お金って、最初は印刷されたり加工されたりで出来上がる物体。それがなんでこんなにも世界中に蔓延しているのか?
そこには運びやすいし、管理しやすいというのもあるだろう。物々交換じゃあ、とんでもなくデカイ石とかになっちゃうしね。
で、このお金を、富として扱って、しかもその分配についてとなると、それはもうとんでもないアンバランスが世界を占めてる。
たった数人の富が、残りの全員の富の合計よりも多いとか、同額だとか。
仮に、このお金という物体が世界からパッと姿を消したなら、世界はどうなるだろう?
仮に、誰かや何かのために行わられる行動が失われると困る人や生き物はいても、実はお金そのものが姿を消しても、瞬間的な影響はあるにせよ、世の中は回っていかないかな?
途上国の累積債務もパッと消える。
サラ金(&奨学金返済)地獄に苦しむ人の苦しみもパッと消える。
お金があるだけで、のうのうと暮らしている、一部の特権階級の方達の傲慢さもパッと消える。
お金のために破壊し尽くされる自然環境の、破壊する側の行動理由もパッと消える。
いろんなものが消えていく中、新しい何かも芽生えるかもしれないし、消えずに残るものもあるかもしれない。
人とのコミュニケーション。
その中で育まれる温もりやトキメキ。
奨学金の返済に苦しんでいた元学生の社会人たちは、一気に解放され、しかしまた本当の実力こそが試される社会での揉まれる感覚も味わえる。きっとエキサイトな人生を味わえる。
子どもたちは、本当に必要なものや必要なことは何かを考える機会に恵まれ、自分たち大人はさらにそれを見極める心眼を養わざるを得なくなる。
いくら作っても資源の無駄と破壊のためにしかならない兵器など、金ももらわず作りたい人がいるだろうか。
いるとしたなら、そういう人は、バーチャルリアリティのゲームの中でやっててほしい。
そして、人々は実際に触れることのできる営み、自然が許容できる範囲内での農業や酪農、狩猟や漁業を元に精神的な充足と成長を繰り返せる社会を作り始める。
難しい言葉並べすぎた。
けどさ、国の借金と国民の貯金の総額がそれぞれ同額だなんて事実を示されたら、納得しちゃうよね。
あれ?
なんかおかしくない?
って思っていたことの答えはそこに。
45:00あたりからの講演が分かりやすい。