つながっている感覚 | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です。


本ブログをご訪問いただき
心より感謝いたします。



今回は、
つながっている感じについて
お話しようと思います。


この春、恩師が亡くなり、喪失感を
抱きました。以来、心のどこかに
その喪失感が残っているような気が
していました。


人間として当たり前の感情と思い
ましたので、その喪失感は心中に
漂わせてきたのです。


恩師はイギリス人で、留学時代に
ご指導を受けたのでした。


四半世紀におよぶおつきあいを
していただき、文字通りメンター
として私にはあります。


今回のイギリス出張中、恩師の
お住まいを訪れました。

恩師のご夫君はご健在で、お住まい
のそばにある教会の墓に導いて
いただくために訪うたのです。


葬儀の日は、国内での事情が重なり、
出席することができませんでした。


そこで今回の訪問には、花束を持参し、
墓前に捧げることにしたのです。


まず、そのお宅に着き、現在
ご夫君の一人暮らしとなった
お住まいの様子は、前と同じです。


実際、恩師が亡くなるまで、
約8ヶ月間在宅ホスピスと化す
前の落ち着いた雰囲気に
戻っています。

訪れた私をご夫君は喜んで迎え入れ、
早速、墓所を案内してくれました。


もともと、お住まいが教会に隣接
しているので、歩いて5分も
かかりません。


教会の敷地内に墓が建てられ、
恩師の墓の場所は、教会聖堂の
すぐそばにありました。


墓石は、恩師と恩師の母親
そして、若年で亡くなった娘さん
と3代を刻んだ特注の墓石になる
ということで、まだできていませんでした。

できるのは1年後くらい
といいます。


したがって、予定地としてある
場所に木製の小さい十字架が
こんもりとしている埋葬地
の端に立てられていました。


実のところ、
最初は意識しなかったのですが、
その埋葬地の土の盛り上がり方は、
ちょうど人間サイズです。


はっとして
ご夫君にうかがうと
やはり土葬だったのです。

土葬だから、棺桶の輪郭で
土が盛り上がっています。

なるほど、と納得しました。


ちなみに、公衆衛生の観点から
長らく土葬できたイギリスでは
20世紀中頃に火葬が法令化
されていたのでは、と思い出しました。

その点を質問すると、選択できる、
とのことで、見てみれば、その教会の
敷地内の別の一画には、火葬による
埋葬のための墓所もあります。

これも20世紀から始まっていますが
散骨を選んだ人のためのものは、
名前を刻んだ石のプレートを
地面にはめ込んであります。


散骨なので、場所はとらないため、
小さい区画にたくさんのプレートが
並べられています。


ご存じの通り、キリスト教には
旧来のキリスト教会の組織からなる
ローマ法王を頂点とする
カトリック(旧教)

それに対する
プロテスタント(新教)

とがあります。

16世紀の宗教改革以降
この2大宗派が世界のキリスト教人口、
20億人と言われる人々のほとんどを
傘下にしています。

とはいえ、日本の仏教界でも
そうですが、多数の分派があります。


恩師は、プロテスタントの一派では
ありますが、基本的に
個人の信仰を重視するセクトの
流れにある派の人でした。

したがって、スタイルには
こだわりませんでした。

だからでしょう、日本滞在の際は、
滞在先の近所にあるのが
カトリック教会だけでしたので
ご夫婦でそちらに行かれていました。



カトリックとプロテスタントの
大きな違いは、精神と身体との
関係に対しての態度に表れます。


カトリックにおいては、
精神と身体との連続性を
重視しますので、遺体も
故人の部分として扱います。

ところが、プロテスタントでは
遺体は、いわば精神の抜けた
物体でしかありません。


とはいえ、イギリスの
アングリカン・チャーチ(聖公会)
はプロテスタントとはいえ、
カトリックの痕跡を多く残します。


火葬か土葬かという問題も
イギリスでは選択式となっているのも
こうした背景があるようです。


墓前に献花し、
ご自宅に戻りました。


恩師も土葬であった、ということで
ご自宅に入って感じる雰囲気が
前と同じであった理由が
わかるような気がしました。


恩師は、まだここにいる。


魂魄(こんぱく)がここには
ある。

そのように感じたのです。


図らずも、ご夫君自身が
問わず語りにそう言うのです。


彼女はまだここにいる。


私も、そのように感じると
伝えると、
ご夫君は嬉しそうでした。


葬式には出席できなかったが
それはそれで、受け入れてよいのかも
知れない。


そのように感じたのです。


まだつながっているので、
葬式という別れの儀式は
どうもピンとこない。


そういうことだったのだ。


その晩、私は妙に疲労感を
覚え早く床についたのでした。


つながる感じを覚えるときは
自分で思う以上に
エネルギーを使うのでしょう。


ご精読ありがとうございます。


懐中温泉