飛鳥時代の日本の将軍「阿部比羅夫(あべのひらふ)」は、斉明天皇4年(658年)からの3年間、蝦夷・粛慎征討を行ったことが「日本書紀」に記されている。
ニセコアンヌプリ(標高1308m)
東洋のサンモリッツと呼ばれるニセコ連峰の主峰ニセコアンヌプリの語源は、アイヌ語の「ニセイ・コ・アン・ヌプリ」、ニセコアンベツ川の(源の)山とされている。双耳峰の山容は、山の漢字にも見える。周辺は温泉にも恵まれている。
目の前に蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山がそびえ立っている。
新千歳空港から車で約2時間にある倶知安(くっちゃん)町とニセコ町にまたがるニセコと呼ばれるエリアは、世界的な高級ホテルの進出ラッシュが続き、ニセコバブルと呼ばれている。
路線価上昇トップクラスの倶知安町山田地区は、2022年10月から「ニセコひらふ」に住所表示を変えた。
原田知世主演の映画「私をスキーに連れてって」がヒットしたバブル時代は、日本人の1割以上がスキーを楽しんでいたという。その後右肩下がりでピーク時の15%以下まで激減している。今後も少子高齢化で減り続けるだろう。
閑散としていたニセコアンヌプリにある4つの広大なスキー場(ニセコHANAZONOリゾート、ニセコ東急 グラン・ヒラフ、ニセコビレッジスキーリゾート、ニセコアンヌプリ国際スキー場)が、世界的なスキーリゾートへと変貌を遂げるきっかけになったのはオーストラリアの人々だ。世界を魅了するパウダースノー、夏場でも清流日本一尻別川でのラフティングを紹介すると、口コミで広がりオーストラリア人観光客が増え始めた。
ひらふ坂の先はニセコ東急 グラン・ヒラフ
今やオーストラリア以外にも香港、シンガポールなど、アジアからの投資や高級ホテル「東山ニセコビレッジ・リッツ・カールトン・リザーブ」、「パーク・ハイアットニセコHANAZONO」など次々進出している。
日本のリゾート地初となるルイ・ヴィトン期間限定ストアがオープンし、100万円以上の高級スキー板が売れているそうだ。
ニセコエリアはベッド数に対してコンドミニアムでキッチンはあるものの飲食店席数があまりにも少なく、そこでキッチンカーが大活躍している。ラーメン、そば、かつ丼が3000円と日本人にはびっくりする価格だが、これは世界的には普通で、リゾート地としてはむしろ安い方らしい。
ニセコ留学という言葉がある。世界は母国語の他に英語を話せるのは当たり前、なかには3、4か国語も話せる。住民の1割は海外からで、日本で唯一の英語圏ニセコにパスポート無しで留学できる。しかも高給アルバイトで学費も稼げる。
3月に入ると長期滞在していた海外スキーヤーたちが帰りだした。今度はホテル建設関係者で賑わうことになる。
羊蹄山を望むメインストリートひらふ坂
環境に配慮した新しい街区ニセコミライの入居もまもなく開始となり住宅不足の解消になるだろう。2027年には後志自動車道が延伸してニセコICができる予定。2030年度には北海道新幹線倶知安駅開業予定で交通インフラが整う。
北海道は人口減少日本一を続けている。2年後には500万人を割る。札幌圏とリゾート地以外は厳しい。ニセコひらふをヒントに北海道の未来を真剣に考えなければならない。