絶対善の本質を理解しない人たちが「これが絶対であると決めつける世の中は全体主義のようで何か怖いものがある」などと主張していますが、絶対善とは「みんなの安心・幸せ」であり、それに合致することを「正しい」と言うのですから本当の絶対善を知っていれば何も怖がる必要はないのです。また絶対善において、正しい事はみんなで決めなければなりませんから、それは民主主義であり全体主義、独裁主義においては絶対善は機能しないのです。

絶対善とは「みんなの安心・幸せ」であり、それに合致することを常に「正しい」と言うのです。そして「みんなの安心・幸せ」を私たちは無意識的に「みんなの為」と言っているのです。ですから絶対善である「みんなの為」になる、適う、合致することは常に「正しい事である」と言えるのです。

そしてよく理解しなければならないのが「みんなの為」の「みんな」とは誰を指すのかと言えばそれは仲間を指します。本来、絶対善とは「群れの保存=種族保存」でありそれは仲間の群れを守り存続、維持することなのです。ですから「みんな」とは群れ仲間であり、その群れの安寧秩序を守ろうとする人たちでなければならないのです。

 

ですからその群れ仲間に文化・思想の違う人たちを含めてはならないのです。日本人であれば日本の国の安寧秩序を守ろうとする人たちでなければ「仲間・みんな」には含まれないのです。何もすべての外国人を排除すると言うのではなく日本の安寧秩序を共に守ろうとする人ならば多少は海外の人たちを受け入れてもいいのですが、日本の決まり、文化を守らずその社会の秩序を乱すような人たちを日本に受け入れてはなりません。

例えば朝鮮の人たちや中国人たちは自国の文化に誇りを持っており自国の文化を優先し日本の文化はなかなか受け入れないのです。またイスラム教なども原理主義であり日本の神道や仏教を絶対に受け入れません。また最近話題のクルド人などは日本人の優しさに付け込んで暴力によって勝手気ままにふるまっています。このような人たちを多く受け入れていれば日本はやがて分断されていくことでしょう。

 

日本は「和をもって貴しとなす」の国であり、和であるためにはやはり同じ文化・思想を持った仲間でなければなりません。日本は天皇を中心として国づくりを行ってきた国であり日本が世界で最も住みやすい国であるのはやはり「天皇を中心とした仲間・家族」であるからなのです。この文化・思想こそが世界でも類のない「他人を思いやる」と言う文化を創ってきたのです。

日本人と言うのはやはり天皇を中心とした家族であり仲間なのです。仲間・家族だからこそ思いやりの溢れる国を創ることが出来たのです。日本人が未来永劫、安心して幸せに暮らせる社会を維持する為にはやはり日本人みんなが仲間・家族であると言う事を抜きにしては実現できないのです。

 

ある人々は「日本も多様性に富んだ国になるべきだ」などと言って日本も世界の人々を受け入れるべきだと主張していますが、それは本当の多様性の意味を誤解しているのです。国のあり方もすべて絶対善に反することを行ってはなりません。日本文化を受け入れない人々を日本に受け入れてはならないのです。仲間になれない人々、移民を安易に受け入れればやがて日本も北欧のように治安の乱れたとんでもない国になることでしょう。北欧も移民を受け入れる前は日本のように安心・幸せの国だったのです。日本はヨーロッパの二の舞になってはなりません。

 

すべて正しい事は絶対善に適う事でなければならないのです。絶対善は種族保存であり、それはみんなの安心・幸せなのです。群れ仲間の秩序を保つためには秩序を守らない人々を受け入れてはならないのです。絶対善とは「みんなの為」、その「みんな」とはやはり同じ文化・思想を持った「仲間」でなければならないのです。

またついでに言えば夫婦別姓問題も最近では多くの議員が夫婦別姓に賛成していてやがて成立しそうな勢いですが、これもまた家族・仲間を分断することであり絶対善に反していますのでこれも間違った選択なのです。

 

国のあり方も、またあらゆる問題においても常に正しい事は絶対善に適う事でなければならないのです。絶対善に反することを行ってはならないのです。絶対善とは「みんなの安心・幸せ」なのですから、すべての事において常に絶対善を基として考えなければならないのです。