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人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事

子育て中のやり直し英語でTOEIC講師、実務翻訳者という自分の夢を叶えながら子供たちの英語教育リテラシー向上も果たしました。
「勉強しなさい」と言わない子育てで、長男は東大合格、長女が国立大医学部に合格しました。
教育コーチングを通して学習の自立をサポート

 

私らしいといえば、らしい、エンターテイメントに疎いというか、なんというか・・・。

 

この無私の日本人を読んで3人目の方のことを書こうといろいろ調べていましたら・・・

な、なんと1人目の方は、映画『殿、利息でござる』の原作だったことがわかりました。笑

 

映画は見逃しましたが、レンタルででも観てみたいと思います(^^)v

 

こちらに私のブログより詳細な、ネタバレがございました。

『殿、利息でござる』

 

そして、この本は、ご存知『武士の家計簿』の原作者が書いたものです。

 

この本を書く経緯がすごいなあと思います。

 

武士の家計簿を書いたあと、なんとなく「これだけで終えるのか」という思いがあったそうです。それは、結局、武士の家計簿は、一家庭の話で終わっていた、素晴らしい話ではあるけれど、自分の家族の話だけで終わっていた、本当にこれでいいのか、もっと大事なことがあるんじゃないのか、と思われていた作者のところに、一人の老人からお手紙が届いたそうです。

 

続きはこちらから

 

本の内容も感動的ですが、こちらの経緯も感動的です。

 

この本で出会った三人は、本当に私の人生に彩りを添えてくださいました。

 

また、次回三人目の方をご紹介しますね。本当にびっくりするほど「無私」な方でした。見習いたいと思います♪

 

 

 

 

中根東里ー村儒学者として生き、村儒学者として死んだ方です。

 

この方の一生を読みますと、日本人は本当に市井の人々にいたるまで「誇り高き」民族だったのだなあと思います。

 

こういう方々の、連綿と続けてくださった歴史の上に、今、私が生きているんだと思うと背筋がピシッと伸びます。

 

この方は、「詩文においては、中根にかなうものはおらぬ」と言われた屈指の大詩人でした。

「慶元依頼、稀有絶無の天才」と言われた人です。

 

慶元というのは、慶長元和以来、つまり徳川時代になってこの方という意味です。

 

学問の動機が、禅寺に出家したときに

 

「毎朝、読経をするがその発音が和語で、全は唐より渡来したものだから、本来の唐音で読んでみたい」というものですから、驚きです。

 

そう思ったら禅寺を飛び出し、唐に渡ります。

 

しかし、そこで「禅の修行は書見ではない。」と言われ、また、そこを飛び出し、江戸にわたります。そして、お寺で本を読み続けます。その勢いは、5千巻はある大蔵経をすべて読破するのではないかと言われてほどでした。

 

その才能を買われて荻生徂徠にもとに行きますが、ここでも「学問の物足りなさ」を感じ、還俗して、さらに学問を続けます。

 

東里の評判は広まり、御儒者に召し抱えるという話があちらこちらから来ますが、それでも士官に興味を示さず、「学問をして禄をもらうわけにはいかない」と、自分で草履などを作りながら生計を立て、学問を続けるのです。

 

そして、学問の目的を問われると

 

「私が本を読むのは、きっとこの人生を満たすためでしょう。欲が深いのか、本を読んでいなければ自分が保てない。うまいものが喰いたくなったり、銭があくなるのを心配したりしてしまうのです。でも、本当はいたずらに本を読んで愉しんでいるだけでもいけない。もっと思索しなくてはいけない。そうすれば、いけないことをしたときに恥ずかしいと思える。・・・」

 

と答えます。

 

そして、学問を続けた結果、陽明学にたどりつくのです。

 

東里のような人が「知行合一」を学び、さとると百人力。多くの人に影響を与えてなくなります。

 

東里が、最後に住んだのが、な、なんと私の故郷、栃木県佐野市植野〈佐野ラーメンで有名なところ、そして、私は植野小学校出身です。〉

 

次に帰省した折には、東里の足跡をたどってみようかなと思っています。

 

 

 

無私の日本人には、3名の日本人が登場します。

 

まず、最初は仙台の吉岡宿の未来のために、無私なる情熱で奔走した人、穀田屋十三郎です。

 

江戸時代、仙台藩の領地のなかに「吉岡宿」という宿場町がありました。

 

江戸時代は、幕府が豊臣氏を滅ぼした後は「一国一城」と定めて、大名がたくさんの城を持つことを禁じました。しかし、仙台藩は「城ではない、要塞だ。」として政宗公のときにたくさんの要塞をつくり、それぞれの要塞が重臣たちの「所」として拝領されました。吉岡というところも但木氏に「所拝領」として与えられたのです。

 

宿場町というのは、とても負担が重く、普通の農民のように年貢だけではなく「伝馬役」といって藩が公用で街道を往来するといっては、人馬が強制的に徴発されます。

 

これが理不尽に重くて、ほとんどの宿場町が衰退していったのです。

 

仙台藩の領地、領民であったところには「伝馬合力」という助成制度があり、疲弊を防ぐ手立てがなされたのですが、「所拝領地」であった吉岡には、これもなく、廃れる一方だったのです。

 

それはそうです。

 

住むだけで、重い負担がのしかかってくる町なのですから。

 

飢饉のたびに人は減り、家数も減り、減ったところに、さらに一軒あたりの負担が重くなった「伝馬役」がかかる・・・という悪循環になっていたのです。

 

(このままでは吉岡は滅ぶ、なんとかできぬか。)という考えのもと、穀田十三郎は計画を立て、行動を始めます。

 

その「吉岡宿を救いたい」というこの思いは、たくさんの人を動かし、数数の艱難辛苦を乗り越えて、吉岡宿を未来にわたって救う計画が成就します。

 

この計画成就の過程で、関わってくる人々の思いが、本当に「無私」なのです。

 

例えば、この計画にたくさんの出資、それこそ家財をなげうって出資した浅野家の先代は臨終の間際にこう言います。

 

「・・・かねがね申し付けているように、家業に相続を大切に致したうえで手の及ぶかぎり、貧家孤独の人を恵んで助けよ。別して、老母は大切にしてもらいたい。この期におよんで、思い残すことはないが、わしには中年の頃より、一つだけ大願があった。それは、この吉岡宿の伝馬合力願のことじゃ。<中略>ここ年来、ためてきた浅野屋の銭は、ほかのことには使わないでほしい。おれがだめなら、息子のおまえ、おまえがだめなら、孫の周右衛門と、何代かかってもよいから、この志を捨てぬよう、どうか、吉岡が立ちゆくよう、この金を使って動いてほしい。」

 

このような思いの人々がたくさん集まって、お上をも動かして、吉岡の未来を救います。

 

そして、何とも感動的なのは、本当に無私なる気持ちで動いた人々はその後、商売もうまく行き繁栄しているのです。

 

今の時代は、なにかあると「政府が・・・社会が・・・家が・・・」と環境のせいにする人が多いと思いますが、このように「無私なる」人の思いのうえに、今の日本の繁栄があることに思いをはせ、私も微力ながら「無私なる思い」でこの国が、そして世界がよくなり子供たちが希望を持てる社会につながるとよいなと信じて、行動をしていきたいと思います。

 

日本を見直そう♪ シリーズ

世界人権宣言、そして大東亜戦争の意義までを書いた後、

 

○日本の素晴らしい点をご紹介

 

するか

 

○戦後、日本が占領下されたことをご紹介

 

するか

 

考えておりまして、しばらくぶりのブログとなりました。

 

結論としては、両方書こうと思います。

 

なぜなら、私が日本を見直そう♪シリーズを書こうと思ったのは、「誇り」を取り戻し、子供たちが希望を持てる社会を実現したいと思っているからであり、そのためには両方必要だと考えたからです。

 

ただ、第二次世界大戦までの道のり、大東亜戦争の意義、敗戦を書いて、少々疲れましたので、しばらくは

 

○日本や日本人の素晴らしさのご紹介

 

を続けたいと思います。

 

明日から、「無私の日本人」という本の中から、少しご紹介してまいりますね。

宜しくお願いいたします☆