成長日記 | 唄のイラストブログ

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山田唄のイラストレーションブログです

 こんにちは。今日から一気に冷え込むそうで、先ほど本屋に出掛けると凄まじい風圧の冷風を受けました。いよいよ冬本番なのですね。最近こちら京都でも雪が積もることが珍しくないので、今年はどうなるんだろうと思っているのですが…。

 今日はデッサンのお話は閑話休題、私の今年一年の振り返りを兼ねて、描いてきたものを一気に載せさせてもらおうかな、と。

一月:



 ちょうど今年の初めごろ描いたものですが、この頃私は絵について凄く悩んでおりました。いつまでたっても実力が伸びず、仕事にも結び付かない、それで作業所に通ったりもしたのですがなかなか思うように行かずで…。なんとか気分を変えようとして、それまでの「水彩塗り」と呼ばれる技法から今の厚塗りにシフトし始めた所でした。
 今見るとかなり粗があるなと思うのですが、当時絵を観る能力が今よりも更に低かったので、なかなか自分の欠点に気付けませんでした。デッサンでの観察力とは、対象を観ると同時に自分の絵とも見比べる能力です。つまり、自分に足りないのは観察力なのかな、と。今もまだまだではあるのですが、それに気づいて少しずつ変わってきたのが二月。

二月:



 この頃からネットでも特にツイッターでの活動をメインにし始めました。厚塗りを初めて二月目、ようやくやり方に馴染んで来た所です。以前こちらで描いたエッジとコントラストが、一月の頃よりも少しマシに取り入れられています。このとき課題として言われたのが「質感」でした。「材質感」と呼ばれることもあるように、ものの表面の材質がどれだけ表現されているかという概念なのですが、特に布の質感が出ていない、と。(ここでの質感は布の構造そのものの描写を差します)

三月:



 この頃から、一枚を描き始めて仕上げるまでのペースがぐっと早くなっています。ようやく厚塗りのやり方が分かって楽しくなり始め、自分の弱点だったエッジとコントラストも塗り方を切り替えたことで上手く行き初め、モチベーションが凄く上がっておりました。
 この頃からPixivというイラスト投稿サイトで絵の公開を再開したのですが、同時にグループというサークルのような集まりに参加し、そこでアドバイスを送ったり送られたりしておりました。人の絵を観て良い所、悪い所を見つけるのは絵描きにとって凄く勉強になります。大事なのは、かならず良い所も探すこと。粗探ししか出来なくなると、自分の絵に向かうことが難しくなって、絵描きではなく評論家になってしまいます。

四月:

この頃から、自分の進路を「キャラクター(・モンスター)デザイン」に絞り、キャラ作りの練習を始めました。このキャラは後々何度もリメイクすることになる「灰の宮」というキャラクターで、飄々とした両性的な剣士キャラ、という設定から起こしてみました。

 進路の話ですが、絵の仕事を目指さない場合にも描き続けていると自分にとって得意な方向性、不得意な方向性が見えてくると思います。不得意な部分を無くすことが出来れば確かに素晴らしいのですが、正直、トップアーティストやトップクリエイターと呼ばれる方達にも得意不得意はあります。それならばと得意な方向性を突きつめるのが、より高みを目指すなら有効ではないかなと思います。



五月:


 ここから少し枚数を増やしていきます。二枚目が、先ほどの灰の宮というキャラのリメイク。顔に険があるというアドバイスを頂いたので、美形になるように試行錯誤しています。一枚目は習作として描いたもの。随分昔から自分はファンタジーモチーフを中心に描いているのですが、ファンタジーだから何でもアリというわけではなく以前お話した「説得力」が絡んで来ます。
 例えば明らかに頭より小さな兜は被れないですよね。しかも兜は厚みがなければ防御力も無いので、頭より一回り以上大きくなるはずです。そうした整合性を考えて、さらに資料を基に描くことで説得力の強い表現になります。
 「実際には有り得ないもの」を描くときほど、この説得力が大事になります。お化け屋敷でも明らかに作り物と分かってしまうお化けは怖くないですよね。それと同じで、かっこよいものはかっこよく、重いものは重く、硬いものは硬く描く必要があります。それが説得力を増すことにつながるわけです。


六月:



 ここで、私は一旦体調を崩して二週間ほど絵が描けませんでした。その休み明けにかいたのが上のイラストですが、何かチープな感じがするのではないかなと思います。それまで勢いと勘で描いていたものが、休むことでリセットされて技術レベルが後退してしまった。この勢いと勘で描くことを「手癖で描く」という言い方をすることがあります(たぶんイラストレーター間のスラングです)。
 手癖で描くことが必ずしも悪いことではありません。勢いで描くということは勢いのある絵になるということですし、当然スピードも上がる。ですが、この時のように時間を置いてしまうと、手が感覚を忘れてしまうことが良くあります。また、スランプに陥ったときに、手癖が失われると八方塞がりになってしまいます。これはとても怖いことです。スランプとは、描きたくて時間も体力も気力もあるのに描けない、という状態。多くの場合それは次のステップにジャンプするための助走期間なのですが、そうだとわかっていてもとても苦しいです。
 そこでどうするかというと、普段から手癖で描きつつも頭を働かせて、絵を理論で理解する、つまり「研究する」わけです。理論として頭に入った絵の力は、忘れてしまわない限り損なわれません。これはスランプにもとても有効です。
 だから、特に現代のイラストレーターは理論で絵を理解することを重視します。芸術というよりは科学のような趣がありますね。


七月:

 ここでまた灰の宮をリメイクしています。上着がこのままだと下に垂れ下がってしまうのではないか、という指摘を受けたので、インナーの襟の部分に金具を付けてつりさげてみました。これも説得力を強くするための策ですね。
 そして、二枚目の絵では「エフェクト」を使うことに挑戦しています。エフェクトとはデジタルのイラストの概念で、色を弄って微調整するためのレイヤースタイルという機能を用いた技術になります。これは複雑なので、またいつか、機会がございましたら詳しく書かせて頂こうかなと思うのですが。ぱっと見、キラキラした見栄えになっているのがお分かり頂けるかと思うのですが、その光の効果こそがエフェクトの最大の特徴と言えます。絵における光の扱い方を特に「ライティング」と呼ぶことがあります。光=ライト、その動詞化でライティング、というわけですね。
 ライティングはリアルな絵を描くとき不可欠な概念なので、これもまた時間のあるときにゆっくりご説明いたします。


八月:


 この頃から、私自身もライティングの勉強を本格的に始めています。今説明するには複雑なので、また今度。


九月:


 この頃から、私はようやく自分の絵の「粗」を潰しにかかります。一般的に絵描きが「粗」と言う時には、その絵におけるあらゆる欠点を指すことが多いです。欠点=粗と言っても良いと思います。私の絵の粗は、厚塗りの際の筆跡が指紋のように残ってしまうことでした。絵のスタイルとして間違いではないのですが、この頃からソーシャルゲームのイラストに的を絞って売り込みを始めていたので、どうしても粗を潰す必要がありました。(指紋だらけのガラス窓を売りに出すのは失礼、くらいの意味です)
 そこで、絵を二倍に拡大して塗り込む作業を踏むようになりました。本来、デジタルの絵はドットと言う光の点の集合で描かれています。これはモニターがそういう仕組みであったからですが、つまりは拡大していくとその一粒一粒が良く見えてしまう状態になります。アナログでは有り得ませんね。(実際にはアナログの画面も分子で出来ているわけですが、顕微鏡でも使わない限り肉眼では見えません)
 なので、デジタルのイラストを描く際に拡大に頼り過ぎるのは良くないこととされています。私の観察力では細かいところの粗まで見抜けないための苦肉の策なのでした。


十月:



この頃、ようやく一つ目の会社にイラストレーターとして採用が決まりました。


十一月:


 そして現在、十二月になります。かなり長い文章で、しかも詰め込んでしまったのですが、自分で見てもかなり変化のあった一年だったと思います。絵描きの成長は基本的に、絵を初めて一年~三年の内に最も盛んなのでは無いかなと思います。私はそういう意味でかなり上達が遅いほうなのですが…。実際、イラストレーターの先輩は絵を初めて三年目にプロになりました。短期間でも伸びる方法はある、ということです。

 参考までに私がデジタルの絵を始めた二千十年頭頃のイラストを。


 これが当時の全力でした。成長の遅い私ですら五年でこれだけ変化があるわけです。もう歳も歳なのですが、今年の残り、そして来年以降も成長できるようにありたいです。