古代ギリシャの哲学において「最高善」と言う言葉がよく使われますが、ではその最高善とはいったい何かといえばアリストテレスたちもやはり命以外では「幸福」を最高善としているのです。秩序ある社会においては誰が考えようとやはり最高に価値あるもの、善いものは幸福なのです。しかし個人の幸福となかま全体の幸福ではやはり全体の幸福の方が最高善となるのです。これについてもアリストテレスは個人の幸福より社会の幸福が大切だと言っているのです。このことを日本の憲法には「公共の福祉(公の人権)に反するならば(個人の)人権は尊重されない」と謳っているのです。それでは何故アリストテレスたちは最高善である「みんなの幸せ」に合致することが「正しい事なのだ」と明言できなかったのでしょうか。たとえ絶対善は見つけられなくても最高善は分かっているのですからそれに合致することが常に一番善い事に変わりないのです。

 

私たちはみんなに関する問題において最高に価値あるもの、つまり最高善である「みんなの幸せ」に合致することを常に「これが一番善い」と選択するのです。お金や個人的幸福も確かに価値があるのですがそれらは最高に価値があるものではなくやはり最高に価値があるのは「群れ仲間みんなの幸せ」なのです。お金もとても大切で価値はありますがやはりお金より幸せが価値がありますし、個人の幸せよりみんなの幸せの方がより価値があると言う事は誰でも分かる事なのです。ですから私たちは常に最高善である「みんなの幸せ」を根拠にしてそれに合致することを「これが一番善い」と選択しなければならないのです。

 

絶対善など絶対ないと言う人たちでも最高善は「みんなの幸せ」と言う事には異論はないでしょう。これは最高善も絶対善も結果的には変わりはないと言う事です。そうであればあらゆる社会的問題において最高善である「みんなの幸せ」に合致することが常に正しいと言えるのです。

個人的な選択の問題であれば個人の幸せを根拠として「これが善い」と選択しますし、みんなに関する問題であれば「みんなの幸せ」を根拠として「これが一番善い」と選択するのです。私たちは何か問題が起きれば一番価値があるもの、最高善に適うことを「これが一番善い」と選択しているのです。