懐中温泉です、
歴史シミュレーションその20
前田利家は、黙って聞いていた。
「我らがここで一揆と戦い、
無差別に叩き潰せば、
『織田はまた越前を焼きに来た』と見なされよう。
かといって、一揆を放置すれば、
織田に縁ある城と町が食い破られる。
……難しいところよ」
柴田勝家は、粗い手で顎を撫でた。
「一揆のうち、あまりに乱暴な者は討つ。
しかし、村を守ろうとする者、
“信長憎し”ばかりではない者は
利用する」
前田が、わずかに眉を上げる。
「利用、でございますか」
「越前を守るのは、織田の軍だけではない、
と見せねばならぬ。
『織田に従えば、一揆の焼き討ちから
村を守れる』と、
そう思わせる筋道を、少しずつ作る」
勝家の言葉は不器用だが、その中身は
現実的だった。
「北陸方面軍、などという格好の良い呼び名は
まだ要らぬ。
まず、越前を“踏ん張る地”とせねばならん。
そのために、槍だけでなく、
口と、米と、道とを使う」
前田は、柴田の横顔を見た。
そこには、ただの猛将だけではなく、
「負けたあとに残る地をどう立て直すか」
を考える男の影があった。
「加賀の一揆は、上杉と固く結びつこう
としております。
越前の一揆は、それに呼応しつつも、
まだどちらに重心を置くか決めかねて
いる様子にございます」
「ならば、越前の一揆には、
『上杉と組む道』と『織田と組む道』を、
二つとも見せてやればよい」
勝家は、地図に線を引いた。
「城ごとに、事情が違う。
強硬な者の多い村には、槍を見せて
“ここまでは許さぬ”と教える。
話の通じるところには、
『年貢の減免』
『通行の安全』
『市の開設』
など、細かい餌を出して、
本願寺や上杉に行かず
とも済む道を示す」
利家は、思わず笑った。
「殿、それではまるで……」
「まるで、あの秀吉の真似事よ」
勝家も苦笑した。
「わしが槍一本でどうにかなると思うておったら、
九頭竜川で痛い目を見ることもなかったろう。
負けたあとは、槍だけでは足りぬ。
話と、金と、我慢が要る」
雨音が、少し静かになった。
「織田北陸方面軍――その名は、
いずれ誰かが勝手につけよう。
わしはただ、
『越前が織田の地であり続ける』ように、
今日一日を積み重ねるだけよ」
勝家はそう言うと、地図を巻き、
立ち上がった。
「利家、成政。 各城を回り、
一揆の動きをよく見ろ。
必要なところには槍を、
話の通じるところには文を持っていけ。
北陸での織田の名誉は、
九頭竜川で失ったままにはせぬ。
ここから先の十年で、取り返すのだ」
越前の空は、まだ厚い雲に覆われている。
しかし、その雲の下で、
「負けたあとの北陸」をどう形作るかを
考える者たちが動き始めていた。
九頭竜川で一度退いた織田の槍は、
ここ越前に残り、静かに、しかし確かに
「第二の戦線」を築こうとしていたのである。
ご精読ありがとうございました。
懐中温泉
