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第144回芥川賞受賞。

文章表現のうまさが絶賛されていたが、読み手の読解力の問題なのか、時間軸が知らないうちに変わっていて今いつの話をしているのか、時々分からなくなった。

ストーリーに至っては驚くほど何も無く、はっきり言ってたいくつな小説だった。

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本書は大澤真幸氏の新刊「『正義』を考える」にて取り上げられていて、興味を持った。

1章だけの話だったら良くあるパターンで終わってしまっただろうが、

誘拐された娘の視点で書かれた2章には非常に読み応えがあった。

できるなら、3章とも言える誘拐された側の母親の物語も読んでみたいと思った。

そこにこそ、大澤氏が指摘するところの現代社会の人々のメンタリティを読み解く鍵があるような気がする。




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最近の森達也氏の作品や行動にはどうにも賛同できない側面がある。

今回も、考え方には概ね賛成なのだが、作品全体を通じて感じられる欺瞞がどうにも気になった。

最近の森氏の作品で特に私が不満なのが、机上の作文になってしまっているところだ。

AやA2の時にはそうではなかった。

いま、どれだけ忙しいのかは知らないが、たいした取材もせず、肝心なところはほとんど引用で済まし、

周辺取材も話を聞きやすい人間にのみ取材を行い、明らかに何もないと分かっている旧上九一色村にいき、

何も無いことを確認したかったとこられては呆れざるえない。

さらに気にかかるのがやたらに言い訳や自己弁護が多いところだ。

たったの1回しか麻原法廷を傍聴していない理由を、

完全に書籍にシフトしここ何年も映像の1本も発表していないにもかかわらず、

自分は映像がメインの人間であるからと言ったり、

100%許可されるわけないのに麻原に面会の申請してみたり・・・

そもそも今回のメインテーマである麻原が精神破綻していて裁判を続けられる状態にはないというものも、

主張自体は賛同できるものの、たった一回の傍聴で得意げに言い出すのには欺瞞を感じてしまう。

いま、森氏はマスコミ・言論界の免罪符として取り込まれてしまっている。装置の一部になってしまっている。

そして、森氏自身がそのことをある程度自覚し進んでその役割を演じているように、私には見受けられる。

かつて辺見庸氏は両論併記になるならばと新聞への記事の掲載を拒否したという。

森氏は両論併記になると分かりながら積極的にコメントを寄せている。

森氏の主張は特定の個人に向かうものはない。

そこが森氏の良さでもあるのだが、使う側にとっては、その曖昧さが非常に安心なのである。

余計なお世話ではあるが森氏のスタンスはこのままでいいのだろうか。

森氏の考え方自体は好きなだけに奮起を期待したい。









悪人(上) (朝日文庫) 悪人(下) (朝日文庫)


原作を手にとったのは映画に足りないものが原作にはあるのではないかと思ったからだ。

読んでみて確かに原作には映画を補完するストーリーがあった。

興味深かったのが、光代の描き方。

映画は原作のエピソードを省いた場面はあるものの、基本的には原作に忠実だった。

しかし、深津演じる光代の描き方だけは微妙な差違があった。

分かり安いところで言えば、土砂降りの日、職場から家まで帰宅する際、小説では同僚に車で送ってもらったのに、映画ではびしょ濡れになりながら自転車で帰った場面がある。

映画の方ではより惨めな人間として光代を描いている。

小説の光代はもちろん現状に100%満足してはいないが、今の自分の環境をそこまで嫌いでもない。

なぜ、映画では光代の人格を微妙に変化させたのだろうか。

それは、二人が愛し合うに至る過程を映像では表現しきれなかったからだろう。

映画を見ているだけだと、なぜ光代が祐一を愛したのか、理解できなかった。

だからこそ、彼女をより惨めな人間として描く必要があった。

現状から逃げ出したい鬱屈した世界に閉じ込められた人間として描く必要があった。

しかし、そのせいで、残念ながら最後の「世間で言われとるとおり、彼は悪人やったんですよね?」という台詞が今ひとつピンとこないものになってしまっていた。



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非常に長く感じた。率直に言ってつまらなかった。

緊迫感やリアルさが評価されているのだろうが、

本当にリアルな描写だったのかは実際の兵士やイラク人にしか分からない。

主人公の男の心理描写がよく理解できなかった。

人間が描けていない。そんな印象を持った。

深津絵里演じる女性が自分の学校から職場まで全部国道沿いにあり、自分はそこから一度も出たことがないと呟いているシーンが強烈に印象に残った。
地方で生まれ、働き、そして死んでいく人間の悲哀を残酷なまでに映し出している言葉だと思った。
もちろんそこで家族を営み幸せに暮らしている人もたくさんいる。
だけれども、たまらない寂しさに襲われる瞬間があるはずだ。
だからと言って都市での生活が決して幸せとは言い切れないことを、大学生の日常を映し出すことによって示してもいる。
柄本演じる父親が娘を置き去りにした大学生のいる博多から自分の営む床屋に帰ってきたシーンで、奥さんが床屋 の明かりをつけ、ガラスを掃除しながら帰りを待っている場面だけが、唯一ほっとできた場面だった。
丁寧に撮られた良い作品だと思う。妻夫木の演技も非常に良かった。
多少不満が残ったのは、女が男をなぜそこまで愛するに至ったのか与えられた映像だけでは理解できなかった点と、殺された女性の父親に突然、人の道を語らせた場面だ。
逆だったのではないか。
前者はもっと見ている人を納得させるような描写が必要であり、後者はべらべらしゃべらせるのではなく感じさせなければいけなかった。

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羽生さんと誰を対談させるかは、編集者の腕の見せ所だろう。

二人の思想のぶつかり合いからどんな化学反応を起こすのかが、

読者の最大の楽しみなのである。

そういう意味では、茂木健一郎というのは非常に凡庸な選択だと思う。

茂木さんでは大きな化学反応は期待できない。

ただ、二人の話の中で美意識という話は興味深かった。


非常に面白い対談本てある。

なぜかというと将棋とヨットの話しかしていないからだ。

しかし、物事の真理なのではと思える考え方が随所に散りばめれていた。

抜き書きしておきたい箇所が何ヵ所もあった。

あとがきで白石氏が羽生さんはどこにも偏っておらず四方八方自由自在に変化できる人だと述べているが、それはまさに、流れる水のような人だとも言えるのではないか。

そう気がついた時、なぜ昔から羽生さんのことが好きなのかわかったような気がした。

羽生さん以外にも私が好きな人、陽水しかり、ウッチャンしかり、同様の性質があるような気がする。

それは何物にもとらわれない水のごとき心である。

しかし、その水は確かに流れている。意志がある。

願わくば、私もいつか水のごとき心を手に入れたいものだ。