にほんブログ村のテーマ「プログラミング」の管理者になってみました!w 管理者不在だったので、立候補すれば即・誰でも成れる状態でした。管理者になると少しだけ色々できるようになりますが、主な仕事はテーマにふさわしくない投稿を削除することのようです。

 

検閲、楽しい〜!

 

表現の場は他にいくらでもあるので、このテーマから削除されたからといって表現の自由が損なわれることは無いと思っています。でも、これは不当な削除だ! と感じたら、このブログ投稿に対してコメントしてください。考慮します。私自身、判断基準がまだ曖昧で、悩みながらやっているものですから。

 

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科学は常に不完全です。なので、不完全なものを完全なものとして、それを元に哲学を展開するのは危険です。今後科学が進展し修正が加えられたときに、元の古い科学の知識を元に展開された哲学は、完全に崩壊します。時が経てば壊れる哲学など、失敗作の一例という歴史的価値しか残りません。どうせなら反証不能な勝手な前提に基いた方が、永遠に残るのですばらしいです。元々哲学なんて実用性は皆無なんですから!

 

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私も中々の年なので(中年と言う…)、そろそろ自分独自の哲学も開発したい! でもどうしても科学と矛盾するものは扱う気になれない… orz

そこでこんなものを考えました♪ 聞いてください。

唯物論的には、この世界のすべては物質であり、それらは物理法則に支配されています。法則とは秩序なので、この世界は歴然たる秩序に支配されていることになります。決してまったくの混沌や出鱈目ではないということです。

世界にはもう1種類の秩序があります。それは実際の物質同士の具体的な関係性によるものです。大雑把に考えれば、物質の具体的な配置のようなものです。世界の始まりビッグバンの前では、すべての物質の配置は最も秩序立っていたと考えられています。それが時間が進むにつれて乱雑になって行きます。より正確には、エントロピーが増加し続けている、と表現されます。最終的に宇宙の終わりでは、ブラックホールが散在するような、最もエントロピーが高い状態になります。現在はその中間状態、つまりある程度乱雑で、ある程度秩序立った状態です。

このように世界には確かに秩序があるのですが…ここで敢えて! 敢えて、世界は完全な混沌である、という哲学的世界観を提唱してみたい!

それは、この秩序立った世界は、より大きな完全な混沌の世界の中の、偶然に秩序立った小さな領域に過ぎない、というもの。完全な混沌と言うものは、実は完全な混沌ではありません。何を言っているのかと言うと、完全な混沌の中には必ず偶然の秩序があるのです。完全な乱数 68391560472927... があったとしても、その中には必ず何らかの偶然秩序立った領域 ...03911111684... があります。いえ、秩序が出現することが原理的に保証されているわけではありませんが、実際上として確率的に生じます。

大きい秩序はごく小さい確率でしか生じません。この世界の秩序ほど大きな秩序を引き当てる確率は、ほとんど0に近い極微小でしょう。

そこで人間原理です! 私(あるいは、あなた)が知性体として存在するためには、環境はその知性体を存在させるのに十分適したものでなければなりません。なので私が存在する場合、環境は私にとってある程度都合良く秩序立っているのです。なぜなら、十分秩序立っていない世界には私は存在し得ないからです。

そのため、私が存在するとしたら、完全な混沌の世界のわずかな秩序領域に存在するしかあり得ないのです。そして私は存在します。なので環境、この世界は秩序立っているのです。秩序立った環境を引き当てる確率がどんなに小さくても、私が存在するということは、それを引き当てるということです。

 

なお、私が存在しない環境がいくら沢山あったとしても、考える必要はありません。そこには私が居ないので、環境が認識されることはありません。


こんなわけで、人間原理を用いることによって、科学に矛盾しない形で、世界の本質は混沌であるという哲学的世界観を構築することに成功しました!(たぶん…) また、この世界観によると、世界のあらゆる秩序は偶然の産物に過ぎません。物理法則すら偶然と解釈します。ただし、人間原理によって、私(または、あなた)が、言わば「選んだ」ものです。

いかがでしょうか?
 

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実は科学では、物質が実在するかどうかは、論じません。実在するとも、実在しないとも、言いません。

科学で扱うのは、物質でできた実験系の中で、物質で物質を操作し、物質で測定したときに、どんな測定結果が出るのか、ということだけです。実験系の数学的モデルを考え出し、実験結果がモデルに十分な精度で一致していれば、モデルは正しいと思われます。また、あるモデルで予想される新たな現象が実験で実証されれば、そのモデルの信憑性が上がります。結果がモデルに一致しない実験が開発されれば、その実験と矛盾しないようモデルを修正して行きます。それだけです。

物質が実在するとは言ってません。もちろん、実在しないとも言ってません。そういうことには興味が無い、と言うよりは、科学の検証の手続き上、実在という概念は入り込めないのです。実在を論じるのは哲学でやってください、ということです。そして哲学で扱うと科学では無くなってしまいます。

実在するのはエネルギーと物理法則だけだ、とか言う表現はありますが、本当に実在を論じていると言うよりは、本質は何なのかということを言っているだけだと解釈されます。波動関数が本質であり、本質が実在するとすると、真の空間はヒルベルト空間であり実空間では無くなるのではないか…とか、悩んだら敗けですw
 

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プログラミングを習得した! と胸を張って言えるためのひとつの基準は「全能感」を体験したかどうかだと思います。それはつまり、プログラミング言語の文法をひとつひとつ、例題を交えるなどしながら習って行き、ひと通りすべての文法を習ってから振り返ったとき、これらの文法を組み合わせれば原理的には何でも作れる! と感じることが重要だということ。

現存のデジタルコンピュータはすべて、チューリングマシンと呼ばれる数学モデルに基いています。実用的なすべてのプログラミング言語は、チューリングマシンにできることはすべてできるし、チューリングマシンにできないことはまったくできません。だから本来、チューリングマシンを数学的に理解すればコンピュータを完全に理解したことに、一応、なります。でもチューリングマシンをそのまま扱うと実は不便なので、色々と便利なプログラミング言語が開発されています。

ところがこの便利なプログラミング言語の文法を逐次的に勉強して行っても、最初のうちは、結局コンピュータには何ができて何ができないのか、直観的理解はなかなか得られないと思います。でもきっと、あなたにプログラマーとしてのセンスがあるなら、何処かの段階で、ここまでの知識を駆使すれば何でも作れる! という感覚に目覚めるに違いありません。それが全能感です。あなたはコンピュータの神になったのです。すばらしい!

でも全能感と言っても、それはコンピュータにできることは原理的に何でもできる、と言うだけであって、実は同時にコンピュータにはできないことも直観的に理解することになります。神と言ってもコンピュータの中だけの話です。また「原理的には」という制限もあります。これは作りたいものが複雑になって行くと、原理的に可能であることは分かっていても、実際上は非常に困難で作れない、ということもあるからです。なので全能感に酔っていると痛い目を見るのも事実です。

また、ここでコンピュータに「できること・できないことが分かる」と言っているのは、扱っている情報量が十分少ない場合です。巨大な情報量を扱ったときに何が創発されるかは別の問題であり、プログラミングの全能感の及ぶところではないので、分をわきまえましょう!

 

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私たちは知性体です。理性と感性により世界を把握しようとする働きがあります。また、目的から手段を導き出す能力があります。さらに、私たちは本質的に自由です。好きな目的を持つことができます。

目的を達成するためには、自分が何かをしなければなりません。そのためには自分は生きて行動する必要があります。それが生きる理由です。生きることは目的達成のための手段です。

逆を言えば、元々目的を持っていないまま今に至る者、目的を探したけれども見付けられなかった者、目的は持っているけれども達成不可能になりこれ以上何もできない者は、生きる理由はありません。もちろん、積極的に死ぬ理由も無いので、生きていて構いませんが。言い替えれば、ただ生きている状態です。また積極的に死ぬ理由が無いということが、目的を達成してからも生き続けられる理由でもあります。

つまり、目的を持っていて、まだ達成していなくて、達成するためにやれることがある者だけ、生きる意味がある、ということです。

ところで、この世は苦しみに満ち溢れています。目的があれば苦しみにも耐えられます。苦しみに耐えるのは目的を達成するための手段です。一方、目的が無ければただ苦しむだけなので耐えられません。どんな小さな苦しみも、とても大きく感じられてしまいます。そこで純粋にあらゆる苦しみから逃れることを目的に掲げることになります。これは目的が無いときの目的です。苦しみがあるのは自我があるためだという結論に至り、自我を捨て無我になります。

また、苦しみを紛らわすために疑似目的をでっち上げるのは逃避です。小さな疑似目的を掲げていては、すぐに逃げ切れなくなってしまうので、なるべく大きな疑似目的を掲げます。最も大きいものは真理の探求であり、これを掲げておけば何処まででも逃げ切れるので安心です。なぜなら、何時になっても達成できないし、いくらでもやることがあるからです。

真理の探求を達成したと主張する者は存在します。その人たちは真理とは無だと言います。探求の結果として無我になり、あらゆる苦しみから開放され疑似目的が必要無くなったのです。これはどちらが先と言うより同時に起こります。

ハッピーエンド♪

 

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古来より時間と空間はまったく異なる概念でした。古典的なニュートン力学では時間は空間とは独立した特別な変数です。ところが相対性理論が開発されると、時間は空間と本質的には同じものであると考えられるようになり、時空という概念で統一されました。

 

一般相対性理論をそのまま適用することで、時空を捻じ曲げることで作ったワームホールを利用するなどして、時間旅行が可能になるという理論が存在します。ところがそうすると過去に戻って自分の親を殺したら、自分は生まれないことになって、と言うことは親は殺されないことになって、と言うことは自分は生まれることになって…あれれ? という、親殺しのパラドックスなどの、因果律的に困った問題が生じることが、すぐに分かりました。

 

これに対しホーキングは時間順序保護仮説というものを提唱しました。過去への時間旅行が可能なある分類のワームホールは実現しないことを量子重力論の観点から数学的に論じた上で、それを一般化し、一般に過去に戻る構造は作れないという仮説を提唱しました。過去に戻る構造を作ろうとすると、必ず何らかの物理法則によって阻まれる、ということを信じて良いだろう、ということです。

 

ここまでは物理学の話です。ハイ、神秘主義に突入しますよ? 神秘主義では「今、ここ」が重要視されます。実在するのは現在だけであり、過去や未来は幻想だと言うのです。物理学では時間や空間を数値として扱うのが常ですから、過去や未来が幻想だと言われても困ります。また、一般相対性理論では原理的には過去に戻れることが示唆されているので、これによれば過去が現在と同程度に実在すると考えて良いことになります。

 

ところがここで時間順序保護仮説です。過去に戻れないと言うことは、現在の物体は過去の物体と相互作用しない、と言うことです。と言うことは、過去は存在しないと言って良いことになります。(「すべては物質」や「世界はひとつ」と同じ論法です。)これは神秘主義を支持していると言えないでしょうか? 過去に戻ろうという企てを阻むように物理法則ができていると言うなら、物理法則自体が過去に戻ろうという企てによって現われる幻想かもしれません。そもそも物理法則はこの世界の冗長性を表現したものであって、現在から過去や未来を知るために使えるものです。物理法則があるから過去や未来を知ることができる、と普通は解釈するわけですが、過去や未来を知ろうとすると物理法則という幻想が現われる、と言えば神秘主義的になります。

 
こんなわけで、ある意味、時間順序保護仮説は神秘主義の味方ではないか、と思った次第です。と言っても、ここで論じているのは、過去や未来の実在性についての哲学のみであり、神秘主義一般を擁護しているわけではありません。それでも、神秘主義に科学的裏付けを求めようと無茶をする人たちにとっては、おいしいネタになるのではないでしょうか。
 

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情報というものは、それ単独では意味がありません。その情報を解釈する情報処理システムがあって初めて意味が現われます。日本語を読めないアメリカ人にとって、日本語の文章が何らかの情報であると分かっても、意味が分からないようなものです。

また、同じ情報であっても、それを解釈するシステムが異なると、異なる意味になることがあります。同じ「1」という情報であっても、電子メールシステムでは既読の意味になるかもしれないし、画像処理システムでは黒いピクセル(画素、点)を意味することもあります。

どのシステムでも共通の意味を持つ情報というものは存在しません。情報はシステムの解釈次第で、どのような意味にでも成り得ます。

何だか、あっさりした話になりましたねw 実は今後の議論への布石かもしれません。

 

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他者を理解するとは、どういうことなのか。私は他者にはほとんど興味が無いのですが、今の私なりの考えを、がんばってまとめてみます。

人は知性体です。知性は感性と理性から成ります。

他者の感性を理解するということは、その人が何に触れたときどう感じるかを知ること、それに加えて、今まで何を経験してきたかを知ることです。

人が何に触れたときどう感じるかは、人それぞれです。その感じ方が他者と自分で似ていると確信したときに共感が起きます。感性的な人は、共感できないことを「理解できない」と表現することが多いです。一方で理性的な人は、他者が何に触れたときどう感じるかということを知っただけで理解したと考えます。

また、人が何を経験してきたかは、人それぞれです。他者と自分で同じ経験をしたと分かると親近感が生まれます。感性的な人は、経験しなければ分からないことがあると考えます。なので同じ経験をしたことが無い人には、絶対に自分のことを「理解できない」と考えます。一方で理性的な人は、経験を知識として知るだけで理解したと考えます。

では理性に移ります。論理的な議論は前提、論理展開、結論から成ります。人の理性の特徴は、その人が何を前提にしているか、ということと、その人の論理展開のし方が正しいかどうか、ということが挙げられます。人が前提にしているものは、信念や目的があります。(信念と目的が別の概念かどうかは、私はまだ吟味していません。)他者の信念や目的を知ると、その人を理解したと思えます。また、他者が自分と同じ信念や目的を持っていると分かると、共感や親近感が生まれます。感性的な人は、他者の信念や目的が自分と異なっているだけで「理解できない」と表現することもあるでしょう。

さらに、理性では論理展開の正しさが重要になります。完全に正しい論理展開を行なっているのは、良くできた学者の論文くらいです。一般の議論では、たいてい論理に飛躍やすり替えがあります。他者の理性を知る上で重要なことのひとつは、相手が正しい論理展開をする人なのかどうか、誤魔化すならどういう誤魔化しを行なう人なのか、という論理展開の手法を見抜くことです。他者の論理展開の癖を知ったとき、その人を理解したと思えます。論理に飛躍や誤魔化しが多い人のことは、感性的に表現するなら、「理解できない」となるわけです。

いかがでしょうか?

 

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あなたは三角形というものを知っています。では、頭の中で理想的な三角形を想像してください。そして、三角形のひとつの辺を良く見てください。どのくらい真っ直ぐですか? とても真っ直ぐですね! どんなに拡大しても、でこぼこがありません。では、三角形のひとつの角を良く見てください。どのくらい尖ってますか? とても尖ってますね! どんなに拡大しても丸まってたりしません。

では、この現実の世界を見てください。あなたがさっき想像した三角形のように、辺が限り無く真っ直ぐで、角が限り無く尖っている三角形は存在しますか? ありませんね! 現実の世界では、どんなに正確に三角形を作っても、拡大して見ると、辺はでこぼこしているし、角は丸まっています。正確な三角形など、この現実の世界には無いのです。

でも、先程あなたは正確で完璧な三角形を想像できました。知っていました。見ていました。五感で感じられる現実世界には存在しない完全な三角形を、理性で知覚することができたのです。すばらしいですね! まるで別世界を見ているかのようです。

そう、あなたが理性で知覚する完全な三角形がある世界、それがイデア界です。イデアとは概念のことです。アイディアのことです。イデア界は概念の世界です。あらゆる概念が存在し、完全なものたちで満たされています。現実世界とは異なる、異世界です。あなたは理性によって異世界を見ることができるのです。

イデア界は実在するのでしょうか? ではそもそも、現実世界は実在するのでしょうか? 現実世界が実在すると考えられるのは、現実世界に存在する物体は、誰が観測しても同じように感じられるからです。逆に、ある特定の人にしか感じられないものがあったら、それは幻覚と疑われます。つまりこの場合、実在性とはある種の客観性なのです。

イデア界にも、そういう種類の客観性はあります。概念としての三角形は、あらゆる人で認識が完全に一致します。それは人によって解釈がまちまちの一般的な空想の産物とは次元が異なります。つまり前述の意味での現実世界の実在性と同程度には、イデア界は実在すると言えるのです。

なお…唯物論者はこの辺で踏み止まるけれど、あなたがもし飛躍を好むなら、真の実在はイデア界であって、この現実世界はイデア界の不完全な影だと決め込んでしまっても良いですよ? そうすれば、あなたはイデア論者と呼ばれる神秘主義者に成れるのです!
 

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