懐中温泉です、
歴史シミュレーションその14
越後の騎馬。 越中の騎馬。
彼らは、単独では鉄砲に弱い。
しかし、鉄砲で一瞬「動きを止められた」
敵に対して、一気に距離を詰めることが
できる。
「これが、“組んだ騎馬と鉄砲”か」
白浜で地図を見ていた結は、頭の中で
その光景を重ねます。
鉄砲で止める。 騎馬で崩す。 槍で固める。
織田・徳川が長篠で見せた「鉄砲による騎馬
撃退」とは逆の構図。
ここでは、「鉄砲と騎馬が同じ側に立っている」。
九頭竜川の岸辺は、もう静かな水音だけの
場所ではなかった。
「軍神」が前に出る
橋頭保を守る陣形が、一度だけ揺らいだ
瞬間があった。
織田側の歩兵が、鉄砲の一斉射をしのぎきり、
槍の列を押し広げて迫ってきたのだ。
「押されるぞ!」
誰かが叫ぶ。
その声が走る前に、 一人の影が前に出ていた。
上杉謙信。
雨に濡れた鎧。 抜かれた太刀。
その動きは、若い頃と変わらなかった。
「退くな」
一言。
それだけで、前列が踏みとどまる。
謙信が斬り込む。
敵兵の槍の間をすり抜けるように、
太刀の軌跡が雨を割る。
前の一人、 その隣の一人。
斬られた者が、川岸に倒れる。
「軍神だ……!」
橋頭保の後列にいた兵が、思わず
叫んだ。
鉄砲の音も、槍の擦れる音も、
その一瞬だけは遠くに行ってしまった
ように感じられる。
謙信は、押し返した。
橋頭保の前を少し広げる。
その隙間から、新たな兵が、次々と上がって
くる。
「ここが、“突破口”になる」
謙信の言葉に、兵たちは頷いた。
九頭竜川の右岸。
小さな陣が、少しずつ「戦場」へと
広がっていく。
手取川の歌が、九頭竜川でも
雨は、さらに強くなった。
川の流れは荒れ、 織田側の足元も、
ぬかるみで滑りやすくなっている。
橋頭保から少し前進した上杉軍が、
織田陣の一角を崩した瞬間。
誰かが、京で流行った戯れ歌を思い
出した。
「上杉に逢うては織田も 手取川
はねる謙信 逃げる信長――」
その歌が、九頭竜川の戦場の端で、
形を少し変えながら口ずさまれる。
「九頭竜川 またも謙信 逃げる信長」
鉄砲隊の一人が、息を切らしながら
笑った。
「まだ逃げてはおらん」
隣の者が言う。
「しかし――崩れ始めてはいる」
織田陣の左翼が、一揆勢と上杉の
側面攻撃に耐えきれず、 じわじわと
押し込まれていく。
中央は、橋頭保から広がった上杉本隊が
前進し、右翼では、越後・越中の騎馬が、
ぬかるみをものともせず突き抜けた。
柴田勝家は、まだ踏みとどまっていた。
しかし、その背後に控える信長本隊の
動きに、わずかな揺らぎが見え始めていた。
「殿――」
誰かが、信長に声をかける。
信長は、九頭竜川の濁流を見つめていた。
川。 雨。 上杉。 一揆。
「ここで討ち勝てば、天下は一気に定まる。
ここで討ち負ければ、天下はしばらく
“二つ”になる」
信長は、ゆっくりと息を吐いた。
「退く」
その一言で、織田本隊の動きが変わる。
ご精読ありがとうございました。
懐中温泉
