ♡」
「はい。どうぞよろしくお願いします。紗江子さん」
あのくそ親父も。紗江子さんは
「一応昔の後輩だ」
とか言うわりには、立場が逆転してんじゃん!
「謹慎処分中なんですけれど…」
と、念のためにあたしが言うと、
「保護者がいるから大丈夫。あたしが母親じゃ不満か?」
って笑い飛ばされた。
「家から出ちゃダメなのでは…」
と、返すと、
「あたしの『愛洋丸』は走る家みたいなもんだ♡』
って、最新技術の低燃費と安全性能を自慢された。
すかさず
「歯ブラシ!」
「タオル!」
「化粧道具!」
と外泊の準備を指示されて、あっという間に助手席に持ち上げられた娘さん。
そして、シートベルトをしっかり締めてから、
㈲遠藤運輸零号機・紅の愛洋丸(24t大型トレーラー)
は、「相澤魚店」をイザ発車。
しっかり手を振って、お見送りする脂の乗ったカツオが一本。
なんだこれ!?
ざるソバどころか、ナマツバすらも、ノドを通らない…。
思考回路をリバース、もとい現実に戻す。
ギラギラ太陽の音が、マフラーの轟きと共に聞こえる。
「やっぱドライブはサイコーだねー♡」
その犯人も紗江子さん。
まるで常夏のサンシャインのごとく眩しい声と圧倒的存在感。
でも、本当にスラリと細い。いわゆる「スレンダー美人」
紗江子さんは、
「安全運転は地球を救う」
を、格言に、超オシャレなブランドサンダルを、
「愛洋丸に泥は濡れない」
と、きちんとそろえてそれを脱ぐほど几帳面。
なんでも、
「アクセル、ブレーキ、クラッチは愛用丸の鼓動」
と、運転しやすい地下足袋に履き替える丁寧さ。
あたしはその一挙手一投足にいちいち感心しながら、おんなじようにハイカットのサンダルを脱ぎ、ピカピカに綺麗なフロアマットに恐る恐る足を乗せていた。
「シフトノブは愛用丸の右手」
「マフラーは愛洋丸の呼吸」
「ハンドルは愛用丸の命」
そう言いながら神技のようにそれらを操る紗江子さん。
細い腕のどこにそんな力があるんだろう??と思うぐらい、宇宙船のように大きい「紅の愛洋丸さん」はスイスイと操縦されてゆく。
紗江子さんのサンシャイン攻撃は続く。
「うちのバカ息子がいつもゴメンねー?」
息子謝罪の弁も、とにかくマブシイ声色。
「いえ、いつも迷惑かけているのはあたしの方で…」
それはもう、大迷惑をかけっぱなしだ。なにせ警察まで出動したのだから。
そう言うと紗江子さんは、
「どうせまた石田だろ~?あいつ非番の日にパトカー持ち出していいのかよ~」
と言って、また華やかに笑い飛ばした。
「あのバカ息子さー、なんかもう毎日毎日、夢、夢、夢ってホントうるさいんだよー」
愛洋丸が右に旋回する。
「花園のことですよね?」
懐かしい青南のグラウンドの匂いを思い出す。
「あー、あたしもね、最初はそうかと思ったんだけど…ヨっと」
マルボロメンソールの香りが漂って、土の匂いをかき消す。
「どういうことですか?」
花園以外の、「夢」?
「んー?なんかさー、『夢を誘いたいから知恵を貸せ』とか、『夢を元気にしたいけどどうすればいい』とか、『夢にきらわれたかもしれない』とか。そりゃもう毎日毎晩電話とメールの嵐」
「もしかして、あたしのことですか?」
なんだか少し、くすぐったい。
「ゼネラルマネージャーって、夢ちゃんのことでしょ~?あたしさー、あんまりしつこいから、こう言ってやったんだーっと、あぶねーだろ!このカスっ!」
猛スピードで追い越す赤いスポーツカーに向かって、窓から顔を出して怒鳴る紗江子さん。
「あ~、ごめんごめん。でさ、こう言ったの。そんなに『夢』が大事なら、もっと死ぬ気で考えろっ!あんたはあたしの息子を何年やってんだっ!ってね♪」
荒っぽい口調とは裏腹に、メチャクチャ安全運転の紗江子さん。
「おおよそ18年だと思います」
とは、言えない。
「ま、あんなバカのことは放っておいて、少しはドライブを楽しもうよ!な!夢♡」
いや、あなたは勤務中だと思うのですが、社長さん。
だけど、乗り心地の良い愛洋丸さんの振動と、夏の暑さを吹き飛ばす風。どこまでも続きそうな東北自動車のさらに向こうに見える、緑と青のコントラストは、本当に、本当に、気持ちいい。
「夢!」って、いつのまにか“ちゃん”が消えて、嫌いなはずの名前だったのに、あたしはなんだか、呼ばれるたびに、胸がポカポカしていた。
 それが次第に、だんだん暑苦しくなってゆくんだけれど…。

「夢、お前いい匂いするな。シャンプー何使ってんだ?」
「…CMでやってる、サンヨンパのやつです」
そう言うと、「生意気めぇ――っ」て、くすぐられた。
どこで?
磐越自動車磐梯岩SA。の、駐車場でデス…。
あたしは今、愛洋丸さんの寝台の中で紗江子さんに抱っこされている。
それはもう、熱気ムンムン。汗、だくだく。
「あたしさー、娘が欲しかったんだよ~♡」
「こうして寝るのが夢だったんだ♡」
と、ゲラゲラ笑い声が燦々と頭上で響く。
マルボロメンソールの香りがさっきからずっと漂っている中で、
「でも、大輔…くんも、本当にすごい息子さんじゃないですか」
と、弱弱しく言うあたしに
「くん“”いらない。バカでいいよ。あんなバカ」
と、またゲラゲラギラギラ笑い飛ばす紗江子さん。
あたしは柔らかい胸の中、独特の香りに包まれて、
「…寝たばこはよくないですよ?」
ぐらいしか言えず、まったく身動きがとれなかった。
しきりに大輔のコトをアゲアゲするのに、
「そうか~?あんなバカのどこがいいんだ~?」
と言ってバカ息子をバカでかい笑い声で吹き飛ばすお母さん。
いきなり「夢も吸うか?」って差し出されたマルボロメンソールを、「禁煙中です」って断ったら、「夢は最高だ♡」って褒められた。
ギュウって強く抱かれながら、昼間のギラギラ太陽を思い出す。
あのあと、結局愛用丸さんは丸1日走り続け、東北自動車道を一気に南下して常磐自動車を経由し、ボーソー半島をぐるりと廻って、海嫌いだったハズのあたしが「クジュークリ」とか「ソトボー」とか、しきりに感動していたら、紗江子さんが「ついでにニホンカイも見たくなったな♡」とか言いだして、そのまま日本列島を真っ二つに一刀両断し、あたしにでっかい夕焼けを見せてくれた。
はじめて見る、ニホンカイのオレンジ。
なんだか、左のほっぺたに大やけどをくらった気分だった。
途中立ち寄ったガソリンスタンドで「愛洋丸さんは軽油を入れてもらうんですよね?」って聞いたら「愛を入れてもらうんだ♡」ってウインクで返されて、「じゃあ大輔くんも愛を満タンにするバイトしてるんですよね?」って返したら「あいつはまだハナタレバカ助だ」ってしかめっ面をして返された。
「お仕事はいいんですか?紗江子さん?」
って、あたしが何度聞いても、
「でっかい「夢」を乗せて走ってるからいいんだ♪」
って華やかに笑い飛ばされて。
なんだかよくわからない。
社長さんもたまには夏休みが欲しいんだろうか?
 それにしても、今年の夏休みはとくに熱いな…。

「本当に可愛いな!夢♡♡」
何度もギュウっと抱きしめられる。
「よくいわれます」
って言ったら、
「そこがまたいいぃぃ♡♡」
って、さらに強く。
スリスリほおずりをされて、あげくの果てには、おでこやらほっぺやらにキスの嵐。
そしてあっけなく、奪われてしまった。
何を?
…ファーストキスを…デス…。
だけどそれが、あまりに素敵で柔らかいもんだから、あたしは紗江子さんにされるがまま、カラダをもぞもぞさせてその身を捧げた。
次の瞬間、熱烈な抱擁が一時停止。
「あたしの好きなアイドルに似てるよな」
と、見つめられた。
「誰ですか、それ?」
って聞いたら、人気投票でメンバー落ちした、国民的人気アイドルの名前を口にした。
「挫折を知る人間は美しくなる」
そう言って、髪を撫でてくれる紗江子さん。
いきなり大輔の話しになって、娘を欲しがる紗江子さんのためにその国民的アイドルグループのCDやら雑誌を「バカ息子が人脈を駆使してかき集めてきた」ことがあったとか。爆笑してしまった。
そういえば愛洋丸さんのBGMはずっとそのアイドルの歌だったもんね。
紗江子さんいわく、
「おいバカ息子。振付覚えてカラオケで歌え。カチューシャ付きな」
って言ったら、大輔はそれを真に受けて
「振付覚えたからカラオケ行こう。カチューシャ借りたから。シュシュもある」
って、本気でカラオケ屋さんを予約していたとか。
その話しを聞いてあたしは、
「天才司令塔が振付カチューシャでカラオケ!?教えて貸したのは絶対ユウコだな!?」
と、想像して、それをチクって2人でまた大爆笑。
 紗江子さんがそこで「ハぁ」と短い吐息。
「あいつはまだ挫折を知らない」
ヤレヤレという顔で、あたしは見つめられた。
あ、その顔、大輔とそっくりな“ヤレヤレ顔”
と思った次の瞬間、今度はあたしを腕枕してくれる紗江子さん。
紗江子さんは愛洋丸さんの天井を見つめている。
その横顔をチラチラ見つめるあたし。
大輔とは正反対の、パッと見は怖い顔だけれど、よくよく観察すると筋の通った鼻や口調のリズム、仕草の一つひとつが大輔によく似ている。
あたしは「やっぱり親子なんだな」と、妙に納得。
もしかして大輔も、たまにこうやってママと一緒に寝ているのかな?と絵が浮かんで、あたしがニヤけていると、紗江子さんは無言のまま優しくあたしのアタマをポンポンしてくれた。
そして、
「あたしさ~、夢とおんなじぐらいのときにさぁ…」
と、子守唄のように昔話しをしてくれた。
そのうちに、あたしの全く知らない遠藤家の話しを、ゆっくり、ゆっくり、話し始めた。
まるで、愛洋丸さんを操縦するかのように。
ゆっくり、ゆっくり…。

―――大輔のお父さん。
遠藤洋輔は、もともと高城紗江子の担任だった。
高校時代はとても純情だった乙女・紗江子嬢。
なんでも、教室に散乱する机やイス、割れた窓ガラスを遠藤先生と一緒に片付けていた時に、ひょんなキッカケからお互いの「夢」の話しで盛り上がったんだって。
紗江子さんは遠藤先生に「紗江子の夢はなんだ」と尋ねられて「あたしの夢は我が子に食べさせてもらって一生楽な生活を送ること」って答えたら、「それなら相手が必要じゃないか」と手品のように口説かれちゃったとか。
そのまま、高校を卒業してすぐに結婚。
紗江子さんのご両親は大反対だったけれど、これもまた遠藤先生が手品のように口説き落としたとか。
そして、紗江子さんが20歳ぐらいのとき、大輔が生まれてきた。
そのおかげで「晴れの舞台の成人式は欠席した」とか「洋輔とイチャつく暇がなかった」とか、ブスッとした顔で「あの泣き虫バカチビ助のせいで」と、しかめっ面をする紗江子さん。
なんでも、パパが息子をあやすために手品を披露するんだけれど、それを見てさらに大泣きするほどの「泣き虫チビ助だった」とか。
「メシだけはガンガン食いやがって」と、成長した息子さんの腕を「まるで愛洋丸のエキゾーストだよ」と例え、「あたしはこんなにワイパーなのにね」と、二の腕をプ二プ二揉んでいた。
そんな親子3人の生活は決して楽じゃなかったけれど、紗江子さんは毎日幸せだったらしい。洋輔さんの優しくて大きな背中と、それに負けず劣らず、でっかい泣き声のおチビさんを抱いているだけで。
だけど、大輔が小学校に入学する頃、紗江子さんは気づいてしまったんだって。
洋輔さんが、苦しんでいることに。
「夢」をあきらめきれず、葛藤に苦しんでいる、洋輔さんの背中に。
紗江子さんが語る、洋輔さんの「夢」。それは、
「地球を救いたい」
「まずは発展途上国の支援やエイズ孤児支援、地雷撤去の活動から始めたい」
という「夢」
決して言葉に出されたわけではないけれど、その背中はいつも、遠くを見ていた。と。
洋輔さんの背中から無言で伝わってくるキモチとココロザシ。
愛する妻、愛する息子と離れたくない。
だけど「夢」をあきらめきれない。
本当に苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いている洋輔さん。
その姿を見てある日、紗江子さんはこう言ったんだとか。
「あんたのことを、あたしは一生愛している。だから別れよう。あんたは思う存分、自分の夢を追いかけな」
そう言って、紗江子さんは、洋輔さんを抱きしめた。
「ごめん紗江子…。ありがとう紗江子…。」
そう何度も何度も口にしながら、ぎゅ~っと強く抱きしめ返してくる洋輔さん。
「大輔はあたしが立派に育てる。金はいらない。愛があれば十分」
と、宣言した紗江子さんは、それからすぐに幼い大輔を連れて、教習所に通い出したらしい。
なんと、信じられないことに、紗江子さんはペーパードライバーで、車の運転がとことん苦手だったんだそうだ。
「バイクは得意だったんだけどさ~」
と、苦笑いする紗江子さん。
「どうして苦手なことを始めようと思ったんですか?」
と、あたしが聞くと
「大ちゃんマンがいたから」
って、即答された。
小さい頃から車が大好きだった大輔少年は、母親の運転する助手席で「ママ、がんばれ。ママ、できるよ」と、必死に応援してくれたんだそうだ。「大型トラックの免許を取得する」という目標にくじけそうな時も「ママ、夢なんでしょ?ママ、夢はあきらめちゃだめなんだよ?」と、どんな時でも、紗江子さんを励まし続けたくれた。って。
紗江子さんの「パパは地球を救うヒーローなんだ」という話しを信じ、「さみしい」とは口にも顔にも一切出さず「じゃあぼくもつよくならなきゃね」と、遠くを見つめる大ちゃんマン。
紗江子さんは「さんざん苦労の末に会社を立ち上げることができたのは、隣でいつも、大ちゃんマンが応援してくれていたおかげだ」って、「あのバカには感謝してる」って、声が震えていた。
当然生活はさらに厳しかったらしいけれど、愛孫大ちゃんマンのおかげで紗江子さんはご両親との同居を許してもらい、その時始めて親のありがたみを痛感したとか。いつか必ず恩返しをしようって思えたんだってさ。
そんな大ちゃんマンはすくすく成長し、「バカに食わせてもらうことが夢」と、冗談半分に言ったことを真に受けて、年に数回、大輔は稼いだお金で外食に連れていってくれるんだって。大輔らしいよね。
その御礼に、友達から安く譲ってもらった「伝説のナナハン」とか言うバイクをプレゼントしたら、「校則違反だからいらない」と、断られたんだとか。
あたしが
「その『伝説のナナハン』のおかげで助けられました」
って御礼を言ったら、
「あいつの運転へたくそだから乗っちゃだめよ?」
って本気で注意された。
正直、紗江子さんの語る「愛」の意味は、いまいちよくわかんなかったけれど、相手の「夢」を自分も大事にするという価値観は、本当に素敵だなって思えた。
 …子守唄が終わる。
「あいつはいつもそうなんだ…」
静かな声の紗江子さん。
「いつも…?」
うとうとしているあたし。
「頑張る人を、自分を犠牲にして、応援する」
…あくびの音が聞こえて、ぐしぐしとマルボロメンソールが消される。 
「すごいことじゃないですか」
…その仕草につられて、あたしは目をごしごしする。
「…その逆も経験もしなきゃダメなんだよ…」
声が遠くなる。
「…その逆も。ですか…」
声が、消えた。
 「………」

…夢を見た。
でっかいバイクを運転する、でっかい背中を抱きしめて、昼間通った綺麗なボーソー半島を、海を眺めながらツーリングしている、夢。
空も、山も、雲も、自分も、まるで風に一体化したようにふわふわだ。
大きなエンジン音が聞こえてきて、びっくりして後ろを振り向いたら、「日本列島夢街道 保護者同伴愛上等」と看板の入ったでっかいトレーラーが、「へたくそ」と言って笑っている。
変な、夢。
も少しだけ、この夢の余韻に浸ろう…。
と、思ったのに…。
「夢!起きろ!いくぞ!」
どこに?
あたしは今日、たったこの1日で、この世の中すべての運送屋さんたちを、尊敬してしまった。
時計を見る。午前2時。2時!? 
さっき眠りに入ってから、3時間も経ってないじゃん!!
「おまたせ~♡」
運転席が勢いよく開けられて、紗江子さんが忍者のように飛び乗る。
「どれがいいかわかんないから全部買ってきちゃった♡」
そう言って、あたしのふとももにコンビニの青い袋を4つも「ドン」と乗っけて、中身を見ようとしたら「ググンッ」って愛洋丸さんが走り出した。
「眠かったら寝てていいからね~♪」
と、深夜の2時にギラギラ太陽声の紗江子さん。
ふんわりとマルボロメンソールの香りが漂う。
その香りに身を包めて袋の中を覗く。
大量のオニギリやら、ジュースやら。あとタバコやらお弁当やらパンやらお菓子やら。
なんだなんだ?まさかコレを全部食べろと??
紗江子さんはぽっちゃりな娘がほしいのか???
すぐに若菜の顔を思い出して、思わず爆笑してしまった。
「お?なんだ夢、楽しそうだな~♪」
一緒になって笑ってくれる、紗江子さん。
「あの、ぽっちゃりな娘はほしくないですか?」
そう言って、あたしは若菜のことを紗江子さんに教える。そして2人で大爆笑。
笑いすぎて涙目の目元を拭いながら、窓の外を見る。
真っ暗闇の中、ポツンポツンと明かりが瞬いている。
ここはどこなんだろう?
だけど、そんなことはどうでも良かった。
大好きになった香りに包まれて、心地よい振動に揺られて、大切な想い出の余韻に浸る。
それがなんだか睡眠薬のようで、あたしの視界は、だんだんと、あたたかい暗闇に閉ざされた…。
できれば匂いも、閉ざしてほしいのに…。

…ウェ…魚くさい。
…また夢か?
誰だ、こんないやがらせするのは。
あたしは、魚が大嫌いなんだ。
「相澤魚店」に陳列された、かわいそうな魚たちと、それをさばく、負け犬のくそ親父が頭に浮かぶ。
ああそうか、あたしは家にいるんだ。
なんだ、紗江子さんとのドライブも夢だったのか…。
 紗江子さんの声も幻か…。
「夢!着いたぞ!」
目を開ける。夢じゃない。幻でもない。
ここはどこだ?
あたしは少し痛む首を押えながら、まだボーっとしている頭を叩き起こす。
外で元気に走り回るエンジン音や、何かを上に上げる音。
その向こうでどぅッどぅッとベースの重低音のような音が聞こえる。
「あれ?ココは…」
「ん?」
紗江子さんが教えてくれなくても、あたしはすぐにわかった。
だってここは、地元の「新港魚市場」
あたしの嫌いな魚どもが集結する、敵ボスの要塞みたいなところなのだから。
小さい頃からここが大嫌いだったあたしは、教科書の写真を見たたけで給食を吐いたことがある。
 吐き気とめまいがしてきた。
「降りるぞ」
紗江子さんが外に飛び降りる。
「イヤです」
あたしは下を向いてうつむく。
「いいから来い」
「イヤです」
「ああそうかよ」
紗江子さんが視界から、消えた。
いくら紗江子さんの言うことでも、イヤなものはイヤなんだ。
時計を見る。まだ朝の6時前。
紗江子さんに嫌われたかな?もしそうなら、歩いて…。
「バンッ!」
突然身体の左側に解放感。
紗江子さんが、ひょうひょうとした顔であたしを愛洋丸から引っ張り出して、あっという間にお姫様抱っこ。
「あ、いいね~♡このカンジ。ちと重いけど、念願の娘の抱っこだ~♡」
「ちょっ…降ろしてください!!あたし、この匂い、ダメなんですっ!」
必死にダダをこねる娘に、ひょうひょうとあやすお母さん。
紗江子さんは片手で器用にマルボロメンソールに火を点けて、ゲラゲラ笑っている。
その光景がまるで手品のようだったから、ついつい見とれてしまって、大輔の手品を思い出しながら、あ、やっぱり親子なんだと、不覚にも涙ぐんでしまった。
「どこいくんですか?」
泣いている娘。
「いいから、もう少し付き合ってよ♡」
あやすお母さん。 
なんだこれ??
 これこそ夢であってほしい…。
「…紗江子さん、恥ずかしいです」
「ん?何が?」
17歳にもなってお姫様抱っこがです。
というか、この瞬間すべてがです。
さっきからあたしたち親子?を見つけた魚市場のおじさん達が、
「オー!サエちゃん!可愛いコ連れてるね~♪」とか「なんだ社長、隠し子かー!」とか、ゲラゲラ豪快に笑って話しかけてくる。 
そのたびに紗江子さんは「うらやましいだろ~♪」とか「夢ってんだ!よろしくな~!」とか、ギラギラ愛嬌を振りまいて、あたしの気持ちをおかまいなしにズンズン突き進む。
あたしは恥ずかしくて、ずっと目をつむっていた。
だけど、ほんのりマルボロメンソールの香りが、大嫌いな匂いをすこしだけ和らげてくれて、この人が本当にお母さんだったらいいのにな…とか、思ってしまったのだから、まだまだ修行が足りない。
 と、色々うだうだ考えているうちに、
「よっこらせ…っと」
…ドスンッ
「…いてっ!」
愛娘は母親の足元に荒っぽく降ろされた。
どこに?
濡れている、コンクリートの上に…。
「ありゃ、ごめんねー♡」
母親にゲラゲラ笑われて、全然謝ってもらった気になれない。
「…もー、何すんですか―――」
言うほど怒ってない愛娘。
「ほら、あれみろよ」
母親が何かを指さした。
「…ふぁ?」
ふぁ!?あたしいくつだ。指さす方を見る愛娘。
 …え?
――――――目を疑う。
カツオが市場で、イキイキしていた。
まだ戻りガツオの季節じゃないとか。
1.6メートルを超える巨大ガツオだとか。
そういう理由じゃない。
そこにいたカツオは、相澤勝男。
正真正銘、あたしの父親だった。
トレードマークの帽子を、汗でグッショリ濡らして。
銀歯が見える口を、つば吐きながらしきりに動かして。
フォークリストの人としゃべったり。
真剣な顔つきになってしゃがみこんだり。
魚をじっと見つめたり、優しく触ってみたり。
おもむろにお腹を覗き込んで、鼻を近づけて。
あたしにはそれが、魚にプロポーズしているように見えた。
メモ帳をパラパラめくり、難しい顔をしたかと思えば
誰かと話して次の瞬間、パッと笑顔になる。
その背中の後ろの方で、朝焼けがキラキラ海に反射して。
Tシャツから蒸発してゆく汗の白い熱気。
それがまるで、オーラのように輝いていた。
…ほんの一瞬、本当にほんの一瞬だったけれど。
美松海岸の男達と、重なって、見えた。
一番驚いたのは、娘だ。
だって、その姿があまりに格好良くて、その場で、座ったまま泣いちゃったんだから。
涙で顔がグチャグチャに濡れて、パンツもグショグショ気持ち悪いのに。
大嫌いな魚の匂いが鼻から入ってきても、全然嫌じゃなかった。
涙もそのままに、トレードマークを見つめる。
 イキのいいの声が聴こえた。
「あれ?紗江子さんじゃないですか!」
カツオが紗江子さんに気づいて、帽子を取りながら深々頭を下げる。
「オー!カツオ!相変わらずイキがいいなー!」
紗江子さんは青いコンビニ袋を細い肩に担いで、ズンズンそっちに歩みよる。
「差し入れだ♡」と言って周囲の連中と談笑し、なにやらカツオともブツブツ相談している。そしてクルっと振り向いて、今度はあたしにスタスタ近づくと、スイっと脇に手を入れて「よっこらせっ」とあたしを抱き起し、にんまり笑ってこう言った。
「バイト先が決まったぞ。娘♡」
「YUMEちゃんのお魚屋さんですか?お母さん♡」
言えない。
「夢、何してんだ、お前」
今さら娘に気づくカツオ
なんだこれ???
コレは夢だと思いたい。
お母さんを見る。
両肩をガシっと掴まれた。
お母さんが、ニッコリ笑って娘に言う。
「夏休みは稼ぎ時だ♡娘♡」
だから、無期限自宅謹慎処分中ですってば。
「なに?お前やっぱりウリやってたの?」
冬木の汚いつばが腕に飛ぶ
「お前さ~生意気にもほどがあんぞ~?ん~」
ボウズ頭が、ピアスをチャラチャラさせて、あたしの頬をつつく。
機械創造科3年の木下勝。たしかこいつは「青南の顔」だっけか。
「YUMEちゃん~、こんな時間にダメじゃないか~」
うるせーぞ。赤縁のヲタク。
「おい、いいから、早くやれ」
こいつの声は…聞いたことがナイ。
ほかの3人が「ユージくん」とか「ユウジ先輩」とか呼んでいたから、こいつがボス猿だな?
 3人の荒い息遣いが聞こえる。
真っ暗で何も見えない。目が熱い。手首がしびれている。
皮肉にも、副主将のご厚意タオルで目隠しされて、両腕を帯でグルグル縛られた。
そしてそのあと、ミニバンでドロドロ連れまわされた。
時間的に、おそらく市内であることは間違いない。
集中して洞察すれば、国道を北上してトンネルをくぐって、4つ目の交差点を左折したことがわかる。
坂道を登り上がる気配があったから、大体の場所は見当がついた。
…よりによって山の中か。せめてラブホにしろよ。貧乏が。
ガタガタと座席を倒す音がする。
ミニバンのフラットシートに、横に倒される青いYUMEちゃん。
山の中にマグロ?マグロは海でしょうが。
 目隠しされたタオルの中で、静かに空気を伺う。
観念したふりをして、あたしは必死に考えていた。
男4人に女が1人。腕力じゃ絶対に勝てない。
「はなせ!」とか「やめろ!」とか、抵抗するフリはしてみせたけれど、そんなのは所詮演技にすぎない。
…どうすればいい?今のあたしの武器はなんだ?
…ダメだ。思い浮かばない。チクショウ…。
乱暴に身体を揺さぶられる。
異様なほどに漂う香水の匂いが、感覚を麻痺させる。
暗闇の中で、4人の声をもう一度、睨む。
YUMEちゃんの時は、オトコに恐怖なんて感じたことはなかった。
震えが止まらない。
きっと、これは罰かもしれないな。
オトコの人を、ううん、世の中をなめてきたことの。
「バタンッ!!」
ほかの3人が、おそらくタバコを吸いに外に出た。
「さて…と…オラッ!!」
ボス猿に腕を掴まれて、上体を引っ張られる。
アゴを掴まれて、舐めまわすようにジロジロ見られる気配。
「オイお前。さっきの威勢はどこいったんだよ?」
細い指。ガリガリな身体つき。
ユッキーやあっちゃんなら、こんなヤツ一発で倒すのに…。
シュウ坊!お前の愛する先輩がピンチだぞ。
自慢の足で速く助けに来いよ…。
「おい!なんだよ!もう抵抗は終わりか?ったく、少しぐらい泣き叫べっ!」
ドサッ!!っとそのまま押し倒されて、太ももの上に乗っかられる。
ボス猿はあたしを見下しているのだろう。
あたしはボス猿に見下されているのだろう。
あたしは今まで、このボス猿と同じ感覚でいた。
その立場が逆転しただけだ。
今更泣いたって、事後自得でしょうが。
両方の目から、生暖かい水分がタオルに染みるのを感じる。
片手で左肩を押さえつけられる。
ひょろくて細い腕。だけど払いのける力が沸いてこない。
…チビ助。あんた、こんな時こそ筋トレの成果見せなさいよ…。
…大輔。あんたの事だから一部始終お見通しなんでしょ?
…早く助けに来てよ。
…こんな奴に処女奪われたくないよ。
…大輔、早く。 
浴衣をはらわれる。
ボス猿の鼻息が上半身を襲う。
カチャカチャとベルトを外す音が耳に刺さる。
へその脇から首筋まで一気に、舐められる。
生ぬるいザラザラ。全身に嫌悪感が走る
ボス猿が首からかけている金属が、氷のように冷たい。
ブラジャーホックに手を回されて、全身から血の気が、引く。
…。
…コワい。
……イヤだ。     
………さわるな。
 …………たすけて。
……………だいすけ。    
………………イヤ…………イヤ。
…………………イヤ……。
……………イヤ――――――――――…
…――――――ボス猿の顔を、グルグルの両手でおさえる。
「――――あのヒなの……」
「はぁ?」
ボス猿の鼻息が、フンッとうなじにあたる。
「…言うこと聞くから、とりかえさせてぇ…おねがいぃ…」
「あぁ~っ?バカかテメェッ!!」
バチっと左頬をはたかれる。
車から引きずり降ろされて、草むらに放り投げられる。
放り投げられたポーチを拾う。
「オイッ!どうせなら俺らの見てる前でオムツ交換しろよ~」
「つーかユージ先輩のクルマ汚しちゃダメよ~」
「ヨシダ。その辺の沢からペットボトルに水汲んでこい」
「YUMEちゃんをお洗濯ぅ~?萌えるぅ~♡」
下品な笑い声を無視して草むらにしゃがみ込む。
息を吸い込む。

撤退も、時には勇気。そこから形勢逆転。
最後まで「夢」をあきらめない。

―――――――次の瞬間、走る。
「あっ…てめ…」
冬木と木下がドタドタ追いかけてくる。
ナメるな。ユッキーに比べたらお前らの足はどんカメだ。
走りながら帯をしめる。
下駄を手にもつ。
小脇にポーチを抱く。
下り坂を、どんどん走る。
砂利道がアスファルトに変わる。
住宅の明かりが見えるから、そんなに山奥じゃない。
ちくしょう。アーモンドのかわりにポーチなんか抱えて。
こんなところで砂浜トレーニングの成果か。
携帯電話を取り出す。
片手の感覚で操作する。
…頼む、気づいて。
振り向く。
「…まてこら――…」
冬木と木下の声が遠ざかる。
―――逃げ切った。
…そう思った瞬間、猛スピードでミニバンが坂を下ってきた。
…右を見た。崖だ。左は?だめだ。山を登ったら逃げ道がない。
ミニバンがどんどん近づく。
追い越される。
急ブレーキでドリフ。目の前をふさがれた。
ドアが乱暴に開けられて、2つの影が降りてくる。
前にボス猿とヲタク。
後ろに冬木と木下。
4人がゆっくりと近づいてくる。
「オイッ!!コラッ!!調子に乗ってんじゃねーぞッ!!」
ボス猿の平手が、あたしの左頬に飛ぶ。
冬木と木下に、片方ずつ腕を押さえられる。
そのままミニバンに、引きずられる。
…今度こそ、ダメだ。
…大輔
……大輔
…………ダイス―――――――――――――ドゥンッ!!!ドドドドドドォゥンッ!!!ドゥォン!ギュィ――――――――ンドゥッドゥッドゥ…――――――――――――――――――………夢かとおもった。
でっかいエンジン音の塊が、目の前を旋回した。
華麗なイル―ジョン。
ミニバンのヘッドライトに照らされる黒いシルエット。
見覚えのある。ううん。
見たかった、シルエット。
来てほしかった、でっかい背中。
…だいすけ…
「…ワリィ夢、なかなか抜けられなくて、バイト」
ヘルメットを外して、海藻の髪が頭を振る。
木下と冬木の手の力が、緩む。
それを払いのけて、走る。
――――――――胸に飛び込む。
汗の匂いを、抱きしめる。
「おっ、夢、どした?セクシーな恰好して♡」
「どこ見てんのっ!!バカっ!」
「イヤだって、浴衣、かわいいし♡」
「…バカっ!…来るのおそいよ!変態っ!!」
「だって…お前、GPSで見つけたの2分30秒前だぞ?何時間探しまわったと思ってんだ!」
「…バカッ!バカッ!」
「でもさ、夢、やっぱりお前…。俺の番号、登録してくれてたんだな♡」
「…バカッ!」
大声で泣き叫んで、だけどギュウっと腕の中で守られて。
あたしは浴衣の甘い匂いも消えてなくなるほど、汗だくな大輔のそれを全身に吸い込んだ。
その匂いは魔法のように身体を浄化してくれて、あたしはもうわけがわからないほど、それを吸い込んでは涙と息を吐き出した。
大きく深呼吸をする。
―――次の瞬間、背後に嫌悪感が走る。
クルっと反転させられて、その腕の中で大輔の横顔を見上げる。
右耳の中にザラザラとその声が入ってくる。
「…おい、いい気なもんだな。“遠藤主将”」
冬木が真っ先に大輔の胸ぐらをつかむ
…そうだ、まだ危機を脱したわけじゃない。
「お~?やるのか~?優秀な生徒会長さんよ~…」
木下が大輔の頬を指でつつく。
…ダメだ。
暴行事件なんて起こしちゃダメだ。
被害者だろうが加害者だろうが「花園」が消える。
 「だっ…」
 言いかけた声を大輔が遮る。
「…「夢」をすてるわけにはいかないんだよ…」
…マズい。大輔の目が血走っている。本気の目だ…。
「…だいすけ…ダメ…」
 横顔を見上げる。
「…夢は俺の大切なひとだ。こんなことして…。こんな…。お前ら…。お前ら全員。つぶす」
大輔を見る。
大輔が見る。
赤い目。
見つめられる。
瞬間、力強い腕からス…っと離される。
大輔が歩き出す。
大きい背中が遠くなる。
「…大輔、ダメだ。あんた「夢」が大事な…ウグッ…―――」
ヲタクがあたしの口をふさぎ、腕を押さえつける。
ぐんぐんと3対1の態勢ができあがる。
大輔が振り返る。
「…おいメガネ野郎。俺は逃げも隠れもしねーから。その薄汚い手を離せ。お前からつぶされたいか」
大輔はヲタクに睨みをきかせながら、首をゆっくり回して拳を丸め、指を鳴らす。
ヲタクが「ウへッ」と手を緩める。
 ヲタクの腕を振り払って、あたしは大輔に飛びつく。
 「…だ、大輔…。ダメだ…。その腕は…。その腕は…。人を殴るために鍛えたわけじゃないでしょ…」
 精一杯の力を込めて右腕を抱きしめる。
その手を優しくふり払われて背中に隠される。
次の瞬間、冬木が殴りかかってくる。
大輔はそれを前方に押し込んで冬木の身体を担ぎ上げる。
そのまま地面に落としてに馬乗りになる。
脇から木下がデカい石を持って走り寄る。
大輔それを蹴りあげる。
木下がタックルで吹き飛ばされる。
ボス猿がバットを持ち出している。
素振りしながら大輔の背後に回る。
一振り目が大輔の背中を打つ。
二振り目を大輔がかわす。
そのまま両腕で頭をガードしながらボス猿に突進する。
―――ダイスケ!!…。
目を背ける。
大声で叫びたいのに、声が、でない。
…だいすけ…にげろ。ころされる…。
…だいすけ…だいすけ…だいすけ…
「夢ぇっ!!早く逃げろっ!!走るんだっ!!」
見る。
大輔がバットの手元をグルっとねじり込んでいる。
次の瞬間それを反転させて地面にボス猿を押さえつけた。
目をそらす。
足がガクガクして動けない。
地面にへたり込む。
借り物の浴衣が雨上がりのアスファルトに染み込む。
おしりと太ももがつめたい。
帯を握る。
声を、振り絞る。
「そんなのイヤだよォ…あんたを置いて…いけるわけ…ないよ…」
見る。
ミニバンのヘッドライトに照らされるシルエット。
ボス猿の身体を一瞬で担ぎ上げて一気に叩き落とす大輔。
大輔の口が切れて、真っ赤な血が噴き出ている。
その真っ赤な血のように、瞳の奥が真っ赤に染まっている。
大輔はそのままボス猿の上に乗っかる。
血管が浮き出た右腕を高らかに上げる。
顔面めがけて拳を振り下ろす構えになる。
…ダメだ。
守りたかった。
……ダメだよ。
叫びたかった。
………ダメだって。
傷をつけたくなかった。
…………ダメだよ。だいすけ。
守りたかった。
だいすけの、「夢」を。

「俺は「夢」を叶えたい」

…大輔…ダメだ…。それ以上はダメだ…。
―――声にならない声を、振りしぼる。。
「「夢」をすてちゃダメ――――――…」
―――赤色灯が目に刺さる。
猛スピードでこっちに近づいてくる。
「――――――!?」
―――マズイ、警察だ。
…絶望的だ…
深夜の2時に高校生が、集団暴行。
こんな空間、どうやったって言い訳が見つからない…。
パトカーがドリフトをかまして、警察官が降りてきた。
無機質に歩み寄る。
周囲が一瞬で静まりかえる。
警察官が真っ先に大輔に近づく。
…ちがう。その人はあたしを助けるために…
…せめて大輔だけでも、隠したかった。
声が聞こえる。
「いや~、大輔くん。おくれてごめんね~」
「いえ、非番の日にすみません。石田さん」
「………」
は?


一生の不覚だ。信じられない。
大輔はあたしの着信を受けてすぐ、石田警部補さんとやらに通報していたらしいのだ。
「遠藤さんには頭が上がらなくてねぇ」
と小声でつぶやいて、その石田警部補さんは手短に事情聴取を済ませてゆく。
大輔は通報してくれた健全な市民として即刻解放。
ボス猿に冬木と木下、それとヲタクは―――
厳重注意の上、解放。
あたしは…。
「レイプされかけた被害者です」
とは、言わなかった。
「…ドライブをしていただけです」
それでいいでしょ…?大輔…。
あんたはギュウッとこぶしを握りしめていた。
優しく強くあたしを抱きしめてくれた。
汗の匂いで、包んでくれた。
真っ赤な口のように。
真っ赤な目で。
だけど決して涙は流さない目で。
優しく優しく。
何度もアタマを、ポンポンしてくれた。
それだけであたしは、救われたよ。
そしてそのまま、でっかいバイクに乗せられた。
家まで20分のツーリング。
副主将以上に準備のいい主将は
「これ、おふくろからのアドバイス」
って、シートの下から真っ赤な作業服を取り出してくれた。
妙なネーム刺繍には手が振るえたけれど、青い浴衣をこれ以上汚したくなかったから、素直にそれを受け取って、初めて乗り込むパトカーの中で着替えた。
大輔は背中に「㈱新港商会」に貝殻のマークがプリントされたユニフォーム姿で、少しガソリン臭さはあったけれど、やっぱり汗の匂いが染み込んでいて、あたしはなんだか複雑だった。
汗とオイルまみれの時給750円。
時給1万円で化粧まみれの女子高生様。
いったいどっちが「働いている姿」なんだろう。
大輔を見る。
私服に着替える時間を惜しんで、すぐに飛び出してきたに違いない。
いつもサラサラの髪を、海藻のようにグジャグジャさせて。
きっと仕事で疲れていただろうに、懸命にあたしを探してくれて、その上家まで送ってくれて。
大輔は着替え終わったあたしをバイクに座らせると、
「バイト先の超美人なKEIKO先輩が体調悪くて、自動車整備士の旦那さんが迎えに来るまで一緒に待ってあげていた」
って、あたしに「遅くなった理由」をおどけながら説明してきた。
たぶん大輔は、必死にあたしの気を紛らわそうとして、わざと女の人の話しをしてくれたんだろうけれど、あたしは、
「バイト先で鼻の下伸ばしてんじゃねーっ!!」
なんて、とてもじゃないけれど言えなかった。
それよりも、いつだって困っている人を放っておけない大輔の優しが心に沁みて、痛いほどに沁みすぎて、また泣いてしまった。
そしてあたしは、ただ黙って、そのオイルと汗の匂いが染みついた背中を抱きしめた。
大輔はそれからずっと無言だった。
けれど、声に出さなくても、大輔が何を考えているかが、汗の匂いや鼓動と一緒に伝わって、あたしを包み込んでくれた。

「夢。怖かっただろう?不安にさせてごめんな」
「夢。これからは俺が守ってやるからな」
「夢。俺の「夢」を守ってくれてありがとな」
「夢…。夢…。もう大丈夫だから、もう大丈夫だから…。泣かなくていいよ」
「夢…。夢…。一緒に「夢」を、叶えような」

何度もあたしの名前を呼んでくれて、その度に、あったかい涙が、夜風に飛んだ。
大きな背中と、優しいぬくもりと、愛しい汗の匂い。
それに身を預けて、どこか遠くへ、連れ出してほしかった。

別れ間際、主将命令として練習には来るよう命じられた。
あたしは命令通り、次の日もグラウンドに顔を出した。
「ゆうべはたのしかったね♡」
と、若菜に言われた。
「浴衣似合ってましたよ」
と、シュウ坊に手を握られた。
「大丈夫だった?」
と、心配そうにのぞきこんでくるチビ助に、
「今日は梅干しおにぎりないから安心していいよ」
と、しか言えなかった。
パソコンを開く気にはなれず、ただぼんやりと何かを眺めていた。
そして、いつもはひょうひょうと現れる加賀が、夕方、神妙な顔つきで現れた。
その隣には秋本も一緒。2人が小走りにあたしを呼びに来た。
そのまま進路指導室に座らせられて、数枚の紙きれを見せられた。
見覚えのある、自分で作った壁紙、
「YUMEちゃんの派遣屋さん」
のプリントアウト。
長机を挟み、静まる進路指導室。
両脇に加賀と秋本。目の前に学年主任、科長、教頭、校長に囲まれて、質問されることに反論はしなかった。
話し合いが終わり、
「保護者さんは迎えに来られそうですか?」
と、秋本に質問されて
「わかりません」
とだけ答えて
「私が連絡してみましょう」
と、秋本は家に電話かけてくれたけれど、親父は留守だった。
「今夜は商店会の寄合に行くからな」
と、朝に言われたコトを思い出したけれど、それを言えなくて、言いたくもなかった。
「私がご自宅までお送りしますね」
と、優しい秋本の声が、胸の奥に刺さった。

「無期限自宅謹慎処分」
それが職員会議の下した決定だった。
深夜徘徊と集団暴行は、石田警部補がその場で治めて表沙汰にならなかった。
けれど、あたしの知らないところで
「青南の現役女子高生相澤夢・援助交際発覚」
が浮上していたらしい。
いろんな書き込みがネットでお祭り騒ぎを起こして、苦情や抗議の電話が学校に殺到したんだってさ。
幸い「YUMEちゃんの派遣屋さん」には実名も顔も校名も出していなかったから、事実の立証にはならないとして即刻退学処分という判断にはならなかった。
それでも、過去の素行の悪さは疑うべき態度として容赦なく問題視されて、あたしはそれに言い訳はできなかった。
そんなのは別にどうでも良い。
その噂は、あっという間に学校中どころか、グラウンドにも広がってしまった。
皮肉にも、「青南高校ラグビー部」のHPも散々荒らされていて、YUMEちゃんのURLや実名だけじゃなく、「天下のゼネマネの本当の姿」という誹謗中傷がウジャウジャ沸いて、いつの間にか隠し撮りされていた「イタ車の脇で星空を見上げる後ろ姿の彼女」が散乱していたらしいのだ。
たまたまあたしに代わってHPを眺めていたあっちゃんがそれを見つけて、青い顔して大輔に伝えて、そうこうしているうちに大輔の母親からも電話が入ったとかで。
大輔にも、「YUMEちゃんの後姿」が直接耳に入ってしまった。
どっかの弱虫なヲタクが、その写真を遠藤運輸御中でポストに放り込んだらしい。
…だけど、あたしはいろいろうれしかった。
あのあと、荷物を片付けて、秋本の白いスポーツセダンに乗り込もうとした時、薄暗いグラウンド脇の駐車場で、練習を終えたみんなが、待っていてくれた。
あんな時間まで居残って、みんなお腹減っていただろうに。
教職員の前で、あたしを必死にかばってくれた加賀と秋本は、みんなの前でも同じように
「心配せんでよか」
「絶対に他人の空似ですから」
って、大丈夫ですから、何かの間違いですからって、何度も同じ言葉を繰り返した。
ラグビー部の連中は、それを静かに見守ってくれた。
ユッキーにあっちゃん、拓ちゃん&マーちゃんら部員は口ぐちに、
「ウチのゼネマネさんなわけがない。全然別人だよ♪なぁあっちゃん?」
「もちろんだユッキー。ウイルス共は俺がつぶすから。任せておけ♪」
「監督さんが無実を証明するよ♪なぁマーちゃん?」
「当たり前だろ拓ちゃん♪変な噂見つけたらぶっ飛ばそうぜ♪」
『俺ら仲間だろ?だから大丈夫!』
って、声をそろえて、夏祭り行くべしな!会計たのむよ!って、ゲラゲラ笑ってくれた。
「なにか食べたいものある?」
って、抱きついてきた若菜。
夜中にも電話かけてきて。料金かさむでしょうが。バカ。
そしてこいつは、キリッとした目元をぐちゃぐちゃにして、なぜか、
「夢先輩、夢先輩、すみません、すみません」
って、何度も謝る泣き虫シュウ坊。あんたが泣いてどうするのよ。
次の瞬間ヒュン!といきなりあたしの真正面に仁王立ちして、
「少し休めよ夢っ!!エース命令だっ!!」
って、腕組んでヒクヒク笑った生意気口なチビ助。
そうそう、あの美松海岸で「9」が「10」に神速スクリュー飛ばして、
「夢が待ってるよ!!早く来て!!」
って、教えてくれたらしいじゃない。
見直したよチビエース。ナイスパスじゃん。
「22時30分までのシフトだからまだ行けない」
とかほざいたらしいバカはムカついたけどね。
「そういえばあのバイクは誰の?」
って聞いたら
「おふくろが友達からもらってきた」
って、あんたの母ちゃんは何者なの?って、おかしくなった。
「夏祭りの帰りにツーリングしようぜ♡」
って、にんまり笑って、あの排気量は校則違反でしょうが。
あんたは本当に生徒会長か?って、またおかしくなって。
そんな風にみんなに見送られながら、涙は絶対見せないつもりだったけれど、どんなにこらえてもどんどんあふれてしまって、あたしは目を真っ赤にしながら車に乗り込んだ。
大輔は助手席の窓をコンコン叩いて「あけて」の仕草をして、
「大丈夫」
って、にんまり笑って、最後にあたまをポンポンしてくれた。
それをただ静かに見守ってくれた「仲間」たち。
暗闇の中、みんなの顔がどんどん遠ざかる。
サイドミラーでそれが見えなくなっても、いつまでもそこを見つめていたかった。
「俺たちは夢を信じているから」
大輔の声が聞こえた。
白いスポーツセダンの助手席で、聞こえるはずのない、声が。
薄暗闇がヒュンヒュン流れるガラスを見つめながら、
「…「夢」、かなえろよ、だいすけ…」
秋本に聞こえないように、つぶやいた。
そして最後にも一度だけ、サイドミラーを、見た。
永遠にそこに戻れないような気がして、また、泣いた。
「いやぁ♪最高だねぇ。コレ♪」
麦わら帽子をかぶった加賀。
カッカッカ♪と笑いながら、ベンチにどっしり腰掛ける。
しかも牛乳飲みながら、さらに「S・R・F・C伝説8月号」を読みながら。
練習中に牛乳飲むな!それ以上デカくなるな!
ていうかこんなところまで部報持ってくるな!
“こんなところ”
そう、あたし(達)は今、夏休みを利用して長野県の山奥にある「玉平高原」に合宿にきていた。
なんでもこの高原はラグビーの聖地で、日本代表はもちろん、全国から強豪大学や花園常連校が集う、有名な合宿場所なのだそうだ。
入部したての5月初めに、インターネットを検索していたあたしが情報を見つけて、夏休みの旅行のつもりで加賀に提案してみた。
そしたら加賀は「あそこ行くの?んー、いいよ」と一発OKしてくれたのだ。
(ていうかあんた、この高原のこと、知ってたのかよ)
ただ、そこは64人+3人(加賀、相澤、伊藤)の大所帯。
当然だけれど、莫大な費用がかかる。
いくら部活として盛んでも、県立高校にはお金がない。
「お金どうするの?」
なんて加賀が聞くもんだから、
「あたしが何とかしてみせる」
と意地になってしまった。普通は逆でしょうが。
それでもあたしは、意気揚々部員にはたらきかけて、会報やHPでばんばん宣伝し、合宿経費を集めることを持ちかけた。
それがなかなか大きな動きとなり、保護者を中心に、学校近辺の住民や商店会のおじさんたちまで巻き込んで、あたしは“YUMEちゃん”そっちのけで資金調達に走りまわったんだ。
ミーティングの時に「俺も玉平は行きたかったところなんだ」とうれしそうに話す、“遠藤主将”の声がなんだか複雑だったけれど。
…どうせあんたの「夢」は、花園にあるんでしょ?
あたしがふくれっ面で救急箱を整理していると、
「いや~、さすがゼネマネ殿♪いい仕事してますなぁ~♪」
と、横で笑う加賀。
あんたの仕事はどこにあるの?
それでもまぁ、「伝説のラガーマン」の「顔」のおかげで、超高校級の花園常連校と練習試合を組めたんだから、少しだけ感謝するよ。あくまで少しだけだぞ。
「生徒に主体性を持たせて、後方支援に徹する進路指導部長」
なるほどねぇ。
 そんな総監督さんから差し出されたパックの牛乳を、ベンチの脇でチビチビしていると、
「夢ぇっ!」
バカでかいチビの声が耳に放り込まれた。
3年生ですら、あたしを「夢さん」とか「夢ちゃん」と呼ぶのに、こいつは大輔の真似のつもりか、話した初日からあたしを呼び捨てにする。
何度も「夢様と呼べ」と睨むのに、「夢は夢でしょ」と自分を曲げない。あたしに劣らずの負けず嫌いっぷりは、今や部内でも「似た者同士」と公認の名物コンビ。
だけど、ここだけの話し「ツーと言えばカー」と、テンポの良いこいつの存在は、ある意味欠かせなくなってしまった。
「なんだチビ助」
4月から4cmも身長が伸びたそいつを見上げながら言う。
「中村浩志!!ポジションはスクラムハーフ!!」
「それがどうしたチビ助。あたしはゼネラルマネージャー様だぞ」
24人もいる3年生を飛び越えて、総体後から不動の「背番号9」を勝ち取ったチビ助は、いきなりあたしの真正面にスライディングをかまし、汚い足を差し出した。
「血が出た。痛くて死んじゃう」
「ツバでもつけりゃ治る」
「それでもいいから止血して」
「変態かお前は」
「変態じゃなくてスクラムハーフ!」
「サイズもハーフだけどね」
「痛いよ夢!」
「変態なハーフサイズにつける薬はない」
「じゃあどうすればいい?」
「ケガしなきゃいいんだよ」
「…夢、血ぃ怖いんでしょ?」
「はぁ?そんなわけないでしょ。血ぃぐらい」
「じゃあ止血してみせてよ」
「……」
毎日毎日、チビ助とのこんなやり取りも、最近は言葉遊びの感覚で楽しくもある。
このチビ助、「中村浩志」は、部の誰よりも俊敏で頭の回転が速く、うちの部では「遠藤大輔」と共に県選抜選手にも選ばれたなかなかの逸材だ。
学校の外でも中でも、常に大輔と行動を共にする舎弟っぷりは校内でも公認の仲で、その明るいキャラクターは女子生徒からも結構な人気があり「大ちゃん2号」の異名も持つらしい。チビのくせに。ねぇ?
そんなチビ助は一見チャラチャラしているけれど、いわゆる「頑張り屋さん」であることは間違いなく、今や「青南の中村浩志・遠藤大輔」は県内でも有名な9・10コンビとして、誰もが認める青南のダブルエースに君臨していた。
あたしも、選手としてのチビ助はさすがだなと一目は置いている。
こいつが陰で誰よりも努力しているのは、他の誰よりも知っているから。
ま、本人にはそんなこと絶対言わないけれどね。
「若菜にやってもらえよ」
水を汲みにいったピンクのTシャツを指さす。
「気まずい」
チビ助が涙目になる。
「自業自得だろ。バカ助」
ペットボトルの水を持ち、ジャブジャブ汚い足を洗ってやりながら、あたしはその膝をバシッとはたいた。
そうなのだ。このバカ助、玉平高原に向かうバスの中でいきなりあたしの隣に座り、開口一番、
「若菜に告白してフられた。どうしよう」
と相談してきたのだ。
バスの中でも「合宿行程の最終確認をしよう」とか「練習相手校の情報を教えてほしい」とか、真剣な顔つきで聞いてきたサブの3年が聞いたらぼこられるぞ。
バカ助が膝を叩かれて身体をビクンっ!と揺らす。
「痛いよ夢!」
「これ以上のあたしの仕事増やすな!バカ助!」
「だって若菜をほかの奴にとられたくなかったんだもん」
「も少し背ぇ伸ばしてからコクれ!」
「若菜はそうゆうの気にしないよ?」
「なんでそんなコトわかんだよ」
「だって俺、聞いたんだもん」
「何を」
「若菜が『筋肉質なヒトなら身長は関係ない』って言ってた」
「…。あんたまさか、それで筋トレしてたとか言わないでよ?」
「そうだよ。それ以外に理由ある?」
「…。あんた、あたしの二十数行前のセリフを返せ」 
「なぁ、夢」
消毒液に顔をしかめつらせながら、あたしをじっと見つめるバカ助。
「なんだバカ助。今度はあたしにコクんのか?」
「仲直りしろよ」
「なんのことよ」
あたしは「は~?」と言いながら、絆創膏をバシっと貼り付けて、バカ助を睨む。
「大輔先輩が本領発揮できないじゃないか」
「…あたしの責任じゃない」
「大輔先輩の才能が生かされないじゃないか」
「遠藤大輔は今や高校オールジャパン候補。才能は十分に評価されてるでしょ?WEBでもでかでか掲げてんいるんだし」
「大輔先輩は夢をあきらめちゃった」
「何言ってんの。遠藤大輔が花園をあきらめるもんか」
いっそのこと「花園」に改名しろと言いたくなるぐらい、今もそこで連呼している大輔先輩を指さす。
「違うんだよ」。
「なにが」
「なんか、少しだけ、重い」
「なによ、ウェイトオーバー?だらしないなぁ」
「俺のボールを受けてからの疾走感に、迷いがある」
「知るか」
「ねぇ、夢」
「なんだよ」
「たまに、夢は、俺を見るフリをして大輔先輩を見ている」
「…9・10コンビはうちの看板だからね」
「ねぇ、夢、本当は俺を見ているんじゃない?惚れてるの?」
「は~?だからそれは―――――…」
言い返そうとして、言葉遊びが止まった。
視線を感じるその先に、大輔先輩の姿があった。
「大輔先輩は結構嫉妬深いんだよ?シュウ坊とばっかりイチャイチャするのもいいけどさぁ~♪」
そう言い残して、俊敏なハーフサイズはグラウンドに猛ダッシュする。
あの野郎っ!!わざとケガしたな!?
「コラ―――ッ!!…この変態チビバカ助!!」
と、水をぶん投げたあたしの背中に、ぽっちゃりと微笑む声。
「どうしたの~♡コウちゃんケガ~?」
若菜が水を抱えて戻ってくる。
…。お前も少しは俊敏になれ。
 まったく。どいつもこいつも。ねぇ?

 そんな風に、ひぐらしの鳴き声も静まる頃、夏合宿の練習は終わる。
 それと同時に、マネージャーにとっては戦場が幕を開ける。
 「夢!!おかわり!!」
 「若菜に頼め!」
 「夢ちゃん!!魚が嫌いなら俺が食べてやるぞ!!高たんぱく低脂質は瞬発力UPに…」
 「デカいし面長だし理屈っぽいんだから背後に来ないで!」
 「夢先輩!!配膳は全部任せてください!!」
 「…♡」
「夢!!ちがうよ!!五目ご飯の方!!」
「若菜!!あんたのんきに桃プリン食ってんじゃないぞ!!」
「夢さん、俺、少し痩せたから、はちみつプリン食べていい?」
「あんたは山で熊と一緒にウォーキングでもして来なさい!!」
「夢先輩!!無糖ヨーグルトにしましょう!俺が持っていきます!」
「…♡♡」
「なぁなぁ、大輔先輩はどこだ?一緒に星を見たいんだけど…」
「………ブツリ……」
何かが、キレる。
 「…あ―――っ、もう。バカ助も面長もプーさんも!黙ってメシ食えないのか!!」
「ユウコりん!!大輔先輩は加賀のところだ!!」
「あたしは風呂に行く!!桃娘!!行くよ!!…。キリっと坊やはあとで部屋に来て♡」
 フルーツポンチを手に持つピーチ姫、もとい若菜の腕を掴んで、食堂を出る。
 夏合宿はこんな感じに、初日から怒鳴りっぱなしだ。
 「女湯♨」
 と書かれたそこをくぐる。
湯気で真っ白に包まれるその空間は、決してプールのように広くはなかったけれど、天然の弱アルカリという成分はピリピリほかほかとあたしを受け入れてくれた。
中には数人、大学のサークルや他校の女子部員と思われる女の子たちがいたけれど、ガキな男子と違って女子は泳いだりもしないから、あたしは女子に生まれたことを感謝しつつ、生まれて初めて堪能する温泉に全身を解放させていた。
世の中の疲れた方々が「温泉に入りたい♨」と言うのもわかるなと納得の夏合宿。
オイ!そこの男子諸君!温泉は泳ぐんじゃなくて癒されるための産業なんだからね!カンチガイしちゃダメよ!!
…ナニ、想像してんのよ…。バ~カ。
しかしまぁ、こいつは服を脱いでも白くてっぽっちゃり可愛いな。
 浴槽の中でも洗面スペースでも、ぽっちゃり隣を占拠する若菜が、髪だけは念入りに洗うあたしをちら見する。
「ねぇ夢ちゃん♡そのシャンプーいい匂いだね♡」
「あぁ?コレ?CMでやってるサンヨンパだよ。使う?」
「え!?そんなに高いの!?それ!」
「まぁね。ホラ、あたしん家、独特の匂いだし」
「へ~、そっかぁ…。ねぇ、コレ使ったらあたしもオトナの仲間入りできるかな♡」
イヤ、お前は根本的に肉体と食生活を改善しろ。とは口に出さず、ケラケラ笑って背中を流しっこする親友同士の女子高生。
こんな風に誰かと風呂に入るは楽しいなと感じる「旅行のつもり」の夏合宿。
念入りにドライヤーをかける若菜に「お先ね」と声をかけ、あたしは身体を冷ましに外に出る。
ここ何日か、朝から晩まで部員共の身の回りを世話しているうちに、ほんの一瞬、ほんの一瞬だけど、世の中の「母親」とか「家族」とやらを想像してしまっていた。
今まで、生まれてから一度も家族旅行の経験は、ない。
賑やかにみんなで3食を共になんてことも、ナイ。
隣の布団で、しきりに恋バナをする若菜。
三食毎回、腹がはち切れるまでおかわりをせがむチビ助。
意外に綺麗好きなユッキーや、ロマンチストなユウコ。
お土産買いに店をうろつくときも、あっちゃんはボディーガード気取りであたしの背後をメガネギラギラと監視をするし、シュウ坊も彼氏のごとくキリっと手を握り、べったりくっついて離れない。
学校や練習以外では見たことのない、部員の一面や個性。
なんだかまるで、大家族のキモっ玉かーちゃんにでもなった気分だった。
自販機を見つけてボタンを押す。
光に集まる虫を触らないようにそれを取る。
手のひらからひんやりが伝わる。
怒鳴りっぱなしでガラガラになったノドを、ミツヤサイダーでチビチビ潤しながら、鈴虫の鳴く土手に腰を下ろす。
真っ暗闇の彼方にうっすら見える、建物の灯りに目を細める。
ホタルが飛んできた。
夜風が涼しい。
ほんの数日間だけど、生まれた街を離れて、見知らぬ土地の景色に囲まれて、騒がしい仲間たちと寝食を共にする。
いろいろと、初めてだらけの「旅行のつもり」な4泊5日。
寝っころがる。
吸い込まれそうなほどでっかい空に、無限に瞬く星たち。
見つめる。
絆とか。思い出とか。自分とか。ついつい色々、考えてしまうな。
そんなクサいこと、今まで考えたことなかったのに…。
クソ親父の背中を思い出す。
「ほら、コレ使え」とぶっきらぼうに差し出された合宿費用。
あのクソ親父。余計な金よこして…。
しょうがないから、クッキーの1つでも買ってやった。
ドデかい大自然に包まれながら、自分の存在を考える。
小さいな。やっぱり。
星占いにはしゃぐクラスメイトを少し思い出す。
そのキモチもちょっぴりわかるなと共感。
大の字になる。
目を閉じて、ギラギラの太陽と昼間の練習試合を思い出す。
関東の花園常連・国学院九里山
関西の花園常連・徳宝学園。
九州の花園常連・三國大付属。
どれも歯が立たないどころじゃなかった。
くやしがる青南一同。下を向くあいつらを思い出す。
そして大きな背中を思い出す。
あんたはいつも、空を見上げていたよな。
花園がある、西の空を。
なぁ大輔?「花園」って何なの?
そんなにでっかい「夢」なの?
所詮は高校時代の青春の1ページ、だよね。
若菜の話しを思い出す。
青南野球部は甲子園の県予選で準優勝…か。
野球部の連中も毎晩遅かったもんな。
それぞれの「ステージ」ってやつ?
あたしの「ステージ」はどこにあるんだろうね?
まぁ、あんたらの「ステージ」を、横から下から支えるってのも…。
…悪くないかもね。そーゆーの。
目を開ける。
上半身をヨイショと起こす。
ミツヤサイダーを一気に飲み干す。
肌寒さを感じて、合宿所に戻る。
建物の陰でパス練習をする、見慣れたダブルエースの影。
日焼けして真っ黒な肌が、闇に溶け込んでいる。
よく見ると…。
なんだよ。あんたら全員揃いも揃って。さっさと寝ればいいのに…。
気配を感じられないように、静かに玄関をくぐる。
ねぇ大輔。あたしの小さい意地を押し付けて悪かったね。
大自然に免じて、あんたの「夢」、あたしも本気で考えてみるよ。
明日の「旅行のつもり」も、思いっきり暴れようね。
…オヤスミ。

夏合宿も無事終わり、そこそこ旅行気分を楽しんだゼネマネ。
今日もまた、休むことなくパソコンをいじっている。
青い桜の木の下の、無意味な虹色パラソルの日陰の中、腕まくりをしながら汗だくだくで画面とグラウンドを睨んでいた。
「旅行のつもり」で提案した夏合宿は、当然のごとく全国強豪との圧倒的な差を見せつけられる結果で、死んだような顔で帰りのバスに揺られていた青南家、もとい青南ラグビー部御一行様。
それでもごく1部、例外がいたけれど。
例外①「コウシ―ッ!球出しがおそいぞ―ッ!」SO10
例外②「神速スクリューパ――――――スッ!」SH9
例外③「シュウ――ッ!はしれ――――ッ!!」FB15
例外④「オッケェ――ユウコちゃ―――んッ!」WTB14
とはいえ、熱血に走り込むユッキーや度胸試しのサインプレーを研究するあっちゃん。拓ちゃん&マーちゃん他の部員も、なんだかんだ言って目の色が変わっている。
やっぱりあたしのにらんだ通り。
いいぞ、人生はそんなに甘くない。
水筒を取る。
 少し苦めな麦茶を一気飲み。
「それにしてもあちぃな」
手のひらでパタパタ仰ぐ。
ん?待てよ。レギュラー陣の戦力データを一から分析しているあたしも、意地になってんだからある意味例外か?
―――そうじゃない。あたしが見るかぎり、全国強豪と総合力はどうしたって劣るけど、個々の体格と体力は並べなくもないんだ。試合コントロールのセンスも悪くない。
あと何か足りないとしたら、精神論。「根性」なんだ。
密集での押し込まれ方や、ラインアウトの競り合いに自陣5メートル付近の攻防。細かく観察していると集中力のスキを付かれるタイミングは「青南の性格」として、いくつかクセがある。
攻撃では遠藤を基軸に、中村・畑中がそれに素早く連動する。
守備では、小野寺、森田、二宮が前・中・後の要になっている。
一コマ一コマでは、互角に競り合っているケースもある。
けれど、他の連中がそれに依存して、足が止まったり逃げ腰になったりしているんだ。
それが攻守のワンパターンに陥る原因でもある。
「それでもな――」
イスにもたれて後ろにうなだれるゼネマネ。
あと2か月で花園県予選が始まる。
そんな短期間に「根性」なんて、どうすれば育つのよ。
パソコンを閉じて、空を見上げる。
「そういや夏っぽいコト、してないなぁ~」
それでも去年は1回ぐらい“彼女”として密室ドライブに付き合ったりしたっけか。
ヲタク顔の赤縁メガネ・ヨシポンの痛車が懐かしい。
ま、下心丸出しのスケベ野郎は、登録抹消させてもらったけどね。
「フゥ―――――――――――――――っ」
長いため息を吐く。
 うなだれる背中でミニバンのエンジン音が停まる。
バタンっと音がして、買い出しに行った経費泥棒共の声がキャピキャピ跳ねているのを感じる。
「夢くぅん♪アイスはどれがいいかね?」
…巨体な顧問。あんたも少しは悩みなさいよ。
「若菜は雪大福~♡」
…お前はそれ以上食うな。
雪大福みたいにもちもち白い肌のマネージャーが、「アイスだよ~♡」と部員を呼びに行く。
まったく、お前は後姿もぽっちゃり可愛いな。
いっそのことヨシポンを紹介してあげようか。
あたしの腕はこんなに真っ黒なのに。
嫌味ついでに、チョコレートバーをくわえる。
セブンスターの味を、思い出せなくなっている。

 
「ねぇねえ夢ちゃん♡今日の練習終わったらみんなで海に行かない?」
若菜が水場で水を汲みながら、もちもちの肌を惜しみなくさらけ出し、ぽっちゃりとあたしを誘ってきた。
「海~?あー、あたし無理。魚臭いとこダメなの」
あたしの鼻を、海と魚の匂いが記憶となって襲う。
少しくらいは慣れたけれど、それでもまだ、自ら乗り込むほど好きにはなれない。
「え~?行こうよ~。みんなのことも誘っちゃったよ~?」
若菜は「それにホラ♡」とかいいながら、ごそごそ【S・R・F・C】ネーム入りバッグから何かを取り出す。
「じゃ~ん♡」
でっかい花火セットがパッと出現。
「はぁ?あんたいつの間に…」
言ったあたしがバカだった。
アイス購入のついでだな?その時だな!?まったく。
「そんなもんどこで買ってきた!頼んだのはプロテインとコールドスプレーでしょうが!」
若菜のぽっちゃりな二の腕をプ二プ二揉みながら、若菜に水をぶっかける鬼のゼネマネ。
「え?いつものホームセンターTHE・オオクボだよ♡」
なぜかうれしそうにはしゃぐ若菜姫。
「まったく。それにしても若菜。よくそんなお金持ってたね」
もしや若菜も同業者か?と思いつつ、あたしは水汲みを続ける。
「違うよ?加賀監督がいいよって♡」
1万円札を出す奴は想像できない。と思いつつ、若菜を見る。
「あっそー」
水を止めて、クーラーバッグを持ち上げる。
「監督が『夢くんに報告するんだよ』だって♡」
クーラーバッグをドサリと落とすゼネマネ。
「あんたら…。部費でおとしたなぁ――――っ!?」
脳の中で何かがメラメラ燃える炎のゼネマネ。
「経理の身にもなれぇ――――っ!!」
今度はホースを使って火元の若菜に放水開始。
大声で消火活動をする相澤夢消防指令。もとい鬼のゼネマネ。
その放水もいつのまにか、
「オオォ――――っ!やってるぞ――――ッ!」
と、60数名の消火活動が勃発する。
暑苦しい連中に囲まれて、キラキラ輝く虹の中、冷たいはずの水道水が、やけに心地よく感じてしまった。
ま、たまには、ねぇ?

で、その日の練習終了後。
「7時半に集合」と約束を取り決め、あたしが下り列車の中で上り列車のダイヤを確かめていると、若菜がぽっちゃり微笑みながら、
「夢ちゃん家まで迎えに行くよ♡遠慮しないでね♡」
って言ってくれた。
で、時刻は大体18:20分。を2分過ぎたぐらい。
自宅の外に出て待っていたあたしの目の前に、
「ITO SEWING Co.Ltd」
と、青ベースの白抜きピンク文字で看板の入ったでっかいワゴン車が停車した。
しかも車体は桃色。
それだけでも度肝を抜かれたのに、その中からピンク色の浴衣を羽織った若菜が降りてきた時は、正直本当に可愛らしいお姫様のようで、さらに度肝を抜かれた。
その上、嫌がるあたしをムリヤリ家に引っ張り戻して、
「ほらほら急いで♡」
と、自社製品の青い浴衣を着せられる始末。
初めて会う若菜ママさんは、
「夢さんはスタイルがいいわね~♡」
と、ベタベタにあたしを褒めながらテキパキと帯を締めてくれた。
「いつも若菜がお世話様です♡」
って、何度も口にしながら。
なんでも「伊藤小春日本舞踊教室」も主宰しているらしい若菜ママ。出発する時も「いつもお世話様です」とカツオの刺身を10パックも購入し、ワゴン車に乗る時も「自家用はパパが使っちゃっててね」ってあたしに謝ってくる。
「いつも若菜がお世話様です」
何度も丁寧に頭を下げるその姿に、こういうお母さんもいるんだなと、少し複雑な気持ちにもなった。
若菜に瓜二つで、でもそのわりにテキパキしていて、若菜よりもまたさらにぽっちゃりな若菜ママ。
車内には当然ほんのり甘い香りが漂っていて、若菜ママは「夕飯たべたの?」「飲み物いらない?」と何度もあたしに尋ねてきた。
その度に「大丈夫です」と答えるあたしに「遠慮しちゃダメよ♡」とにっこりぽっちゃり微笑んで、コンビニでジュースやらお菓子やらを選ばせてくれた。
他人にここまで優しくされた経験がナイあたしは、少々戸惑いながらも、若菜ママのぽっちゃり甘いオーラに包まれて「甘えるのも悪いことじゃないのかな?」と思えてしまった。
ママの隣の助手席ではなく、後部座席のあたしの隣に座るピンク浴衣の若菜。
「夢ちゃんはね♡」「夢ちゃんてね♡」と、とにかくあたしを褒めちぎり、その度にニコニコぽっちゃり微笑んで「ね♡夢ちゃん♡」とあたしの顔を覗き込む。
たった30分のドライブだったけれど、どこまでも面倒見がいい伊藤親子に、
「ありがとうございます」
「ありがとね。若菜」
と言ったときは、なんだかあたしもニコニコしてしまっていた。
「そんなことないよ♪」
と助手席でほざく、チビ助のアタマはぶん殴ってやったけど。

そんなカンジに時刻は19:10分。約束より少し早めの場所は、「日本海水浴100選・美松海岸」に、青い浴衣を纏った17歳の美女が降り立つ。
水平線の彼方に漁火が瞬いている中、同時にケータイカメラのフラッシュが瞬く。
あたしと若菜の浴衣姿に「オォ~~~~ッ♡♡」「赤い絨毯持ってこい!!」「こちらです!!夢様!!若菜様!!」っと歓声が沸き起こる、約束の場所「防波堤脇の駐車場」に「蒼い野獣」が私服姿でゾロゾロと姿を現し始めた。
各々バイクにチャリ、親御さんの車、列車や徒歩等で。
そんな野獣共を眺め、暇つぶしに突っ込みを入れ始める青い浴衣の女子高生。
アロハシャツ&ビーサン&サングラスのユッキーを見る。
「ハワイかよ。グラサンかよ。夜だぞ」
ポロシャツ&ジーンズ&ドラムバッグのあっちゃんを見る。
「引率かよ。ノートとか出してんじゃないよ。せめてメガホンしまおうよ」
チビ助は金アクセ&革手袋&帽子は斜め。
「チビDJかよ。そのCDラジカセどっから出した。コラ。歌うな」
ユウコは…。なんかよくわからないけれど、ラメ入りカチューシャにシュシュとノースリーブ。とにかく輝いていて、ある意味今時。か?もはや何も言えない風貌。
他にもパンクやらダメージやら下駄やらジンベイやら。
最後に「じ~じの愛車・黄金の大排気量ミニバン」で参上したシュウ坊。
バケツとゴミ袋と差し入れの野菜&ワカメを抱えて、
「沖に出てイカダの補修させられてました」
と、タオル頭に作業ズボンで現れて、みんなから
「オメェ!家はそこなんだから走れよ!」
「!シュウ坊~!なんか牡蠣の匂いすっぞぉ~~!」
「つーかワカメサラダでも作る気か!どうせなら肉と炭とコンロ持ってこい!」
と、オチがついた時には、ドリフのごとく大爆笑だった。
少し離れてそれを眺めるあたし。
ラグビージャージを脱いで、男子高校生に戻る面々。
いつもとはまた雰囲気がちがう、それぞれの個性。
なんだかグラウンドの中とは別人にも思えて、ついついマイデジカメで撮影を始める青い浴衣の女子高生。
まぁ別に、容量は十分にあるから、ねぇ?

デジカメ画面に表示された時刻は19:26分。
大体時間通りより5分前、青南ラグビー部が律儀に整列を始める。
しかも、よりによってほぼ全員。
あたしが「花火足りんの?」って聞いたら、準備のいい副主将が「アレは会費制だ」と言って、でっかい袋に大量の花火を抱えたユッキーと拓ちゃん&マーちゃんらを指さした。
あっちゃんが面長に整列を点呼させて指でソロバンをはじき
「ひとり304.73円っ!!」
と青縁を中指でクイっとさせながら声を張り上げると、
「こまけぇーぞ!あっちゃん!」
「0. 73はどーすんだ!」
「アツシさん!なんスカそれ!」
と批判が殺到し、ここでも大爆笑。
こんな風にワイワイガヤガヤ遊んだ経験がナイあたしにとっては、その空間全てがとにかくおかしくて、ついつい、
「いいよ!とりあえず300円!あたしが集計するよ!」
と、申し出てしまった。
みんなそれぞれ「100円足りない」とか「1000円札しかない」「夢先輩可愛いッス♡」とか詰め寄るのを、「めんどくさいな~。うるさいなぁ~」とかブツブツ言いながらも、ゲラゲラ笑って清算していくあたし。
なんだろうね。
このお腹の底から湧き上がる、ワクワクでふわふわな感じ。
「蒼い野獣」から普通の男子高校生に化けたゲラゲラ顔を、一晩中眺めていたい気分だった。
そういや「新港夏祭り」は来週だっけか。
メイン会場の「潮海通り」は「魚浜商店会通り」の2つ隣。
昔はそれでも、店の目の前を練り歩くパレード眺めているだけでうれしかったっけ。
窓や建物のはるか上に打ちあがる花火もよく見上げたな。
ま、毎日仕事の親父のせいで、メインとやらには一回も連れて行ってもらえなかったし、物心つく頃には「ただうるさいだけの人ゴミ」って、興味もなかったもんな。
だけどこいつらとなら…。
なんか、いいかもね。そういうの。
と、イロイロと浸って小銭をジャラジャラ数えていたら、
「一緒に行きましょうよ♡夢先輩♡」
って、陰に引っ張れながらキリっット坊やに誘われて、
「作業ズボンは無理」
って即答した夢先輩だったけれど。
キリット坊やをケラケラ笑いながらからかっているうちに、
「みんなで行こうっ!!」
って、それを発見した面長が横から口をはさんで、
「決定ぇぇ―――っ!!ウオォォォシャ―――――ッ!!!」
って、顔を真っ赤にして、メガホンで叫んで。
みんなで見上げる夏の大花火を想像して、なんだかすごく、うれしくなった。
そんな風にニヤける顔を、こいつらには絶対見られたくなかったから、その白いモクモクのケムリに身をひそめて、あたしは遠巻きにそれを眺める。
しかしまぁ、日本の花火技術は大したもんだな。
見たこともないようなグルグルやシュワシュワが、次から次へと咲いては消えていく。
「夢♡持って――っ♡」
白いモクモクの中からヒュッ!と出没したチビ助。
パパっと手持ち花火に火を点けて、それをあたしに押し付けてきた。
「ヤメロ」
と、瞬時に逃げる青い浴衣の女子高生。
無理もない。
手持ち花火は、生まれて初めて触るのだから。
他の連中も調子に乗って、
「天下のゼネマネ弱点はっけ~ん♡」
なんて、ドタドタ追いかけてくる。
「ユッキー!あんたはもう少しやせろ!!」
「あっちゃん!あんたあとで覚えておきなさいよ!!」
「シュウ坊!愛する先輩に何すんだ!ヤメロォ―――っ!!」
とか言いながら、慣れない下駄を履き捨てて砂浜中を逃げ回る、青い浴衣のゼネマネ。
それを桃ジュース飲みながらクスクス笑う、ピンク浴衣の若菜。
試合に時にもそれぐらい走れ!!バカ!!
親友なんだから助けろ!!バカバカ!!
ちくしょう!花火なんて、タバコの親分みたいなもんでしょうが!
花火大会ってのはこんなに走りまくる夏遊びだったの!?
 と、そんなタバコの親分が灰皿、もといバケツに消える頃。
 時刻はすでに21:30。を、少し過ぎたくらい。
そろそろ最終列車の時間だなという空気が流れ始める中、少々人数の減った「蒼い野獣」は各々アルコールならぬジュースを片手に、二次会ならぬ“いわゆるだべり “を始めていた。
皆それぞれ、個性豊かにイロイロな話題。
ただ、公序良俗の都合上ここではお伝えできない言論等もあるので、男子高校生の考えてそうなコトをテキトーに想像してね。

あたしはそれを、ケラケラ時々イヤイヤしながら、さざ波に耳を澄ましていた。
【青南の第2グラウンド、美松海岸】
この場所も、最初は嫌いだった。
だけど、「砂浜トレーニングは足腰を鍛える」という加賀以下60数名に連れられて、しょっちゅう通っているうちに好きなところも見つけてしまった。
それは山々に沈む、あのでっかい夕焼け。
海嫌いだったあたしが、思わずデジカメで撮影して、HPの壁紙にしてしまった。
オレンジ色を背中に背負い、青白いさざ波と砂浜の上、緑のそれらをバッグに楕円のボールを追いかける男達は、悔しいけれど理屈抜きに格好良かった。
「地元の景観を紹介するのも地域を巻き込む戦略だ」なんて、ミーティングで偉そうに「地方における地元住民巻き込み型経済成長の原理」をくどくど理屈ぶったけれど、ここだけの話し、魚屋の2階でコッソリ毎晩眺めてしまう。
画面の中の「遠藤大輔」は、本当に悔しいけれど、めちゃくちゃ格好いい。
でも…。今夜、あいつは、ココにいない。
どういう風の吹き回し?
せっかくこのあたしが来てやっているのに。
せっかく、生まれて初めて、浴衣を着ているのに。
 と、プンプンしながら浴衣の胸元をクイクイ遊ばせていると、
 「大輔先輩、今夜もバイトなんだよな~」
と、チビ助がコーラ片手にヒョイ!と防波堤の上に腰掛ける。
「バイト?あいつ御曹司なんじゃないの?」
と、炭酸は飲んじゃダメだと、それを奪い取る青いゼネマネ。
「大輔先輩ん家?あー、たしかに紗江子さんは社長だけど…」
どういうこと?
あたしは慣れない浴衣の帯をキュっキュっと直しながら、うちわをハタハタさせて、チビ助の話しに耳を傾ける。
そして、そのうちに、漁火の瞬きを眺めていた目がぼんやりかすんで、うちわを仰ぐ手が止まった。
信じられなかった。
 初めて知る、遠藤家の事情。
 大輔の、家庭環境。
 大輔の母親の、話し。
遠藤大輔の母―――遠藤紗江子の、話し。
大輔のお母さん・紗江子さんは、シングルマザーで息子を育てる女社長。
12年ほど前に夫と離婚し、幼い大輔の子育てをしながら8年ほど前に㈲遠藤運輸を立ち上げた。
女腕一つで従業員15名ほどの運送業を切り盛りし、自らもハンドル握って全国を飛び回っている経営者兼ドライバー。
会社の業績も年々安定し、今では決して貧乏ではないのに、息子の大輔は学費以外の金は一切受けとらず、部費や小遣いは全てガソリンスタンドのバイトで稼いでいる。
と、いうのだ
 チビ助は「俺はしょっちゅう遊びに行ってる♪たまに洗車のバイトもしてるんだ♪」「トレーラーに乗せてもらったよ♪」と笑った最後に、
 「紗江子さんはさ、すごい人なんだ♪」とか「紗江子さんは超カッケ―んだよ♪」と、目をキラキラさせながらあたしに「紗江子さんの武勇伝」を教えてくれた。
 たしかに、尊敬にも値する女性であることはまちがいない。
 けれど、どんなにスゴイ母親だとしても…。
 それよりもあたしは、息子の方が、大輔の方が気になって、居ても経ってもいられなかった。
だって、信じられないよ。
ただでさえ肉体を酷使するスポーツなのに。
人の何十倍も、精神疲労を抱える立場なのに。
部のことだけじゃなくて受験勉強や生徒会の仕事もあるのに。
それでも仲間を気遣って、必死に「夢」を追いかけている。
時給750円で汗水たらす高校生。
それがどんなに苛酷なことか、簡単に想像できる。
それでも、それでも弱音を仲間に見せない、笑顔の大輔。
時給1万円を誇らしげに掲げるYUMEちゃんの存在が、小さく思えて仕方なかった。
下を向き、ぼんやりと下駄を見つめる。
「なにがYUMEちゃんだ…。なにがゼネマネだ…」
足元に、大粒の水滴が、落ちる。
ポツ…ポツ…
「夢!雨だよ!!」
俊敏なスクラムハーフがヒョイ!とゼネマネを抱えて、屋根の下に走り出す。
「都合がいいよ…」
聞こえないように、小さくつぶやく。
あたしの心も、洗い流してくれ…。

だけどその声は聞き入れてもらえなかった。
あたしは若菜に自慢の髪を拭かれている。
 準備のいい副主将が、若菜とあたしにタオルを貸してくれた。
「あ~、オトコの討論会は中止だな~、各自解散!」
副主将に続き、FWリーダー、BKリーダー達がみんなを仕切り、ずぶ濡れになりながら「キモチイイィ―――ッ」とか叫んで各々帰宅を始める。グラウンドの外でも、しっかりと指示系統が働いているのは他でもない、主将の努力の結晶だ。
あたしはそれに背を向けて、真っ赤になった目を、タオルでゴシゴシこすっていた。
1人、また1人とその場から人がいなくなり、最後まで残ったのは若菜とチビ助とシュウ坊。そしてあたし。
「休憩コテージ」と入り口に書かれた、簡素な屋根と壁、木製のイスやテーブルが並ぶ空間で、3人は帰り足の相談をしていた。
「ウチの父ちゃん迎えに来てくれるって!若菜!シュウ坊!乗ってくでしょ?」
チビ助がバカでかい声を張り上げる。
「ねぇ、夢も!一緒に帰ろうよ!」
チビ助があたしに近づいて、肩をポンポン叩く。
「ん~?あたしはもう少しここにいるよ~」
あたしはその手を払いのけて、3人には背を向けたまま壁に背を当て、床に座り込む。
「どうしたの夢ちゃん?」
若菜が隣に座り、あたしの顔を覗き込む。
何かに気づいたらしく、ゆっくり離れる。
「夢先輩、ウチのばーちゃんが泊まりにおいでって言ってましたよ?」
シュウ坊が心配そうな声であたしを誘う。
「ん~?そういうわけにもいかないでしょ~。チホちゃんによろしくね~」
シュウ坊も何かを察したらしく、それ以上は何も言わない。
「ね~夢、風邪ひいちゃうよ?一緒に帰ろうよ!」
チビ助がしつこく誘ってくる。
「いいからひとりにして」
とうとう下を向いてうなだれるあたし。
そのうちに車のエンジン音がして、3人はそっちに消える。
やっとひとりになれたと思って顔をあげると、チビ助がもう一度戻ってきて「ねぇ!夢ってば!!」と声を張り上げる。
それを無視すると「夢の意地っ張り!!」と口をタコにして叫んだ。
しばらく沈黙のあと、あたしが「あんたの父ちゃんもどうせチビなんでしょ?」と憎まれ口叩いてそっぽを向くと、「うちの父ちゃんはでっかいよ!!」と捨て台詞を残し、携帯で誰かに電話をかけながらそっちに消えた。
ママと仲良くお電話か?平和なもんだね。
そのうちに静かな空間がとり残されて、雨の音がどんどん胸を締め付けくる。
冷たくなった手足の、ピンク爪をぼんやり眺めながら「背番号10」の大きな背中を思い出す。
ヘロヘロの身体になりながら、学校の外でも汗かいて。
あいつのことだから、家に帰って炊事も、洗濯も、掃除も、おふくろさんに代わってやっているに決まってる。
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伝説の蒼い司令塔 
背番号10(SO) 遠藤大輔 3年 【主将】
179cm 75kg O型 
誰もが認める絶対的司令塔。
抜群の身体能力と強靭な精神力、試合コントロールのセンス。全てが超高校級。
20××年度高校生オールジャパン候補。
試合後半にスタミナ不足あり。持久力UPがカギを握る。
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自分で打ち込んだHPの紹介文を思い出す。
「スタミナ不足?」
当たり前だ。そんな生活を続けていれば、普通の体力なら最初の5分だって立っていられない。
それなのにあたしは…。
屋根があるハズの空間の床に、大粒の水滴が落ちた。
大輔がいつも目を赤くしていたのは…。
大輔がいつもいびきかいて寝ていたのは…。
毎日色気のない弁当食っていたのは…。
あたしを必要としてくれていたのは…。
「だから夢が必要なんだよ」
…あれは…。
……あれは……あの言葉は…。
大輔があたしにだけ見せてくれた、本音。
あいつはあたしに、シグナルを出していたじゃないか。
それなのにあたしは、気づいてやれなかった…。
目から伝染して、全身がじわじわと熱くなる。
大輔の真っ赤なあの目を、思い出す。
「だから夢が必要なんだよ」
とうとうそれが、崩壊する。涙がとまらない。
どんどんあふれて、頬から首筋へ。
青い浴衣の胸元が、グショグショになっていく。
あたしなら、あんたの母親の代わりになって、掃除も、炊事も、全部やってあげられるのに…。
あんたのために、とびきりゴージャスな弁当作って、裁縫だってしてあげられるのに…。
なんなら貯金を崩したって構わない。
………YUMEちゃんが稼いだお金で?
使えるわけがない。
とことん自分が情けなくなった。
あたしはどうしたいんだ?
つまらない意地を張って。つまらない見栄を張って。
なんでもっと、素直になれないんだろう?
もう十分、自分の気持ちに気づいてるでしょうが…。
あたしは…。あたしは…。
だい…すけ…。
 そのまま崩れ落ちて、両腕で目をふさいだ。
 何もかもを覆い隠してしまいたかった。
 大粒の雨が屋根にあたって、不規則にリズムを打つ。
 そのリズムに身をあずけて、目を、閉じる…。
 ……。

…………いつの間にか、眠ってしまったらしい。雨も止んでいる。
ミニポーチから携帯電話取り出して、見る。
もうすぐ零時だ。
「…かえろう」
下り列車はもうないけれど、使いたくもない1万円札が財布の中にたっぷりある。
だけどタクシーを呼ぶ気にはなれなくて、美松海岸の防波堤脇をとぼとぼ歩いた。
ズリズリと下駄が砂を引きずる。
少しだけ雲まじりの夜空を見上げた。
雲を払いのけるように、星がチカチカしている。
あの高原で見上げた星空に負けず劣らずの、でっかい夜空。
おんなじように瞬いているはずの、大三角形。
なのに、なぜだか少し、胸に、刺さる。
どこかでエンジンの音が、鳴っている。
もしかしたら同じ星を、紗江子さんて人は、ハンドル握りながら眺めているのかな。
一体どんな気持ちで、あの北斗七星を眺めているんだろう…。
会ったこともない人の顔を想像してみる。
大輔を生んでくれた人。
大輔とおんなじように、優しい顔なんだろうか。
自分を生んでくれた「母親」…か。
…それでもあたしは、「母親」なんて…
さざ波が耳をザワザワさせる。
テトラポットにぶつかるそれが、胸を打つ。
地球というステージは、その時々のココロ模様でコロコロ変わるもんなんだね。
やっとスキになれそうだった波の音を、今だけはどうしても聞きたくない。
チカチカする星を、見上げたくもなくなって、下を向く。
瞬間、やけにまぶしい青白い光が目に刺さる。
手のひらをかざす。
独特のドロドロエンジン音があっという間に脇に近づく。
趣味の悪い黒艶の左ハンドルミニバンがギュイッ!と停まる。
…なんだ?こんな暴走族みたいなタクシー、呼んだ覚えないよ?
「あれ~、お前、相澤だろ~」
後ろの席の窓ガラスから見覚えのある茶髪が顔を出す。
「はぁ?あんたは誰だよ」
またこいつか。機械創造科3年冬木健介。
あんたのことはあれからたっぷり調べたよ。“元背番号6”が何の用だ。
「おい、お前、浴衣着て何やってんだよ」
冬木がスライドドアを開けて降りてくる。
見りゃわかるでしょ。青い浴衣着て帰宅途中だ。
「あれ~?YUMEちゃん~?」
助手席の男も、車から降りてきた。
「……――――!?」
…最悪だ。あんた、そんなヲタク面して、ヤンキーの連れだったのか。
とっくに登録抹消したはずのヨシポンが、亡霊のようにフラフラ近づいてくる。
去年こいつと、ドライブで見上げた夜空の星が、頭をよぎる。
フリーズしている間に、一気にミニバンに引きずり込まれた。
「YUMEちゃんの派遣屋さん」は休業中なのに。
それでもあたしは、「夢」を守りたかった。
たとえ女を、汚されても。