![]() | 無私の日本人 (文春文庫) 637円 Amazon |
無私の日本人には、3名の日本人が登場します。
まず、最初は仙台の吉岡宿の未来のために、無私なる情熱で奔走した人、穀田屋十三郎です。
江戸時代、仙台藩の領地のなかに「吉岡宿」という宿場町がありました。
江戸時代は、幕府が豊臣氏を滅ぼした後は「一国一城」と定めて、大名がたくさんの城を持つことを禁じました。しかし、仙台藩は「城ではない、要塞だ。」として政宗公のときにたくさんの要塞をつくり、それぞれの要塞が重臣たちの「所」として拝領されました。吉岡というところも但木氏に「所拝領」として与えられたのです。
宿場町というのは、とても負担が重く、普通の農民のように年貢だけではなく「伝馬役」といって藩が公用で街道を往来するといっては、人馬が強制的に徴発されます。
これが理不尽に重くて、ほとんどの宿場町が衰退していったのです。
仙台藩の領地、領民であったところには「伝馬合力」という助成制度があり、疲弊を防ぐ手立てがなされたのですが、「所拝領地」であった吉岡には、これもなく、廃れる一方だったのです。
それはそうです。
住むだけで、重い負担がのしかかってくる町なのですから。
飢饉のたびに人は減り、家数も減り、減ったところに、さらに一軒あたりの負担が重くなった「伝馬役」がかかる・・・という悪循環になっていたのです。
(このままでは吉岡は滅ぶ、なんとかできぬか。)という考えのもと、穀田十三郎は計画を立て、行動を始めます。
その「吉岡宿を救いたい」というこの思いは、たくさんの人を動かし、数数の艱難辛苦を乗り越えて、吉岡宿を未来にわたって救う計画が成就します。
この計画成就の過程で、関わってくる人々の思いが、本当に「無私」なのです。
例えば、この計画にたくさんの出資、それこそ家財をなげうって出資した浅野家の先代は臨終の間際にこう言います。
「・・・かねがね申し付けているように、家業に相続を大切に致したうえで手の及ぶかぎり、貧家孤独の人を恵んで助けよ。別して、老母は大切にしてもらいたい。この期におよんで、思い残すことはないが、わしには中年の頃より、一つだけ大願があった。それは、この吉岡宿の伝馬合力願のことじゃ。<中略>ここ年来、ためてきた浅野屋の銭は、ほかのことには使わないでほしい。おれがだめなら、息子のおまえ、おまえがだめなら、孫の周右衛門と、何代かかってもよいから、この志を捨てぬよう、どうか、吉岡が立ちゆくよう、この金を使って動いてほしい。」
このような思いの人々がたくさん集まって、お上をも動かして、吉岡の未来を救います。
そして、何とも感動的なのは、本当に無私なる気持ちで動いた人々はその後、商売もうまく行き繁栄しているのです。
今の時代は、なにかあると「政府が・・・社会が・・・家が・・・」と環境のせいにする人が多いと思いますが、このように「無私なる」人の思いのうえに、今の日本の繁栄があることに思いをはせ、私も微力ながら「無私なる思い」でこの国が、そして世界がよくなり子供たちが希望を持てる社会につながるとよいなと信じて、行動をしていきたいと思います。
