人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事 -193ページ目

人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事

子育て中のやり直し英語でTOEIC講師、実務翻訳者という自分の夢を叶えながら子供たちの英語教育リテラシー向上も果たしました。
「勉強しなさい」と言わない子育てで、長男は東大合格、長女が国立大医学部に合格しました。
教育コーチングを通して学習の自立をサポート

18-19世紀は、イギリスの世紀でしたが、もう1つ台頭してきた国があります。アメリカ合衆国です。

アメリカは、先住民をインディアンを一掃するエスニック.クレンジング(民族浄化)という蛮行を経て樹立された国です。西武開拓を完了させ、北アメリカの西征が終わった時点で、海を渡って触手を伸ばしてくるのは、時間の問題でした。

最初に標的にされたのが、太平洋の楽園、ハワイです。

19世紀、ハワイには宣教師を中心として多くのアメリカ人が入り、やがて、宣教師と息子たちはハワイの政界でも要職を占めるようになります。

ハワイの軍隊とは別に、最新鋭機の銃器を装備した私的軍隊「ホノルルライフル隊」を編成し、1887年、カメハメハ王朝のカラウア国王に銃を向けました。

彼らの要求は、表向きは「近代的な憲法の発布」でしたが、実質は国王の国政への発言を封じ込めて、実権を掌握しようとするものでした。

憲法の内容をみると、それがわかります。

☆選挙権は高額納税者に限る
☆二重国籍の者、すなわちアメリカ人にも選挙権を認める

というものでした。

当時のハワイは、貧しく、高額納税者と言えばアメリカ人でした。

つまり、参政権を現地の人から奪い、自分たちが議会の実権を掌握するという内容だったのです。

次回、ここに日本が登場しますよー。

また、後日出てくる日本の統治と比較するためにも、他国について少し知っておくと、日本はどんなに素晴らしい国なのかよくわかると思います。
イギリスから始まった産業革命は、西欧諸国に波及し、19世紀中頃までには、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカでも起こります。

その結果、資源獲得と市場拡大のため、より多くの植民地を必要とすることになりました。

そこで目をつけたのがアフリカです。

スタンレー、リビングストンらのアフリカ大陸内部の探検が盛んになるにつれ、関心は徐々にたかまり、一気に植民地争奪戦へと進むのです。

フランス、イギリス、ポルトガル、ベルギー、ドイツ、スペイン、イタリアー先を争って、アフリカ大陸に殺到し、先住民などおかまいなしに次々と領土に編入していきました。

1914年には、アフリカ大陸で独立国として残っていたのは、エチオピアとリベリアの2国だけでした。

こと争奪戦でも実質的に勝利を収めたのはイギリスでした。

面接はフランスが多かったのですが、大半は砂漠地帯だったので、エジプト、モロッコ、南アフリカ、ナイジェリアといった資源豊富な地域を獲得したイギリスが勝利したのです。

次はハワイです。
イギリスの植民地支配は、スペインやオランダなどと違って、一見穏健でした。

カトリック国であったスペインやポルトガルは、十字架を武器に支配住民に強制的に、キリスト教の信仰を迫り、異教徒には狂信的な弾圧を加えましたが、イギリス国教化の下にあったプロテスタント国、イギリスはキリスト教の教義自体はあまり問題とせず、教会などの組織づくりのみに重点を置き、信仰も強要はしませんでした。

一方で、エルサレムやメッカ

コンスタンチノープル(イスタンブール)などの聖地を擁する保護国をことごとく取り込み、宗教を政治的に巧みに利用するというしたたかさを持っていました。

植民地経営については、システム的にはオランダと同様、会社方式を採用、東インド会社を新たに設立して、香辛料貿易で得た莫大な利益を国内の産業に注ぎ込みます。

巨額の富を得たイギリスは、技術核心が進みますをこれが18世紀の産業革命です。

産業革命によって機械化が進み、生産性は大幅に向上し、他国を圧倒する強力な武器を大量に生産し、イギリスは世界の工場として繁栄します。

そして、植民地を拡大、植民地から富を奪う⇨産業を振興⇨植民地で収奪した原材料でつくった商品を植民地に売るという「拡大再生産」を繰り広げていきます。

また、ライバルとの植民地争奪戦でもイギリスは、傭兵制度を開発します。現地の人々を傭兵として雇い、イギリス軍として戦わせるのです。これ見て他国も真似、その結果、現地人同士が戦うというひさんな戦いが起こりました。

自らはあまり手を汚さず、植民地か、永遠に富を搾取するというこのシステムがイギリスの200年もの長い間続いた繁栄の秘訣でした。

※現地にとって、何も幸福をもたらしていないという点にご注目ください。

次回は、アフリカについてーです。
これまで、スペイン、ポルトガル、オランダの覇権主義についてお伝えしてきました。いよいよ、イギリスです。

17世紀がオランダの覇権の世紀だとしたら、18.19世紀はイギリスの世紀です。

イギリスは、この二世紀の間に大英帝国を築き上げました。

最盛期には、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ビルマ、マレーシアを押さえ、さらにカナダ、南アフリカ、エジプトと7つの海にまたがる広大な領土を支配します。

後発だったイギリスは、先住民の征服という手段ではなく、かつてスペイン、オランダと戦います。

1588年 スペインの無敵艦隊アルマダを撃破、1652年開戦の英蘭戦争にも勝利し、オランダの海上権を奪い取ります。

17世紀に入ると、イギリスのライバルはフランスだけになっていました。

両国は、最初は北米大陸で激しく争いますが、その間アメリカでは独立運動が盛んになり、1776年、ついにアメリカ合衆国がイギリスから独立します。そこで、北米で利権を失ったイギリスは、それを取り戻すかのようにインドに全力を注ぎます。

インドでもフランスと熾烈な植民地争奪戦を繰り返したのですが、イギリスが勝利し、インドのムガル帝国を支配下におさめるのです。

次回は、イギリスの統治の仕方です。

お読みいただきありがとうございました。

#日本を見直そう
日本を見直そうシリーズ、オランダの統治の仕方まできました。

なぜ、日本を見直そうーなのに、西欧のことばかり???と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、「比較」のためです。

このシリーズの1番最初のエントリーで、日本の大航海時代はwin-winだったということをご紹介しております。

その後の、西欧の大航海時代と違っていることは、お判りいただけたと思います。

今度は、統治の仕方について比較のために、オランダの統治の方法を、ご紹介しますね。

オランダの統治下では、
原住民は、教育がなされませんでした。読み書きができないまま放置するという「愚民化政策」が基本です。

この方針によって、三世紀に及ぶオランダ支配の中で、教育を受けたインドネシア人は、わずか数千人しかいません。ポルトガルなども同様の愚民化政策を進めていました。

もう1つの特徴は、徹底した分断政策です。集会、団体行動は禁止。320の各部族を、1つの標準語にすることも許さず、インドネシア人としての民族意識を奪い、原住民はプランテーションの奴隷としてこき使われたのです。

コーヒー、サトウキビ、茶、肉桂などの「強制栽培制度」を導入し、徹底的に搾取しました。

また、オランダ統治の巧妙だったところは、自分は決して表に立たず、間接統治で臨んだ点です。

統治は、地元の代表である土侯に、流通は華僑に委ね、搾取による憎悪は全て華僑や土侯に向かうように仕組みをつくり、自分たちは美味しい汁をたっぷり吸うという方法でした。

しかも、表向きは東インド会社という会社組織で、国家は前面に出ないという用心深さもありました。

さらに、混血政策をとり、インドネシア人との混血を、中間階級にして、民族の分断を図りました。

これはポルトガルが東チモールで、スペインが中南米支配で行ったことと同じで、植民地を永続支配するための手段だったのです。

こうした「ハーフカースト(ヨーロッパとアジア人の混血)」は、教育を施され、宗主国のために原住民を監督、酷使する役割を与えられます。

次回は、18-9世紀、イギリスについてです。

お読みくださり、ありがとうございます。