sophia philein -19ページ目

ドラゴンボールGT(1話~10話)、のだめカンタービレ

みたいなぁーみたいなぁーと思っていたドラゴンボールGTを見た。

いつ見てもネーミングセンスねーなぁと思う。

鞭もって戦うやつの名前が「ムッチーモッチー」って。。


でも悟空の生き方には学ぶべき点がある。

と夏休み子供フェスタ?(だったっけ?)を見た俺は思っていた。


その心のでかさ、罪を憎んで人を憎まずの態度には頭が下がる。

そしてその罪を受け入れるだけの強さがある。

これは悟空の人としてのでかさでもあり、魅力でもある。

アメリカのアニメではぽんぽん人が死んでいく。

できれば人を殺さない、もしくは殺すことに痛みを伴うアニメを俺は支持する。

しかしながら現代社会で個人の罪を受け入れるだけの懐のでかさを持つことは不可能であり、

それに近いものであれば暴力という点でやくざとかなのかな。

でも知力でそれを補うことができると思う。

それにそのほうが現実的だ。

罪を見てあきらめたり逃げたりせずに受け入れ、

知力によって円満な解決策を導き出す。

それが現代の心の広さであり、器の大きさであると思う。


ノダメ面白かった。

さすが話題作、安心して読める。

誰もが自分には無い才能や価値観にあこがれるよねぇ。


陰翳礼讃、ライドバック(カサハラテツロー)、ずっと先の話(望月峰太郎)

今日は風がつめたいね。
自転車を愛用する私としては
耳がもげそうな思いです。

そんな中旅行のチケットを予約し、
一路代官山へ。

インテリアショップや服屋に目移りしながらも
向かった先は

「Home Archi」

の会場。

説明しよう。

Home Aechiとは日本人の陰翳礼讃の精神(光と闇があやなす陰翳の微妙な濃淡を無限の色彩と捉え、美は物にあるのではなく、物と物との作り出す陰翳のあやにあるという考え方)を住文化の中で再構築しようとした人々が立ち上げたブランドである。そのブランドが心がける「見せる明かり」と「主張しないデザイン」といったコンセプトの元に生み出された「建築的視点による住宅用照明器具」がもつ可能性はまさに無限である。



照明器具見に行ってきました。
昔から建築とかインテリアには興味があって、
光がその部屋の空気感をすごい左右する事はわかっていたけど、今回この展示会に行って光の使い方にも歴史があってびっくり。
たとえば、
あかりだまりを作る。
といったダイニングの照明プランがあったんだけど、
火に集まる原始の風景のように、人々が自然と集まるような照明といったコンセプトの元、ダイニングペンダントライトが作られている。
ということを聞いて、照明ひとつとってもみなさんいろいろかんがえているなぁ。とびっくり。
その他にも照明の使い方によって照度以上の明るさに見せたり、
部屋に奥行きを持たせたり
と、照明の奥深さの一端に触れたように思います。
「陰翳礼讃(谷崎潤一郎著1933)」
↑これが少し読みたくなった

昔の日本には街頭のないところがまだたくさんあり、真の闇があった。

その闇のおかげで光の美しさを感じることができたという。

光と闇をいつくしむ心がいいね。

そういった


ライドバックはマン友に進められたので読んでみた。

ゲバ棒なのにロボットって言うところになんか違和感があった。

1巻じゃまだなんともいえないなぁ。


ずっと先の話は友達んちで一回読んだことあった、

でも手にとって見たら内容をあんまり覚えてなかったので買ってみた。

一回読んだことがあったせいか新鮮さにかけてあんまり面白くなかった。

ううん。


アジア無頼(原作:宮崎学、脚本:和泉昴、漫画:菊地昭夫)、荒川アンダーザブリッジ 2、3、4

このブログを書くようになってすげぇ漫画買うようになった。

ほかの事で忙しいときとか漫画読むのさえ億劫なときもあるけど、

今は読むテンションがある。

漫画読むテンション。

マンガヨムテンション。

マンガテンション。

マンション。


いいのか悪いのか。

漫画ばっか。

小説読むとその知性のグレードまで脳が活性化するから、

漫画よりも小説読む方がいいかなぁと思うけど

手が出るのはマンガばかりなり。


アジア無頼は絵が井上雄彦っぽいから買った。

戦争の狂気と

その中を生き抜く侠気の話。

戦争のリアルはきっと薄れていくんだろう。

きっとこんな世界も実際あったんだろうなぁと想像しかできない。

守るものがないからこその強さ

守るものがあるからこその強さ

両方あるんだろうな。

いつこの社会の均衡が壊れて戦争になるのかと思うと

ぬるま湯に浸りきっている自分にぞっとする。


荒川アンダーザブリッジ続けざまに三巻買っちゃいました。

いやさすが漫画家さんは人のことを好きになっちゃうしぐさをしってる。

いつの間にかキャラクターを好きになっちゃう。

その人が素直にいいって思った仕草は万国共通なのかな?

マンガは万国共通だし。

それを表現できることはやっぱり努力と才能だな。

歌でも、

ダンスでも、

マンガでも、

スポーツのプレイでも。

思ってみれば表現方法って無限だなぁ。



ここまで書いた今日の日記を読み返して見ると俺は影響されやすいから、

というか俺がマンガや映画を見るときに丁寧に想像しながらなるべくマンガに入り込んで読むようにしている。

そのせいか読んだあとにそのマンガで感じた世界観で文を書いている気がする。

ということは俺にも表現の才能が!?

いや、誰でもそんなもんか。

努力もしてねぇしな。

いや岡本太郎も表現しねぇとはじまんねぇって「壁を破る言葉」の中で言ってたしな。