これは日本国のパスポートです。
何党の所属であれ海外に出るときは皆大切にこの冊子を携帯します。
「菊花紋」と「桐葉紋」ですね。
桐葉紋には五三の桐や七五の桐があり、過去には天皇から臣下へと下賜されたものです。
英語(ラテン語由来)では、
菊は Chrysanthemum(クリサンセマム)
桐は Paulownia(パウロウニア) です。
キリストと、使徒パウロを連想しませんか?
使徒パウロは当初キリストの迫害に関与していましたが、改心してのちに新約聖書の編集に携わります。
でも日本の天皇と内閣総理大臣の立ち位置が、なぜこの主従関係の象徴紋章で表されるのでしょうか?
また、これはユダヤの七支燭台です。
下図は熱田神宮など公家の柏紋で、七条の葉脈がデザインされています。
(七五の桐もですね)
日ユ同祖論(日本人とユダヤ人の祖先は同じとする説)というのは今でもよく言われていますがやはりそうなのでしょうか。
イエスはもともとユダヤ教のラビでしたが、分派してキリスト教の教祖になったとされています。
それでは、日本におけるこの類似性はどう説明すればいいのでしょうか?
これは、国宝「法隆寺中門」です。
この門は非常に不思議なデザインをしています。通常の門は真ん中に通路があって、左右に柱を配置しています。ところがこの中門は中央に柱があり、通路が左右に分かれています。
民俗学者で未来学者の梅棹忠夫氏が、中央の3本の柱はイエスが磔刑になったゴルゴダの丘に建てられた十字架の象徴、という想像もできると書いていたように記憶します。
イエスの死から600年後の日本で、厩戸皇子とも称される聖徳太子がキリストの伝承を意識していたのか、いまとなってはこれも謎となりました。
日本神道とユダヤ教とキリスト教、果たしてどのような繋がりがあるのでしょうか?
古代史の謎にも興味が尽きません。
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追記
その後、少し勉強して知識が増えましたので補足しておきます。
キリスト教は、431年に学派の対立から、エフェソス(現トルコ)で会議が行われ二派に分裂しました。
キリストは唯一の自立存在である、と主張するキュリロス派に対し、ネストリオス派は人が神を産むのはおかしいとして、人間マリアを「神の母」というより「キリストの母」(ギリシャ語:クリストトコス)と呼ぶ方がふさわしいと主張しました。こうして、ネストリオス派は東アジアで景教徒として存続し、のちに日本に伝わったのです。
作家の茂木誠氏によれば、稲荷神社のINARIは磔刑になったキリストの十字架に貼られた罪状の略語であり、八幡神社は、ユダヤの神ヤハウェ+秦(ハタ)=ヤハタ に由来するとしています。
つまり、稲荷神社 ⇒キリスト教(景教:新約聖書の神)の流れ
八幡神社 ⇒ユダヤ教(旧約聖書の神)の流れ
というわけですね。
仏教の日本伝来が歴史の記述によれば538年とされていますから、
聖徳太子の生きたとされる6~7世紀には、キリスト教(景教)、ユダヤ教、仏教がどっと日本に押し寄せ、互いの反駁はあっても距離を保ちながら日本の古神道に合流していった、という推理ができます。
世界に類を見ない日本独自の宗教観です。
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