戦史に学ぶリスト獲得法 | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です。

本ブログをご訪問いただき、
心より感謝いたします。


ごく当たり前のことですが
当たり前だからでしょう、
絶えず忘れては
思い出す事柄があります。



いくつもありえますが、
とりわけ普遍的な事柄として

https://youtu.be/fpPMUPLxEhE

人間は一人では生きていけない。

このことがあります。

言われてみればそうなのですが
絶えず忘れる事柄の筆頭とも
言って良いのではないでしょうか。

さらに、この言葉には
人間は他の人と助け合って生きている。

という最低限の認識から

人間の生存のためには
実は自然を含めた環境全体の保全
が必要である。

という広がりのある認識まで
いたります。

いつになく教訓のような
話になってしまいました。

「どうしたんだ?」

「いつもなら、ここらへんで
一気に下世話になってくるはずじゃないか。」

本当にどうしたのか。

あなたが戸惑われるのも
無理もありません(笑)

たぶん、20年来の仕事仲間が
みな、その20年分年齢を重ねた、ということを
昨晩の会合であらためて
感じたからかもしれません。

あるいは
今回取り扱おうとしている
題材の影響だと思います。

三十年戦争。

高校世界史などで誰もが
一度は目にしたことのある
項目ではないでしょうか。

あるいは、この言葉が簡単な説明とともに
掲載されている教科書や
年表資料など準拠教材を手にされたことは
あるでしょう。

しかし、その内容に踏み込んで
授業をするような余裕は
おそらく昨今の学校には
まずないと思います。

したがって、内容は
ほとんど知られていません。

とは言え、興味があって
それに関しての本なども
読んでもよくわからない。

それほどに複雑でもあります。

少なくともわかっていることは
この戦争が30年続いた、という点です。

場所は今のドイツです。

だから、ときにドイツの国名が
冠されてドイツ三十年戦争
と呼ばれたりもします。

期間の時期が名称となった
戦争でこれまたよく知られる
英仏間の百年戦争が
実は1337年〜1453年でした。

100年ではないのですね。

しかも、絶えず行われていた
わけでもないのです。

世界史の先生で、少しひねった
問題を出す先生は

「百年戦争は何年間続いたか」

などという問題を出すかもしれません。

他方、こちらは
1618年から1648年と
1648ひく1618、きっかり30年
と大変わかりやすいです。

では、その内容・経過は

ドイツを中心に行われた宗教戦争

これ以上踏み込んで説明しようとすると
途端に迷宮入りになってしまいます。

宗教戦争とはなにか。

この場合、仏教徒やイスラム教徒から
みれば
キリスト教信者間の戦いです。

ボヘミア(現在のチェコ)
王フェルディナントの新教徒圧迫が原因。

デンマーク•スウェーデン•フランスも参戦。

ウエストファリア条約によって終結。

主な戦場となったドイツは
国土が荒廃

皇帝権の弱化による諸邦の分裂。

著しく近代化が遅れた。

そういう内容です。

そもそもドイツという国自体が
ありませんでした。

統一国家としてまとまるのは
その200年後になります。

忘れがちですが、
この戦争はキリスト教徒間の
(不毛な)宗教戦争でした。


カトリック(旧教)と
プロテスタント(新教)

とが互いに殺戮を繰り返し、
計算の仕方によっては
ドイツの人口の3分の1以上が
減少した、とされるほどです。

汝の敵を愛せよ。

これを双方信条としながら、
30年間も殺し合ったのです。

わからないですよね。

三十年戦争研究者が
最も困る質問は

三十年戦争とは何だったのか。

という質問でしょう。

彼らには一生この質問で
悩んでいただくとして(笑)

少なくとも、1つだけここで
つかめ、学べる事柄があります。

それは、この戦争以降、
一戦場において参加する軍勢がそれまで
せいぜい数万単位であったのが
これ以降10万以上の単位になったことです。

すなわち、一挙に、
有機的に行動する人間の数が
数倍あるいは10倍以上になったのです。

その飛躍に大きな貢献をしたのが、
スウェーデン王グスタフ2世アドルフ
でした。

彼は、あえていえば
日本の織田信長と上杉謙信を
合わせたような人物です。

軍政の改革とともに
戦術の革命的刷新を行ったのです。

軍事としては、
グスタフ2世アドルフは
革命者でした。

スペインからの独立戦争のために、
オランダで起こった軍事革命を取り入れた。

そして、
それに影響を受けたドイツ新教軍の軍事体系も加え、
スウェーデンの軍事を
それまでと一変させました。

騎兵・砲兵・歩兵という三種類
を有機的に連動させる三兵戦術
をも編み出しましています。

そして、何よりも彼によってなされた
改革の中で
画期的であったのが傭兵政策です。

傭兵とは、お金などで雇う兵隊の
ことですね。

それまで専ら徴兵制により兵士を募り
軍隊を形成していましたが、
度重なる戦役により、国庫は破綻し、
国民も疲弊していたのです。

そこでグスタフ2世は
行き詰まった徴兵制度に加えて、
多国籍の傭兵軍を整備しました。

もちろん、傭兵自体はそれ以前から
ありました。

それを、有機的に連動する
三兵戦術とも巧みに組み合わせ
時々刻々変わる戦況に対応させる
ことに成功したのです。

この成果を、三十年戦争で本領を発揮し、
カトリック=皇帝軍の旧態依然とした
戦法を打破しました。

これらの改革を通じ、
グスタフ2世アドルフの時代、
スウェーデンは一気に欧州の強国
なったのです。

このグスタフ・アドルフ
に学べるかも。

それは、顧客リストの作成です。

なんらかの市場に入っていくというときに
まず必要なのが、顧客リストです。

この顧客リストつくりは、
実のところ、何万・何十万という
数字をかせげばいいというものでは
ありません。

実のところ、核となる1000人、
で十分。

それで一生食っていける、という
ものなのです。

その1000人を大切にし、
切り開いていく。

まさに自国民といっていい存在です。

もともとの自国民により編成された
組織に加え、外部から加わる多国籍組織
を刻一刻変わる状況に対応させる
グスタフ2世の改革を彷彿させる。

この内容が語られているのが
これから私が学ぼうとしている
ものです。

それについて詳しく知る。


ご精読ありがとうございました。

懐中温泉