懐中温泉です、
歴史シミュレーションその27
謙信は、一揆側の男たちを見渡した。
「織田に焼かれた恨みを、
ただ焼き返しで晴らすのでは、
何も変わらぬ。
上杉の旗の下で戦うからには、
『この地を、織田の前より良くする』
という約束を、そなたらにも背負ってもらう」
一揆の代表たちは、しばし沈黙した。
やがて、僧が深く頭を下げる。
「承知致した。
越前・加賀の一揆勢、
上杉殿の『義』に従い、
刃の向け先と、刃を収めるべきところを、
ここにて心得申す」
こうして、北陸における「一揆と上杉の約束」
は結ばれた。
それは、ただの軍事同盟ではない。
「どこまでが義で、どこからが乱暴か」
を線引きする、最初の取り決めでもあった。
越中・能登・加賀の「公権力」
越前の次に、謙信が目を向けたのは、
既に上杉の色に染まりつつある能登・
越中・加賀であった。
「越中・能登は、すでに分国としての体を
成しつつある」
側近の一人が報告する。
「在地の土豪を『奉行』として立て、
城下に楽市を許し、
年貢と軍役の基準を定め、
私闘を禁じる
これらの政を、越後・上野・能登で行って
きた通り、越中にも徐々に広げております」
謙信は、頷いた。
「分国支配とは、
『誰が何をどこまで勝手にしてよいか』を
決めることでもある。
越後と同じやり方を、
そのまま能登・越中に当てはめることは
できぬが、少なくとも、年貢と軍役と私闘の線は、
どの国でも同じにせねばならぬ」
加賀はまだ、完全な分国とは言えなかった。
一揆の力が強く、土豪と寺と村の関係が
複雑に絡み合っている。
「加賀は、『一揆の国』と呼ばれて久しい」
別の家臣が言う。「ここでは、土豪も、農民も、
寺も、皆が集団として動き、
『誰が上に立つか』が曖昧なまま、
信長の前に立ちはだかってきました。
上杉殿が加賀を『分国』としたく思し召すなら、
この『集団の力』を、 どこまで『公権力』へと
整えるかが鍵となりましょう」
謙信は少し考え、静かに答えた。
「加賀においては、
城ごとに上杉の『代官』を置くことはせぬ。
代わりに、一揆側から『年寄り』を選ばせ、
その者に対して『上杉からの公的な任』
を与える。
加賀の者には、
『自らの代表を通じて上杉と結ばれている』
という形を示すほうがよい」
越後では、上杉が直接土豪を押さえた。
能登・越中では、土豪と在地寺社の勢力を
整理して「公権力」を作った。
加賀では、一揆の中から代表を選ばせる
ことで、「民の側から立ち上がる公権力」を
形にしようとしている。
「北陸三国は、それぞれ違うやり方で
『上杉の国』になりつつある。
大事なのは、どこでも『上杉の名で戦と
税が決まる』ということだ」
謙信の言葉に、家臣たちは深く頭を下げた。
関東との道を太くする
北陸の地図の横には、もう一枚、関東の
地図が広げられていた。
沼田 厩橋 鉢形 松山
四つの城を結ぶ線が、太く引かれている。
「越前から京へ向かう道と同じくらい、
越後から関東へ向かう道も、
今の上杉には重要である」
謙信は、地図上の線をなぞりながら言った。
「北陸ばかりを見ておれば、
関東が揺らいだときに支えを失う。
関東ばかりを見ておれば、
北陸で築いた勝ち目を逃す。
ゆえに、北陸と関東の間に、
“太い道”を作らねばならぬ」
四城連絡ライン
沼田から厩橋へ、 厩橋から鉢形へ、 鉢形から松山へ。
そこに、城郭と城下と街道と関所が置かれ、
上杉からの命が迅速に伝わる体制が
整いつつある。
「越前・加賀と関東を結ぶには、
一度越後に兵を集め、
そこから三国峠を越えて沼田へ出る
ことになる。
この道を、ただの山道ではなく、
『上杉の覇道』として整えねばならぬ」
謙信は、山越えの線を強くなぞった。
「道の途中に宿場を置き、
兵糧の蔵を置き、
関所には無用な課役を課さぬ。
兵だけでなく、商人や情報も行き来できる道
にしておく。
そうしておけば、 北陸で戦うときも、
関東で戦うときも、
『もう一方の地』から兵と米が届く」
越後・北陸・関東。
三つの地をただ「上杉領」とだけ呼ぶのではなく、
その間を行き来する「道」を意識して整えること。
それが、
「百戦百勝の武将」から「天下を構える
大名」へと変わりつつある謙信の、
新しい戦い方であった。
ご精読ありがとうございました。
懐中温泉
