日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」/水谷 竹秀

素材はいいはずなのに、完成度高くない。

ノンフィクションとはいえ、文章に文学性というか、流れが必要であると思う。

たぶん、著者は取材に入る段階では一つのストーリーを持っていたと思うが、

実際に取材に入ってみて、一人ひとりに様々な要素があることを痛感し、

迷いが出てしまったのだと思う。そして、その迷いがそのまま出てしまっている。

迷いは、その人の人間性をあらわすものであり、必ずしも悪くないが、

それを含めて作品まで昇華しないと、読み物としては物足りない。



悪党―小沢一郎に仕えて/石川知裕

第三者が小沢一郎について書いた本の中で、もっとも読み応えがあり面白い。

それは石川氏が小沢の秘書として最も身近に彼のことを見てきた人間の一人であり、

小沢一郎を好嫌や利害を超えたところで冷静に分析する眼を持っていたからに他ならない。

そんな、石川氏がやはり小沢氏には総理になってほしいと言っている、

これが全てではないだろうか。

水の透視画法/辺見 庸

『もの食う人びと」以降の最高傑作である。

脳出血の後遺症で半身に麻痺の残る辺見氏はかつてのように世界を飛び回ることはできない。

本書に書かれるのは日常の風景だ。しかし、日常から紡ぎだされることばは美しい。

そこには抵抗三部作で見られたような剥き出しの怒りはない。しかし、静かな憤怒がある。

本書のなかで、辺見氏は、いちばん恐れているのは、ことばに見はなされることであり、

そのような大事なことをかつて語った人物がいたということが唯一の希望であると述べている。

いま、我々にとっての希望は、辺見庸が存在すること、そして、そのことばが、

ほんの一部の新聞ではあっても掲載されていたという事実しかないのである。




かつて私は無宿人が多くあつまる東京のある街に住んでいた。

無宿人たちの何人かは飢えや病気のため主に冬場にいき倒れるのだった。

冷えきったアスファルトを地蜘蛛のようにはいずる瀕死の男を一度ならず眼にしたことがある。

それは内面のうかがいしれない〈他の身体〉であった。

いき倒れる〈他の身体〉に私は激しく動揺し、いたく同情もしたが、手ずから助けおこしたのは、たったの一回しかない。

視界にいき倒れた男がいても、たいていは鉛の玉をくわえたような心地のまま息をつめてとおりすぎたのだ。

すさまじい悪臭が私を〈他の身体〉から遠ざけただけではない。

たとえ助けおこしたとて、あるかなきかの良心をつかの間満足させるだけで、かれらの生命と魂を根っこから救うことはとうていかなわない、といういいわけとあきらめが、私と〈他の身体〉をきっぱりと分断したのだった。

台上に力なくよこたわる私は、寒夜の光景をまなうらに浮かべ、なぜかしきりに懐かしんだ。

そのとき、あることに突然こころづき、はっと息をのんだ。

過去をなぞる私の眼が、路上にうち倒れた男を見おろしているのでなく、いき倒れた〈他の身体〉の側から世界を見あげていたからだ。

眼の位置の転換―そのわけを、うまく説明することはできない。

ただいえるのは、うすれゆく意識のなかで路面から世界を見あげる生体が、見おろす者の信条とはまるでかかわりなく、生きたい、生きたいとこい願っていたことだけだ。

私は台上でさとった。






週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 日本破壊計画 2011年 3/19号

辺見庸氏の記事はもの凄いインパクトと示唆を与えてくれたが、他の記事は残念ながら期待はずれだった。

特に、がっかりだったのが宮台真司氏である。

10ページにもわたり尺を取っている割には、あまりにも浅すぎないか。

多少乱暴に要旨をまとめると、当事者意識を持ち、

同じような価値観を持った人々と連帯していこうというものだ。

それを彼は、もったいをつけて「引き受ける」と語っている。

文章の中ではタイガーマスク運動を絶賛している。

それを読むと、ますます情けない気持ちになる。

サークル運動をやっている学生の意見でもあるまいに。

宮台氏はいったい何を研究しているのだろうか。

これは、地震前に書かれたものだろうが、結果的にテレビ局がタレントに言わせている「ひとつになろう日本」や「つながろう」「絆」と何ら変わらないメッセージになってしまうという恥ずかしいことになっている。

ただ、氏いわくこの文章が否定的な踏み台としてでも役に立って欲しいとのことなので、もくろみ通りなのだろうか。



週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 日本破壊計画 2011年 3/19号

朝日ジャーナル復刻第2号の巻頭に辺見庸氏の「標なき終わりへの未来論」という記事がある。

この記事は地震の前に書かれたものだが、地震や津波、原発事故などこれから起こるであろうことが予言されており、一部で話題になっていた。

辺見氏は文章の中で、30年後の世界の姿を予言している。

その世界は言葉を、生きる気力を失うような絶望的な未来像である。

もはやこの国、そして世界は新しい命の誕生を心の底から喜ぶことができない世界になってしまったのか。

「生まれる」は「死ぬ」よりも残酷な言葉となってしまったのか・・・・・



資本は、もうからないかぎり、どのようなモーレス(道徳的習慣)をも排除、解体するし、

もうかるならば千年前のモーレスの守護神にもなる。




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芥川賞受賞作。

主人公のような思考回路の人間は確かにいるだろうなと思う。

ただ、なんだか説明文を読んでいるような気になった。

最後に何かあるのかと思って読み進めたら結局そのまま終わってしまったので若干拍子抜けではあった。

今回の芥川賞2作品はどちらも、もうちょっと何かないのかよと思わせる作品だった。