マレーシアでは夢のような生活だった。

 

 

現場は日系リゾートホテルの増築・拡張工事。

 

 

仕事は毎日5時に終わった。

 

 

気が向くと、そのまま

隣のリゾートホテルのオープンラウンジへ。

 

 

夕日が海に沈んでゆくのを眺めながら

コニャック「コルドンブルー」をちびちび舐める。

 

 

 

 

 

週末はドライブを兼ねて片道2時間くらい

街まで走る。

 

 

パームツリーの森の中をまっすぐな一本道がひたすら続く。

 

 

時々オオトカゲが道路を横断。

運が悪いと衝突する。

 

 

オオトカゲは体長1.5Mくらいあるので、衝突すると激しい!

少なからず車も破損する……。

 

 


 

2ヶ月に1回くらい、シンガポールへフェリーで渡る。

目指すはオーチャードロードのタカシマヤ。

 

 

日本酒と本を持ち帰って、現場の人たちとよく飲んだ。

 

 

 

 

 

マレーシアでは、不思議な体験をしたことがある。

 

 

ある日曜の朝、ランニング中。

 

 

いつものように角を回って

相変わらず一本道の道路を走っていると、

 

 

急に

 

 

周囲の木々が騒ぎ出した!

 

 

ザワ、ザワ、ザワ、ワーーーッ!!!っていう感じ!

 

 

その時の状況を形容するなら……

 

 

スタジアムの真ん中に立つ自分が、

観衆から拍手喝采されているような感じ!

 

 

不思議な高揚感と幸福感を感じた。

 

 

 

 

 

ただ、現場自体は問題の多かった。

 

詳細は下まで降りてこなかったが、厄介な問題を抱え

現場は遅々として進まなかった。

 

 

ワーカーの中に殺人犯がいたらしく

警察隊が取り調べに来ていた。

 

 

現場内の宿舎から犯行に使用されたと思われる

ライフルが押収された、と聞いた。

 

 

 

 

 

そんなリゾートライフも日常になると

それはそれで、つまらないと感じるようになる。

 

 

このまま自分は、だらけた人間になってしまうのでは?

 

 

横たわるリゾートのまったり感が、逆に恐怖になった。

 

 

 

 

ここから抜け出さなければ、俺はダメになる……

 

 

 

会社を辞める決意をし、兼ねてから描いていた

イタリアを目指し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、「諏訪大社」知ってますか?

 

 

 

 

天正10年3月、武田軍に勝利した織田軍により焼かれ、

 

のちに徳川家康により再建されました。

 

 

 

 

この諏訪大社で「武勇の神」「軍神」と崇められるているのが

 

タケミナカタノカミ。

 

 

 

 

古くから「武勇の神」「軍神」と崇められ、特にあの

 

有名な「風林火山」の武田信玄からの崇敬が強かった神様です。

 

 

 

 

 

その軍神の生涯を一言で言えば……

 

 

 

 

 

「惨敗」「敗走」の生涯。

(興味のある方は古事記を読んでみてください)

 

 

 

 

 

「えっ、軍神じゃないの?」

 

 

 

「めちゃくちゃ強い神様じゃなかったの?」

 

 

 

 

……だからこそ、「武勇の神」なのです。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

神社に参拝に行くと

 

だいたい何かお願い事をするでしょ?

 

 

 

実際に、神様は私たちのことを

 

応援してくれているらしい。

 

 

 

そこで、神社に参拝して「ご利益」をいただくために

 

知っておいたほうがいいだろう、前提を2つ。

 

 

 

 

まず

 

「神様にも感情があり、生きる目的がある」ということ。

 

 

それから

 

「神様には得意分野(神徳)がある」ということ。

 

 

 

 

 

 

 

神社に参拝して、いいことがあると

 

よく「ご利益があった!」というでしょ?

 

 

 

 

でも、それは神様の側から見ると

 

「おのれの使命を果たした」ことになるそうです。

 

 

 

 

どういうことか?

 

 

 

 

それは神様の「神徳」が、どうやって生まれるに至ったか?

 

を知ることにカギがあるんです。

 

 

 

 

(つづく)

 

 

《 初めての一人現場 》

 

パキスタンでの任務を終えて、次はブルネイに赴任。

 

 

政府関係者のお得意様の自宅の改修工事を担当した。

 

 

初めての一人現場。

責任とやりがいを感じていた。

 

 

車と携帯電話を会社から預かって

意気揚々と仕事に励んでいた。

 

 

ある日、仮設フェンスが風で煽られて倒壊。

幸い、大事には至らなかったが、庭の街灯が破損した。

 

 

兼ねてからフェンスを補強するよう指示していたものの

現場監督からは「No problem!」の一点張りだった。

 

 

一般的に、日本人の仕様は「過剰」と受け止められる。

「安全」への配慮が過剰だと。

 

 

しかし事故が発生すると、現場監督は逃げた。

 

 

 

《 社長が出てきて逆ギレ! 》

 

 

代わりに、この時は下請け業者の社長が出てきて、

逆ギレされた。

 

 

「お前ら元請けのせいだ!」と。

 

 

チャイニーズ・イングリッシュで、

やんやと、がなりたてられた。

 

 

あまりにも一方的で身勝手な態度。

反省どころか攻撃してくるとは!

 

 

視界が飛ぶくらい、頭に血が上った。

気がつくとその社長と掴み合いになっていた。

 

 

逃げたはずの現場監督が戻ってきて仲裁に入ってきたが、

この一件で、現場が2週間止まった。

 

 

下請けの社長がへそを曲げて

職人を引き上げてしまったからだ。

 

 

結局、上司が取りまとめてくれたおかげで

現場は再開。

 

 

現場はなんとか、予定通りに引き渡すことができた。

 

 

 

《 ケンカは卒業 》

 

 

一応、社会人として、また外国で働く外国人として

喧嘩になっても、血みどろになるような殴り合いは、ない。

 

 

だけど仮に、どちらかが一方を組み伏せたとしても

何も解決しない。

きっと遺恨が残る……。

 

 

「分かり合える」という思い、前提を信じて

ぶつかるやり方もあるかもしれない。

でもそれは、かなり上級なアプローチ。

 

 

日本でも外国でも、建設現場で働く者には荒くれ者が多い。

人の気に触るようなことを平気でぶつけてくる。

 

 

いい加減、喧嘩しない自分、

掴み合わないですむアプローチを覚えなければ……

 

 

パキスタンでも、ブルネイでも……

どこにいっても、ぶつかっている。

 

 

だけど喧嘩したところで、結局はみんな損をする。

あの人たちに変わることを要求するのは無理。

 

 

だったら自分が変わるしかない。

そう、大人にならなければならないと自覚し始めていた。

 

 

 

 

 

 

ペタしてね

 

《 空港に降り立った時の空気が…… 》

 

 

国際事業部への配属が決まった。

数ヶ月後、海外赴任。

赴任先は……パキスタン!

 

 

発展途上国のための政府無償援助工事として

植物遺伝子研究所をイスラマバードに建設していた。

 

 

 

実はこれが生まれて初めての海外。

 

 

不安よりも好奇心の方が優っていた。

結構浮かれて出発。

 

 

空港に降り立った時の圧倒的な異国感。

匂いと暑さに、クラっときた。

 

 

場所だけでなく時代も移動したのかと思った。

それくらい、圧倒的な異国間を感じた。

 

 

 


《 パキスタンでは、初体験が目白押し 》

 

 

流れる水がピンク色!

それは自分の血だった!

 

血便が出るようになったので大使館で検査。

すると赤痢にかかっていることが判明した。

 

会社の判断で緊急帰国。(本当は保菌者を帰国させることはダメなことらしい……)

病院に直行。

隔離病棟に1週間、入院させられた。

赤痢も隔離病棟も初体験だった。

 

 

 

現場スタッフと「持ち回りで、ご馳走し合おう会」が発足。

 

イスラマバードでも高級な

マンダリンホテルの中華レストランで、

現地のパキスタン人スタッフ30人分の食事代を支払った。

30人分の飲食代を一人で支払ったのは初体験。

 

ちなみに、持ち回りだったはずのその会は、

その後開かれなかった……。

 

 

 

「新人だから」と年末の日本人会の壇上で約100人を前に

1人で宴会芸をやらされた。

こんな柄でもない行動は初体験。

 

膝はガクガク、顔は引きつり、声は上ずっていた。

それでも最後は「お前は男や!」と賛辞を受けた。

 

 

 

上司の人間関係に挟まれ、逃げ場のない

狭い生活環境の中でノイローゼになった。

喋ることができなくなり、体が自分の意思に追従しなくなっていた。

「これは、まずいぞ……」

 

震える手でノートに気持ちを書き出し、自分と対話した。

セルフカウンセリング(当時は無自覚だった)で治癒した。

 

ノイローゼもセルフカウンセリングも初体験だった。

 

 

 

「絶対お得だから!」と上司に言われ、

半ば強引に、1枚10万円以上する

イスファハーンの高級カーペットを買わされた。

そんな高級カーペットを購入したのは初体験。

 

 

 

何度打ち合わせしても作業手順を守らない現地スタッフ。

いつも「OK!」次の日も「OK」……

 

なのに何も変わらない。

頭にきて、詰め寄った。

気がつくとそのスタッフと、と取っ組み合いの喧嘩になっていた。

 

別のスタッフから引き離された時

60人くらいの人だかりの真ん中にいた。

 

考えてみたら、彼も若く、

現場で職人をうまく動かせなかったのかもしれない……

 

ザファール、あの時は、ごめん。

もう少し、話し合いができたかも。

 

 

 

 

 

 

ペタしてね

 

 

 

 

 

 

 

「アウト・オン・ア・リム」という本にハマった。

きっかけは「MORE」という女性誌。

 

 

当時はファッション誌と言ってもメンズものは2誌ぐらいしかなかった。

最新のファッション情報に飢えていた僕は

ファッション雑誌は手当たり次第に眺めていた。

 

 

だから、女性ファッション雑誌なんかも

毎月目を通していた。

 

 

女性心理にも当然興味があったので

「MORE」も愛読雑誌の一つだった。

 

 

特集で組まれていたシャーリー・マクレーンの

特集記事に惹かれて彼女の本を購入。

 

 

それが「アウト・オン・ア・リム」だった。

 

 

衝撃を覚えた。

 

 

小学生の頃から「迷信」とされながらも、

興味深く読んでいた「宇宙」「神」「オカルト」話が

どうやら本当のことらしい……

 

 

彼女の本を読んで、

感覚的に「全ては繋がっている……」

そんな風に感じた。

 

 

本の中でシャーリーが教えている

「自分の本当の気持ちを知る手法」

みたいなものがあった。

 

 

それは「なぜ?」をとことん、自分に投げかける

というものだったと思う。

 

 

学校ではノートを広げたこともないくせに

このワークにはクソ真面目に取り組んだ。

 

 

内容は覚えていないけど、その時確かに

大きな納得感を感じられた記憶がある。

 

 

 

後に、就職し海外の赴任先で

ノイローゼになるが、

この自問自答のワークのおかげで、

自力で治癒させることができた。

 

 

「セルフカウンセリング」という言葉すら

知らなかった頃の話。

 

 

 

 

 

 

ペタしてね

 

 

《 楽に!楽しく!カッコよく! 》

 

住宅なんて小さなものは女の仕事。

男ならでっかい建物、造らなきゃ!

 

 

そんなノリだけでゼネコン就職を目指した。

 

 

世はバブル。

時代は「最後の売り手市場」

 

 

入社したのは、その後「談合」1番手で

名前が挙がった中堅ゼネコン。

 

 

当時の社長は、入社式で

こんな祝辞を述べていた。

 

 

これまでのゼネコンは

「きつい」「汚い」「危険」

 

だったけど、

 

これからのゼネコンは

「楽に」「楽しく」「カッコよく」いきましょう!

 

 

 

新入社員は拍手喝采で喜んだ。

「いい会社入ったなー!」

 

 

2年後くらいに、この社長は会社から消えた。

 

 

 

 

 

《 湾岸戦争 》

 

 

多分、岐阜出身ということもあり、配属は名古屋支店。

現場は浜名湖畔のリゾートホテル。

 

 

当時、名古屋支店で一番大きな建築現場だった。

 

 

世はバブル末期。

 

 

景気後退の影が落ち始めていたにもかかわらず

現場では、接待、宴会、ゴルフ、旅行……と

週替わりでイベントがあった。

 

 

 

確か、中東で湾岸戦争が勃発した時、

のどかなゴルフ場で接待を受けていた。

 

 

「僕たちゴルフやってますけど、地球の裏側で

今、戦争してるんですよね……?」

と呟く新入社員。

 

 

「まあ……、考えるな」と、上司。

 

 

そんな会話をしたことを、覚えている。

 

 

 

 

 

 

《 ゼネコンマン・マインド 》

 

「こんな状態でコンクリなんか、打てるわけねーだろ!」

雨カッパを着てるのに、ずぶ濡れ状態の土工が、がなり立てる

 

 

 

「俺もそう思うんだけど……」(心の声)

 

 

 

湖畔に建設中の躯体の8階部分の工事。

 

 

横殴りの土砂降り。

10m先も見えないくらいの暴風雨。

吹きさらし。

風が強くて、まともに立てない。

 

 

 

次のミキサー車のセッティングが終わるまで

ただ、ただ、待つ。

 

 

 

雨と強風に打たれながら。

足元の悪い場所で、待つ。

 

 

 

雨カッパなんて機能していない。

誰かと話をする気力も出ない。

 

 

 

嵐の中で取り残された

ずぶ濡れの疲れ切ったおやじ集団。

 

 

 

みじめ……な気分になる。

 

 

 

 

型枠の中にコンクリートが流れてゆく。

雨と混じって、水になって!

 

 

それでも主任は打設を続行!

 

 

最後は、見かねた所長が作業を中止させた。

 

 

 

 

「頭おかしいんじゃねーか!!」

「こんな嵐の中で仕事できるわけねーだろ!」

「この現場の監督はイカれてる!」

 

 

 

土工たちが怒りながら引き上げていった。

 

 

 

自分は、どちらの気持ちも理解できた。

 

土砂降りの中で、無謀な作業をさせられた

土工の怒り、

 

 

一方、罵声を受けながらも、

そんな無謀なことを敢行した主任の思い

 

 

 

何が何でもやってやる!

天候にだって俺は負けねー!

工程は絶対守る!

 

 

 

主任の背中からはそんな気迫が読み取れた。

 

 

その時「ゼネコンマン」の魂というか気迫

みたいなものを知った。

 

これが仕事なんだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

ペタしてね

 

 

郊外型大型ディスコが出現

 

一人暮らしを始めた。

 

 

先輩の紹介で

郊外のレストランバーでアルバイトを始めた。

 

 

世はバブル。

 

 

その店は、地域では有名な人気店で、

ガラス張りの店内から、次々と滑り込んでくる高級車を

眺められるのが「ウリ」だった。

 

 

そんな華やかなバイト先まで、自分の愛車、

友人から安く譲ってもらった原付「黄色いパッソル」で通った。

 

 

この繁盛店の勢いは留まるところを知らず

レストランの敷地内に大型ディスコを開店させるまでになった!

 

 

毎晩ディスコにいながら、しかもお金が稼げる!

自分には願ってもない、最高の環境が生まれた!

 

 

「俺はついてる!」

 

 

オーナーにお願いして、

レストランからディスコの配属にしてもらった。

 

 

この時は本当に楽しかった。

 

 

バイトがあっても、なくても店に顔を出した。

好きな環境にいれて、毎日楽しくてしょうがなかった。

 

 

いいものも、悪いものも、いっぱい詰まっていた。

 

 

スタッフ同士で「UNO」が流行した。

 

 

閉店してからいつもの店に集まってUNOをやる。

それが「賭け」になっていった。

 

 

額面も日に日にエスカレート。

「昨日30万やられた」

「一瞬100万まで負けちゃってさー」

 

 

スタッフといってもみんな20歳前後。

傍目にも「遊び」だろうと思っていたが……

 

 

実は違った!

 

 

負け込んでいたスタッフは、

追い込まれるようになっていった。

 

 

控え室で泣いて謝ってる姿や

胸ぐら掴んで喧嘩してる場面が出始めた。

 

 

どっちも、よくしてくれた先輩だった。

 

 

開店当初は励まし合い、助け合い

喜び合った仲間が、ポツリポツリと消えていった。

 

 

学生だった自分には、

何があったのかわからないまま

 

 

あんなに楽しかった人達、お店が

急速に落ちていった。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

柳ヶ瀬ブルース

 

 

1年もしないうちにディスコは閉店。

その煽りで人気だったレストランも閉店となった。

 

 

 

その頃のツテで、柳ヶ瀬で

バーテンダーのアルバイトすることになった。

 

 

お酒を飲みながら、しかもバイト代がもらえる!

 

 

「俺はついてる!」

 

 

お酒と夜の街。

こういうのもいいな。そんなウキウキ感があった。

 

 

 

柳ヶ瀬のバーは、それまでいた

レストランやディスコで見たのとは

また違った人種の住処。

 

 

郵便局員、現場職人、サラリーマン、OL

設計士、詐欺師、ヤクザ、ひも、デザイナー

ジャーナリスト、ソープ嬢、クラブ嬢、スナックのママ、

バーのマスター、会計士、弁護士、美容師、

マヌカン、運転手、先生、音楽家、詩人、飲食店経営……

 

 

華やかな世界から一転、ディープな世界に入り込んだ。

 

 

とっても羽振りのよかった「◯◯組若頭」の木村さんに

飲みに連れて行ってもらったことがある。

 

スナックやクラブで綺麗なお姉さんを交えて

飲み始めたところまでは良かったが

 

 

最後は、ゲロまみれ。

朝まで、とことん、飲まされた。

 

 

「木村さん、すいません……、もう飲めません……」

「あ~アん?聞こえねエ~な~、オラッ!飲めよ!」

 

 

若頭のお酒は、断ることが許されていなかった!

そんなことも知らず、お酒をおねだりしたことを後悔した。

 

 

 

確か、学校にもいけず、2日間くらい寝込んだ。

 

 

「ヤクザとは飲んじゃいけない!」

 

 

 

そう教えられた。

 

 

 

 

 

 

ペタしてね

 

 

夜遊びの楽しさを覚えて、

毎週のように週末は出歩くようになった。

 

 

友達と遊ぶことが楽しくてしょうがなかった。

というより、

知らない世界を見たいという欲求が

ものすごく強かった。

 

 

知らない世界といっても、

子供でも入ることが許された場所のこと。

 

 

華やかで、楽しそうな雰囲気の場所。

実は空っぽなんだけど。

 

 

 

 

高校生になって背は伸びるし、髪型は変わるし……

雰囲気も違ってきていただろう。

 

 

 

ある夜、帰宅が遅くなったことで父親と口論になった。

 

 

「いつまで遊びまわってるんだ!こんな時間まで!」

「うるせー、カンケーねーだろ!」

 

 

みたいな、ありがちな衝突。

 

 

小さな衝突は小学生の頃からあった。

父親はとにかく声がでかい。だから近所に響いた。

 

 

今回も夜中、ご近所さんを巻き込む騒動にまで発展。

 

 

 

次の日、家を出た。

 

 

 

子供の頃から、父親からずっと押さえつけられてきた。

 

 

周囲の大人でさえ、「ちょっと、やりすぎやで……」と

父親のことをたしなめるほど徹底して抑えられてきた。

 

 

 

その鬱憤もあった。

 

 

 

友達の部屋や、学校の寮に忍び込んで過ごした。

 

 

中古車を買おうと、アルバイトで貯めたお金で

ワンルームを契約。

 

 

一人暮らしを始めた。

 

 

 

 

 

ペタしてね

 

新天地

 

今思い返して見ても、なぜだろう?

なぜ高校時代は、あんなにハッチャケていたんだろう?

 

 

劣等感に埋もれた中学時代を抜け

数学おばさんとの出会いから成績が伸び

希望校にも合格することができた。

 

 

ずっと借家住まいだったので「いつかは自分の家を持ちたい」

そしてどうせなら「自分の家は自分で設計したい」

という、純粋で、ありがちな想いから「建築学科」を専攻。

 

 

以来、ずっと建築に絡んだ道を歩んできた。

それは間違ってなかった。

 

 

だけど、あの頃の自分のフィールドは

いつも学校の外にあった!

 

 

 

 

坊主卒業

 

野球をやっていたこともあり、小学生の頃からずっと丸坊主だった。

中学校も校則で丸坊主だった。

 

 

で、高校生になって生まれて初めて?

髪型を意識するようになった!

 

 

 

そうだ、考えて見たら中学の時

「チェッカーズ」のフミヤの髪型に憧れてたのを思い出した!

やりたかった~~~っ!あの髪型!

 

 

 

 

髪型が選べる!

そんなことがあってもいいのか!

 

 

色々やった。

髪が伸びる順番に。

 

 

ツンツン・ヘアーから始まって、オールバック、リーゼント、ツーブロック、ショート・ボブ、ロング・ボブ、パンク、チョンマゲ、ソバージュ……

 

 

 

 

 

世はバブル

 

みんな景気が良かった。

 

 

DCブランドの服を買うために、アルバイトもせっせとやっていた。

喫茶店、居酒屋、工場、警備員、スーパー、魚屋、バー……

 

 

放課後はツレの部屋で「夕焼けニャンニャン」を観て、

 

 

週末は朝までディスコ。

 

 

 

タバコ吸って、酒を飲んで酔って騒いだ。

カラオケ行って大声でハシャイだ。

コンパやって、告ったり、告られたり。

車やバイクを乗り回して、自爆したり。

 

 

なんか、今思い出しても、勉強してなかったな……

 

 

 

 

 

 

ペタしてね