NHK のドキュメンタリー番組、『新・映像の世紀 第1集 百年の悲劇はここから始まった』を見た。イギリスの3枚舌外交が現在の中東情勢の根源であるとして、また、新兵器の開発につながった科学の発明・発達を壮大な過ちとして、第一次世界大戦と戦間期を概観する教養番組だ。

「百年の悲劇はここ(イギリスの3枚舌と兵器の発明・発達)から始まった」のではなく、タイトルの意味に正確を期するなら、「百年前のイギリス外交と兵器開発がもたらした今日の悲劇」である。中東における殺戮はこれから5百年も千年も続くけれど。だがタイトルは確かにキャッチーで、申し分ない。

番組の解釈によれば、同盟関係は戦争の根源である。第一次世界大戦は同盟を理由にして多くの大国を巻き込んで始まった。同盟は利益を求めた結果であり、また利益を生み出すものだ。その態度が戦争を起こした。

そこでわたしはこう受け取った。だから利益を求める態度こそ悪い。戦争が悪行ならば、利益への欲求も同じように罪だ、と。番組とスポンサーとテレビ局の大母体の思想は知らね。でも輝きを放っていた頃のイギリスに対する糾弾は、勝ち組に捨て台詞を吐いて去るように惨めだった。そのメッセージは以下に要約される。

・わたし達の番組の反戦思想は正しい
・戦争が科学の発明を兵器に転用する
・参戦理由になるため同盟はいけない
・同盟の根本にある利益への欲求は悪

もちろんそこでは、人間の持つ生存の欲求と、社会の一部(支配者層)が抱くぎらぎらした欲望とが区別される必要がある。

被支配層は、支配者の欲望を止めることはできないのだから、勝ち組イギリスに対する批判には別の論点(利益への欲望は悪、以外の論点)を据えるべきであろう。あのときのイギリスの老獪な手法は、いつになっても問責される。それでもあの国には非難を退ける力がある。戦争を勝って終わった国だから。イギリスは戦争に勝つ前から「戦勝国」として振る舞い、そして戦勝国は秩序を作れることを知らしめた。

さて、報道機関には、民衆に、市民に、国民に、世界の視聴者に、情報を発信する使命がある。彼らは番組を編成する主体(スポンサー・テレビ局の大母体)の意向に合わせ、思想で着色する技巧に長けている。好きな番組を放映する権利を持つ。だから反戦を第一の主義にするもよし、イギリスの3枚舌外交と科学の発明・発達を非難するもよし。

しかし「戦争の原因になった同盟は良くない」、「同盟の根本にある、利益への欲求(支配者層の欲望)は悪」というのをメッセージにしたのは、苦し紛れに映る。真の勝ち組にはどんなあがきも無駄である。番組は自身のその姿を視聴者に晒した。

『新・映像の世紀』は、成功を博した『映像の世紀』の栄光にすがるかっこうで、最近発見された映像を見せてくれた。わたしはこの両シリーズの価値を評価するのだが、映像の真価を思想が帳消しにするのだけは良くない。

わたしは外部からの影響を受けやすい人間なので、番組のこの思想に冒された。人間の持つ生存の欲求はともかく、それ以上の欲や願い、社会の一部である支配者層や金儲けをたくらむ人々が抱く、ぎらぎらした欲望を不正義と感じるようになった。

国家は国益を欲しないといけないのに。イギリスは戦勝国で、かの帝国は世界を擁し、秩序を作る使命を持つのに。
外務省ホームページで次のタイトルを見つけた。わたしはこの文面に批判がある。
「ラオスの不発弾除去に関する日米協力の実施」
本文のコピペは下部に。


わたしの批判とはこのようなものだ。文面に作為を見出すのだ。
・文中、ラオスに今も残る不発弾は、インドシナ戦争によるものとされる。インドシナ戦争とは、ここではベトナム戦争を指す。「ベトナム戦争」と書かないずるさを指摘したい。爆弾を投下したのは米国である。

・「ラオスにおける不発弾処理支援を日米が協力して実施する」とあるが、この文章は米国の所業を覆い隠しているうえ、日米を人道的国家だと謳っているに等しい。

・「日米が協力する」とはいえ、ほんらい不発弾処理活動に必要な資金を出すのは米国のはず。日本は敗戦国かつ経済大国ゆえに資金提供に甘んじており、米国の要求に応じてそうせざるを得ないだけだ。

日米関係の実態を取り繕い、人道支援のにおいを漂わせるこの文面には腹が立つ。わたしは反米でも反政府でもないものの、見栄と欺瞞に満ちたこの政府広報が許されるのは嫌である。


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http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_001594.html

(引用ここから)
報道発表「ラオスの不発弾除去に関する日米協力の実施」
平成26年12月19日
1 ラオス人民民主共和国では,インドシナ戦争時に投下された多くの爆弾が現在も不発弾として全土に残存しており,同国の経済・社会の発展の障害となっています。こうした背景を踏まえ,今般東南アジアの地雷・不発弾問題への対処における日米協力の一環として,ラオスにおける不発弾処理支援を日米が協力して実施することになりました。

2 この支援では,我が国はラオス南部に位置するチャンパサック県及びサラワン県において進められている不発弾処理活動に必要な資金協力(不発弾処理要員の人件費の支援等。供与限度額705,242米ドル)の実施を決定しました。また,米国も同様に,同2県における不発弾処理活動に必要な資金協力を行いました。

3 この支援により,不発弾による犠牲者を減らし,安全な土地を確保し,食糧生産やその他の社会経済開発事業への土地の有効利用を促進することが期待されます。

4 今後とも我が国は,米国とも協力しつつラオスの不発弾処理に対する支援を行っていきます。
(引用ここまで)
2013年製作、原題は「私達の母、私達の父」 というタイトルで、映画のような作りだがドラマとなっている。90分の3本立て。主な登場人物を軸に据えてあらましと感想を書き、以下はネタバレします。

http://otonanokaidora.com/generationwar/
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ところで、戦中に二十歳前後であれば、わたし(36歳)にしてみると祖父母の年代がぴったりであるが。登場するのは男性3人、女性2人の幼なじみ仲良し5人組。次の面々(俳優名と役名)。

1.主役の少尉:
フォルカー・ブルッフさん(ヴィルヘルム役)
2.その弟の下士官:
トム・シリングさん(フリードヘルム役)
3.仕立屋のユダヤ人男性:
ルドウィッグ・トレプテさん(ヴィクトル役)
4.その恋人の売れっ子歌手:
カタリーナ・シュトッラーちゃん(グレタ役)
5.主役(少尉)に思いを寄せるが、告白できない従軍看護婦:
ミリアム・シュタインちゃん(シャーロット役)

あらまし。
1941年夏の深夜、ベルリンにて、若い5人はグレタの家で大騒ぎして遊ぶ。これからヴィルヘルムとフリードヘルムの兄弟は東部戦線へ、シャーロットは前線近くの病院に配属される。「もうじき終わる」戦争のあと再び集まる約束をして全員は記念写真を撮る。あかんって! それを死亡フラグていう。誰それは死んで、誰かは生き残る。

生死状況。
1 (ヴィルヘルム)、主役は死にません! 第2話の終わりで翌朝の処刑を告げられ、しかし恩赦が出ます。
2 (フリードヘルム)、弟の下士官は、第1話で銃弾の雨あられの中、なんと死んでいません! ドラマの終盤で、最後の戦闘に逸る味方の集団に投降を促すため、わざと撃たれます。
3 (ヴィクトル)、ユダヤ人は脱走して逃げのびました! 両親とは生き別れです。
4 (グレタ)、歌手は、売れっ子にしてくれた高級将校との愛人関係を終わらせたので、かつ敗北主義の発言で銃殺されます。
5 (シャーロット)、従軍看護婦は、ロシア兵1人にレイプされるものの、傷付いた様子もなく帰ってきます。

本筋ではないが、主役と弟と高級将校が美男子である。従軍看護婦と歌手はそれぞれに美女。登場人物で唯一のユダヤ人も、親しみのある顔立ちで、演技が上等だ。そして、このユダヤ人とともに輸送列車から脱出し、偶然にも逃亡生活をしたポーランド女性も、芯のある大変美しい人である。そんなわけで、わたしは7名の俳優の顔に魅了された。特に5人の名前をメモするためにこの感想を書いているようなものだ。

さて、グレタは親衛隊中佐の愛人になって歌手の道を歩ませてもらい、名声を手にする一方で、恋人のユダヤ人(ヴィクトル)の国外逃亡で中佐を動かす。そんなタフさで、身を切るような別れにも耐える。ヴィクトルとは逃亡前の最後のチャンスで行き違い。中佐には恨みを持っているので、彼に妻子があるとわかってからは、奥さんに関係をバラしちゃおうと企む。それが功を奏しないばかりか、中佐の怒りを買うわ、身籠った赤ちゃんを「おなかドン!」で殺されるわ(中佐がぶちギレた)、たぶん彼の指示で連行され、「戦争は負けるわ」の一言が投獄理由なのだが、裁判もなく銃殺。彼女こそ波乱の人生を生き抜き、最後まで強靭さを保ち、プライドを貫いた人。

親衛隊中佐は、戦後、罪を問われもせず器用に立ち回って、ちゃっかり生きる。戦争に翻弄された主人公ら5人と対照的に描かれた悪役だ。

グレタは、最後にもう一度だけ中佐の言うことを聞いていたら、死ぬことはなかったのに! 中佐が牢獄を訪ねたときに媚びたふりさえすれば、ちゃんと助けてもらえたのに! 美女。

グレタの恋人で仕立屋のユダヤ人のヴィクトルは、グレタと親衛隊中佐との仲を知って傷心し続けた。でも恋人を責めることもなかった。中佐経由で手に入れたパスポートがあったが、途中でユダヤ人輸送列車に乗せられる。そこから逃げると、パルチザンに捕らえられ、一時期は彼らと行動を伴にする。ユダヤ人であることがバレたためそこも追われ、いつも命からがら。

主役のヴィルヘルムは少尉で、口数の少ない役柄である。部下思いで能力も高く、組織の中でいい上司だが同隊の弟の反抗心には手を焼くし、戦況の悪化にはなす術がない。

ヴィルヘルムを好きなシャーロットは、職業婦人の手本のよう。高い志を持ち、職場のユダヤ人を密告するなどし、典型的なドイツ人女性と描かれる。

ヴィルヘルムの弟のフリードヘルムは寡黙な文学青年なので戦闘向きではなかった。苛烈な戦場体験は彼を変える。除隊後も志願して前線に戻るなどし、最後には、率いる仲間の命のために死んでいく。戦争は終わっていたのだが(それを知っているような描出で)。

映画ポスターではこの弟が中央にいるけれど、彼の叫ぶ顔が心の激しさをうまく形容するからだろうか。実際のところ5人はそれぞれに苦悩と苦労を背負っていて、時間の偏りなく描かれた。

このドラマは、戦争の悲情と、ありふれた死と国土荒廃をさほど訴えない。容姿の美しい俳優たちと、細部まで作り込まれたと言われる戦場シーンが遠い時代を再現し、十分に見応えがあるものの、70余年前の彼ら(私達の母、私達の父)の胸中は伝わらず。製作者、演者の誰も悪くないが、日本の映画の反戦ものとは違うタッチであるのに少々混乱する。ドイツはそういう芸術文化を持つのかどうか。