忘れられない生徒さんの話 | 樋口舞の万年少女日記

樋口舞の万年少女日記

~恋と音楽と着物と猫の日々~

このブログ、書こうかどうか迷ったけれど、
忘れたくないし、
同級生にも忘れて欲しくないので
書くことにしました。

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彼女の名前は「はなちゃん」という。

私が今年の三月まで勤めていた
音楽の専門学校の生徒さんだ。

彼女は私が講師のお仕事に
やっと慣れ始めた頃に入学してきた。

福島の出身で
方言で話し、
化粧っ気がなく、
一目で上京組だと分かった。

とても純粋で無垢で
無知であまりにもまっすぐで。

彼女を見ていると
何故だか申し訳ない気持ちになった。

彼女の好きな音楽は
昭和歌謡だった。

岡春夫さんの「憧れのハワイ航路」
坂本九さんの「上を向いて歩こう」
「歌いたい!」と持ってきたので、
彼女が先生として
私を選んでくれた事が嬉しかった。

初めての発表会の少し前に
彼女が「何を着て良いのかわからない」
と相談に来た。

思い返せば、いつも同じような服を着ていた。

どこで買ったら良いのか、
何を買ったら良いのか、
わからなかったのだと思う。

クラスに馴染んでいないわけではなかったが、
特別に仲の良いお友達もいない様子だった。

私は思わず「じゃあ一緒に買いに行く?」
と言っていた。

これはかなりレアな事だった。

先生によっては、
生徒さんとお茶をしたり
お買い物をしたり
飲み会を開催したりしている先生もいたが、

私はそこは分けたいタイプだったので、
特別な時や誘われた時にしか行かなかった。

そんな私が自分から思わず誘ってしまう程に
彼女は東京に馴染んでいなくて心許無かった。

当時の私は下北沢で一人暮らしをしていて
シモキタの古着屋は熟知していたので、
色々と連れて行って試着して
彼女に似合うレトロで清楚な服を選んだ。

その後、二人でお茶を飲んで
色々な話をした。

「癲癇」の持病がある事や
東京に出てきた時の気持ち等。

だけれどもやっぱり
彼女の心が綺麗すぎて
私はまた申し訳ない気持ちになっていた。

何故、申し訳ない気持ちになるのか、
ずっと考えていたんだけれど、
たぶん↓台詞にしてみると
こんな気持ちだったのだと思う。

「あなたみたいな人が
住みやすい世の中でなくてごめんなさい。」

何の責任感だろうね。
大人としての、か、
先生としての、か。

とにかくそんな気持ちだった。

そんなはなちゃんの歌が
だいぶ上達して、声が出始めた頃
音楽学校から電話がかかってきた。

「先生、これから仕事でしょうか?」と。

私はその日の夜に歌う仕事が入っていたので

「仕事ですけど、どうしましたか?」

と聞くと

「あ、じゃあ仕事後にまたかけます。」
とおっしゃるので、

「あ、大丈夫ですよ。どうしましたか?」
と聞くと



「はなちゃんが亡くなりました」



不慮の事故だった。

あまりに突然で言葉が出てこなくて
電話を切って一人で泣いた。

これからもっともっと
音楽が楽しくなっていくはずだった。

もっともっと俗世に揉まれて
強く進んでいくはずだった。

でも、確かにその想像ができない程に
彼女は純粋だったのだ。
「早くに亡くなる人は心が綺麗な人だ」と
聞いた事があるけれど、
そういう事なのかやはり、と思った。


仕事が始まる直前まで
「ごめんなさい」と心の中で
何度も呟きながら泣いた。



その後はもうできる事を
淡々とやっていく事で
自分を保っていた。

その事をクラスメイトのみんなに伝え、
ご両親に手紙を書いた。

そして、素晴らしくまっすぐな目で
私のレッスンを聞いてくれて、
お互い大好きな音楽を
共に歌った時間に心から感謝した。

はなちゃん

ありがとうね。

忘れてないよ。


これからも先生は歌っていくから
時々は聴きにきてね。


また会う日まで。


ありがとう。