懐中温泉です。
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秋波。
あなたは秋波を送られたことがありますか。
あるいは送ったことがありますか。
秋波。
あきのなみ、と書いて、しゅうは、と
読みます。
秋の波なので、
季節は秋に限定されるのか。
そのようなことはありません。
なぜなら、この秋波こそが
ハニー・トラップの第1歩だからです。
ハニー・トラップという
甘い罠(わな)に季節がないのは
もちろんですので、
秋波も季節とは関係ありません。
秋波とは。
女性が異性の気をひくためにする
色っぽい目つきのことです。
およそ、ハニー・トラップで
この要素のないものは
ないでしょう。
もともとは、書いて読むままに
秋の澄み切った水の波、
のはずなのですが、どこで
そうなったのか。
中国宋代の詩人蘇軾(蘇東坡)がその漢詩
「百歩洪」にこの言葉を用いたときなどは、
美人の涼しい目もと、
という意味合いだったはずです。
が、私は未熟なので
涼しい目元と色っぽい目つきの
区別ができません。
また、現代では、秋波を送る、は
必ずしも、女性が男性に、という
場面に限定されるわけでもないのです。
国家同士が外交上のやりとり
をする場合でも、秋波は送るでしょうし、
プロ野球球団が、外の有望な選手に
秋波を送ったりしています。
それらの存在が
涼しい目元であったりする
はずはありません。
秋の澄み切った水の波、
といった風情を持ち合わせる
気遣いもないわけです。
したがって、
流し目のことであり、
ウィンクのことであり、
意味ありげな目配せであるわけです。
なんらかの誘いを
もって視線を送る。
それだけの意味に矮小化されているのです。
しかし、ハニー・トラップをしかける
女性が必ずしも罠にかけようという意図が
ないこともままあるように、
秋波を送るのも悪意はない。
そういう可能性は高いです。
単に好意を示したかった。
それだけの意図である。
その場合、視線を発した当の本人は、
それこそ、
秋の澄み切った水の波の心境
だったかもしれないのです。
あるいは、自分としては
涼しい目元で見ただけ。
そのように自分では思っていた。
そしてまた、都合の良いことに
秋波を送られた男性の方も、
彼女の涼しい目元に
魅かれただけ、と言うかもしれません。
「その涼しい目元は、
あたかも秋の澄み切った水の波の
ようだった。」
このように言えば
「お前、詩人だな。」
と仲間から感心されることだって
ありうるのです。
しかし、物を知った人が
そこに居合わせたならば、
「それこそが秋波というものだ。」
と人類創世以来のハニー・トラップの
歴史について、とくとくと
語るでしょう。
とくに、その人が
遺伝子学の専門家であれば、
「そうやって、イブが
アダムを誘惑し、彼女の
ミトコンドリアのDNAのみが
生き残ることになったのだ。」
と主張するかもしれません。
とはいえ、秋波は
人間の男女のみならず、
様々なレベルで、
性別を超えて送られるものです。
したがって、
秋波のみでハニー・トラップが
成立するわけではなく、
ただ、その皮切りにすぎないのです。
ところで、
傍から見ればいかにも
秋波を送っている。
そのように見えるのにもかかわらず、
当人同士は意外に気づかない。
とくに、送られた方は
気づかない場合も多い。
であればこそ、
送った方は意図しており、
罠にかけることもありうる。
しかし、送られた方は、
そもそも送られたと思っていないか、
送られてもかわしているか。
結果として受け取っていない。
あたかも、自動設定で
迷惑メールに振り向けられる
かのように、知覚されないのです。
あるいは、単に鈍感、
ということもありえます。
朴念仁(ぼくねんじん)、という
懐かしい表現もありましたね。
秋波が通じない相手に、女性が
そのように言い掛けたりするのです。
最近は、ほとんど聞きません。
世の中が忙しくなっているのでしょう。
代わりに空気が読めない、
などという功利性のみで判断される
表現が主流になっています。
他方、秋波を確かに受け取ったのだが、
その受け取り方が、冒頭でのべたように
秋の澄み切った水の波、としか
映らない。
その場合には、着実に
トラップの中に陥っているのです。
したがって、もしもあなたが
男性で、ある女性が涼しい目元で
秋の澄み切った水の波のような視線を
送ってきていたら。
つい忘れていたかもしれませんが、
それは秋波というものであり、
ハニートラップの始まりなのです。
ご精読ありがとうございます。
懐中温泉