【高尾山薬王院*飯縄大権現様ご縁日】挨拶の大切さと。 | 開運*招福Kyotoレシピ*いつも心に御神仏を*〜classy-angelique-style〜

開運*招福Kyotoレシピ*いつも心に御神仏を*〜classy-angelique-style〜

日々の暮らしの中にみつけた大切なkoto
幸せは自分の中に種を蒔き育み育てるmono
日々の豊かな暮らしを重ねるコツをお伝えしてまいります。
*真言宗密教僧阿闍梨
*鎮宅霊符師
*密教宿曜占星術
*四柱推命
*易断
【神様*絵本 大祓祝詞】


21日の飯縄大権現様御縁日の

お話の続きです照れ


21日の朝9時からのお護摩は月に一度だけの特別。

百味供養、特別開帳大護摩供、大般若経六百巻転読会。

更には御前様が御導師を勤められる特別な回となります。


この回には、初めに御法話があり、

さらには終わりにも

御前様からの御法話をいただける有り難い回なのです。


6月21日のお護摩修行前の御法話は。

秀峰会でお世話になっている先達からの

"挨拶について”の御法話でした。


先達は、

高尾山に上がる前は幼稚園で先生をされていたそうです。

だから、子供達に、挨拶の大切さを教えてきたそう。


以下に、先達からのお話を載せます。

細かいニュアンスは

多少違っているかも。です

おねがい



少し前にネットで炎上した

『挨拶するしないは個人の判断で

しない自由、しない権利がある』
という話がありました。


挨拶についてですが、

入園してすぐの子供達は、

親から離れた不安や、緊張から、

なかなか元気な大きな声で
挨拶が出来ない事が多いんですけれど、
こちらが、大きな声で『おはようございます』
と声をかけ続けていくと

だんだんと、
同じように返してくれるようになります。

子供達の環境に馴染む力や素直さだったりを、
ほんとうに凄いなぁと思うわけなんですけれど、

その挨拶の大切さを教えて、
挨拶を指導をする先生たちが、
元気に大きな声で挨拶が出来ているか?というと、
そうは言えない場合がありました。

自分からは挨拶しない人だったり、

こちらから挨拶しても、小さな声だったり、

ペコッと頭を軽く下げるだけだったりするわけです。

残念ですけれど、
これが、大人社会の現実かなぁなんて
思ったりしました。


挨拶は実は仏教用語なんです。

《一挨一拶》

といいまして、今ではどちらかというと

目下の者が目上に対して挨拶をする。

というような具合ですが、

もともとは、
目上の者が目下の者への声掛けだったのです。

師が弟子に対して

『今日も良い修行ができましたか?』

と声を掛けて、弟子がそれに対して

『おかげさまで、
良い修行をさせていただきました。

ありがとうございます』

と返す。
これが、挨拶と言われています。


挨拶はしなくていいんだ。とか

挨拶をするもしないも個人の自由だ。

と言った話しもありますが、

わたしの知る方に

《挨拶をしないと馬鹿になる。》
という方がいまして、
それはどういうことかといいますと。


気持ちの良い挨拶をする事で、
"良い人、親しみやすい人"
という印象を周りに与える事になり、

自然と人が集まる。
人とのコミュニケーションが円滑になる。
それは、良い人脈や良い情報や、良い知識を

得ることに繋がって行く。

というだと思います。


小学生の頃に、
挨拶についての川柳の募集がありまして、
応募した事があります。

金賞をいただきまして、金券をいただき

凄く嬉しかった記憶があります。

『挨拶は明るい社会の合言葉』
というものなんですが、
今でも、なかなか良いなぁと
気に入っています。


大切なことは、挨拶にはこういう意味がある。
ということや

挨拶の大切さを、それを知る私たちが

世間に発信していかなくてはならないんだと

思うわけです。



というお話でした。

照れ


挨拶は、社会性を育む最初の練習です。

挨拶にかぎらず、

行ってらっしゃい。お帰りなさい。

いただきます。ご馳走様でした。

など、暮らしの中で使う挨拶や言葉がけは

御守りなんですよ。


たまたまその前日に、

久しぶりに読み聞かせの練習に顔を出しまして。

ランチの席で、そんな話になりました。


『行ってらっしゃい』には、

『気をつけて行ってらっしゃい。そして無事に帰ってらっしゃい』のおまじないのような意味が込められています。

行ってきます。も同じです。

『無事に帰ってくるね』の意味が込められています。


それは、言霊であり、究極の御守りです。

その人の周りに、魔から守る結界を張り巡らすこと。

それは、日々、積み重なり、強さを増すものなんですね。


頂きます。ご馳走様でした。

は、命への感謝と供養となります。


おやすみなさい。おはようございます。

も、明日が来るようにという御守りとなり、

朝を迎えられた感謝となります。


日本人は、こうして

脈々と言霊を積み上げて護りを強くしてきたのだと思います。


それが、今はどうでしょう。


護りが緩み、壊れてきているように感じているのは

わたしだけではないでしょう。


神社やお寺めぐりも結構です。

でも、他力の前に、自分にできる身近なことから

大切にしていきませんか?


そして、その大切さを

周りに広げていくことも大切なことだと思います。


挨拶についてお話くださった先達は

どんどん、広げていきましょう。と

お話くださいました。


明後日。

小学校で5年生への読み聞かせがあります。

わたしは高尾山の先達から伺ったこのお話を

自分なりのアレンジを加えて

読み聞かせをしてこようと考えています。

照れ