北海第一号機 千歳市空港開港100年 | シリベシアン(後志人・Shiribeshian)

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We will introduce sightseeing spots in Hokkaido, mainly Niseko and Shakotan.

千歳市の名水ふれあい公園に隣接する浄水場の管理棟には、空港を中心とした町へと発展するきっかけになった北海第一号機の原寸大模型が展示されています。

 

 

◆千歳飛行場のはじまり◆

大正15(1926)年、8月に、札幌と千歳、苫小牧を結ぶ鉄道(現在のJR千歳線)が開通しました。その年の秋、小樽新聞社(現在の北海道新聞社)は、この新しくできた鉄道を利用して、300人の会員を募集し、千歳で旅行会をすることにしました。そこで、新聞社は「サケのふ化場を見学した後、神社山(現在の青葉公園)で休息をしたい」と千歳村に昼食の応援依頼を行いました。当時の千歳には、食堂がなかったので特産物であるヤマブドウ、じゃがいも、三平汁をご馳走することにし、快く受け入れることとしました。

 

こうした対応に感激した新聞社は、自社に購入したばかりの飛行機があったことから、当日の列車の千歳到着に合わせて、千歳の上空に飛行機を飛ばし、感謝の意味を込めて宣伝のビラを撒くことにしました。

 

一方、村民からは、「せっかく飛んで来るのならば、着陸して間近で飛行機を見せてもらいたい」という声が多くあがったこともあり、村民の熱意のもと、新聞社の酒井憲次郎一等飛行機操縦士の指導により飛行機の着陸場を建設することになりました。

着陸場の建設は、青年団、婦人部、小学生までもが参加し、約2日間で150人ほどが鍬(クワ)などで整地作業にあたりました。そして、平坦で広大な火山灰地であったサンサシの沢(現在の航空自衛隊千歳基地の西側滑走路北端)に、長さ200メートル以上、幅100メートル程度の着陸場を完成させました。

こうした村民の無償の働きが、千歳の飛行場づくりの第一歩となったと伝えられています。

 

そして、大正15(1926)年10月22日、午後1時20分、着陸場づくりの指導にあたった酒井憲次郎操縦士が乗った「北海」第1号機が、この着陸場へ無事着陸しました。

このときには、一般観覧者など約1万人の人たちが出迎えたといわれています。(千歳市公式ホームページより)

 

 

令和8年(2026年)10月22日は千歳市空港開港100年を迎えます。

 

千歳には2つの空港があります。

1988年(昭和63年)7月20日に新千歳空港が開港しました。

 

 

3,000m級滑走路を 2 本持ち、国内初の 24 時間(貨物便)空港です。それまでの千歳空港は自衛隊機と共用していたため、ソ連の飛行機が日本領空に接近する度にスクランブル発進を繰り返し、民間機の発着に影響をあたえていた。

 

旧千歳空港は千歳基地と呼ばれるようになりました。滑走路は2,700mと3,000mの2本あり、後者は1,000mの過走帯があることから、実質的には4,000m級です。日本国政府専用機は航空自衛隊千歳基地の「特別航空輸送隊」に所属していることでも知られている。

 

 

日本国政府専用機

 

1992年(平成4年)にボーイング747-400を2機導入して運用が開始された。

 

 

2019年(平成31年)4月1日からはボーイング777-300ER2機に変更して運用している

 

 

新千歳空港国際線ターミナルビルは千歳基地に面しているため、国際線は新千歳空港滑走路に移動して発着陸する。

 

 

2024年9月15日(日)には約10万人が来場する千歳基地「航空祭」が開催されます。「ブルーインパルス」のアクロバット飛行や千歳基地でしか見られない政府専用機と戦闘機などによる異機種編隊飛行などが楽しめます。

 

また、空港周辺の樹木を伐採したため、現在建設中の世界最先端半導体量産を目指す国策企業ラピダス千歳工場がよく見えるようになりました。