神殿の仕掛け | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です、

 

蒸気機関物語―それぞれの幸福―21

 

 

結は机の上で、独楽を回しました。

 

昨日よりも、少しうまく回せた。

 

指先でひねり、すぐに手を離す。

 

独楽はふらつきながら、やがて

真っすぐ立つ。

 

小さな胴が、静かに震えている。

 

この独楽は、何の役に立つのだろう。

 

湯を運ばない。

水を汲まない。

石炭を掘らない。

 

手紙を届けない。

人を治さない。

 

それでも結は、独楽を鞄にしまうのを

やめられませんでした。

 

回るものには、人の目を止める力

がある。

 

それは、役に立つ前の力かも

しれない。

古代の工房で、球はまだ回っていた。

 

火は小さくなり、鍋のなかの水も、

最初ほど勢いよく沸いてはいない。

 

けれど、二つの細い口からは、

まだかすかな蒸気が出ている。

 

若い者は、机のそばから離れなかった。

 

「これを、大きくすればどうなりますか」

 

男は答えない。

 

若い者は続けた。

 

「もっと火を強くして、もっと大きな球

に蒸気を入れたら。

 

もっと速く回るのではありませんか」

 

男は、ようやく顔を上げた。

 

「大きくすれば、重くなる」

 

「では、もっと火を」

 

「火を強くすれば、器も強くしなければ

ならない」

 

若い者は黙った。

 

「器が割れたらどうなりますか」

「熱い水と蒸気が出る」

「近くにいる者は」

「火傷をするでしょう」

 

男は球を見た。

 

「回るものを大きくすることは、

回転を大きくすることではない。

危険も大きくする」

 

若い者は、初めて少し怖くなった。

 

小さな球は、美しかった。

 

しかし、火と水を閉じ込めることは、

いつでも美しいだけではない。

 

結はここまで書いて、筆を止めました。

 

この会話も、もちろん創作です。

 

ヘロンが弟子に危険を説いた

という史料があるわけではない。

 

けれど、金属の器に火と水を用い、

蒸気を通す装置を扱うなら、

熱さや漏れや破損を知らなかった

とは考えにくい。

 

ただし「考えにくい」と「証明されて

いる」は違う。

 

結は余白に、二つの印を書きました。

 

確かめられることには、丸。

想像で書くことには、波線。

そして、まだ調べていないことには、

三角。

 

この印をつけていくと、頁は少し

不格好になります。

 

けれど、不格好なままの方がよい、

と結は思いました。

 

歴史をきれいに整えすぎると、

分からないことまで分かったように

見えてしまう。

 

アイオロスの球が、古代社会で

どれほど作られ、どこで見せられ、

誰が笑い、誰が驚いたのか。

 

結には、まだ断言できない。

 

宴席で回ったのかもしれない。

 

学びの場で使われたのかも

しれない。

 

誰かの邸宅で、珍しい器具

として眺められたのかもしれない。

 

あるいは、書物に記された装置

ほどには、実際には作られ

なかったのかもしれない。

 

そのどれも、今の結には決められ

ません。

 

けれど、役に立たない発明だった、

と言い切ることもできない。

 

なぜなら、その球は、二千年近く

後の結を止まらせたからです。

 

温泉の湯気を見ていた結は、

古代の小さな球を思い出しました。

 

球の回転から、坑道の梁へ進み、

やがてニューコメンやワットの名を

調べ始めた。

 

もしヘロンの装置が、実用のため

ではなく、驚きのために作られた

のだとしても、その驚きは長いあいだ

消えなかった。

 

それだけで、役に立ったとは言え

ないだろうか。

 

 
ご精読ありがとうございました。
 
懐中温泉