5.6  まさか今日神宮でかの澤村の快速球を見るとは知らず | 短歌&野球

短歌&野球

ぼくのへたくそな短歌と、大好きなプロ野球についての感想を、日記形式でつづります。ぼくの個人的な経験も書いてしまうかもしれません。

5日夜はついに一睡もできず、GW仕事2冊のゲラをカバンに入れたのは、6日朝9:30だった。


ベッドで30分ほど横になっただけで起き上がり、シャワーして着替えてサンドイッチを口につっこんで、時間と体力的に駅まで歩けないと判断し、くるまタクシーを呼んだ。


晴れ夏みたいな日差しだね、とドライバー氏と話す。道を歩く女子大生たちのふとももが白く、まぶしい。オジサンに元気を分けてくれよ、とつぶやく。


11:00。音羽KB社。「修業時代」とゆう本のゲラを納める。たばこ喫煙コーナーで一休み。

12:00。渋谷でE社のF女史にゲラを渡す。最低限の説明をする。Fさんは美人だが、早く一人にしてくれと思っている自分に気づき、ちょっとおどろく。


俳優の佐藤慶さんが亡くなりましたわ。あ、そーですか。お疲れ様でした。いえ、どーも。


これで解放されるなら幸せなのだが、16:00から小説雑誌の仕事が入っている。帰宅するわけにいかない。猛烈に眠い。すこし眠らないとアタマがもたない。


映画館に入るのはかえって目がヘンに覚めちゃって何度か失敗したことがある。山手線をグルグルまわりながら仮眠するとゆうのが、自然にやれて、どこで目覚めても次の行動に移りやすくてメイクベターだ、とゆう「経験」もある。そうするかな。


でも、ぼくの足は地下鉄銀座線の改札に向かっていた地下鉄


12:30には神宮球場のバックネット裏のシートに座っていた。


木曜だからぼくの愛する早稲田や立教の東京6大学リーグ戦はやっていないだろう、とわかっていた。でも東都大学リーグ戦をやっているかもしれない、くらいの認識できちゃったのである。


とにかくヤクルトスワローズのいない神宮球場、とゆうイメージに誘われたのだった。つばくんあめ


13:00。東洋大vs中央大の3回戦がプレーボール。あとでわかったことだが、この一戦の勝者が春のリーグ戦優勝に大きく近づくゲームなのだった。


そして中大の先発は、4日に157キロとゆう神宮での学生野球では最速のタマを投げた澤村拓一(佐野日大高出身、4年)だった。


それにしては観客が少ない。外野席は閉門されている。内野はどこでも1300円とゆう入場料が高すぎるのではないかと思った。でも、そうゆう問題ではない気もした。学生野球には昔日の人気はまったくないのだよ。両校応援席にはおそらく野球部のベンチ入りできない部員20名ほどが声を出しているだけで、チアガール数人がつまらなそうに踊っている。「愛校心」なんてものは今の学生たちには1ミリもないのだろう。甲子園とはえらい違いだ。


バックネット裏にはけっこう観客がいたが、みな直射日光をさけて後ろのほうに座っている。ぼくは眠っても、ファウルボールがこない前のほうにすわった。まわりは澤村君を見に来た「お仕事中」のプロ球団のスカウト連中ばかりだ。


見回しても、女性の姿が見えない。昔の球場みたいだなと思った。

ぼくは小学生にもなっていなかったころ、オヤジに手をひかれてはじめて神宮や後楽園にいった日を思い出していた。立教の応援席には女子大生も相当いて「長島くーん、ホームラン打ってえ、キャー!」とか騒いでいたのが「異様」だった。早稲田の応援席は学生服で真っ黒だった。当時は早稲田や明治には女子大生とゆうものが存在していなかったのだ。昭和30年ころの話である。


ビールの売り子のネエチャンなどひとりも歩いていない。それで売店まで買いに行った。昔、オヤジはそんなことできなかったんだね、と死んだ父と対話しているぼくだった。おにぎり「坊や、これ食べろ」と新聞紙にくるんだ握り飯を差し出す父だった。「長嶋君は、いい選手だねえ」…


澤村君のタマはたしかに速かった。初球から150キロを超えていた。でも、五十嵐や、今で言えばヨシノリのストレートより軽いように見えた。案の定、先頭の坂井君にレフトスタンドに運ばれた。次の打者にもヒット。プロではきびしいかな、と思った。変化球がきわどいところへいかない。それはヨシノリや恭兵もおなじだけど。


強い日差しの中、ビールがやたら美味い。どっちのチームを応援するのでもなく野球を見るのって疲れないし、いいものだなあ… … …ビール


澤村栄治の快速球がさえまくっていた。1番ライト・イチローが振り遅れている。2番ショート・慎也がなんとかファウルでねばるが華厳の滝のようにまっさかさまに落ちるドロップには手が出ない。3番サード・長嶋は強烈なスウィングでバットを振るが、かすりもしない。三者連続三振だ。すごいなあ、やっぱり澤村栄治だなあ。2回、4番キャッチャー・野村が大きなファウルを打ち上げる。なぜかキャッチャーのぼくは「捕るな、そのファウル」と叫んでいる。ある考えがぼくのアタマにはあるのだった。野村を内角高めのストレートで空振りさせる。5番ファースト・王、6番レフト張本は扇風機状態だ。ぼくは「ガイエル、デントナ状態だね」とうそぶいている。3回、先頭のセンター・福本がセーフティバントを試みるが、タマが速くて前に転がせない。3球目、ドロップを投げさせると「ウワーッ」としりもちついた福本豊だが、ジャッジはストライクだ。8番セカンド・高木守道は「三振だけはしません」と打席に立ったが、「三振しました」とベンチに帰っていった。


快記録の誕生がせまっていた。9回2死である。澤村栄治はひとりの走者も出さないばかりか、1本の外野フライ、内野ゴロも打たせていないのだ。これまで26の三振の山を築いてきた栄治のところにいき、ぼくは「ふつうにいこう」と告げた。栄治は「本気で投げていいかい? しっかり受け止めてくれ」と言った。ぼくは笑ってうなずいた。


だれが最後の代打で出てくるのかと思ったら、川上哲治が左打席に入ってきた。「調子がいいときはボールが止まって見える」と豪語した男だ。栄治は本気で投げてきた。いままでは軽い練習だったみたいに。川上は見送った。2ストライクナッシングだ。「ボールが止まって見えますか?」とぼくはきいた。川上は「くやしいけれどボールが見えない。音が聞こえるだけだ」と応えた。ぼくは最後の一球のシグナルを送りながら「どまんなかに快速球だ」とつぶやいた。栄治がモーションをおこした。


What happened?

ぼくはシートから床に転げ落ちていた。でも、目にはいっぱい涙;;がぽつり・・・ があふれていた。

白昼夢をみていたのだと気づくまでに、すこし時間がかかった。そのときの至福感をなんといったらよいか。


座りなおすと、澤村君は立ち直っていた。5回、6回、7回と完璧なピッチングだった。スライダーかフォークか速い変化球が決まりだしていた。ストレートは150キロ前後だったが、東洋大の打者は変化球をとらえきれないようだった。8回のピッチングを見て、ぼくは仕事のことを思い出して神宮球場をあとにした。


クラブハウスからデカイ男が歩いてきた。数人の記者らしき男たちがぶらさがるようについている。目の前にくると、目のわるいぼくにも増渕竜義だとわかった。「増渕君、がんばれよ」と声をかけると「ありがとうっす」と笑って応えた。これから名古屋へ向かうのだろう。先発にまわるのかな、とおもった。増渕は沢村君や早稲田のハンカチくんやマー君と同期である。ほんとに、がんばってほしいと思った。


時計を見ると15:40だった。ヤバイ。電車ではまにあわない。くるまをひろって「音羽通りへ」。

16:00ジャストにKB社に着く。雑誌の仕事を終えたのは21:30だった。


ぼくは5日の12:00からぶっ続けで仕事をしていたことになる。勘定してみる。33時間30分だ。その間、眠ったのは神宮で澤村栄治の夢をみた正味1時間だ。若い! まだやれる、とうれしくもあった。

あの熱い日差しのなかでの仮眠がぼくを立ち直らせていたのだった。


でも、22:30にこの日3度目のくるまで帰宅し、妻とワインを飲んでいるうちにるねっさーんっす!猛烈な睡魔におそわれた。リビングルームにばたりと、ズボンも脱がずに眠り込んだ。


そしてさっき起きた。7日の9:30である。


みなさん、おはようございます。