この世界…自然界は…自然であるw そうであるはずです。そうでなければ自然界とは呼べません。では自然とは何か。自然であるということは、理性によって言葉に直すと、特別なものが無いということ、あるいはまた、ルールが単純であるということでしょう。この2つの性質は互いに強化し合うよう関連しています。なのでおそらく、自然界は自然であるというひとつの性質のみを持っていて、それが私たちには2つの要素があるように見えているだけなのでしょう。
なお、自然とはどういうもののことなのかということは、自然を探索する中で経験的に得られたことであって、自明なことではありません。ですがひとたび分かってしまえば、仮説を組み立てる際に自然かどうかを考慮することで、よりあり得そうなものを構築するのに役立ちます。
今述べたことは客観的な世界での話です。自然界というのは客観的物理的存在ですから。唯物論的にはここで終わっても良いのですが、蛇足として、主観的にはどうなのか考えます。
主観的には自分は特別な存在です。自分が存在しなければ、この世界に意味はありません。この世界のことを感じることも考えることもできなくなってしまいます。つまり世界が存在しないのと同じになります。自分以外の他人が消えても、自分も世界も存在しますが、自分が消えると、自分だけでなく世界も消えると同等なのです。なので主観的には自分は特別な存在と言えます。
特別なものがある、そしてそれは自分である、ということは、特別なものが無いとする自然とは真っ向から対立します。それを解消するには、自分と他者との区別を無くすしかありません。なので無我というのは主観的世界に自然を適用した結果と言えるかもしれません。