ギャッツビーがクリスチャンだったとしても
実際のところ、1920年代のアメリカ合衆国
のごく標準的なクリスチャンだったでしょう。
つまり、われわれが一応日本人として、葬式
にはお寺に行って仏教徒になり、神社でお賽
銭を賽銭箱に投げ入れて願い事を神様に祈る
程度にはクリスチャンであったと思います。
たぶん、モーゼの十戒はあまり気にしなかった
はずです。
が、少なくともモーゼがビジョンボードと
して神からこの十戒を授かったときは、人々は
この戒めを繰り返し祈りの中に組み込み、
潜在意識に働きかけたはずです。
前回問題としたように、潜在意識は、きわめて
素直な上に、肯定と否定とを区別できません。
したがって、NGのついた戒め
2 NG 偶像を作ってはならない
3 NG 神の名を徒らに取り上げてはならない
6 NG 殺人をしてはいけない
7 NG 姦淫をしてはいけない
8 NG 盗んではいけない
9 NG 嘘を言ってはならない
10 NG 隣人の家をむさぼってはいけない
は、
肯定的に受けとめるわけです。
そのため、偶像を作り、神の名を徒に取り上げ、
殺人をし、姦淫をし、盗みをし、嘘を言い、
隣人の家を貪る、
というように作用する可能性もありえた
わけです。
もちろん、個々の作用は記録にも残らない
ため、どういう具合に結果したかはわかり
ません。
それでもその後のユダヤ民族の歴史
を見る限り、受難の歴史、という表現が
よくあてはまります。
そして、今でもユダヤ教はこの十戒を原則として
遵守しており、それにもとづいた生活様式を保っ
ています。
公平のために述べておけば、十戒のうち、
3つは、肯定的表現ですので、そのまま
いきます。
1 主が唯一の神である
4 安息日を守る
5 父母を敬う
これはストレートで間違いようがないです。
歴史に「もしも」はありません。
そうだった、というだけです。
それでもビジョンボードという見地から、
この十戒がもしもたとえば以下のようで
あればどうなるのか、と深く考え込まざる
をえないのです。
ギャッツビーなら、希望に満ちた表現
としてこうするのではないでしょうか。
2 神のイメージだけを心に描きなさい
3 神の名を大切に取り扱いなさい
6 人を生かしなさい
7 あなたの愛する人のみを愛しなさい。
8 分かち合いなさい
9 言うこととすることを一致させなさい。
10 あなたの隣人を愛しなさい。