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人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事

子育て中のやり直し英語でTOEIC講師、実務翻訳者という自分の夢を叶えながら子供たちの英語教育リテラシー向上も果たしました。
「勉強しなさい」と言わない子育てで、長男は東大合格、長女が国立大医学部に合格しました。
教育コーチングを通して学習の自立をサポート

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これは、感謝してもしきれない。

今、子供の頃のことを思い出して、いつも思い出すのは五十音の積み木を持ち出しては、「これなんて読むのー?」と洗濯を干している母に、呼びかけ、その度に母は洗濯を干す手を止め、教えてくれました。

当時の我が家は、洗濯は同じ敷地内の別の建物の二階二階とっても広いベランダがあって、そこが洗濯干し場になっていました。

そこから、たったったと階段を駆け降りて、私がいる家の縁側っぽいところにいる私にいちいち教えていくわけです。

嫌な顔もせずー。

これがどんなにすごいことだったかということは、同じワーキングマザーになってわかりました。

ワーキングマザーにとって、家事の時間はとても貴重で、できればぱっぱと手早く済ませたいのが本音です。

同じマンションの部屋から部屋に移動して、子供の相手をするのも大変なのに、田舎だったから広い敷地を走り回り、子供の質問に、答え続ける母。頭が下がります。

でも、こんな母親に対して、私はすごく反抗していた時期がありました。

反抗して、反抗して、母との関係に悩んで、片っ端から心理学、家族関係、心の教えの本を読みまくって、その結果、母に感謝できたのだから不思議です。

今は、母との関係を考えると、私に「心」について考える機会を与えるために、あえて あのような役割を果たしてくれたのかな?と思います。

成績もよくて、周りはちやほやしてくれる中、いつも厳しい苦言を呈し、私の頭を押さえつけるようなことしか言わなかった母。

でも、いまでは、私のことが心配で、そうしたんだなあということは理解できます。

母との関係がなかったら、もしかしたら、私は鼻もちならない性格になっていたかもしれないし、もしかしたら、調子にのって、とんでもないことをおかしてしまっていたかもしれない、そう思います。

なので、今の自分があるのは全て母のおかげだと思います。


もうすぐ80歳になります。

なるべく、静かな穏やかな時間を母と一緒に過ごしたいと思います。
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これまで、スペイン、ポルトガルがキリスト教布教の名目で、次々と東洋の地を征服した歴史を紹介してきました。

※本来のキリスト教の教えがそうだったのではありません。

世界支配が着々と進むと、これらを白人の優位性、ヨーロッパ文明の優越性、キリスト教の優秀性の証だ考えていきます。

非白人地域が、簡単に征服されていったのは、

「自衛力を持たなかった」

というだけの理由なのですが。

白人の人種差別は、だんたんと激しくなり、キリスト教の洗礼を受けない文明を野蛮未開と蔑み、その遅れた文明の担い手はすべて家畜と同等の奴隷としかみなさなくなっていきました。

17世紀になると、スペイン、ポルトガルに代わってオランダが台頭してきます。

オランダはプロテスタントの国で、古くからバルト海貿易に携わってきた自由商人たちの集合体でした。海洋貿易が発達していたので、航海技術にも優れていました。

しかし、16世紀まで北極海経由でアジアに到達する航路を模索しており、東方経営には出遅れていました。

北極海を回る航路は不可能だと悟ったオランダは、スペイン、ポルトガルの開発した航路を通り、利権にありつこうとします。

まず、北米進出を狙いましたが、既存のフランス、イギリスに阻まれ、実現しませんでした。そこで、矛先を、インド洋航路に変えます。

1602年、オランダは東インド会社をジャワに設立、侵略の拠点とします。

東インド会社に、貿易、軍事、外交、行政の独立権を与え、諸外国と戦争し、アジアへの進出を、開始したのです。

17世紀中頃には現在のインドネシアを中心とした地域を掌握し、350年もの長きにわたって、植民地支配を続けました。

次は、オランダの統治の仕方について触れますね。

日本を見直そうシリーズ

比較のために、西欧のやり方をご紹介してきました。
 
もうしばらくお付き合いくださいませ。
 
ポルトガルが、マラッカ王国を手にしたことで、香辛料群島の先陣争いに一歩遅れをとったスペインは、マゼランを援助。西回り航路の発見を命じ、巻き返しを、はかります。
 
マゼランは、南アメリカから太平洋を横断し、サイパン、テニアン、グアムといった島々で海賊行為を続けながら、1521年齢、フィリピンのセブ島に到着。上陸したマゼランは、当時の流儀に従って、島に十字架とスペイン王室の標識を立て、スペイン領の宣言をしますが、先住民との戦いで毒矢に当たって死んでしまいます。
 
マゼランは、歴史教科書では、世界一周の偉業を成し遂げ、地球が丸いことを証明した英雄のように書かれていますが、行った先の先住民の繁栄を考えることはなく、つまりはスペインの侵略、植民地化の手先に過ぎなかったのです。
 
スペインはその後、マゼランが発見したということを根拠に、セブ島、ルソン島などを1571年には領土とし、スペイン国王フェリペ2世の名にちなんでフィリピンと命名、その後330年もの間、植民地支配を続けたのです。
 
こうなると植民地化を争うスペインとポルトガルは次第にアジアを舞台に争いを始めます。
 
そこで、ローマ教会下の両国の争いの調停に、教皇アレクサンドル6世が乗り出し、教書を出して進出区域を分けます。(「ドルでシャリス条約」)
 
この内容は、アフリカ西海岸のヴェルデ岬諸島の西方、西経45度を境に、西はスペイン、東はポルトガルの進出区域としました。
 
しかし、地球は丸いので、それだけで争いが終わるはずはなく、1529年には、サラエゴ協定により、東経135度にもう一本の境界線を引きます。
 
もうお判りかと思いますが、東経135度は日本列島を、真っ二つにする線です。(兵庫県明石市の日本の標準時子午線ですね。)
 
当時、スペインの人口は約500万人、ポルトガルは100万人足らずです。このような少数民族が勝手に、何十倍もある有色人種の住んでいるところを次々と植民地化し、地球を2分割して支配しようとしていたのです。
 
あまり触れたくはないのですが、この侵略にはキリスト教布教の名の下に、虐殺、略奪、拷問、強姦を手段としていたということを付け加えておきます。
 
本来のキリストの教えは、愛の教えだったはずですが、どこでこうなってしまったのでしょうね。
お久しぶりです。

ポルトガルの大航海時代です。

スペインが、コロンブスに命じて西航路を目指していたところ、東航路で東方に到達しようとしたのがポルトガルです。

イベリア半島最西端であるポルトガルは、その地理的条件から早くから海に発展を求めていたんですね。

また、土地が狭く、産物にも乏しかったので、なおさら海外への進出は生き残りのための必須条件でした。


1498年、ヴァスコダガマが喜望峰を回って、インドの、カリカットに到着、インド洋の道をきりひらいたのです。

これを足がかりに、1511年マレー半島南端のマラッカ、1557年、シナのマカオを奪います。

マラッカ王国は、15世紀に成立、マレー半島の南半分、スマトラ島のパレンバン、ジャワ島を支配していて、東南アジア貿易の交易国家として栄えていました。

このマラッカ王国を手中にしたことで、ポルトガルは東南アジアの香辛料による莫大な利益を獲得したのです。

次は、このポルトガルの動きを受けてのスペインのお話です。

しばらく、お付き合いくださいませ。
日本を見直そうシリーズで、江戸時代の日本の大航海時代について書きました。

ここから進む前に、どうしても比較として触れなければならない内容として、欧米の大航海時代があります。

日本を見直そう♪なのに、なぜ?と思われるかもしれませんが、少しお付き合いいただければと思います。

最初に、大航海時代に乗り出したのは、学校でも学んだようにスペインとポルトガルです。この2国は、ユーラシア大陸の西の端にありますね。

ここから、東洋に向かうのに、西へ針路をとったのは、当時の天文学の発達と、コペルニクスの地動説によって、地球球体説が真実味を帯びてきたからです。

有名なのは、コロンブス。
イタリアに生まれましたが、スペインのイザベル女王の援助を受けて、1492年に旅立ちます。

インドと間違えてたどり着いたのはアメリカ大陸でした。

このコロンブスの旅は、最初から収奪が目的でした。☆ここ大事です!日本の大航海時代と比べてみてください。

スペインのフェルナンド国王との間で、新たな地域を発見し、富と資源をもたらせば、その10分の1を取得できるという契約を交わしていたのです。金銀財宝は、残念ながらありませんでしたが、珍しい植物とともに、快く受け入れてくれた先住民を容赦なく奴隷にして連れ帰ります。

行く先の土地に住んでいる人たちのことなど、何も考えていなかったことがわかりますね。勝手に、その国の富を配分する契約を、交わして旅に出たのですから。

そして、これを皮切りにスペインの中南米での強奪が始まります。コロンブスの航海後まもなく、西インド諸島を征服、1512年には、コルテスがメキシコのアステカ帝国を滅ぼし、1532年には、ピサロがペルーのインカ帝国を征服します。

征服につぐ征服で、16世紀前半にはスペインは広大な海洋帝国を形成し、ヨーロッパ最強の国になっていったのです。

次回は、スペインに触れますね。