ものすごくもやもやが残る夜があった。
もやもやは、朝になっても消えなかった。
こんな事は久しく無かった。
感謝して、受け入れるのは、とても難しい、、、、。
もやもやを解消できない自分への腹立たしさからも、
もやもやした。
どうしたらよいだろう、と考えた。
もやもやの原因となった時間は、私に責任感を持つことや、言い訳ばかりするように聞こえる相手のよい点を見つけることを教えてくれた。
また、過去の自分も相手のようだった、私も周りに迷惑をかけてきた、今在る自分は、周りの方々のおかげだ、と気付かされたので、感謝もした。
そう転換して、納得しようと努力した。
しかし、もやもやする。感謝できていなかったからだ。
『私は、早く帰りたかった。』めっちゃ早く帰りたかったのである。
経験の浅い同僚のミスで、その意志は阻害された。
また、伝達事項を相手に伝えられていなかったという自らの力不足を省みた。
自分の願いや達成感を奪われた時、人は肩を落とす。
この悲しみを通過してきたのは、私だけではない。
きっと、それを教えられる為の、必要な時間だったんだ。
今でこそ、そう思えるが、試練の最中は、どう乗り越えるとよいのか、悶々としている。帰宅した後も、ストレスからなのか、自分の意識や呼吸や表情すら、曖昧に思えた。こんな事は、滅多にないのだが…。
最近の楽しかった出来事を無理矢理思い出して、眠りに就こうとした。
前日のお昼の給食は、カレーライスだった。
K先生:(子どもたちに)今日は、カレーライスよー

私:やったー!カレーライスー

Y先生:カレーライスだってー

私:ドライカレー、食べたいなー

Y先生:ドライカレー、美味しいですよねー

私:美味しいよねー

S先生:美味しいドライカレーの作り方、知ってる

私:知らないです

S先生:私、知ってるよ
昼に教えるね
私:やったー

カレーライスでこんなに盛り上がれるとは、平和である。
平和過ぎる。
帰宅後、即効で教えてもらったレシピを見ながら、目玉焼き乗せドライカレーを作った。美味しくて、短時間で、簡単で、家にある材料で、たくさんの野菜も入って、夏にぴったりな一品であった。
以前、知り合いからバジルの鉢植えを頂いた。毎朝じょうろで水をやり、葉の成長を見るのが、毎日の小さな楽しみである。大切に育てたバジルを摘んできて、カレーに添えた。
「できたら、写メって見せてね
」と、これぞ女子なプレッシャーな要望に応え、一応撮ってみた。家族も美味しいと言ってくれ、なんと愉快なひとときだっただろう。
次の日、レシピを教えてくれた先生に、写メを見せて、お礼を言った。
夜になり、1日前や今日の昼間とは、状況は変わった。
私は、些細なくだらない事で、足止めされてしまった事が、馬鹿馬鹿しくて、悔しかったのだ。
そうだ、そうだったのだ。
甘受する事は、まだまだ難しいが、自分を見つめて、受け入れてあげると、気が楽になると思った。
甘受への道のりは遠いようだが、できるようになりたいと、心から願っている。