ライティング | 唄のイラストブログ

唄のイラストブログ

山田唄のイラストレーションブログです

 こんにちは。底冷えする陽気が続いております。最近珈琲がなかなか飲めなくなって参りました。元々中毒というくらい良く飲んでいたのですが、最近は一杯飲むだけでも意識が尖ってとても不安感に襲われます。実際そういう作用があることが研究で分かってきたらしく、量によっては毒性もあるとかで怖い飲み物だな、と。何事も適度な量や回数があるものですね。

 今回もデッサンはお休み。代わりに前回の日記で書きました「ライティング」のお話を簡単にさせて頂こうかな、と。


 ライティングとは、前回もお話しましたように、絵における光の扱い全般に関する概念になります。これがなぜ重要か、というと、人間の眼は現実の物体を観ているというよりは、現実の物体に反射した光を観ているからです。これは中学の理科の時間に習うことかと思うのですが…。
 つまりは、ライティングがリアルに近づくほどその絵もリアリティを持って見えてくることになります。

 ライティングには大きく分けて五つほどの役割があります。「陰影」「遠近」「遮光」「色調」「明暗」です。純を追って説明させて頂きます。


 まず、陰影。これが最も重要なライティングの役割になるのですが、読んで字のごとく物体に落ちる影の意味になります。何故重要かというと、デッサンの回でも書きましたように、陰影がその物体の立体感を表現するのに不可欠だからです。
 例えば、球を描きたい時、陰影をつけずただ丸を描いただけでは、それが球なのか平べったい円なのかがわかりません。そこで陰影をつけ、また光が当たっている部分にハイライト(最も明るい部分の明暗)を付けることで、より「球らしい」立体感を表現するのです。

 次に、遠近。これも陰影の次くらいに重要な概念です。地球上には、空気があります。そのため、光は遠くに行けば行くほど遮られて弱まって行きます。よって、遠くにあるものほど明度が高く(薄く)見えるわけです。
 特に背景付の絵や風景画では、この遠近の理屈がとても重要になってきます。その理屈を「空気遠近法」と呼ぶことがあります。手前に来るものほど濃くなる、と考えれば間違いないでしょう。


 次に、遮光について説明致します。物体に影が出来るのは、そこに本来あたるべき光が遮られているからです。その理由には大きく二つあり、一つはその物体そのものが光を遮っている場合(先ほど述べました球の陰影のパターンです)。そして、二つ目が別の物体によって光が遮られている場合です。
 例えば、眩しい時人間はよく手を光の方向にかざして日を遮りますよね。このとき、顔の上にはその手の影が落ちることになります。この影は「投影」と呼ばれ、先ほどの陰影に比べて濃く成り易い。特に、近くにある物体からの投影ほど濃くなります。この特に濃い影を「本影」と呼ぶことがあり、その部分に絵の中でもっとも暗い色を使うことが多々あります。


 そして、色調。目でものが見えるのが光の役割である以上、色も当然光によって見えていることになります。そこで、その物体にあたる光が強くなればなるほど色も鮮やかに見えることになります。この鮮やかさのことを絵では「彩度」という言葉で表します。より鮮やかなことを彩度が高いと表現するのです。

 最後に、明暗。これも先ほどの彩度と同様、「明度」と呼ぶことがあるのですが、ここで言う明暗は物体の持つ固有の明度のことを指します。
 ざっくりいうと、黄色には明るくて鮮やかな黄色、明るいけど鮮やかじゃない黄色、暗くて鮮やかな黄色、暗くて鮮やかじゃない黄色、の四種類が存在するわけです。(実際にはもっと多くの段階に分けられます)
 物体はそれらの明度によって、同じ距離、同じ光の強さ、同じ影の落ち方の場合にも明暗に強弱が出来ることになります。


 ざっと説明してみましたけれど、なかなか難しいお話でした。ただ、この理屈を知っているのと知らないのでは、絵の持つリアリティ、説得力が大きく異なります。特に昔の芸術家は皆この光の表現に優れていました。ルネサンス期辺りの画家の絵を観てみると、かなりいろんな発見が出来ます。


 今日の落書です。日々忙しく過ぎて行きますが、こうして絵や文章で考え方を残せることは自分の幸運だなと思います。確かなものが何もない世界で、あとあとまで自分の記録が残ってくれたら少しは生きた価値があると思えますね。