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人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事

子育て中のやり直し英語でTOEIC講師、実務翻訳者という自分の夢を叶えながら子供たちの英語教育リテラシー向上も果たしました。
「勉強しなさい」と言わない子育てで、長男は東大合格、長女が国立大医学部に合格しました。
教育コーチングを通して学習の自立をサポート

日本を見直そうシリーズ

アメリカについては、まだまだ続きますが、今日は、ちょこっとロシアについて触れていきます。

北の大地ロシアは、13世紀から15世紀までモンゴル帝国、次いでオスマントルコ帝国と東洋の支配にありました。

東洋勢力を撃退した後も、西洋からの侵略の脅威はありましたが、冬将軍という大自然の要塞があったため、決定的な侵略を受けることはありませんでした。

17世紀末、ロシアのピョートル1世の時代に、それまでツァーリズム国家(皇帝の専制君主国家)として発展してきたロシアが、膨張主義に目覚めます。ピョートル大帝は、自らイギリスやオランダに留学、西欧の思想、技術、文化を導入し、近代化に努めました。そして軍事力を強化、周辺地域の侵略に着手します。

当時のロシアの悩みは、海への出口をふさがれていることでした。冬には港が凍ってしまうためです。

不凍港の確保が、西欧諸国に追いつくためには絶対条件で、この目的のために「南下政策」が国策の基本に据えられます。以降、ロシアにとって南下政策、不凍港確保は伝統的国家目標となります。

18世紀になると、スウェーデン、ポーランドを収め、バルト海の覇権を握り、南下政策に基づいてトルコと対立し続けます。

一方、東方進出を狙って、シベリア、アラスカを領土にします。

南方政策の方はというと、シベリアからカムチャッカ半島を領有したロシアは、アヘン戦争に敗北した清の弱みにつけこんで、1858年、アムール川以北の土地を割譲させ、さらに2年後、ウスリー川以東の沿海州を譲り受けます。

こうしてロシアは、念願の不凍港をウラジオストクに得るのです。

ところで、ロシア後の

「ウラジオストク」

の意味をご存知でしょうか?

なんと、「東方支配」です。

ロシアの次の狙いは、朝鮮半島、日本列島です。

アメリカ、ロシアとみてくると、日本は侵略の危機に晒されていたことがよくわかると思います。

次、アメリカに戻りますね。
アメリカの味方をすれば、独立を許すという約束を反故にされたリカルドらが援助を求めたのも日本でした。

日本に援助を求めながら乏しい武器でゲリラ戦を展開します。

これを待っていたかのようにアメリカは、独立軍はゲリラだと宣言。戦争ではなく、ゲリラとの戦いなら国際法の適用を受けないからです。国際法では、殺傷能力の高い非人道的な武器の使用、捕虜の虐待、拷問の禁止が定められていますが、これらを守る必要がなくなるのです。

そして、アメリカがやったことはー

ゲリラ戦でアメリカ兵が1人死ぬと、捕虜を1人以上殺し、大量の水を飲ますなどの拷問も行います。

サマール島では、30数人のアメリカ兵が殺された報復として、女性を含めサマール島ならびに隣の島の住民2万数千人が皆殺し、アギナルドの故郷でも、田畑は焼き払われ、家畜も一頭残らず殺されました。その数は50,000と言われています。

1902年、約20万人の犠牲を出して、独立軍は鎮圧されます。

このとき、フィリピンの初代軍政務官となったアーサー.マッカーサー陸軍少尉、副官のダグラス.マッカーサー中尉が行ったことを確認します。

アメリカは、フィリピンに独立を約束した後、永遠に支配するために憲法に戦争放棄の条項を盛り込ませました。

日本国憲法は、このフィリピン憲法を下敷きにして作られたものです。

GHQがたった一週間で日本国憲法の草案を書き上げることができたのは、もともとフィリピン憲法もいう下書きがあったからなのです。

フィリピンを得たアメリカは、グアム、サモア群島と太平洋上の島々を手中に収めます。

そして、アメリカの侵略のフロンティアはいよいよ東アジアに迫ってきます。


私の住んでいる町から車で20分くらいのところに、TSUTAYAとスタバのコラボ、スタバのコーヒ-を飲みながら、本を読んでいいですよ、というお店があります。

 

先週の日曜日、娘たちの塾の帰りに久しぶりにこちらによって、また、久しぶりにこちらで本を読みました。

 

これです。

実は、この本は2回目です。

 

一度目に読んだときは、「なるほど~」と感心しつつ、自分の今までの考え方とほぼ同じような・・・と思って、感覚的なものが「心理学」として認められていて安心したなという感じでした。

 

ところが・・・今回は、同じ内容なのに、砂地に水がしみわたるように私の心に入ってきて、

読み終わった途端、とても楽になっている自分がいました♪

アドラー心理学は、フロイトとは対極です。

 

☆自分がどうなりたいのか

 

という目的から考えるのですが、この目的が、「自分の思い込み」だったり「他者からの刷り込み」だったりすると、何となく居心地が悪いというか、「義務感」があって、心の底に「焦り」などが生じてしまうんです。

 

私の心、魂、が何を望んでいて、それを妨げているものがよ~くわかって、、とてもストンと楽になりました。

 

マーフィーの成功法則「引き寄せ」はすごいパワーがあって、本当に心が望んでいることから、自分が公言していることなど、本当に「引き寄せ」ますが、引き寄せたときに、「ちょっと違うな」感が出てきてしまうんですね。

 

ここやっかいです。

特に私みたいに少々「器用貧乏」の傾向があり、そこそこの成果を出せる人は、本当にやっかいですが、本当に望んでいることがわかるとすとんと楽になります。

ドラッカー好きな私は『成果』を出すことにも注力しがちで、成果を出す事は本当に大切なのですが、ここも微妙な刷り込みがあって、本来の魂が望んでいないところで成果が出ても、ちっとも幸福感が湧いてこない・・・んです。

 

ところが、この本を読んですとんと楽になりました。

 

これから、強みを発見して『貢献』をキーに頑張ってまいりま~す♪爆  笑

アメリカは、ハワイを乗っ取った後は、スペインに戦争を挑みます。スペインの植民地支配に苦しむ人々を救うという名目です。

 
米西戦争です。
 
米西戦争の目的は、キューバの独立戦争を助けるはずでしたが、アメリカが勝利すると、いつの間にか大義名分は引っ込められて、キューバは保護領にされてしまいました。
 
それだけでなく、スペイン領だったプエルトリコも領土化され、カリブ海がアメリカのものになっていました。
 
1903年のパナマ保護領化は、アジアの国々にとっても大きな出来事です。
 
1914年、パナマ運河を開通させ、南米大陸への航海権、通商権を掌握するとともに、太平洋への航路を確保。本格的に太平洋へと乗り出してきます。
 
米西戦争は、アメリカがアジアで覇権を握る契機にもなりました。アジア進出の好機と捉えたアメリカはスペイン領だったフィリピンに艦隊を派遣、スペイン艦隊を撃破します。
 
この勝利の裏にはフィリピンの独立革命家、アギナルドやリカルドを指導者とするフィリピン独立軍の活躍がありました。
 
海からアメリカ極東艦隊に追い詰められ、マニラに立てこもったスペイン軍は、独立軍に包囲され降伏します。
 
独立軍がアメリカに協力したのは、アギナルドらにアメリカ軍が独立支援を約束していたからです。
 
しかし、実際は1898年に戦争に勝利すると、独立軍の報復を恐れるスペインの要望に応じ、独立軍の入城を禁じ、フィリピンをアメリカの領土に組み込んだのです。
 
アメリカの覇権のやり方は、表向きは民主主義、人権という見栄えのよい名目で介入し、侵略をする、戦争をしかけるというやり方でした。
 
この点をおさえて次もフィリピンのつづきにいきたいと思います。
近代憲法を求めたハワイのアメリカ人の運動は、実質的には、参政権を現地の人から奪い、実効支配していくものでした。

この日がくることをかねてから予測していたカラウア国王は、それ以前に日本に助けを求めていました。

その6年前、王は国賓として来日し、明治天皇に日本人のハワイ移民を懇願するとともに、国王の姪で王位継承者であったカイウラニ王女と山階宮親王の婚儀を申し出ました。当時、人間だと認められていた有色人種、国家は日本人と日本くらいだったので、日本の皇室と姻戚関係を結び、アメリカを牽制して、王朝の存続を図ろうという奇策だったのです。

ここから、日本という国が有色人種の国の希望の星だったことがわかります。

しかし、当時の日本は国際社会にデビューしたばかりで、まだ力がついていませんでした。西欧列強を敵に回す国力はなく、「アメリカと事をかまえるのは日本にとって今は危険」と判断した明治天皇は特使をハワイに派遣し、申し出を正式に断りました。

かくして国王は実権を奪われ失意のうちになくなります。

代わって即位をした王の妹、リリウオカラニは、あのアロハオエの作者としても知られる女王です。1893年、最後の抵抗を試みます。島民にも選挙権を与える憲法改正案の発布です。アメリカ系市民の権利は全て認めたうえでの改正でした。

しかし、駐アメリカ公使ジョン.スティーブンスは
「血に飢え、淫乱な女王が恐怖の専制政治を復活させようとしている」と嘘の訴えを本国アメリカにして、アメリカ市民の保護を口実に、ホノルル港に寄港させていた米戦艦ボストンの砲口を女王のいるイオラニ宮殿に向けさせ、海兵隊を出動させます。女王は強制的に退位させられ、以降、アメリカ人の大統領を誕生させることになります。

1898年、アメリカ人のサンフォールド.ドール(あのパイナップルのジュースで有名なドール家の二代目です。)は、島民の意思を無視し、アメリカに国土を寄贈、ハワイをのっとったのです。

アメリカがハワイをのっとった時点で、私は大東亜戦争、太平洋戦争の種は蒔かれたと思っています。

次回は、フィリピンです。