衆議院議員の玉木雄一郎氏が、「持ち込ませず」に焦点を当てて疑問を投げかけたことが問題視されました。「非核三原則の見直し」を提言したと誤解されたのです。


https://youtu.be/DTjNwnQlMKg?si=RVhRf_-gGJ0_sTWN

accessed on June 21, 2024.


この手の話題ではすべて、「国民的議論をしよう」で締めるのが定石なのですね。議論の仕方を教わったことのない民衆に何ができるのでしょう。この国で、平和一辺倒の核政策に異議を唱えようものなら、反核主義者をヒステリックにしてしまうのです。

「核なき世界を否定したな!」

「核戦争を望んでいるのか!」

「被爆国の自覚はないのか!」

「原爆の惨禍を忘れたのか!」

反核主義者は非核三原則を盾にし、自らの正しさに自信を強めてきました。


「議論」といえば、相手を負かすことを目的とした言い争いと勘違いされます。建設的な議論のできる人を育てる教育がないからです。それから、議論を采配する中立役の登場が待たれます。わたし達が生きている間に実現するでしょうか?


「非核三原則を守り抜いた国の末路」と申しましょうか。反核主義者の言いなりで戦禍を被っては困りものですね。

(SECTION OF NUCLEAR STRATEGY)

後瀉桂太郎
「PLA(中国人民解放軍)核戦力の現状-ロシア『ディエスカレーション戦略』との比較」
https://bit.ly/3Rdkt4S
accessed on June 9, 2024.


▽キャッチーなタイトルにするなら、「中国の核をこわがらなくていい、これだけの理由」くらいになろう。中国の核兵器は最初から「保有目的」であり、当面はこの方針が続くに違いないと書かれている。

▽注4 で示される「戦略核」の説明に胸をなでおろした。不正確な定義が蔓延してわたしは気持ちが悪かった。しかし、冷戦時代の用法を守り抜く必要はない。とはいえ共通言語にはルールが求められる。出力の大きい核兵器を示す新しい用語がほしいところ。「大型核(兵器)」?

▽ロシアは、「核兵器を使うつもりもないのに」、核の先行使用を常套句にする。はたしてどのくらいうそ(脅し)なのだろうか。誰にもわからないとされているし、ひょっとしたらあの男はやりかねないので、世界はますます不安になる。それが彼の手腕であり、権力たらしめているのだが、核兵器は彼の所有物にあらざるなり。国家元首や国防大臣が好きなタイミングでスイッチを押せるシステムでなければ、核でウクライナの主要都市を殲滅させて即時勝利というわけでもない。

▽ロシアによる核の恫喝を話題にせねば見向きもされない核戦略レポートのいま。中国の核政策はロシアのそれと性格が違う。増強すれども核の存在は控えめ。今後も通常戦力による抑止を基幹とする。さしあたってその解釈でよい。

わたしはゴリゴリの保守だが、核武装論者ではない。ここでいう保守とは、親米・改憲派のことね。たまには中和してみようっと。来月のサーロー節子氏の講演に申し込んだ。

核廃絶論者・活動者は、決まってこう訴える。「世界は変えられる!」と。サーロー節子氏はややトーンが異なる。「警告」を発する人だからだ。

わたしの観察によると、核廃絶論者と日本の核武装論者には共通点がある。「実現し得ないことに時間と労力を使いすぎ、人々を感化することはうまい」ということである。

そして合言葉が同じ。すなわち「可能です!」と。
核廃絶論者「世界から核をなくせます!」
核武装論者「日本は核武装できます!」
ほらね。

日本人は、どちらがより不幸な結果にならないかの比較シミュレーションをしなければなるまい。

ところで、わたしは、世界の非核化は100%不可能と思ってきた。一方で日本の核保有にはチャンスがあると。統一朝鮮が核を持つ可能性が非常に高いからではない。韓国が核保有国になったとて、わが国の非核体制は崩せない。日本が核兵器を持てるのは、もう一度「日本だけが」被爆したあとだと予測している(※)。コワイヨー。
※ 新たな被爆国がもう1か国以上あれば、日本とそれらの国は手を携えて非核の歌を作るのではないか。

同様に、世界の非核化は、3度目の核使用で一気に加速するに違いない、というのも、今度は動画が世界に出回るから。アメリカの民衆は血の気を失って歴史を知ることになる。

さて、核武装論者の藤井厳喜氏は、講演で次のように述べるのだった。「非核二原則」にしよう、と。アメリカの原潜(ここでは核弾道ミサイル搭載の潜水艦か)を貸してもらい、海上自衛隊が乗れば「日本の核武装」である。

わたしは、隣の町内会からテントを借りてくるみたいな簡単な話のように言う気が知れなかった。それは、日本が世論問題を乗り越え(これが無理)、米国議会および軍を説得し(誰ができる?)、頼んでまで米軍再占領の受難を拝することなのである。

おまけに、藤井氏は「核で自立を!」と熱弁していた。先鋭化した人達こそが保守を貶めている。それでも主張の根幹は変わらない。この1点に尽きる。
核武装論者「日本が核武装するために、核武装論議をしよう!」

一方の反核側も、やはり似たことを。
核廃絶論者「核廃絶のためにすべきことは、核廃絶運動です!」

この最先端をゆくサーロー節子氏の声を聞けるとあって、わたしはわくわくする。サーロー氏について知りたいのは、「核兵器を持っているかもしれない国や、持とうとしている非国家集団に対して、同じ演説をしてきたか」という問いである。「核兵器がなくなることはないのに、なぜ活動をやめないか」などは愚問だから、話題をずらしてみる。