今回も少し分かりにくいのですが、絶対善を理解するためには善と絶対善の違いを知ることが大切ですので、これについて説明します。

ある人は「みんなの為に適う事が絶対善と言うのだろう?」と言う人がいましたが、これは違います。この人は絶対善を答えだと考えているのです。「みんなの為(目的)」が絶対善であり、その絶対善に適う、合致することを「正しい、善い(答え)」と言うのです。

普段、私たちは「善、正しい」とよく使いますが、これは「これが正しい結論、善い答えである」と言う意味なのです。善、正しいと言うときには「答え、結論」が省かれているのです。

そして私の言う絶対善である「みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」は答えではなく根拠、目的なのです。善、正しいは答え、結論であり、絶対善は目的なのです。絶対善である「みんなの為(目的)」になる、適う、合致する、寄与することを私たちは「善い、正しい(答え)」と言うのです。ですから「善、正しい」と「絶対善」は違うのです。

 

「自分の考えは正しい(答えである)」と言うためには、その理由、根拠、目的を必ず示さなければなりません。その目的、根拠が絶対善である「みんなの為」なのです。絶対善である「みんなの為」に適うことを正しい、善い答えである、と言うのです。

絶対善とは「みんなの為(目的)」であり、善、正しいとは「みんなの為になる、適う答え、結論」を言うのです。そこを混同してはなりません。

 

 

「善、正しい」とは何か選択すべき問題があるから必要になるのです。ですから善、正しいとは常に選択すべき問題と関係があります。そして問題には答えが付き物です。それが善、正しいと言うことです。

また、何故「これが善い、正しい(答えである)」と選択できるのかと言えば、それが「みんなにとって最も価値があり、一番みんなの為になるから」なのです。そしてあらゆる選択すべき問題において、すべての「善い、正しい答えは「みんなの為」になる、適うことなのです。みんなに関係する問題において「みんなの為」にならない答えなど正しい、善い答えとは言えません。一部の人たちのための答えであればそれは独裁です。みんなは決してそれを許さないことでしょう。民主主義国家においては必ず正しい答えは「みんなの為」になる、適う、寄与する答でなければならないのです。

 

そしてあらゆる、すべての社会的な問題において正しい答えはすべて「みんなの為」になる、合致することであれば、つまりそれは「みんなの為」が絶対的に正しいこと、つまり絶対善と言うことなのです。ですから絶対善である「みんなの安心・幸せの為、みんなの為(目的、根拠)」になる、適う、合致する答えがすべて善い、正しい答えとなるのです。

絶対善とは「みんなの為(目的)」であり、善、正しいとは「みんなの為になる、適う(答え、結論)」ことなのです。このように善と絶対善とは違うことを良く理解してください。

 

「正しい」を検索すれば「正しい(答え)とはあるべき姿に合致している様」と書いてあります。これは科学的、数学的などの正しさや道徳的な正しさにも共通する定義です。

科学的に正しいと言えるのは絶対的に正しい「真実、事実」に合致していれば、すべて正しい答えと言えるのです。これと同じように道徳的正しさも絶対的に正しい「みんなの為」に合致していれば、それはすべて正しい答えと言えるのです。

 

絶対善とは「種族(仲間の群れ)保存であり、それは群れ社会の安寧秩序を守る事」です。つまり「みんなの安心・幸せの為、みんなの為」なのです。これこそが私達にとって最高の目的なのです。その最高の目的に適う、合致することを私たちは常に、必ず「これが一番善い、これが正しい(答え、結論である)」と選択するのです。

みんなが安心して平穏に、そして幸せに暮らせる事に何の悪があるでしょうか。一切の悪はありません。だから「みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」は絶対善と言えるのです。